プロジェクトとスクランブル
公爵邸へ帰宅したエカテリーナは、さっそく工房の件を兄に相談しようと動き出した。
しかし執務室を目の前にして、止まる。廊下にたたずんで進めないまま、ひたすら同じことばかり考えていた。
どうしてこうなった。
前世のネットスラング的アレですが、今の心境はガチです。他に言葉が出てこないです。
どうしてこうなった!
だって、ただガラスペンてものを作ってほしいなーって頼みに行っただけなんですけど。
そしたらガラス『工房』買うことになったでござる。
おかしいだろ。どう考えてもおかしすぎるだろ。
何も要りませんから一緒に皇都見物してください、ってお願いした舌の根も乾かないうちにそんなもの欲しがったら、いくらシスコンのお兄様だって呆れるよ……。もしかしたら説教かも。
……いや、買わなければいいだけだよね。わかってる。
工房のお値段を訊いてみたら、日本円に換算すれば数千万円でしたよ。そりゃそれくらいするよねって感じだけど。
ガラスペンのために出す金額じゃない。
他の工房にあたってみれば、普通に請け負ってくれるところがあるかもしれない。探せば良いだけだよね。
レフ君にだって、私が工房買う!と断言したわけじゃない、相談してみる、と言っただけ。何度も何度も、よろしくお願いします、って頭を下げていた彼だけど、そもそもが無茶な話と理解しているようだった。駄目だったと伝えたら、がっかりするだろうけどそれで終わるだろう。
わかってる。
だけどね!
……好きだったんですよ、前世で。
プロジェクトなんちゃらとか。
テレビ東京系列の経済系番組とか。
プロフェッショナルの、お仕事のなんちゃらとか。情熱な大陸とか。
ドラマよりその手のノンフィクションとかドキュメンタリー系がね……好きだったんですよ。職人の心意気とかツボで……。
(ここでしか作れないものを、ここで作りたいんです)
(あれだけが生み出せる美しいものがたくさんある。そういうものなんです)
くうっ、レフ君の発言、めっちゃツボる!
そして、廃業の危機を乗り越えて企業再生……とかなったら。それはもうツボ!大好物です!
ああっ脳内で前世の超大物シンガーソングライターさんによる主題歌熱唱がエンドレス!
いやもうわかったから。地上にお星様がいてますから、お空に昇らせてあげろとおっしゃるわけですね。
そしてユールノヴァ公爵家なら、工房を買うことが可能という……。
しかーし!
数千万円よ⁉︎つか工房買うって、中小企業を買収するのと同じじゃね?
そんなもんをねだる十五歳女子。おかしいだろ。ドレスとか宝石がささやかに思えるわ。令嬢の贅沢を超えてるわ。
買ったら経営していかないとならないよね。ランニングコストもかかってくるよ?赤字垂れ流しなんてことになったら、さらなる金銭的迷惑をユールノヴァ公爵家にかけてしまうやないかーい。
そんなん出来るのか?社会人だったけど経営なんて、前世でも経験ゼロだぞ。でもこれ飼ってーってねだるなら、最後までちゃんと面倒見るんですよ!って……あ、飼うじゃない買うだわ。
いやアホな一人漫才はおいとけ自分。
レフ君も言ってたろ、勝算は充分あるんだから。
レストランの支配人ムーアさんも言ってた、ムラーノ親方の作品は価値が高まるばかりだって。それなら、親方自身の作品でなくても、ムラーノ工房の作品なら欲しがる人は必ずいる。
それに、レフ君がいる。彼なら、工房の作品をムラーノ親方生前と同様のクオリティで提供することができる。
レフ君は今、二十二歳だそうだ。十歳の時に親方の工房に徒弟として入り、翌年には職人として認められたと言う。
普通は徒弟を卒業するのに二年以上かかる、とミナが言っていた。普通の工房以上に高いレベルを要求される皇国最高のムラーノ工房で、わずか一年で一人前と認められたなら、レフ君はきわめて優れた才能の持ち主。ギルドの親方試験というのにも合格していて、自分の工房を持つ資格もあるそうだ。それなのに、親方の元でもっと腕を磨きたいと、ムラーノ工房に残っていた。
……この経歴がまたツボなんだよ……レフ君、君は健康グッズのツボ押し棒か。
と、とにかく!お兄様と公爵領幹部の皆さんにプレゼンだ!
