入城
翌日、ユールノヴァ公爵一行は予定よりも早く小領主の屋敷から出発した。
小領主の街から領都はもうかなり近い。だから出発の時間も遅めの予定だったのだが、今朝早くから小領主の屋敷の周りに領民たちが続々と集まってきた。何事かと思ったら、公爵兄妹を一目見ようとする人々だったのだ。想定外の人数に囲まれて、馬車を進められなくなるおそれがあるため、早めの出発となったのである。
(ちょ……ちょっと、やりすぎた?)
内心でたらりと汗をかくエカテリーナであった。まさか手を振っただけでこんなことになるとは。
昨日はっきりと勘違いな歓声を浴びていながら、手を振っただけ、と思っているあたり、恋愛関係の残念思考が妙なかたちで応用されているのかもしれない。正直が必ずしも美徳ではないように、応用は必ずしも良いこととは限らない、という例なのかもしれない。
そしてアレクセイも、勘違いな歓声の意味を解っていなかったりする。あくまで新公爵となった自分と、公爵令嬢としての立場を取り戻した妹への祝意だと思っている。妙なところで似た者兄妹である。
騎士団長ローゼンは、余裕の笑みでエカテリーナに会釈した。
「お嬢様、ご心配なく。我ら騎士団、必ずやお二方をお守りいたします。
それに領民たちは、閣下とお嬢様を心よりお慕い申し上げております。残る旅路も、昨日と変わらず鷹揚に微笑みかけていただければ、皆お嬢様のお優しさに感激いたしましょう。どうか、領民たちの歓呼の声の中、ユールノヴァ城へ入城なさってください」
……なんだろう、ローゼンさんからなんだか開き直りのような気配が。
よくわからないけど、ノヴァクさんも出発前に似たような雰囲気だったなあ。でも、みんなが盛り上がってるのは悪いことじゃないよね。
よし、今日もお兄様のために頑張ろう!
そんなわけで、エカテリーナは今日も微笑んで手を振っている。
意外というか、顔がひきつりそうになったりはせず、むしろ楽しかった。それは、集まってくる人々が皆、喜ばしげな笑顔を向けてくれるからだろう。笑顔に笑顔を返すのは簡単だ。
さらに、アレクセイもクールな彼なりに楽しそうにしている。エカテリーナが群衆の中から気になる人物を見付けてはアレクセイに声をかけたりして、楽しませようと努めているからだろう。
だがそういう努力より、ただ妹が楽しそうにしているから、アレクセイも楽しい気持ちになるのだった。
小領主の街を抜けると、いくつかの村があるほかは、もう古代アストラ帝国の街道は領都へ向かうのみ。
その村々へさしかかると、人々がすでに待ち受けていて驚いた。電話もメールもない世界なのに、噂ですっかり伝わっているらしい。クチコミの伝播力すごい。
そして、街道の先に領都が姿を現した。
ユールノヴァ公爵領の領都は、北都とも呼ばれる。公爵領のみならず他領も含めて、皇国の北方では最大の都だ。東京に対する札幌のような位置付けか。
皇都と比べれば規模は劣るが、この世界では有数の大都市と言える。そして、皇都と似た雰囲気もありつつ、皇都とは異なる風情の美しさがある。
この北都が、ユールノヴァ公爵家の城下町だ。
皇都もそうだが、皇国の各都市は、外壁などで明確に外部と隔てられていたりはしない。建国期の戦乱時代にはそういう都市もあったようだが、ありがたいことに平和と安定が続いた現在、皇都と同様に北都も膨張を続けている。
とはいえ、ここから都、というラインは存在している。
「ここから領都だ」
パリの凱旋門を思い出すような、とはいえあれよりは小さく古い、由緒ありげな門の跡が横目に見えるところで、アレクセイがそう教えてくれた。
アレクセイの言葉に応じるように、騎士団の奏者が角笛を吹き鳴らす。領主の帰還を告げる旋律だそうだ。
それまでも街道の両端に人々が並んで一行を迎えてくれていたのだが、角笛が響き渡るや、そのへんの家々からわらわらと人が出てくる。増量。さらに増量。
わー、すげーことになってきた。
さすが、途中の村とは人口が違うわー。
なおも増量中の人々は、目を輝かせて兄妹の乗る馬車を見つめ、エカテリーナが手を振ると、手を振り返したり歓呼の声をあげたりする。日本の万歳にあたる言葉で……いや面倒だから万歳ってことにしよう。万歳の声がたくさん聞こえてくる。
それから、お帰りなさい、と。
――そう、だった。帰ってきたんだ。
皇都で前世の記憶を取り戻したせいか、今生でも別邸から出た後も引きこもっていて領都をほとんど知らないせいか、もの珍しい気持ちで景色を見てしまうけれど。今さらだけど、私もお兄様も、ここが本来のホームタウンなんだ。
エカテリーナは傍らのアレクセイと目を合わせ、微笑んだ。
「お帰りなさいまし、お兄様」
アレクセイはネオンブルーの目を見開いて、微笑みを返す。
「ただいま。――そして、お帰りエカテリーナ」
妹の手を取って、アレクセイはその手を両手で包み込んだ。
「ここがお前の都、我が女王の都だ。この地に住まう者はすべて、お前の前にひざまずくだろう。従わぬ者どもは私が取り除く、必ずだ」
「お兄様、微力ですけれど、わたくしも力を合わせとうございます。お兄様に従わぬ者は、わたくしが成敗してやりますわ」
「そうか、頼もしいことだ」
後半をいたずらっぽく言うと、アレクセイは笑う。
「では行こう。伏魔殿の悪魔祓いに」
そして、馬車の行く手に本邸ユールノヴァ城が見えてきた。
前世で見た海外旅行のパンフレットだったか、ちょっと似た建物があったような気がする。うろ覚えだけれど、スウェーデンのストックホルム宮殿だったろうか。皇城と違って多くの尖塔を備えたおとぎの城のようではないけれど、優美さと質実さを兼ね備えた建築だ。
数ヶ月前まで住んでいた『自宅』を眺めて、エカテリーナはつくづく思う。
デカい!
いや、これ全部居住用じゃないけどね。県庁的な行政機能とか、総合商社の本社機能、賓客を迎えるための迎賓館機能、それ以外にもいろいろと担っている役割があるんだけど。
それにしても、これが自分ちですよ。
ゆくゆくは世界遺産かも。
って、いつかこの世界にもユネスコが設立されるのか?
一行は、騎士団長が言った通りに、領民たちの歓呼の声の中を進む。万歳の声は、耳を聾するほどだ。
ユールノヴァ城の城門は大きく開け放たれている。
その中で、さらなる騎士団の一団が、城門の両側に整列している。
奏者が再び角笛を吹き鳴らすと、騎士たちは剣を掲げ、大きく鬨の声をあげた。
領民たちの歓呼の声、騎士たちの鬨の声に迎えられて、兄妹はユールノヴァ城へ入城した。




