帰還
三日間の船旅はつつがなく終わり、世話になった船長たち乗組員に礼を述べて、エカテリーナはアレクセイと共に快速船から下船した。
ここはもう、ユールノヴァ公爵領だ。だいぶ北上しただけあって、皇都より風が涼しい気がする。支流の両岸に並ぶ建物も皇都とは様子が違って、木材やレンガが外観に多用された、前世のスイスや北欧に似た雰囲気があった。
前世の記憶では、異国情緒を感じる風景。
でも、懐かしい。
公爵領の別邸で、ずっと幸せとは言えない暮らしをしていたけれど。この風や、空の色、周囲の山々の緑にさえ、身体が深く馴染む気がする。前世の記憶が戻ってから初めての帰郷は、不思議な感覚があるけれど。やっぱりここは、今生のふるさとだ。
はっ!前世と今生の感覚のズレって危険信号やん。入学式の後みたいにロックがかかって倒れないよう、気を付けよう!
「エカテリーナ、大丈夫か」
アレクセイにそっと手を取られて、エカテリーナは我に返った。
「大丈夫ですわ、お兄様。風の香りが懐かしくて、ついぼんやりしてしまいましたの」
「そうか」
アレクセイは優しく妹の髪を撫でた。
「ここから領都まで、馬車で丸一日かかる。途中で一泊してゆっくりと進むが、具合いが悪ければすぐ言いなさい」
「はい、あの、お兄様……わたくしの手を握っていてくださいまし」
前世と今生の共通点、それはお兄様への愛!
だからお兄様にくっついて、お兄様を手伝ったりお兄様の過労死フラグを折ったりすることに集中していれば、ロックはかからないはず。
アレクセイの口元がほころんだ。
そして、妹の華奢な手を両手で包み込む。
「二度とお前につらい思いはさせないよ。私は、お前のすべてを守る」
「お兄様……」
ああっお兄様、違うんです。幽閉のトラウマが蘇ったとかじゃないんです。
すみません、前世とかロックとか、めんどくさい妹ですみません。
「こうしていてくだされば、わたくし怖いものなどございませんわ。このように非力の身ですけれど、わたくしとてお兄様が二度とお辛い思いをなさらないよう、お守りするつもりですのよ」
「ありがとう、優しい子だ」
アレクセイは笑う。
そして顔を上げ、エカテリーナの後ろに声をかけた。
「お前たちの仕事が減ったようだ、我が騎士たち」
「お嬢様にはお変わりなく。その優しいお姿で、時々お勇ましいことを仰せになりますな」
渋い響きの声が返る。
えっ、とエカテリーナは振り向き、目を丸くした。
「ローゼン様!」
鉄灰色の髪と口髭の美丈夫、ユールノヴァ騎士団長ローゼンが、整然と列をなす一団の騎士たちを従えて立っていた。
歩み寄ってきたローゼンは、アレクセイとエカテリーナの前に立つと背筋を伸ばし、胸に拳を当てて一礼する。
彼も騎士たちも、皇室御一家の行幸の時とは違い、礼装ではない平時の装備だ。礼装と違って使い込まれ、色あせ傷にまみれたそれらが、彼らを歴戦のつわものと知らしめている。
「閣下、お嬢様。ご帰還、祝着に存じます」
「出迎え大儀」
アレクセイが短く応じる。
さすがお兄様。時代がかった台詞をさらりと言って、様になるのがすごい。
「我らがあるじ、我らが貴婦人。ユールノヴァ城まで、我ら騎士団がお守りいたします」
ローゼンの言葉と共に、騎士たちがうち揃って胸に拳を当て、頭を下げる。統制の取れた、美しい動きだ。
騎士たちの向こうに、公爵家の紋章が描かれた華麗な馬車を先頭に、数台の馬車が連なっている。本邸からの迎えに違いない。
それらの馬車を、さらなる一団の騎士たちが取り巻いているのに気付いて、エカテリーナは驚いた。こちらも平装ながら、ユールノヴァ騎士団の団旗と公爵家の紋章旗を掲げている。旗手は四名。馬車列の先頭に二名、最後尾に二名、団旗と紋章旗を並べて掲げるのだろう。
この、騎士の人数。
警護の適切な人数、なんて知らないけれど。自然な感覚として、単なる警護にしては多すぎる。いくらユールノヴァ領が、強力な魔獣の出現が多いといってもだ。
爵位を継承したばかりの、若き公爵。領内には不穏分子がはびこっており、激しい反発を受けることも予想される。
それを思えば、これは騎士団によるデモンストレーションに違いない。ユールノヴァ騎士団は新公爵アレクセイを支持するという、立場の表明。まさしく、旗幟を鮮明にするという奴だ。
公爵領最大の軍事力である騎士団からの全面的な支持は、アレクセイの絶大な強みであろう。
なお、ユールノヴァ城は公爵領本邸のことだ。皇都公爵邸では区別のため公爵領本邸と呼んでいたが、領地では本邸のことをユールノヴァ城と呼ぶことが多い。四百年前の建国期には軍事拠点の要塞だったが、皇国が安定して城の周囲に領都が発展した現在は、瀟洒な大邸宅(というかもはや宮殿)に建て替えられている。それでも騎士団は特に、城と呼ぶ慣習になっているのだろう。
うん、さすがお兄様。
クソ親父が遊んでいる間、騎士団と共に危険な魔獣掃討や、泥まみれの災害救助におもむいたのは、まだ幼さの残るお兄様だった。これはお祖父様の遺産ではない、お兄様自身が築き上げたもの。絶対に揺らぐことはない絆。
十八歳にして、領内勢力の一番重要なところを押さえているなんて、本当にすごい。
そして思えばこれは、うちの騎士団が本来あるべき通りの存在、魔獣や災害から人々を守ってくれる組織であり続けているからこそだなあ。他所では、騎士団は見た目だけの飾りになっていたり、領主や貴族だけを守って領民たちをむしろ虐げる存在になっていたりする場合もあるようなのに。あらためて、ありがとうございます。
エカテリーナは、ローゼンと騎士たちに感謝を込めて微笑みかけた。
「頼もしいことですわ。高潔にして精強なる我が騎士団が共にあれば、伏魔殿すら恐るるに足りぬことでございましょう。安心して我が家へ戻ることができますわね」
ローゼンの口元を笑みがかすめる。言いたいことは伝わったらしい。
「領民たちも、閣下とお嬢様のお帰りを心待ちにしておりました。お姿を拝見すれば、さぞ喜ぶことでありましょう」
領民たちもお兄様を支持しているんだ。お兄様がしてきたことを知っているから当然と思うけど、きっとノヴァクさんや幹部の皆さんが、公爵の仕事を実際に担っているのはお兄様であることを、いろんな機会に領民たちに伝えるようにしてきたんだろうな。やっていることは、伝えなければ伝わらないものだから。
アレクセイが微笑んで、妹の手を引いた。
「では帰ろう、お前の城に」
「お兄様、お兄様がご当主でありご城主ですわ」
「私はお前のしもべだと言ったろう」
兄に手を引かれて馬車へ向かいながら、エカテリーナは思う。
……お兄様、やっぱりそのしもべっていう言葉、なんだかいけない感じがするので、あんまり人前で言うのはやめてください。
でもお兄様シスコンだから仕方ないか。