と言っても今日は頭出しで。反応を見つつ、ハードルを設定してもらって、レフ君と一緒にその問題を解消する方法を考えて。後日リトライで本格プレゼンしよう。
まずは情報収集。そういうつもりで、ビビらず動け。頑張れ自分。
あ、脳内の音楽がチェンジした。もじゃもじゃ頭のバイオリニスト氏が、情熱的な大陸番組の主題歌をかき鳴らしております。
その勢いを借りて、いってみよう。
執務室に現れた妹を見て、アレクセイは微笑んだ。
「エカテリーナ、何か用か」
「お兄様……実は、お願いがございますの」
「ほう」
むしろ喜ばしげに、アレクセイはネオンブルーの瞳をきらめかせた。
「言ってごらん、何でも」
「あの……わたくし、欲しいものがあるのですわ」
視線を落として組み合わせた両手をもじもじと動かし、エカテリーナはどきどきしている。
「お前がものを欲しがるとは珍しい。何かな」
「ガラスの……工房ですの」
「工房?」
「お兄様、覚えておいでかしら。お連れくださったレストランで、美しいグラスに目を留めましたでしょう。少し気になってミナに調べてもらいましたら、あのグラスを作ったムラーノ親方は亡くなったのですけど、その工房が売りに出ているそうですの。そこで働きたいと言っている親方の弟子も見つかりましたから、工房を買えば自由にあのような美しい物を作りだすことができますわ。わたくし、それが欲しいのです」
ふっ、とアレクセイの唇がほころんだ。そして、声を上げて笑い出す。
「これだからな。お前は自由な発想に優れていると言っただろう?私は職人の作品を探して買うことを考えた、しかしお前は工房を探して、これから作品を作らせると言う」
そして彼は視線を転じ、部下たちの方へ目を向けた。
「ハリル、手配を。キンバレイ、新規事業扱いにしろ。ーーああ、エカテリーナはキンバレイは初めてかな」
「はい、お初にお目にかかります」
六十歳前後と思われる痩身の男性が、立ち上がって一礼する。大きな鷲鼻と禿頭、それに灰色というより銀色と言うべき瞳の色が特徴的な、意思の強そうな人物だ。
「エメリヤン・キンバレイと申します。ユールノヴァ公爵領の財務長を務めております。お嬢様、お噂はかねがねーーしかし聞きしに勝るお方でいらっしゃいますね」
え、どんな噂をされてるんだ怖い!
「キンバレイ様、初めてお会いしましたのに、このようなお願いをお聞かせして心苦しゅうございますわ。財務長でいらっしゃるなら、このような無駄遣い、ご不快に思われたことでございましょう」
恐縮してエカテリーナは言う。しかしキンバレイは、思いがけないことを言われたように目を見張って、笑顔で首を振った。
「不快などととんでもない。無駄遣いどころか、財務長としてたいへん楽しみなことでございます」
え、楽しみ?なんのことでしょう?
「しかしムラーノ工房とはまた、目の付け所がさすがでいらっしゃいますね」
ハリルがにんまり笑った。
「親方の名声は衰え知らずです。市場では作品の価格も吊り上っておりますし、直伝の弟子がそれなりの作品を作ってムラーノ工房の名で出せば、飛ぶように売れることでしょう」
ああっプレゼンのアピールポイントがネタバレ!
ハリルさんのマーケティングリサーチ力がすごすぎる。皇国の物の動きで知らないことがないんじゃないかこの人。
「儲けのことなど気にしなくていい。新規事業と言ったのは会計処理だけのことだから、工房にはお前の好きなものを作らせればいいよ」
アレクセイが甘く微笑む。
て、あれ?
