挿入話〜献上〜
アレクセイの誕生日から、半月ほどが過ぎた頃。
魔法学園が休日となる日を見計らって、数ヶ月ぶりとなる三公会議が招集された。ユールノヴァ、ユールセイン、ユールマグナら三大公爵が皇帝の前に集う御前会議だ。
その機をとらえ、三公会議の前に献上の品をお渡ししたい、と願い出たアレクセイに皇帝コンスタンティンは快く許しを与え、分刻みのスケジュールを調整して時間を作った。
「陛下」
皇城の、三公会議が行われる豪奢な会議室にコンスタンティンが姿を現すと、待っていたアレクセイが立ち上がった。うやうやしく頭を下げる。
「貴重なお時間をいただき、感謝いたします」
「せっかくうるさい奴がおらぬのだ、楽にせよ。そなたこそ公爵のつとめに加え学業に忙しかろうに、自ら献上したい品があるとはよほどの物であろうな」
コンスタンティンは気さくに言う。まだ皇太子であった頃、息子ミハイルのもとへふらりと現れては、一緒に学ぶアレクセイとウラジーミルにも勉学や剣術を教えたりしたものだったが、これはその頃の口調であった。
すると、アレクセイは微笑んだ。
「はい。必ずや陛下のお気に召すと確信しております」
「ほう」
鷹揚に笑みを返しつつ、コンスタンティンは考える。この子のこんなやわらかい表情を見たのは何年ぶりだろうかと。
コンスタンティンはアレクセイに会うたび、ますますそっくりになったと思い、まるで正反対に育ったとも思う。アレクセイの父親アレクサンドルと比べてだ。
コンスタンティンとアレクサンドルは、今のミハイルとアレクセイ同様、幼い頃からの友人であった。そして、ユールマグナのゲオルギーも。しかしコンスタンティンはゲオルギーとはあまり気が合わず、アレクサンドルと親しかった。魅力的で誰からも好かれるアレクサンドルのことは、子供の頃には親友だと思っていたものだ。
しかし魔法学園に入学した頃から、距離を置くようになっていった。女性関係の乱脈さが目に余るようになったためだが、優れた知性があり武芸でもなんでもさらりとこなすあの男の本質は、空虚でしかないとわかったからだった。
アレクセイが差し出した紫のベルベットの箱を開けて献上の品を目にした時、コンスタンティンはまず首を傾げた。
美しい。それは間違いない。
絹の内張りにしっかりと固定されているのは、三本の細長いガラスの工芸品だ。どれも先端は先細りの透明ガラスに美しい螺旋が刻まれていて、それ以外の部分にそれぞれ趣向が凝らされている。
一本は、紫の色ガラスに華やかな金彩とエナメルで、雷神の象徴である翼と蛇が描かれている。紫は皇帝の色、雷神は吉祥の図柄であり、開祖ピョートル大帝が雷属性の魔力を持っていたため、皇室で特に好まれるものだ。
二本目は、同じく紫のガラスの後端に、獅子の頭部がデザインされたもの。獅子はむろん、王者の象徴だ。指先ほどの大きさしかないというのに、造形の見事さは、優れた工芸品を見慣れた皇帝をして感嘆させるほどだった。
三本目は、他と比べればシンプルだ。夏空のような青と、南の海のようなブルーグリーンの、二色のガラスがツイストしている。コンスタンティンと皇后マグダレーナの髪の色を表しているのは明らかで、コンスタンティンはつい、いつも結い上げている髪をほどいた時の妻を、その髪に指をからめて梳きおろす時のことを思い起こしてしまい、そんな自分に苦笑した。
それは寝室での秘めやかな光景だ。会議室で、しかも息子と変わらぬ年頃の子供を前にして、考えるべきものではない。
「美しいが、これは?」
「陛下、これはガラスペンと申します。見た目が美しいだけでなく従来の羽根ペンよりも書きやすく、多くのインクを吸い上げ一気に多くの文字を書ける、画期的な筆記具なのです」
説明するアレクセイの声音は、誇らしさを抑えかねているようだ。
勧められるままにガラスペンを手に取り、インクに浸けて書き心地を確かめてみて、コンスタンティンは唸った。確かに羽根ペンよりはるかになめらかにペン先が走り、数行続けて書いてもまだインクが尽きることがない。
「確かに気に入ったぞ、アレクセイ。これは良いものだ」
