新学期の日々
その後はリーディヤからの接触はなく、平穏な学園生活が続いた。
夏休み中は忙しくてあまり予習ができなかったから、エカテリーナは放課後フローラと一緒に予習復習に励む毎日だ。一学期には学年三位以内の成績を取れたとはいえ、普通は五歳から受けるはずの教育を受けられなかった、長年のハンデがあることを忘れてはいけない。
魔力制御の授業は、二学期からちょっと高度になった。実習では、魔力属性ごとに細分化された課題に挑んでいる。
フローラの聖の魔力は、一世代に一人いるかどうかの稀少属性のため、学園でもカリキュラムが確立されていない。そのため、本人がいろいろ調べ、教師と相談しつつ自分で課題を設定していた。
実は、それに力を貸してくれる人物がいる。アナトリー・マルドゥ。今はユールノヴァ騎士団の参謀となった、かつてのエカテリーナの家庭教師だ。元々、ユールマグナ公爵家が設立したアストラ帝国研究機関の研究者であり、学術院への就職を志していた彼にとっては、文献をあさるのはお手の物。過去の聖の魔力保持者たちがどうやって魔力を伸ばしたかを調べて、わかりやすくまとめた手紙を送ってくれる。
忙しい日々だから、エカテリーナはなかなかマルドゥと再会できていない。けれどフローラは、夏休み中に何度か会ったそうだ。品のいい妻と、小さな可愛い娘、家族ぐるみで。
フローラは手製のお菓子をお土産に持っていって、三歳の娘に大喜びされたそうだ。『ふたりめのおかしのおねえさん』と呼ばれているとのこと。
ちなみに一人目のお菓子のお姉さんは、エカテリーナではなくミナである。
というそんなこんなで、フローラが現在設定している課題は、治癒だ。
聖の魔力は、怪我を治すより病気を治すほうで、より効果を発揮するらしい。
魔竜王が言っていた、聖の魔力の本質は循環だ、という言葉から考えると、生命エネルギー的なものを体内で循環させて活性化させるのかもしれない。
魔竜王の言葉をフローラに伝えた時、彼女は紫水晶の目を見開いて、何度もうなずいていた。
「解る気がします。土の魔力は土に魔力を流し込む感覚とおっしゃいましたけど、私の聖の魔力は少し違って……世界と接続する、という感じなんです」
とすると、体内だけでなく、周囲の世界からも魔力を取り込んで身体の内外での循環を生み出し、それがさらに大きな循環へと繋がっていくのかもしれない。
バタフライ・エフェクト?
などと想像して、ちょっと楽しかったエカテリーナである。
マリーナが言い出した、クラスの親睦会的な音楽の夕べも、ぼちぼちと準備を進めていた。
言い出しっぺのマリーナは清々しいまでのノープランで、思いついても企画を実行に移すのは苦手なタイプらしい。なんとなくそんな気はしていた。
ので、実際問題どこでどう実施するかは、エカテリーナが主体になって考えている。アラサーとして、学生時代のこういうイベントがどんなにいい思い出となり得るかを知っているから、多少の面倒は苦にならない。まあ、この働き者な性格が、前世の死因と言えなくもないのだが。
ともあれ今は、クラスに楽器や歌が得意な者がどれくらいいるかをヒアリング中だ。
可愛い顔をしてツンツンなクラスメイト、レナートにも声をかけたのだが、ぶすっとした感じで僕は出られないと言った。何か用事があるらしい。まだ日取りも決まっていないのに、どういうことか。
と内心で首をひねりながら、とりあえず得意な楽器はあるかを尋ねると、彼は傲然と言ってのけた。
「音が出るものなら、なんでも」
後でオリガが教えてくれたが、レナートの家セレザール子爵家は、セレズノア侯爵家の分家なのだそうだ。
皇太后が先帝に見初められてのち、領地をあげて音楽が盛んになったセレズノア領では、彼は有名な存在らしい。あらゆる楽器を自在に弾きこなし、天才、神童の呼び声も高いと。
ゆえに本家のご令嬢であるリーディヤのお気に入りで、毎日放課後にはリーディヤのもとへ行き、声楽レッスンの伴奏を務めているのだった。
音楽の夕べに参加できないのは、それが理由なのだろう。
そっかー、自信満々な台詞をぶっ放された時には「厨二?」とか疑ってしまったけど、ガチだったか。正直すまんかった。
そしてリーディヤちゃん、毎日レッスンしてるのか。そこは偉いな。
でもレナート君えらくぶすっとしてて、もしかしたらこっちに参加したいんじゃないかって気がしたけど。リーディヤちゃんのレッスンに付き合うの、あんまり嬉しくないのかな。
本人も天才と言われるほどの弾き手なら、自分の練習がしたいのかも。
「それほどの才能がおありなのでしたら、ぜひ音色をお聞きしとうございますわ。なんとか、セレザール様のご都合の合う日に開催できればよろしゅうございますわね。オリガ様はご参加下さいまして?」
「はい、リーディヤお嬢様の御用のない日であれば、ぜひ参加させていただきたいです」
ん⁉︎
思いがけないオリガの返事に、エカテリーナは思わずフローラと顔を見合わせる。
「あの、オリガ様。御用のない日とは、どういう……」
「はい、寮のお部屋をお掃除したり、お茶をお持ちしたりしなければなりませんので」
当然のように答えるオリガからさらに話を聞いて解ったのは、セレズノア家では伝統的に、令息令嬢が魔法学園に在籍している間は、臣下の家の子がメイド代わりに身の回りの世話をすることになっている、ということ。
「……」
内心、ドン引きしてしまったエカテリーナだった。
同じ生徒をメイド代わりって、心理的にめっちゃ抵抗あるんですが。同級生をパシリに使うとか、そういうダメ絶対なやつっぽく感じてしまうんですが。
魔法学園では、寮の特別室に入ることを許された皇族か公爵家の令息令嬢だけが、メイドまたは従僕を伴うことが許される。それ以外の生徒は、たとえ侯爵家の令息令嬢であろうと、自分の身の回りのことは自分でやる規則になっているのだ。まあ、食事は食堂があるし、洗濯はカゴに入れて出せば洗ってもらえるそうだから、自分でやる必要があるのは掃除くらいなのだが。
けれどもしかし、この身分制社会で、侯爵令嬢が掃除とかあり得ないのはわかる。同じ生徒をメイド代わりにすることに引くのは、前世の感覚でしかないんだろう。
他の侯爵家も同じなのかな……。私自身はミナがいてくれるおかげで掃除とかしたことがないんだから、リーディヤちゃんにドン引きなんて、する資格はないんだけど。
こないだフローラちゃんを完全スルーしたことも併せて、どうにもモニョるわー!
さらに、ふと思いついてエカテリーナは尋ねてみた。
「オリガ様のお家は、古くから今のご領地に?」
「はい、皇国の建国よりも前から。我が家は、歴史だけは古いそうです」
恥ずかしそうにオリガが答える。
つまり、セレズノア家がピョートル大帝から領地を拝領するより前からいた、土着の家柄……差別的な扱いを受けている家の子ということだ。
うーん。




