領法改定
もちろんエカテリーナは、すぐさまレナートとオリガのもとへ行って何があったのか尋ねた。
が、二人とも何も言おうとしない。しかし、言いたげな表情はする。それで、皆がいる教室では話せないことなのだろうと察しをつけて、休み時間に空き教室へ誘った。フローラさえ空気を読んで来ず、三人きりになって、初めてレナートは話し出した。
「セレズノアの領法が改定されるだろう、とリーディヤお嬢様がレッスンの時に言ったんだ」
痣のできた顔を悔しそうに歪めて言われた言葉に、エカテリーナは戸惑うしかない。
「それは……どのような改定ですの?」
「いくつかの身分で、所有禁止の物が増える」
身分で、所有禁止の物……?
エカテリーナの脳内で疑問符が飛び交ったが、以前聞いたミハイルの言葉が蘇った。
『セレズノア領では、身分に応じて着るものや髪型、家の広さに様式まで、事細かに領法で定められているんだ』
泣き腫らしたオリガの目を、エカテリーナはちらりと見る。
レナートが苦々しげに言った。
「そうだよ。オリガが属する身分への改定で……ピアノの所有が禁止されるそうだ」
ピアノ!
音楽の夕べで、ピアノの弾き語りをしたオリガちゃん。彼女の実家には、ピアノがあるはず。貴族の基準では裕福とは言えない彼女の家に高価なピアノがあるなら、きっと彼女の実家は音楽好きな一家なのだろうと思った覚えがある。
そのピアノが禁止って……。
「うち……うちのピアノは、おばあちゃんのお嫁入り道具だったんです」
オリガの目に、またじんわりと涙がにじんだ。
「おばあちゃんはすごく大事にしていて、家族はみんなおばあちゃんから弾き方を習って、毎日誰かが弾いてみんなで歌って……おばあちゃんは寝込んでからも、ピアノを掃除してくれたかいって気にして、毎年必ず調律してね、大事にしておくれって。うちの領地の人たちも、親戚の人たちも、うちに来るとピアノを聴かせてくださいって、楽しみにして来てくれて。おばあちゃんの形見だし、宝物なんです。うちだけじゃない、みんなの……」
ぽろっと涙をこぼしたオリガを、エカテリーナは思わず抱きしめる。
やばい、もらい泣きしそう!めっちゃぐっと来た!
オリガの涙を辛そうに見て、レナートが話を続ける。
「僕にピアノ禁止のことを話した時、お嬢様は、音楽を愛する者として残念に思うわって言っていたんだ。でも、口の端で笑っていた。それで、もしかしたらと思った。いや、もう確信してた。
だから昨晩、寮に父を呼び出したんだ。父はセレズノア侯の側近だから、領法改定の動きがあれば知っているはずだから。お嬢様の御用だと書いた手紙を送ったら、父はすぐやって来た。領法改定のことでと言ったら、こう答えたんだ」
『何も問題はない、お父上はすぐにもお望みの通りに変更させるご意向ですとお伝えしろ』
つまり、領法改定はリーディヤが父親に頼んだことだった。
うわあ……。
オリガの背中をよしよしと撫でながら、エカテリーナは苦々しい気持ちを抑えられない。
リーディヤに睨まれないため、オリガに目が向かないよう気を配ったつもりだった。けれど、あの美声はやはり、称賛を集めずにはおかなかったのだろう。もしかすると、さすが音楽の名家!と称えるつもりで、臣下のオリガがピアノの弾き語りで素晴らしい歌を歌ったと、誰かがわざわざリーディヤに伝えたのかもしれない。
きっとリーディヤは、貴族令嬢らしい微笑みを浮かべて、我が家の臣下の娘がそのような評判を取るとは嬉しいことですわ、などと言ったに違いない。
その裏で、オリガの一家の宝物であるピアノを、取り上げようと動いた。
「つい、なんてことを!と父に食ってかかってしまって。お嬢様の御用というのが嘘だとばれたこともあって、殴られたんだ」
「まあ……」
こんな痣になるほど殴るなんて、なんちゅう父親だ。
「うちは本来、武芸の家柄だからね。兄たちは剣やら槍やらの稽古でしょっちゅう痣だらけになってる。僕は、変わり種なんだ」
唇を歪めて、レナートは痣をさする。
「お嬢様のお気に入りってことで、殴られたことなんてなかったんだけど。リーディヤお嬢様は、将来皇后になるお方として、セレズノア家の期待を一身に集めている。一言言えば領法改定さえ簡単にできるほどだ。そのお嬢様に刃向かおうとしていると思われたら、僕なんかこうだよ」
うーん……。お父さんとの関係とか、複雑そうだなあ。
でも今は、オリガちゃんだ。領法改定ときたか……完全なるセレズノア領の内政問題、お兄様はもちろん皇子だって口出しできないところ。ある意味、賢いやり方だよ。なんか、いかにもあちららしいけど。
腹立つ!
