音楽の夕べ(暗雲)
音楽の夕べの準備は、とどこおりなく進んだ。
日本でこういう催しをやろうとすると、演者を揃えるのに苦労したかもしれない。謙譲の美徳が尊重される社会だったから、腕に自信があっても自分から前には出ないものだった。しかし皇国は、そこはそうでもないようだ。
もともと貴族は、音楽会などを好んで開催する。音楽家を呼んで聴くだけでなく、自分たちで演奏したり歌ったりすることも多い。ついでに言うなら音楽だけでなく、自作の詩を持ち寄って朗読会をやったり、脚本を書いて自分たちで小劇を演じたりもする。
ネットもTVも存在しないこの時代では、娯楽は自分たちで作るしかないということだろう。プロの演奏はめったに聞けないから、求められる技量が高くないというか、多少下手でもけなされたりはしない。皆おおらかなのだ。
そんなわけで、ちょっと声をかけただけで、歌に自信がある者、楽器の演奏ができる者が、ほどよい人数で集まった。
会場は学園と掛け合って、音楽室を放課後に使わせてもらえることになった。
飲食物の持ち込みも、大っぴらには言えないが目こぼししてもらえるようなので、こっそり軽食を持ち寄ることにする。演奏しない、聴衆として参加する同級生は、そうでもしないと手持ち無沙汰だろうから。貴族であろうと、学生は食欲のかたまりなのだ。
日取りは、可愛い系ツンツン男子レナートの都合に合わせようとしてみたが、都合のいい日は「ない」の一言。
ならばと、当日もし時間ができれば、終了後の飛び入り参加でもぜひ……ということにした。
そうこうしているうちに話が他のクラスにも伝わって、聴衆が増えそうな感じだ。
皇子ミハイルもその話を聞きつけていて、エカテリーナと昼休みに顔を合わせた時、楽しみにしているよと言った。聴きにくる気満々らしい。
「以前、快速船でフローラと一緒に歌っていたよね。いい声だと思っていたんだ」
「わたくしたちは、まさにあの歌を披露するつもりですの。もうお聞きになったものですから、きっとつまらなくお思いですわ」
「もう一度聞きたいと思っていたから、かえって嬉しいよ。あの歌は、とても耳に残ったんだ。快速船の乗組員たちが、口ずさんでいた」
おお。さすが、前世の世界的大ヒット曲。
「あれは、君が作ったの?」
ぎゃあ!
「い……いいえ。どこかで耳にしたものですわ。その……わたくしの母から、小さい頃に教わったものではなかったかと」
お母様ごめんなさい。
でも私、世界的大ヒット曲を『私が作詞作曲しました』なんて言うの、耐えられません〜〜〜。
「そうか……君の母君は、貴族女性の鑑と言われたほどの方だったそうだけど、素晴らしい感性の持ち主だったんだね」
「お、恐れ入りますわ」
痛い。胸が痛い!
「先帝陛下は、音楽をとてもお好みなんだ。君にとっても大叔父にあたる方なんだし、そのうち訪ねてみてはどうかな。その時、聞かせてさしあげれば、お喜びになると思う」
ぴー!
エカテリーナは突如、ユールノヴァの特産、甜菜と化した。
先帝陛下を訪ねるって、なにそれ怖い!
……でもそうか、祖母の弟なんだから、大叔父様だ……。親戚なんだから、顔を合わせておくのは当然って話だ……。
うわーんどうしよう。
頭上の葉っぱをぱたぱたさせて、甜菜エカテリーナはわたわたしている。
行幸で皇帝皇后両陛下と言葉を交わしており、皇子とは友人関係でありながら、今さら先帝と会うことに動揺してどうするのか。
いや行幸だって事前にはかなり動揺したのだから、仕方ないのかもしれないが。
「あ、兄と相談いたしますわ……」
「うん、そうして。大丈夫だよ、優しい方だから。それに、僕も一緒に行くから、心配しなくていい」
「ご配慮ありがとう存じますわ……その折には、お願いしとうございます」
思わずそう言ってしまって、自分から皇子に関わりを持ってもらってどうする、と後でへこんだエカテリーナであった。
そんな順調な日々に影が落ちたのは、音楽の夕べまであと数日となったある日。
「エカテリーナ様、申し訳ありません。わたし、参加できなくなりました」
悄然と肩を落として、オリガが言ってきた。
驚いたエカテリーナが理由を尋ねると、これからはリーディヤの部屋の掃除は毎日オリガがすることに決まった、と言われたのだそうだ。
いや待ってオリガちゃん、疑問が渋滞してる!何から訊いたらいいんだ!
「オリガ様……それは、一体どのような理由ですの?」
「わからないんです。でも、お嬢様のご意向ではないかと……」
うん、ではないかと、というのがね。
「セレズノア様ご自身が、仰せになったのではありませんの?」
「わたしは、お嬢様と直接お話することはできないんです。土豪の家の者ですから。姿を見られることもないよう、お掃除はお嬢様がご不在の間に終わらせなければなりません。ですからそのお話は、セレザール様からうかがいました。あの、セレザール様も困ってらしたみたいでしたけど……」
「……」
だいたい察した。
セレズノア家では、土着貴族の家の者は、主家である侯爵家の者と直接言葉を交わしてはならない。というルールがあるのだろう。
姿を見られないように仕事をするって、完全にメイド扱いだな……。
本物のメイドであるミナは、私と毎日顔を合わせて話をしているけども。これは、学園在学中の特殊な状態であって、普通は公爵令嬢はメイドと直接話すことはない、というのは知っている。
まあ私は、領地でもメイドの皆さんと毎日のように直接会話してましたけれども。女主人は、業務連絡とかいろいろあるんだもの。
でもセレズノア家のルールも、一般的ではないと思うぞ。オリガちゃんは、皇国の基準でれっきとした貴族の娘。その場合、メイドではなく侍女として扱われるはず。姿も見せてはいけない、というのは……。
つーか、毎日掃除しろって。めっちゃ嫌がらせ感。
なんの証拠もない直感だけど、本当の攻撃目標は、オリガちゃんではなく私じゃないの?
あ、音楽の夕べ、ってことで、挑戦されたように感じてしまったとか……?
皇子も聴きに来るって言ってるし。
いや、ほんとにそんなのじゃないんだけど。
でも、まともに反論というか、抗議めいたことをしても、あちらは取り合わないんだろうな。
本人が直接言ったわけじゃないし。そのようなこと言っておりませんわ、とか言われて、下手をすればオリガちゃんが嘘つき扱いになったり……うぐぐ。
「エカテリーナ様、すみません。わたしも楽しみにしていたんですけど……お掃除といっても、お嬢様がお部屋にいらっしゃる間はずっと待たなければならないので、どれくらい時間がかかるかわからないんです。だから、参加は無理かと……急に予定が変わってしまって、ご迷惑を……」
しょんぼりしているオリガに、エカテリーナはあわてた。
「オリガ様、どうぞお気になさらないでくださいまし。わたくしはただ、できることならオリガ様にもご一緒いただきたいと、考え込んでしまっただけですの。わたくしにできることがないか、しばし考えてみたいと思いますわ」
オリガちゃん自身が楽しみにしてくれていたなら、なんとか参加してもらう方法を考えたい。セレズノア家とことを荒立てずにすむような、穏便な形で。
でも、まだまだ貴族同士の争いは不慣れ。正直、苦手分野なので。
報連相してみようと思います。




