家族の肖像
周囲の羨望をよそに、アレクセイとエカテリーナは、ノヴァク一家としばし歓談した。
子爵家の嫡男アンドレイは三十歳そこそこ、目力の強い黒髪の美男で、若き日の父親によく似ているらしい。子爵領の経営は今はほぼ彼が担っており、いずれは父親と共にアレクセイの側近として仕えることだろう。魔法学園への入学基準を満たす魔力の持ち主で、在学当時の思い出を懐かしげに話した。
そしてノヴァクの妻、子爵夫人は、名をアデリーナという。エカテリーナとは初対面ではない。実は、公爵領に来てから毎日のように会っていた。
「お嬢様、さきほどのダンスはお見事でございましたね」
アデリーナ夫人が、温かい笑顔でエカテリーナに言う。
「夫人のご指導のおかげですわ。ありがとう存じます」
そう、アデリーナは公爵領でのエカテリーナの、ダンス教師を務めてくれているのである。
渋い強面のノヴァクとは対照的に、柔らかな笑顔が印象的な女性だ。淡い藤色の髪に藤色の瞳、美人というタイプではないが、人好きのする雰囲気がある。ダンスは若い頃から得意だったそうで、子爵家の一人娘だった頃にボリス・クルツという名前だったノヴァクを見初めたのも、舞踏会で祖父セルゲイに勧められて踊った時のリードが好ましかったのがきっかけだとか。
もっともアデリーナ本人がレッスンの合間に聞かせてくれた昔話によれば、当時は周囲から、美男子の顔につられた馬鹿娘、など散々なことを言われたらしい。
何故なら、ボリス・ノヴァクは魔力をほとんど持っていないからだ。
彼の生まれは、貴族の庶子の息子というほぼ平民の身分であり、財力もなかった。それでもノヴァクは、明晰な頭脳と独学ながら広い学識に加え、武芸もまずまずの腕前と、優れた点を多々持っていた。むしろ彼は、魔力がないからこそ自分の努力で身を立てようと、貧しい暮らしの中でも勉学に励み武芸にも打ち込んだのだ。皇都育ちの彼にとって、平時には使い道のない魔力など重視する貴族が愚かにしか見えず、関わるのはこちらからお断りだと思っていたようだ。だからノヴァク自身が、アデリーナから関心を寄せられてもはなから相手にせず、最初はずいぶん邪険な態度を取ったらしい。
それでもノヴァクをロックオンして追ったアデリーナは、見かけによらずハンター気質なのかもしれない。
とはいえ祖父セルゲイがノヴァクを高く評価していなかったら、そしてセレブな仲人趣味でなかったら、アデリーナも諦めざるを得なかっただろう。アデリーナは今でも、祖父に深く感謝しているそうだ。
そして今や、ノヴァクはユールノヴァ公爵家当主の一の側近。ノヴァク子爵家に名誉を添える存在となった。
「夫人には、兄妹そろって世話をかける」
アレクセイの口調が丁重なのは、ノヴァクが側近としての務めに忙しく、子爵領の業務も家庭のことも、夫人に丸投げしている状態なのを解っているためだ。
「もったいないお言葉でございます。本家をお支えするのは分家の務め、夫がお役に立っておりますなら、わたくしはただ嬉しいばかりでございます」
実際にアデリーナは、本家を支えることこそ分家の果たすべき役目、家のことはお気になさらず。と夫を送り出し、自分が子爵領を経営しながら一男一女を立派に育て上げた、良妻賢母の鑑のような女性なのだった。
若き日のハンター気質は何処へやら、というか、実はその気質あればこそなのかもしれない。
そもそも夫人は家付き娘で、ノヴァクは入り婿だ。それでも夫に立場の弱さなど感じさせることなく、子供達にも父親は立派な仕事をしているのだと教えこんで、尊敬させて育てたというから偉い。
結果として、今やノヴァクは妻に頭が上がらないらしい。婿の遠慮とかではなく、妻への感謝と、苦労をかけている罪悪感ゆえだ。そのうえ、アレクセイさえ夫人に配慮する。ある意味では女性として最も賢明な生き方、と言えるかもしれない。
なんというか……言うなればひとつの、女の花道?日々の忍耐と努力の賜物なのだろうなあ、と思うと尊敬しかありませんよ。
前世の自分には絶対無理だった、女の生き様だけど。今生ではいつか、見習うことになるかもしれない。
なんせこの世界では私は適齢期。学園卒業と同時に、どこかへ嫁にいくことになるかもしれないんだよね……。