と、レナートが言った。
「お嬢様の本当の狙いはオリガじゃなく、君だよ、ユールノヴァ嬢」
「わたくし?」
思わずエカテリーナは目を見張った。
「未来の皇后の座を狙う上で、君は最大のライバルだから。その君が、音楽でこれほどの評判を取った。お嬢様は、自分への挑戦だと思ったらしい。それに、下級貴族と親しく振る舞うことも、そういう階級からの支持を得るための策だと思っている。
だからこれは、君への対抗策だ。セレズノアの臣下を勝手に使って評判を上げた君のせいで、オリガが罰を受けることになった。君がこれを放置すれば、下級貴族を使い捨てる身勝手な公爵令嬢だという評判を広めて、支持を低下させようとするだろう。だけど口出しすれば、セレズノアへの内政干渉になって思う壺だ、というわけ。だからこそセレズノア侯も、迅速に動いているんだと思う」
「……」
なんでやねん……勘弁してよ。
私にとっては音楽の夕べはクラスの親睦会で、カラオケ大会の代わりだっつーの。
下級貴族の支持とか、何それ。
って、前世の感覚では思うんだけどね……。
今の私は特権階級の公爵令嬢。高位貴族の勢力争いに、もう参戦しているべき立場だもんね。そういう考え方が、当たり前にできるのが本来の姿なんだろう。
すまん!公爵令嬢としてポンコツで、ほんとすまん!
レナートがくすっと笑う。
「解っているよ。君は、そんなつもりは少しもなかった。君はただ、音楽を楽しんでいた。皆にも、音楽を楽しんでもらおうとしていた。
だからあの夜は、あんなに楽しかったんだ。強制されて聴く音楽は、どんなに優れていても心底は楽しめない。それは音楽じゃない。領地では、月光花と戦士蝶の歌のような地元で歌い継がれて来た音楽は、一段低いものとして扱われている。でも、音楽に上下はないんだって、ああして楽しむのが音楽だって、あの夜に僕は心底思った。僕もそういう音楽をやりたいって。なのに……」
レナートは唇を震わせて、うつむいた。可愛い少年の顔が、悔しさで歪んでいる。
エカテリーナはすうっと息を吸い込んだ。
「お言葉ありがとう存じますわ、レナート様。ですがやはり、わたくしは間違いを犯しました。お二方にご参加いただくべきではなかったのです。レナート様がお父君のお怒りを受けたのは、わたくしが主催した催しに参加したためでもあったのでは」
図星であったようで、レナートは目を逸らす。
「そしてオリガ様。ご実家を含めて、大変なご迷惑をおかけすることになってしまいました」
「わ……わたしは、前からお嬢様のお気に召さなかったんです!お部屋の掃除をしながら歌っていたのがお耳に入ってしまって、田舎臭い騒音で気分が悪くなったわって、呟いていらしたことがあって……」
「そんなの気にすることない!」
いきなりレナートが叫んだ。
「お嬢様は、音楽神の庭に招かれることに執着している。だから、他に才能のある者を見ると排除しようとする。僕を毎日レッスンに付き合わせるのも、僕が自分の練習をできないようにするためなんだ。
オリガの歌は素晴らしいから、お嬢様が嫉妬したに決まってる。お嬢様は確かに上手だ、美しい声に完璧な技術、歌声には聞き惚れずにはいられない。でも!楽しくないんだ!」
さすが音楽馬鹿。レナート君、熱いね!
これだけ裏事情を読み解けるっていうことは、君はリーディヤの、未来の皇后の側近たるべく育てられてきたんじゃないか。
なのに、音楽のためとなったら、たちまち馬鹿になっちゃって。仮想敵であろう私の歌、領内の価値観的にまずいオリガちゃんの歌を、堂々と称賛しちゃったのか。
今だって、こんな話を私にぶっちゃけたのって、オリガちゃん家のピアノのためだよね。
本当に音楽馬鹿だねえ。
そういうの嫌いじゃないぜ。
しかしレナート君、いつの間にオリガちゃんを呼び捨てするように?
ともあれ。
エカテリーナは、右手を自分の胸に当て、微笑んだ。
「セレズノア様は、わたくしの催しを挑戦と捉え、それに対抗するおつもりでこのような動きに出られました。ならば……わたくしは、エカテリーナ・ユールノヴァとしてそれに向き合わねばなりませんわ。
セレズノアの領政はともかく、わたくしのクラス、わたくしのクラスメイトに、お手出しは無用。それを、必ずや、ご理解いただきます」
「エカテリーナ様……」
あー、言い放っちゃった。何したらいいのか解ってもいないのに。
でも、お姉さんとして、子供たちを泣かせるわけにはいかないもんね。
そして多分。公爵令嬢として、ここは、対抗しなければならないところなんだろう。
貴族令嬢ってものを教えてくれてありがとう、リーディヤちゃん。
絶対、お礼はさせてもらう!
見てろー!悪役令嬢が返り討ちにしたるー!




