声楽レッスン
画家との晩餐の翌日。
「エカテリーナ様、お招きありがとうございます!」
ユールノヴァ公爵邸に、明るく華やかな声が響き渡った。
魔法学園の寮へ迎えに出した馬車から降りてきたのは、フローラとマリーナ、そしてオリガの三人だ。
「我が家へようこそ」
女主人然と微笑んで出迎えたエカテリーナだが、すぐに三人の級友ときゃっきゃし始めた。
「まずはお茶にいたしましょうね、くつろいでくださいまし。二種類の薔薇のクッキーをご用意しておりますの、領地のシェフと皇都のシェフ、どちらの薔薇がお好みかしら。フローラ様は両方ご存知ですわね」
「はい。ユールノヴァ領の薔薇クッキーは、見た目が本物の薔薇のようで本当に素敵ですね。皇都のクッキーは、味が美味しいと思います」
「楽しみですわ!さすが、ユールノヴァのおもてなしは優雅ですこと!」
はしゃぐマリーナ。薔薇の趣向を喜ぶ乙女心もありつつ、色気より食い気が強いたちだと、だんだん理解されてきていたりする。
小さめ(公爵家基準)の談話室でミナが淹れてくれたお茶を飲みつつ、薔薇クッキーの評価はどちらが上か皆でそこそこ真剣に悩んだあと、エカテリーナが言った。
「そろそろ、声楽の先生がお着きになる頃ですわ。ディドナート夫人とおっしゃる方で、かつては国立劇場で活躍された歌手でいらしたそうですの。わたくしもまだ一度しかお会いしておりませんけれど、教え方がお上手と定評があるそうでしてよ。本日は、一緒にレッスンを受けてくださいましね」
「う、嬉しいです!」
オリガが上ずった声で言う。
「でもそんな、いいんでしょうか。私なんかがそんな……リーディヤお嬢様も、元国立劇場の歌劇で主演を務めていた歌手の方からレッスンを受けていらっしゃいます。国立劇場の歌手って、皇国最高の歌手っていうことで……そういう方のレッスンなんて、お嬢様のように身分の高い方や、すごいお金持ちでなければ、受けていいものではないと思っていました……」
「オリガ様」
笑って、エカテリーナはオリガの手を取った。
「わたくしのレッスンにご一緒いただくだけですもの、問題があろうはずはございませんわ。わたくし、オリガ様にレッスンを受けていただきとうございます。素晴らしい才能をお持ちなのですもの、きっと楽しんでいただけると思いましたの。それにわたくしが、いっそうの磨きがかかったオリガ様の歌声を、聞かせていただきたいだけですのよ」
身分制社会だし、オリガちゃんが育ったセレズノア領では身分による制限がもっと厳しいらしいから、気後れするのは無理もないよね。
でもぶっちゃけ、最後が本音です。オリガちゃんみたいなファルセットが出せる人、そうそういないよ!マジで好き!
「それにわたくし、気になっておりましたの。オリガ様のご実家で歌い継がれてきたあの歌も、本当なら学園でこぞって歌われ、もてはやされていたはずですのに、わたくしが止めてしまいましたでしょう。正当な評価を受けられなくしてしまったのですもの、申し訳ないことですわ。わたくしの気がかりを晴らすためと思って、もてなしを受けてくださいまし。
セレズノア家の方針に口出ししたり、オリガ様を困らせるようなことはいたしませんけれど、この我が家であれば心置きなく歌っていただくことが出来ましょう。オリガ様にはぜひ、のびのびと歌を楽しんでいただきとうございます」
そう。オリガのためにと月光花と戦士蝶の歌が学園で歌われないように配慮したものの、それがベストだっただろうか?と後から悩んでしまったのだ。前世の感覚で、どうしてもモニョるエカテリーナである。
で、アレクセイにおねだりしていた声楽レッスンが受けられることになって、最初のレッスンの時に、ピコーン!ときた。学園で歌えばリーディヤに知られる可能性が高いけれど、ユールノヴァ公爵邸でなら、歌ってもバレないだろうと。
それにうちなら、一石二鳥のおまけもあるし!
「レッスンの後は、また祖母のドレスをご覧くださいましね。領地にもたくさんありましたので、持って帰ってまいりましたの。四人で見立てっこをいたしましょう、きっと楽しゅうございましてよ」
「まあ、嬉しい!先日はとっても楽しかったですわ。あんなにたくさんのドレスが並んでいるのを見たのは、初めてでしたの」
はしゃいだ声を上げたのはマリーナだ。オリガの遠慮を吹っ飛ばそうと加勢してくれているのがわかって、エカテリーナもにっこりする。
「きっと、お二人にお似合いになるものがありましてよ」
マリーナは友達が多いし、オリガは夏休みに実家へ帰らず寮で過ごして、同じく帰らなかった生徒たちと仲良くなったそうだ。そういう生徒たちで、ドレスが欲しい子がいれば橋渡しをしてくれるよう頼もうと思う。
祖母の怨念退散。
「お嬢様方、本日はよろしくお願いいたします」
声楽の教師、ディドナート夫人はそう言って微笑んだ。
年齢不詳な美魔女タイプだが、年齢は四十代後半らしい。わずかに赤みのかかった銀髪、瞳はグレイ。歌手はすでに引退して、教育に専念しているというが、姿勢の良い身体からは力強いオーラを感じる。声がメゾソプラノのため歌劇で主演することは多くなかったと思われるが、それだけに技巧派で、技術と知識が確かであるゆえに教えるのが上手いのだろう。
「まずは発声練習からまいりましょう」
そう言われて、四人で声を合わせて発声練習をする。地味なところだが、前世の部活を思い出して、エカテリーナは大いに楽しんだ。
しかしここですでに、ディドナート夫人の視線がオリガに向いて、おやという感じになっている。声音の美しさや声の伸び、音程などが、わかる人にはわかるほど優れているということだ。
ふふふ、おわかりですか!
内心、妙にドヤってしまうエカテリーナである。
その後、まずは実力を見るということで、四人とも一曲ずつ歌った。エカテリーナは最初に夫人と顔合わせした時に歌い済みなのだが、平等に、というところか。オリガはエカテリーナのリクエストで、月光花と戦士蝶の歌を歌った。
「皆様、それぞれ優れた点をお持ちですわ。わたくし、教師として楽しみでございます」
まんざらお世辞ではない様子で、きらりと目を光らせて夫人が言う。
「特にオリガ様、今も素晴らしく良いお声ですが、姿勢などに気を付ければさらに良くなりますわ。ビブラートをお教えします、今の美しい高音に加えれば、聞く人が冒頭から涙するほどになることでしょう。まだまだ伸びしろがおありです」
よっしゃあ!
感激で口元を押さえているオリガを、他の三人が笑顔で讃える。
ディドナート夫人が、ふふ、と笑った。
「わたくしは普段、複数のご令嬢をお教えする場合、どなたかお一人を特に褒めることのないようにしております。他の方がお気を悪くなさいますので。ですが、お嬢様方にはそのような気遣いは無用ですね。本当によきご友人方でいらっしゃいます。
……ですがオリガ様、わたくし期待をしてしまった分、厳しくお教えしてしまうかもしれません。どうか広く強い心で、学んでくださいませ」
「……」
えっと、オリガちゃん。
頑張って!




