誕生日の昼休み
その日は平日。
朝からそわそわしているエカテリーナを微笑ましく見ていたフローラが、今日のお昼は私が作りますと言ってくれた。
「でも、フローラ様。そのようなご迷惑をおかけする訳にはまいりませんわ」
「迷惑だなんて。エカテリーナ様と公爵閣下の幸せは、わたしにとっても幸せです。それに、今のエカテリーナ様は包丁や火に近付いてはいけないと思います。心ここにあらずですから」
言いながら、フローラはクスクス笑っている。いつもながら花のような笑顔だ。
うう、ごめん。ありがとうフローラちゃん。
でも今日は、お兄様の誕生日。この日のために準備してきたから、もうドッキドキなんで許してほしい。こんなに気合い入れたのに、喜んでもらえなかったらどうしようとか、昨夜から考え過ぎ状態だったのよ。
いや、喜んでもらえないことはないと思うけど。お兄様シスコンだから。でも、シスコンだから喜んでくれるんじゃなくて、本当に気に入って役に立つものだから喜んでもらえる、っていうものを贈りたい。だからガラスペンにこだわったんだもの。
何でも喜んでくれるから何でもいいなんて思わず、真剣にお兄様のためを考えますよ。私のブラコンは、お兄様のシスコンに負けませんから!
あいかわらず何の戦いだかわからないけど!
そんなわけで、昼休みになるとすぐ、エカテリーナは執務室に向かった。
着いてみると、アレクセイも来たばかりのようで、ノヴァクたちと共にエカテリーナを見て驚いた顔をする。
「どうした、今日はいつもより早いようだが」
「早くお伝えしたくてまいりましたのーーお兄様、お誕生日おめでとうございます」
にっこり笑ってエカテリーナが言うと、アレクセイはネオンブルーの目を見開いた。
あ、この反応って。
お兄様……自分の誕生日、忘れてましたね!ほんとに家のことばっかりで、自分のことは二の次なんだから。
いや、もしかすると忘れたわけじゃないけど、特別なことはするつもりがなかった?誕生日にトラウマがあったりしたらどうしよう。
ふ、とアレクセイは笑う。
そして手を伸ばし、妹を抱きしめた。
「ありがとう。誕生日など他の一日と変わらないと思っていたが、お前が祝ってくれるなら素晴らしい日だ」
きゃー、よかった嬉しい。元祖型ツンデレお兄様は今日もひたすらデレだようん。
まさかのプレゼントの前、おめでとうの一言でこの反応。さすがお兄様。
エカテリーナは手を伸ばし、アレクセイに抱擁を返す。
「そのようなお言葉をいただいて、嬉しゅうございます。お祝いに、ささやかな贈り物を持ってまいりましたの。お気に召すかどうか、ご覧になってくださいまし」
その言葉にアレクセイは微笑んで、妹の頬をそっと撫でた。
「女神からの賜物が気に入らないなど、ありえない。お前の気持ちが何より嬉しいよ」
さすがお兄様……。
ともあれようやく、エカテリーナはプレゼントの箱を差し出した。水色のリボンをかけた、青いベルベットの箱。箱もガラスペンのために特急で作ってもらった特注品で、中に詰め物をして絹で内張りをし窪みをつけて、ペンをしっかり固定することで、繊細なペン先が破損しないよう工夫している。
アレクセイがリボンをほどいて箱を開くと、三本のガラスペンが現れた。
レフの才能は、色ガラスでの完成品でさらに明らかになっていると、エカテリーナは思う。
一本は、ひねりのデザイン。きらめくように鮮やかな、水色と藍色の二色がツイストしている。もちろん、アレクセイとエカテリーナの髪の色をイメージしての配色だ。
次の一本は、持ち手のところが太く膨らんで、後端にいくにつれて細くなっていくデザイン。全体としては透明で、一番太い部分の内部に、何らかの方法で描かれた水色と藍色二輪の青薔薇が封じ込められている。外側には流麗な蔓薔薇の葉が、緑色のガラスの線で描かれていた。
