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悪役令嬢、ブラコンにジョブチェンジします  作者: 浜千鳥


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旅路

ユールノヴァ領は、皇都から遠い。

馬車では片道二週間はかかるそうだ。つまり往復で一ヶ月。

行って帰るだけで、夏休みの大半を消費してしまう。


帰らない方がマシですね、そんなの。


しかし幸い、もっと速い別の交通手段がある。それが船。

皇都を貫いて流れる大河、セルノー河を遡行しさらに支流をたどることで、領地までたどり着くことができる。ちなみにユールノヴァ領の木材などは、このルートを逆にたどって皇都へ運搬されるそうだ。江戸時代の日本もヨーロッパもそうだったように、いや大河のほとりに文明が栄えるのがセオリーなくらい、河は物流と交通の大動脈。


それでも河を上流へさかのぼるわけだし、帆船だから前世のエンジン付きの船みたいに速度が出せるわけではない。それなりに日数がかかるのが普通。

けれど皇国には、普通よりはるかに早い特別な船がある。


快速船ラピドゥス。

乗組員全員が水か風の魔力を持ち、船を快速航行させる専門技術のスペシャリストぞろいなのだそうだ。皇国にはこうした快速船が数隻存在するが、担当流域が決まっているそうで、ユールノヴァ公爵家が利用するのはいつもこのラピドゥスとのこと。


なるほど魔力の有効活用にして平和利用。といっても魔力で船を快速航行させる技術は、皇国海軍でつちかわれたものらしい。


あれだ、前世のロボット掃除機。あれも軍事技術の転用だったはず。優れた技術がまず軍事で研究されてしまうのは、世界が違っても変わらない人間のサガなのか。

見るからに速そうな、スマートな船体を河岸の船着場で目にしながら、まるくて平らで猫の乗り物なロボット掃除機を連想してしまうのは、なにか申し訳ない気がするエカテリーナであった。


「エカテリーナ、船は怖いか?」


快速船を見つめる妹に、エスコートするアレクセイが声をかける。

勘違いをさせてしまった、とエカテリーナはあわてて否定した。


「いいえ、お兄様。皇都へ来る時にも乗せていただきましたけれど、酔うこともなく快適でしたわ。それにお兄様とご一緒ですもの、怖いことなどございません」

「そうか。領地まで三日間この船で過ごす予定だが、体調が優れないようならすぐに言いなさい。別の移動方法を検討しよう」

「はい、お兄様。お言いつけの通りにいたしますわ」


お兄様のネオンブルーの瞳が今日も優しい。今日もシスコンですねありがとうございます。


別の移動方法といっても、快速船以上の手段はないと言っていいはず。


公爵であるお兄様が領地に帰るにあたっては、ノヴァクさんやアーロンさんなどの幹部の皆さん、イヴァンやミナなどの身の回りの世話をする従者たちも、こぞって付き従うことになる。ノヴァクさんたちにも従者はいるのだし。それら全員が一緒に移動できるというのも、快速船の大きな利点だ。移動中もある程度の仕事まで出来てしまう。過労死フラグ回避的には休んでほしいけど。


安全面でも、皇国は地方へ行くと治安が乱れているところもあるけれど、乗組員の多くが海軍出身。全員が魔力を持っていることもあり、賊などものともしない。


それが、セルノー河をノンストップで遡行し、ユールノヴァ公爵領に至る支流まで一同を連れて行ってくれる。三交代制で二十四時間運航というのが、さすが海軍仕込み。

天候が荒れない限り、馬車なら二週間かかる旅路が、船を降りた後に公爵領本邸まで移動するところまで含めても、半分以下の五、六日になる。


さらにこれは、公爵たるお兄様が利用するにふさわしい格式と設備をそなえている。内装は軽量化のためかシンプルだけど、気品のあるデザイン。船室は貴族向けホテルに引けをとらない居心地の良さだし、食事もなかなか美味だったりする。

なにしろ、皇帝陛下の移動にも御座船として使用される、というよりそれが本来の目的として造られた船なのだから。それをレンタル可能にしてしまう皇室のフットワークには脱帽するけど、そう働きかけたのがセルゲイお祖父様だというのがなんとも。


レンタル料金はさぞお高いと思われるけど、それも惜しくないほどの利点があるわけだ。二週間分の全員の交通費宿泊費を考えると、もしかすると元が取れたりして。


そんなありがたい交通手段を、私の体調ひとつでキャンセルなんてことになったら、どうしたらいいのか。

いけません、そんなもったいないことさせられません。

絶対に体調を崩さないように、気を付けよう。お兄様に迷惑はかけられないからね、ブラコンの名にかけて!