コンスタンティンは微笑んだ。
美しさと実用性を兼ね備えた、革新的な筆記具。彼女も間違いなく気に入るだろう。
「しかしこのような物、どこで手に入れた。我が皇国の産物か、それとも他国から買い入れたものか。ユールノヴァがガラス工芸まで手を広げたとは、余は耳にしておらぬが」
すると、アレクセイは一瞬ためらったのち答えた。
「妹エカテリーナが、自分の工房で作らせたのです」
「なに?」
「いつも無欲な子ですが、急にガラス工房を買ってほしいと言い出しましたので与えたところ、私の誕生日に贈り物だと言ってこれを」
アレクセイが上衣の内から青いベルベットの箱を出して開き、水色と藍色のガラスペンを見せた。
「職人も工夫を凝らしましたが、そもそもガラスでペンを作ろうと考えたのはエカテリーナです。あの子は今、ガラス工房の職人に給金を払うためにこのガラスペンを商売にしたい、と張り切っております」
できるだけ淡々と語るアレクセイに、ふ、とコンスタンティンは笑った。
深窓の令嬢がこのような画期的な発案をしたなど、にわかには信じられない話だ。しかしアレクセイは、調べて判ることで嘘を言うほど愚かではない。むしろこの子は、これが妹の発案だとは話したくなかったようだ。
アレクセイは、皇室が妹の評価を高めることを望んでいない。
やはりユールノヴァは、エカテリーナを皇后に立てるつもりがない。
だから一瞬ためらい、しかし話した。皇帝の問いに、ごまかしや虚偽を返すことは決して許されない。賢明なアレクセイは、それをしっかりとわきまえている。
(しかし、エカテリーナか)
行幸の日、皇室を迎えた彼女の姿をコンスタンティンは思い起こした。ぬけるように白い肌が映える宵闇色のドレスに身を包んでいた、ほっそりした少女。豪華な宝石に位負けしない、大人びた美貌は十五歳とは思えないほどだった。
物怖じせず皇后と言葉を交わし、普通の令嬢なら興味を示すはずのない関税や保険の話に目を輝かせたという、少し変わった面もあった。なによりこのアレクセイの妹、あのセルゲイ公の孫だ。本当にこのガラスペンをエカテリーナが考え出したなら、あの子は祖父に似たのかもしれない。
「ガラスペンを商売にしたい、か。ユールノヴァ公爵令嬢が、自ら工房の経営に携わるのか?」
「……自分が頼んで買ってもらった以上、自分が責任を持つべきと思うと申しまして」
コンスタンティンはとうとう笑った。
「職人の給金を払いたい、自分が責任を持つべきか。そなたの妹は実に健気で愛らしいな」
そして、皇室に妹を評価されたくないと思いながらも、妹を誇らずにはいられないアレクセイが微笑ましい。
「ではエカテリーナに伝えよ。余がこのガラスペンを皇后への贈り物として買い入れるゆえ、これと同じほど美しいものを職人に作らせるようにと」
皇室に近しい者なら知っていることだが、皇帝コンスタンティンは皇帝への献上品で目にかなうものがあれば、自ら命じて別途購入する。皇后への贈り物にするためだ。さすが、学生時代からあの手この手で妻を口説き落としただけあってマメである。
それはともかく、皇帝への献上品となれば誰もが一級品と認めるが、さらに皇帝から皇后への贈り物となれば、評価は極上品まで上がるのだ。
コンスタンティンの言葉に、アレクセイはネオンブルーの瞳を輝かせた。
「光栄に存じます。妹もさぞ感激することでしょう」
「エカテリーナは息災にしておるようで何よりだな。身体が弱いと言っていたが、その後はどうだ」
「お陰をもちまして、今のところ問題なく学園生活を送っております。ただ皇都はそろそろ暑くなってまいりましたので、こちらの気候に慣れないあの子の体調が心配です」
やはり病弱であることは印象付けたいらしい。
「では夏季休暇は兄妹そろって領地へ帰るか」
「そのように考えております。爵位を継いでまだ一年にならず、領地の掌握を進めねばなりませんので」
「ふむ」
コンスタンティンは、少し考えるふりをした。
「今年の夏は暑くなると天文官が申しておった。夏季休暇の後半にでも、ミハイルをそなたの領地で過ごさせたいがよいか」