三本目は、短剣の鞘を模したデザイン。外側は透明だが芯の部分だけが水色で、まるで水色の刃を透明なガラスの鞘が包んでいるように見える。ペンの後端、短剣の柄にあたる部分に藍色が使われていた。そして透明なガラスの外側に、金彩で文字が書かれている。古代アストラ語を、装飾文字にしたものだ。エカテリーナはアストラ語の読み書きができないので、参考にした短剣の鞘に文字らしきものが飾りになっていたことだけをレフに伝え、レフがこういう装飾によく使われる言葉を選んでくれた。
それらを見て、アレクセイが不思議そうな顔をしたのも無理はないだろう。羽根ペンしかない皇国では、初見ではこれが何なのかわからなくて当然だから。
「お兄様。これは、ペンですの」
「ペン?」
「ガラスで作ったガラスペンですわ。羽根ペンよりたくさんのインクを吸い上げることができて、多くの文字を続けて書くことができますの。このように使いますのよ」
すちゃっ、とエカテリーナは自分のガラスペンを取り出した。用意周到に、レフが作った試作品のうち自分の手に合うサイズのものを、貰ってきていたのだ。ちなみに、ミナが見つけてくれた細長い木箱に綿を詰めて持ち運んでいる。
インク壺を借り、紙を一枚もらう。アレクセイが座るよう勧めてくれたので、立派な革張りの椅子を借りて大きな執務机に向かった。社長席に座ったみたいで面映ゆい、と思うエカテリーナの中身はまだ社畜成分過多なのだろう。
ガラスペンの先をインク壺につけて、溝にインクを含ませる。
あ、何を書こう。工房で描いた我が家の紋章は、お兄様に見せられるほど上手に描けないからやめといて……たくさんの字数を書けることがわかるもの、と。
ならまあ、あれでいいか。
さらさらと、エカテリーナは紙にペンを走らせる。
書いているのは、例のなんちゃらの主題歌歌詞。あまりにも脳内リピートするものだから、頭の整理をしようと皇国の言葉に翻訳していたのだ。音楽にもちゃんと合って歌えるように訳すのはなかなか難しかったが、まあまあの水準にできたと思う。
ガラスペンを一度インク壺に浸けた分のインクで、一番の歌詞をぎりぎり全部書くことができて、エカテリーナはほっと息をつく。
「一度インクに浸ければ、これだけ書くことができますわ」
「画期的ですな」
ノヴァクが唸り、そこで初めてエカテリーナは、執務机を公爵家の幹部たちが取り巻いていることに気付いてびっくりした。
皆、興味津々でガラスペンを見ている。
え、えーと。
「あの、お兄様。一度使ってみてくださいまし」
エカテリーナは革張りの椅子から立ち上がり、アレクセイに座るよううながした。
妹に言われるまま自分の席に座り、アレクセイはガラスペンをしげしげと見る。手に取ったのは、短剣を模した一本だ。
「運命、幸運、力量」
アレクセイが呟き、エカテリーナは首を傾げた。
「それは何ですの?」
「ここに刻まれているアストラ語の意味だーー最後は、力量の他に美徳や勇気、手腕、気概などとも訳しうる言葉だが。運命を覆すためには、幸運と個人の力量が共に必要とされることから、この三つの言葉は一組に記されることが多い」
「まあ、さようでございますのね。わたくしアストラ語はまったく存じませんの、お恥ずかしいことですわ」
こういうのが、貴族令嬢らしい教育を受けられなかった身の残念なところだよ。かつてはアストラ語は貴族の必須教養だったそうだし、今でもメジャーな単語くらいは読めるのが当たり前なのに。クラスでもそのうちボロが出ちゃうかも。
「お前が恥じることなどあるものか。アストラ語が読める者くらい掃いて捨てるほどいるが、我が妹は唯一無二の賢者だ」
ありがとうございます。お兄様のシスコンフィルターは今日も高性能ですね!
「ところでこの詩だが、珍しい形式だ。お前が作ったのか」
ああっまさかのそこ!
「い、いえ、どこかで読んだものですの」
「そうか。私も多少は詩に目を通すが、こういうものは見たことがない」
お兄様、詩集とか読むんですね。ちょっと意外なような。あれかな、昔は仲が良かったというユールマグナのウラジーミルが、アストラ時代の詩をすらすら暗唱したと言っていたから、その影響を受けたのかな。
はっ、理解しました!その詩の知識が、お兄様の美辞麗句スキルの源泉ですね!
