宴の前に
ユールノヴァ公爵が爵位を継承した際には、公爵領と皇都でそれぞれ祝宴が開かれる。
皇室と同様、三大公爵家も、公爵が存命のうちに爵位を譲り渡すのが通例だ。その場合には祝宴はすみやかに行われる。
先代の逝去に伴う継承であった場合、当然まずは葬儀を行い、ある程度の期間を置いてから、新たな公爵を祝う宴を開く。
アレクセイの公爵位継承を祝う宴は、皇都ではすでに行われていた。
しかし公爵領での祝宴は、異例の期間延期されてきている。アレクセイが学生の身であり、あまり公爵領へ戻ることができなかったのが理由だが、つまりは彼が望まなかったためだ。皇都での祝宴で充分と。
だが一転して、今回盛大な宴が催されることになった。それは、名目は公爵位継承の祝いとしつつ、産まれてから一度も公爵領の人々の前に現れることなく生きてきた妹エカテリーナを、ユールノヴァ公爵令嬢として広く知らしめるため。
つまりこの祝宴は、アレクセイがエカテリーナのために開くもの。そう言って過言ではなかった。
「お嬢様」
部屋へやって来たメイド頭のアンナが、一礼して話しかけようとしたところで、ぎくりと言葉を切った。
書机で書き物をしているエカテリーナの、足元に寝そべっていたレジナがむくりと身を起こす。剣のような牙を持つ巨大な猟犬に、光る目で見据えられ、緋色の髪に白髪の混じるベテランのアンナが、ふっくらした身体を震わせるほど怯えていた。
「レジナは怖くなくてよ、アンナ」
エカテリーナは微笑み、レジナの頭を撫でる。目を細めて、レジナはふたたび横たわった。
「お、お嬢様。猟犬は、お邸の中には入れない決まりでございます」
「お兄様がお許しになったの。お祖父様も、領地にお戻りになった時には、お気に入りだったリーダー犬をお側に置いていらしたとおっしゃったわ」
「それは……」
ベテランだけに祖父の時代を覚えているアンナは、反論できず口ごもる。うつむいてぼそぼそと、ですが魔獣が混じったものを、と呟いたようだった。
「それより、わたくしに用ではなくて?」
「は、はい」
はっと顔を上げて、すぐさま呼吸を整えたあたりは、やはり経験値だろうか。
「お嬢様、祝宴でお召しになる衣装はどれになさいますか」
「皇都で準備したものよ。それがどうかして?」
紫がかった青い目を見開いてエカテリーナが尋ね、アンナは戸惑った表情になった。
「それは、わたくしども、お嬢様のお支度をいたしますので。どのようなお衣装かは、知っておきませんと。それにこの北都にも流行はございます、お衣装を拝見して、ご忠告を差し上げられればと」
「ああ、そう思っていたのね。心配はいらなくてよ、わたくしのドレスは皇都の最新流行で仕立てたの。北都の流行に合わなくとも、仕方がないわ」
ふふ、と微笑んでから、エカテリーナは表情をあらためた。
「なにより、アンナから忠告をもらっても、何か変えるつもりはなくってよ。今回のドレスは、ユールノヴァ領の新たな特産品にするため、お兄様方が開発した生地を使っているの。それに、同じデザイナーのドレスで皇室御一家をおもてなしした時、皇后陛下にお褒めを賜り、その生地をお買い上げいただいたのですもの。あなたの言葉で変えるわけには、いかないの。解るわね?」
「っ、は、はい……申し訳ございません、お嬢様。差し出がましいことを申しました」
エカテリーナの口調はごく優しかったが、一語一語が明晰だ。アンナは恐縮しきった様子で頭を下げた。他に反応のしようは、ないに違いなかった。
「支度は、ミナが心得てくれていてよ。当日、ミナの指図に従って手伝ってくれればいいわ」
「さようでございますか」
エカテリーナの後ろに控えているミナを、アンナはちらりと見やる。
「そのことでもご相談が。ユールノヴァ公爵令嬢のお付きメイドが一人だけでは、当家の格式にそぐいません。以前お嬢様のお世話をしていた者たちを、お付きに戻しますがよろしいでしょうか」
「まあ、ちょうど良かったわ」
エカテリーナはにこやかに言った。
「わたくしも、その話をしたいと思っていたの。魔法学園の寮に連れていけるメイドが一人だけであることは、知っているでしょう。だからわたくし、ミナ一人の世話にすっかり慣れてしまったの。慣れない者の世話では、落ち着かないわ。
学園を卒業するまでは、わたくし付きのメイドはミナ一人で良くてよ。他のメイドはミナに手伝いが必要な時に、ミナの指示を聞くこととしておいてちょうだい」
「お嬢様……」
アンナは眉をひそめたが、エカテリーナは気付かぬ風だ。
「卒業までの、ほんの二年半だけのことですもの。お兄様と、執事のノヴァラスにも話しておくわ、あなたの手抜かりと誤解されたりしないように」
「……恐れ入ります」
ここまで言われては逆らえず、アンナは頭を下げるしかなかった。
「お嬢様、お変わりになられました」
「そうかしら」
思わず漏れたような呟きに、エカテリーナはおっとりと、白鳥のように白く細い首をかしげてみせる。
「自分では、よくわからないわ」
よう言うわー!