皇子を領地に迎え、新公爵が皇室と良好な関係にあることを領民に示すのは、アレクセイにとっても悪い話ではない。
それなのにアレクセイの表情が微妙ということは、ミハイルはそれなりに頑張っているらしい。エカテリーナに毛虫扱いはされないようになったのやら。
「……むろん、お迎えできるなら光栄に存じます。ただ、私も爵位を継いで間も無く、エカテリーナも公爵領本邸での女主人代理は不慣れですので、歓待にいささか懸念がございます」
感情を抑えた返答に、コンスタンティンはうなずいた。
「かまわぬ。まだ皇太子でもない身だ、気楽に扱ってくれればよい」
「恐れ入ります」
こう言われればもう、アレクセイは頭を下げる他にない。
ふと、コンスタンティンは唇の端を上げた。
「エカテリーナがいるとはいえ、公爵家の女主人は長く不在であってはなるまい。そなたも早く婚約くらいしてはどうだ」
「は……」
虚をついたようで、アレクセイは一瞬憮然とする。どうもこの子は、女嫌いの傾向があるようだ。
しかし、それも無理はない。
なにしろ、身近な女性と言えばあの祖母。実の父親は生粋の女たらしでけじめなく女性を渡り歩き、女同士が刃傷沙汰まで引き起こしても『なぜこんな愚かなことを』と他人事のように首を傾げていたものだ。
あげく、その父親と浮名を流した女たちが、容姿が似ているアレクセイにすりよってくることもしばしばらしい。さぞうんざりすることだろう。
だからこそ、父親と違って真面目なこの子には、早めにきちんとした令嬢とまっとうな家庭を築いてほしい。それは大きな権力を持つユールノヴァの安定を望む皇帝としての意向もあるが、ただのおせっかいな親戚の感情でもあるようだ。
「そうしたことは、学園を卒業してから検討する方針としております。ご寛恕いただきたく」
「ああ、そうであったな」
そう聞いていたのについ口出ししてしまうのは、性格が全く違ってもアレクセイもまた、父親のように女性を惹きつける磁力を持っているのが見て取れるからだ。
ふと思い出した光景がある。まだアレクセイが子供だった頃、ユールマグナの嫡子ウラジーミルと仲が良かった頃のことだ。
アレクセイもミハイルも優秀だが、学問に関してはウラジーミルは神童の域だった。子供の頃から自分にも他人にも厳しかったアレクセイだが、ウラジーミルのことは無条件に可愛がっていた。この子は人間の選り好みが激しいが、優れた人間を素直に評価するところがある。
コンスタンティンがその頃よくやっていたように、子供たちが勉強しているところへ立ち寄ろうと部屋を覗いた時。ミハイルは不在で、アレクセイがウラジーミルに詩集を見せて、暗唱できるかと尋ねていた。
『それならこの前読んだから、できるよ』
『そうか、すごいな』
『……僕はただ、覚えるのが得意なだけだよ。覚えた言葉を繰り返すオウムっていう鳥がいるけど、僕なんてそれと変わらない』
『僕は詩集を読んでも詩の美しさはよくわからない。それを感じる心がないらしい。けど、君の声が詩を読むのを聞くと、美しいと思う』
ごく真面目に言ったアレクセイが、ふと瞳をきらめかせて微笑んだ。
『そのオウムが君と同じように言葉を美しいと思わせてくれるなら、飼って連れて歩きたいな。君のような声で鳴いて、君のように話す鳥がいつも側にいてくれたら、僕はとても幸せだと思う』
……あの時ウラジーミルは哀れなほど赤面していた。
なんとなく部屋の中に入れないままコンスタンティンは、アレクセイはもしかすると父親以上にタチが悪い男になるかもしれない、などと思ったものだ。子供のくせにこんな口説き文句同然の台詞を、友達に無邪気に吐くとは末恐ろしい。
幸か不幸かアレクセイは、今も昔もごく限られた人間にしか心を開かない。心惹かれる女性が現れれば一瞬で捕らえて、ずっとその相手をいつくしんで暮らすことだろう。
ウラジーミルと険悪になったのち、アレクセイに特別な存在は現れていないようだ。愛情をエカテリーナ一人に向けているなら、さてミハイルは報われるだろうか。