そんなエカテリーナの決意を乗せて、快速船ラピドゥスは出航した。

本日は晴天なり。夏の青空の下、船は快調に進む。快速船の名に恥じず、大河を行き交う船のどれよりも速い。

甲板に立って川風に髪をなぶられながら、エカテリーナは真っ青な空を見上げた。そう言えば皇子の髪と瞳の色だ。どこまでも明るく深く、果てしなく遠すぎてなぜか悲しくなるような、夏の色彩。


「エカテリーナ、そこは暑いだろう。船室に入ったほうがいい」

「河の風が涼しくて、心地良うございましてよ」


そもそも皇国の夏は、前世の記憶にあるむし暑い日本の夏より過ごしやすい気がする。

とはいえ今生の記憶では、皇都の夏は公爵領より確かに暑い。そして甲板にいると、ミナが傍らで日傘をさしかけてくれるのが申し訳なかったりする。


「でも、お兄様がご心配くださるなら、仰せの通りにいたしますわ」

「いい子だ」


アレクセイは微笑み、妹の手を取った。



夕食までアレクセイの船室で一緒に過ごすことになった。

イヴァンがフルーツティを淹れてくれる。柑橘系の果物を加えた、さわやかなお茶だ。それにアレクセイが手をかざし、氷の魔力で冷たくしてくれた。


「ありがとう存じますわ、お兄様。とても美味しゅうございます」

「お前が喜んでくれるなら、自分の魔力属性も悪くないと思えるよ」


……クソババアとクソ親父も氷属性だったから、複雑なのかな。

いかん、アラサー目線でつい、お兄様の頭とか撫でてあげたくなるわ。


「皇都は広うございますのね。こんなに速い船でも、まだ皇都を出てはいないようですわ」

「そうだな、皇都はセルノー河に沿って膨張を続けているから。だがこのあたりはもう、正規の皇都ではない。流入してきた流民たちが住み着いているだけの地域だ」


アレクセイの言葉に船窓から見える家並みを見直してみる。たしかに、出航した頃に見えていたよりはるかに小さく、みすぼらしい家々のようだ。


「……ユールノヴァ領で暮らせなくなった領民も、ここにおりますかしら」


災害にあい、もらえるはずの援助を横領されて、暮らせなくなった人々が。


「いるかもしれない。その者たちは、故郷が復興したとなれば、戻って来るだろう」

「そうですわね、きっと。彼らがふるさとへ帰れるよう、わたくしも微力を尽くしますわ」


別の土地で暮らしの基盤ができたならともかく、今も苦しい生活をしていて、戻ったほうが暮らしていける見込みがあるとなったら、きっと戻ってくる。


「……お前はこれほど優しいのに」


ふっとアレクセイはため息をついた。


「世の中には、強欲な人間があまりにも多い。すでにそれなりに裕福でありながら、明日の暮らしも立ちゆかない人々から盗んで恥じないような者たちが」

「お兄様はずっと、そうした者たちと戦ってこられましたのね。ご立派ですわ」


十八歳になったばかりなのに、ものすごい威厳があるのは、それだけ場数を踏んできたからなんだ。

以前、学園長とのやりとりがどう見てもちょっと言葉遣いが丁寧な上司、って思ったことがあるけど、学園長とさえ比べ物にならない経験値の差があるってことなんだろう。


アレクセイは微笑んだ。


「公爵領へ帰れば、お前はあの地の女王だ。誰もお前に逆らうことは許されない。望む通り、好きに振る舞えばいい」

「お兄様、ご当主はお兄様ですわ。わたくしは妹としてお兄様にお仕えする身です」

「そうだな、私が当主だ。そして私は当主でありながら、お前に仕えるしもべなんだよ。我が最愛の女王エカテリーナ」


そう言ってアレクセイはエカテリーナの手を取り、指先に口付ける。

エカテリーナは内心きゃーきゃー叫んでいる。しもべってお兄様!なんですかその言葉の何かいけない感じ!

って気のせいだアホか自分!


「私もまだ学生の身だ、公爵を継承してから本格的に領地で過ごすのは、これが初めてになる。若造とあなどって軽んじてくる者も多いだろうが、お前に無礼を働くことだけは許さない。そう誓う」


ああなるほど。

エカテリーナは兄ににっこりと笑いかけた。


「つまり、公爵領の者たちのわたくしに対する態度で、お兄様への忠誠心を測ることができますのね。お兄様のお役に立てるなら何よりですわ。

お兄様、お船で過ごす間、公爵領についてお教えくださいまし。分家の者たちや、我が家に仕える家中の者たちについて。お兄様をあなどる者たちなど、わたくし決して許しはいたしませんわ」

小説家になろうの書報–出版作品紹介に本作を掲載していただきました。

完成版の表紙が表示されておりますので、よろしければご覧くださいませ。

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― 新着の感想 ―
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