アンナが下がった後の自室で、ミナが渡してくれたティーカップを優雅に傾けながら、エカテリーナは内心でセルフつっこみにいそしんでいる。
そら変わったわ!別人格混じったわ!最初のうち何度もぶっ倒れたほど変化したってのに、しれっとよう言うわ自分!
前にここにいたエカテリーナは、着せ替え人形みたいに黙って着せられた服を着て、そのまま一日中じっと部屋に閉じこもってたもんね。勝手が違って、アンナはさぞ面食らったことだろう。
「格好良かったです、お嬢様」
傍らに控えるミナが淡々と言ったので、エカテリーナは大きな目を見張った。
「わたくし、格好良くて?」
「メイド頭をものともしませんでしたから。きりっとしてらっしゃいました」
「まあ、嬉しいこと」
うふふ、とエカテリーナは笑う。
戦闘メイドのミナに、格好良いって言われちゃったぜ。照れるわー。
「あたしかレジナが、必ずこの部屋にいるようにしたほうがいいですね」
「……ドレスを駄目にしたり、するかしら」
悪役令嬢定番の嫌がらせだもんね。
あれ?悪役令嬢は私だぞ。
「あの女は小利口なんで、そういう、解雇の理由になるほど大きなことはしそうにないです。でも、誰かを焚き付けて、やらせるかもしれません。用心するにこしたことはないです」
「そうね、本当に」
エカテリーナは小さくため息をつく。細かい嫌がらせって、何が楽しいんだろ。
……まあ、聖人面してそんなこと思える身じゃないけどさ。前世で、私をクライアントとの交渉の矢面に立たせておいて後ろから撃ちまくった上司に、公言してた不倫が奥さんにバレてがっつり慰謝料取られて離婚されるように全力で呪いをかけた覚えとか、それなりにありますようん。呪いが嫌がらせに入るのかわからないけど、なんか効いたらしいからねえ。詳細は知らんけど、短期間で頬がこけてましたよ。
正直ちょっと、溜飲が下がったんだよね。嫌がらせして、相手がちょっとでも嫌な思いをすれば嬉しい心理、理解できないとは言えません。
とはいえ、自分で奥さんに密告しようとかはまったく思わないな。そんなことに時間と労力使っても、むなしいだけやろ。それで相手がダメージ受けた場合、嬉しいより嫌な気分にしかなりそうにない。
だから、解る気もするけどやっぱりわからん!
ややこしいわ自分!
「お嬢様のものに手出しなんか、絶対させません」
な、なんかミナの淡々とした口調に、底力がこもっているような。
そういえば皇都で祝宴のことを聞いた時、新しいドレスを作りますかと訊かれて、行幸の時のドレスでいいと言ったんだけど。ふと思い出して、公爵領でたくさんドレスを作ってもらったけど、あまり似合わなかったの、と軽く言ったら……ミナもだけどグラハムさんやあっちのメイド頭とか、皇都公爵邸主要メンバーの目の色が変わったんでビビりました。
そこから即座にドレスデザイナーのカミラさんが呼ばれ、新しいドレスを皇都で作って持っていくことに。前に作ったドレスでいいという私の意見は、丁重に流されました。
みんな、それが危険信号だってわかってたのね。
「お嬢様、アンナは邪魔ですか」
あ……久しぶりにうちの美人メイドにサイコ入ってる件。
でも仕方ないんだよね、ミナは戦闘メイドなんだから。だからこそアンナの微妙な敵意もすぐに見抜いて、忠告してくれた。
いろいろ省略というか伏せてたけど、どうやらアンナはクソ親父となんかあったらしい。それで、外見はそっくりで中身が全然違うお兄様には複雑な感情を持っているらしい。このへんは従僕のイヴァンから聞いたそうだ。そして、親父の妻たるお母様にそっくりで、お兄様に大事にされる私にはイラッときている。らしい。このへんはミナの見立て。
やれやれ、なんで私がイラッとされにゃならんのか。あんな細かい嫌がらせをよく思い付くなー。
なんてのんびり構えていられるのも、百パーセント信用できて頼りになるミナがいてくれるおかげだよ。うん。
「お兄様に害がないのなら、メイド頭としてはきちんとお仕事をしているのですもの、しばらく放っておくわ。わたくしが学園を卒業するまでに、次の人材を探しておけばよいこと。
ミナがいてくれればアンナなど、邪魔ですらなくってよ。いつもありがとう」
エカテリーナが言うと、ミナからサイコの気配が消えて、無表情な口元にほんのりと笑みが浮かんだ。