どこへ行くかは、お兄様が決めること。皇室は嫌と言った以上、それ以外はどこだろうと、言われた通りにしなければ。
できればどこへも行きたくないけど。ずっとお兄様の側に居たいけどね。
ノヴァク夫妻に続いて、他の側近たちも挨拶にやってくる。
その中で、学者のような風貌になぜか悲壮な表情をたたえていたのが、若き鉱山長アーロン・カイルであった。
「閣下、お嬢様、私の力が足りず申し訳ございません……っ」
いきなり頭を下げたアーロンに、アレクセイとエカテリーナはけげんな顔だ。
「どうした、アーロン」
アレクセイが尋ねると、くっ、とアーロンは顔を背ける。
「アイザック博士が……大叔父様が、おいでになりませんでした」
「……」
あいかわらず大叔父様ラブすぎですね、アーロンさん……。
鉱物マニアが高じて、学生時代に知り合った鉱物学者アイザック大叔父様の押しかけ助手をやっていたのが縁で、セルゲイお祖父様にスカウトされた人材だったというから、初志貫徹ではあるかもしれませんが。
「博士は、決して悪気はない方なんです。閣下のことも大切に思っていらっしゃいますし、お嬢様にお会いするのも、本当に楽しみにしていらしたんです。ただ、学術的に興味を引かれることがあると、他のことが考えられなくなるだけで。それは決して――」
「アーロン、気にするな。大叔父様がどういう方かは解っている」
必死にフォローするアーロンに、ふ、とアレクセイは口の端に笑みを浮かべて言う。エカテリーナは、くすくす笑ってしまいそうなのを精一杯こらえていた。
アーロンの焦りようも無理はない面はあって、予定ではアイザック大叔父は、アレクセイとエカテリーナが公爵領へ帰還するのを、このユールノヴァ城で待っているはずだったのだ。しかし入城してみると、アイザック大叔父は不在どころか、何処にいるのかわからない、行方不明状態だったという。
血相を変えたアーロンが探し回って、なぜか領内の鉱山にこもっていることがわかり、使者を送って『早くお帰りください!』と伝えたのだが……見事にスルーされたらしい。
「アイザック大叔父様は、本当に素晴らしい学者でいらっしゃいますのね。世界の神秘に迫るほどの方ですもの、宴の予定のような小さなことに、心が向かなくとも仕方ございませんわ。むしろ、大叔父様の研究がはかどるのは、人類にとって喜ばしいことと存じましてよ」
ライーサさんから聞いた昔のエピソードでも、日常のことには気が回らないタイプみたいだったもんね。大叔父様に会うの、楽しみだったから残念ですけど。
そういえば前世で、iPS細胞でノーベル賞を受賞した教授の講演を聞けそうな機会があって、すごく行きたかったことがあったなあ。まあ、内容を知りたいっていうよりは、世界を変えるかもしれないすごい発明をしたすごい人を、生で見てみたい言葉を聞いてみたいっていう、ミーハー根性だったけど。そして社畜はその日もやっぱり、仕事で駄目だったけど……。
今生では、世界を変えるほどすごい人が、親戚にいるんだもの。これからいくらでも会う機会があると思うと、すごく贅沢な環境だと思う。
「ありがとうございます。お嬢様は本当によくお解りです」
ほっとした様子で、アーロンは笑顔になった。
「博士の口癖は『僕はなんにも知らないから』なんです。最高の頭脳をお持ちなのに、本当に謙虚で、子供のように無垢な方なんですよ」
「まあ……」
前世の偉人、ニュートンの名言にちょっと似てる。私は海辺で小石を拾って遊んでいる子供のようなもの、海のように広がる真理には触れることもできていない……。そんなようなニュアンスのことを言っていたはず。そういえば名前が同じアイザックだった。
でもニュートンて、けっこうアレな性格してたらしいけども。
「お嬢様は博士と、きっと話が合うに違いありません。早くお会いになっていただきたいものです」
「わたくしもお会いしとうございますわ。大叔父様がお戻りにならないようなら、わたくしの方からお訪ねしたいくらい」
「ああ!そうしてくださるなら、鉱山まで僕がお供いたします」
嬉しそうな顔をしたアーロンだが、アレクセイと目が合うと、びくっとして小さくなった。