アレクセイがガラスペンをインクに浸す。
そして、まずは自分の名前を書いた。
「ほう。なんとも……なめらかな感触だ。引っ掛かりがない」
「はい、そういうものですの」
アレクセイは紙を替えて、別の何かを書き始める。何か、というのは、エカテリーナには読めないものを書いているからだ。アレクセイはアストラ語を華麗な装飾文字で書いている。
すごい、さすがお兄様!前世の平安貴族が手紙とかで書いた、散らし書きという装飾的な書き方を博物館で見たことがあるけど、そういう系統のものをすらすら書けちゃうって、まさに貴族の教養!
「このペンは、どちらの方向に動かしても書ける。羽根ペンとは全く違う」
アレクセイが唸ったが、エカテリーナの方が唸ってしまいそうだ。
初めてのガラスペンだから少し手こずる点もあったが、見事な手蹟でアレクセイはアストラ語の文章を書き上げた。
「お兄様、それは何とお書きになりましたの?」
「この詩をアストラ語に訳してみた。まだ推敲が必要だな」
ひええー!私が日本語から皇国語に訳すのにけっこう悩んだこれを、初見で訳しちゃいますかー!
「エカテリーナ、お前のこれ……ガラスペンと言ったか。お前のガラス工房で作らせたのか?」
「はい、そうですの。よい職人がおりますのよ」
「工房を欲しがった時、美しい物を好きに作らせたいと言っていたな。これがそれか」
そっと、アレクセイはガラスペンを置いた。
そして立ち上がると、妹を抱きしめてこめかみに口付けした。
きゃー!
「ありがとう、エカテリーナ。私の女神。お前は何もかも信じがたいほど素晴らしい」
きゃー!
きゃー!
きゃー!
きゃー……おいそろそろ落ち着け自分!
「お兄様……喜んでいただけたなら、わたくし、本当に嬉しゅうございます」
うう、本当に嬉しい。
……まあ、ガラスペンが作れたのは工房を買ってもらったおかげだから、これ私からのプレゼントと言えるんだろうかと思ったりもするんだけど。でもガラスペンを贈ろうって思い付いてよかったー!
「喜ぶ、か」
ふふ、とアレクセイは笑う。
「これほどのものを、誕生日の贈り物とは。お前は本当に……」
「わたくしはお兄様が一番大切ですもの、お兄様のお誕生日も他のなにより大切ですわ」
これほどのものって言ってもらえるなら、商品としてもやっていけそうで嬉しいな。
でもほんと、私には経済効果的な話より、お兄様に喜んでもらうことが一番大事ですよ。ブラコンとか推しとかって、そういうもんですから。
「……そうか。ありがとう」
しみじみとアレクセイが呟く。
と、そこで執務室のドアがノックされた。
従僕のイヴァンがさっとドアを開けると、そこにいたのはフローラだ。いつものように大きなバスケットを持っていて、昼食を持って来てくれたらしい。
「まあフローラ様、ありがとう存じます。お任せしてしまって申し訳ございませんわ」
「実は私も、いろいろ手伝っていただいたんです」
にこにこと言うフローラの後ろから、級友のマリーナとオリガが顔を出して手を振った。
「閣下、お誕生日おめでとうございます。エカテリーナ様の代わりに、少しだけお手伝いしましたの」
「厨房からも、お祝いにどうぞと言っていろいろ入っていますよ」
毎日厨房に通っているうちにエカテリーナたちと仲良くなった厨房スタッフまで、兄アレクセイの誕生日と聞いて祝ってくれたらしい。なんともほのぼのだ。
アレクセイは胸に手を当て、一礼した。
「令嬢方。ユールノヴァ公爵アレクセイ、感謝申し上げる」
一幅の絵のような姿に、きゃあ、とマリーナとオリガが声を上げる。
その二人は、昼食は普通に食堂でとるからと帰って行った。それで執務室では、いつもの顔触れでいつもより少し手の込んだ食事をとった。
そして最後にフローラが、ささやかですけど私から、と言って甘さ控えめのパウンドケーキをドライフルーツできれいに飾ったものを出してきて、いっそう心温まる誕生日となったのだった。