「あ、あの、お兄様。このようなわがままを申し上げて心苦しゅうございますわ。気軽に買いたいなどと言ってしまいましたけれど、金額があの」
「金額まで確認したのか」
いやお兄様、微笑ましそうなのはなぜですか。
そして金額を言っても表情がまったく変わりませんねなぜですか⁉︎
「皇都の工房の価格としては妥当か」
「設備がガラスに特化しているでしょうし、別の用途に使うにも高温に耐える炉など壊すのも大変ですから、なかなか売れないはずです。もっと下げさせられるでしょう」
いや待ってお兄様、ハリルさん。
な、なんだろう。思ってたのと展開が違う。
私は皆さんにプレゼンしに来たんですが。お兄様に呆れられる覚悟を決めて来たんですが。
「ガラスというのも面白いですね。原材料は白砂だと聞いたことがあります。もしかすると公爵領に採取できるところがあるかもしれません。大叔父様のアイザック博士ならご存知でしょう」
いやアーロンさん、忙しいのに自分から仕事増やしてどうしますか。
あ、でもそしたら原材料お安く買えるようになってありがたいかも?……ってセコい考えに走るんじゃない自分!
いやだからちょっと待ってー!ついていけてないけど、もしかして購入決定したのー⁉︎
「あのお兄様!どうかご当主として忌憚のないお言葉をくださいまし。このような無理を申し上げて、わたくしあまりにわがままではありませんでしょうか。もう少しご検討を」
「私が公爵である限り、お前が望むものはすべてお前のものだ。何一つわがままなどではない」
お兄様が真顔……。
「いえお兄様、そのような仰せはおやめくださいまし。わたくしのような未熟者に、望みをすべてかなえるなどとおっしゃるべきではございませんわ」
人間って変わるんですから。もし私が堕落して、とんでもない贅沢したがる奴になったらどうするんですか。
「心配はいらないよ、おのずと限度はある。もしお前が皇都に皇城と同じ大きさの城を建てて住みたいと言ったら、力及ばずで許してもらうしかないだろう」
ちょっと何言ってるかわかりません!そのレベルは限度と言えませんから‼︎
皆さーん!お兄様になんか言ってー!
「ご心配には及ばないかと。お嬢様なら、もっと思いもかけない壮大なわがままを言ってくださることでしょう。玄竜を庭でお飼いになりたいというような」
……いやノヴァクさんそういうのは求めてない。
お兄様に苦言を呈して。
ていうか、ツッコミ入れて。ボケにボケを返さないで。
なんだよもー!壮大なわがままなら言ってやるー!
前世の吉本さん!大至急ツッコミの精鋭を大量に緊急発進的に転生させてくださーい!
ってお前が一番ボケだ自分!
おかしい。お兄様はシスコンだから仕方ない(のか?)としても、他の皆さんまでなんかおかしい。
なんなの、この世界じゃシスコンは空気感染する病なの?
「もしや玄竜を庭で飼いたいというのは、お祖父様がおっしゃったことか」
「たまにこのような、どう対処すべきか悩ましいことを仰せになりましたな」
……お兄様とノヴァクさんの会話で理解しました。他の皆さんは、お祖父様ラブの余波ですね。発想が自由だったお祖父様がやりそうなことだから、むしろ歓迎なんですね。
あとはそうか、長年クソババアのアホみたいな浪費に慣らされてきた皆さんだから、工房はリターン見込めるからマトモな買い物、くらいの分類になるのかも……。
き、切り替えよう。
目的はガラスペン開発!プロジェクトなんちゃらの本題はこれからだ!
お兄様の誕生日に間に合わせるのは無理かと思ったけど、なんとかなるかもしれない。お兄様に喜んでもらえるように頑張ろう。
私だって負けずにブラコン極めてやるんだからー!
なんの戦いだかよくわからないけどー!




