洗濯女と閣下
「お祖父様はほんとうに素敵な方ね。大叔父様も」
エカテリーナは微笑む。
さすがお祖父様。皇都でお兄様と行ったレストランの支配人、ムーアさんが教えてくれたっけ、お祖父様は人材を育てることがお好きだったって。ライーサさんもお祖父様の育成枠でしたか!
趣味・人材育成。ほんとに有意義ですお祖父様。
「セルゲイ公はその頃まだ嫡子の身で、ご領主ではありませんでした。ですが、あの頃はもう、領地を統治しておられたのはあの方でした。領都の富裕な家に子供を引き取らせたのは、セルゲイ公だったのです。私の恩人でした」
「まあ……さすがお祖父様ね」
アイザック大叔父様が十八歳だったなら、五歳違いのセルゲイお祖父様はこの時、二十三歳かな。前世だったら大学卒業して社会人一年目か二年目、まだ初々しい頃の年齢だよ。
それでこの有能領主っぷり。ほんとにさすがですお祖父様。
ところでお祖父様が二十三歳の時に八歳だったライーサさん、今はたぶん五十歳?とてもそうは見えない!ていうか多分、若い頃は大人っぽく見えて、ずっと外見年齢が変わらないタイプと見た。
「でも、ライーサも偉くてよ。まだ幼いのに、並みの大人より分別があったのね。皆と一緒に大叔父様を馬鹿にしたりせず、説明してさしあげるなんて」
「恐れ入ります。ですが、私はただの子供でした。色々なことがわかっていなかったのです」
君は説明が上手だ。私は洗濯についてよく知らないから、また会えたら、いろいろ教えてくれないか。
そうセルゲイ様が言ってくれたので、八歳のライーサは有頂天になった。
次に会えた時、たくさん教えてさしあげたい。すっかり浮かれてそう思って、それまで以上に張り切って働いた。まだ任せてもらえない公爵夫人の服の洗い方を尋ねたりした。女性の服は飾りが多くて難しいのだ。
そして、暇があれば庭をうろうろした。セルゲイ様に会えたらいいな、と願って。
家族を亡くし、馴染みのない環境に一人で暮らす子供の心を、その願いがどんなにあたためてくれたことだろう。
でも。願いの通りセルゲイ様が庭に現れた時、駆け寄りかけてライーサはためらった。社交辞令という言葉はまだ知らなかったけれど、大人は時々、相手をその時限り喜ばせるために、心にもないことを言う時があると知っていたので。こんな立派な方が、子供から洗濯の話を聞きたいなんて、本当なわけがあるだろうか?
ライーサの考えは、まっとうでもっともだ。けれどセルゲイ様はライーサの姿を見つけると、笑顔で手を振った。
『ライーサ、会えて嬉しいよ。少し時間はあるかい?』
そしてセルゲイ様は、本当に洗濯の話を聞いてくれた。洗濯室の設備に感動した話も、下働きたちの噂話や人間関係も。ただ聞くだけでなく、疑問点をあげて、こういうことを知りたいからわかったらまた教えてくれないか、とさえ言ってくれた。ライーサはますます張り切って、人に尋ねたり、周囲の話に聞き耳を立てたりして、せっせとセルゲイ様の疑問に答えた。何度も庭で会って、話をした。話題は洗濯室の外、いろいろな下働きの部署に広がっていった。
そこで話を切って、現在のライーサは微笑む。
「お嬢様、それがどういうことだったか、お解りになりますか」
エカテリーナとしては、苦笑するしかない。
「お祖父様は……ライーサを、ご自分の眼になさっていたのね」
厳しい表現をすれば、スパイにしていたとも言える。当時、なんらかの不審な点でもあったのだろう。本来なら下働きと直接言葉を交わすわけにはいかないセルゲイにとって、ライーサは、なんの打算も人間関係のしがらみもない利発な子供の視線は、得がたい情報源だっただろう。
若干モニョるわー。お祖父様、純粋な子供をナチュラルに利用したんですね……生まれながらに人を使う立場だったもんなあ。しかし二十三歳で、さらっとそういう真似ができちゃいますか。
ライーサは少し意外そうに目を見張り、ふふ、と微笑んだ。
「子供の気持ちを慮ってくださいますか。お優しい……。あのアレクセイ閣下があれほどお嬢様を大切になさるのは、これだからですね。
話に聞いた通り、まことにご聡明でいらっしゃいます。セルゲイ公がなさったことは、公爵になられる方であれば自然なこと。洗濯女など、お役に立てたことを喜ぶばかりです。
そしてやはり、セルゲイ公に似ておられます。あの方も、あり得ないほど洗濯女に良くしてくださいました」
『ライーサは、読み書きを習いたいのか』
『はい!私がお手紙をかけたら、もっとお役に立てると思うんです。……でも、洗濯女には贅沢ですよね』
セルゲイの横で、ライーサはうつむく。見下ろす手は、あかぎれだらけだ。それでも、食べ物と寝床がある自分は、幸運。
ユールノヴァ城へ来て数ヶ月が経っていた。この環境にも仕事にも慣れ、セルゲイとの交流は内緒だけれど誇らしく、自分は幸せ者だと今でも思っている。思っているけれど、やっぱり少しずつ、洗濯女で終わりたくはないという望みが芽生えてきたのだった。
『君は賢い子だ。それに一途で、いつも一生懸命だ。私は君と話すと楽しいよ』
そう言ったセルゲイは、次に会った時、驚くようなことを言った。
『ライーサ。城を出て、私の知り合いの家の子供にならないか』
代々ユールノヴァ騎士団の騎士を輩出してきた家があるが、二人の息子がどちらも騎士になりながら、まだ結婚もしないまま殉職してしまった。気落ちした両親はこのまま家を絶やしてしまうつもりだったが、やはり寂しく、女の子なら引き取って育ててみたいと思うようになったそうだ。男の子ならどうしても騎士にふさわしいように育ててしまうだろうけれど、女の子なら、婿を取ればいつまでも側にいてくれるだろうと。
『でも、私では無理です。がっかりされます』
代々騎士の家なら、ライーサなどが引き取ってもらえるはずがない。貧しい田舎の村から来たみなしごでなくても、吊り合う身分の養子をいくらでも選べるだろう。
けれど、セルゲイは微笑んだ。
『それがね、彼らは、君がいいそうだ。
それに、私は君に、あの家の子になってほしいんだ。そして勉強して、いろいろなことを身につけたら、また、違う立場でこの城に来て働いてほしい。君がいてくれると、私も心強いから』




