職人たち
翌日、レフが公爵邸にやってきた。
顕微鏡の開発を担っているレンズ職人のトマも一緒で、性格の異なる二人だがすっかり仲良くなったようだ。
「お嬢様、お久しぶりです」
「お二人とも、ようこそ!お待ちしておりましたのよ」
エカテリーナに輝く笑顔で迎えられて、レフはまぶしそうな顔をする。
談話室で向かい合い、お茶も出たところで、エカテリーナはまずレフに謝罪した。
「レフ……わたくし、あなたに謝らなければ。あなたからいただいた青薔薇の髪飾り、ある神様への捧げ物にしてしまったの」
「えっ」
目を丸くしたレフに、エカテリーナは手短に死の乙女セレーネのことを語って聞かせる。
「たいそう喜んでおられたのよ。二千年もの間、触れることができなかったお花に触れることができたと……なんてきれい、とおっしゃったわ。でも、親切に贈ってくださったものを、勝手にごめんなさいね」
「そんな……かえって光栄です。そんなすごい方に喜んでいただけるなんて、僕、嬉しいです」
レフは本当に嬉しそうに笑った。
「また違う飾りを作りますから、使ってくださいますか」
「レフは優しいのね。でも、あなたはこれから、とても忙しくなってよ。お仕事以外は、ゆっくり身体を休めて頂戴」
「ガラスペンの意匠の参考にもなります。ですから、作らせてください」
いつも気弱なほど優しいレフがきっぱりと言ったので、エカテリーナは驚く。
「そう……?お仕事の一環というのでしたら、作りたいものをのびのびと作ってくれてよくてよ。でも、お食事や睡眠は、きちんととること。それは、約束してくださるわね?」
「はい、ありがとうございます。お嬢様にふさわしいものを、きっと作ってみせます。それだけで、僕は充分ですから」
レフは嬉しそうにうなずいた。その言葉の意味をちょっぴり掴みきれない気がして、エカテリーナは小首を傾げている。
トマが、レフの肩をぽんぽんと叩いていた。
トマには、ユールノヴァに届いた顕微鏡の礼を言う。
「わたくしの大叔父様、アイザック博士がたいそうお喜びでしたのよ。わたくしがお願いした形状を、見事に再現してくださって……レンズの拡大率も従来より上がっていたようですわね、お見事ですわ」
「ええ、いや、恐縮です」
照れ臭そうに、トマは頭を掻いた。ふてぶてしい性格の彼だが、お嬢様に手放しで褒められると、やはり晴れがましく思うようだ。
「ユールノヴァ家の商業部門の方に、いい鍛冶職人をご紹介いただいたおかげです。レンズを嵌め込んだ筒をねじで上下させてピントを合わせるなんて、難しいものをあっさり作ってくれたんで驚きました」
「ユールノヴァは金属の産地ですもの、金属加工に精通した職人とのつながりは多々あるそうですの。でも本当に、あちらの職人も素晴らしい技量でしたわ。ただ……」
大叔父アイザックの専門は鉱物だが、普通の鉱物は反射鏡つき顕微鏡で見るには向かない。たまたまあの時に見たのが、透明で光を内包する虹石だったから使えたのだけど。
とはいえアイザックは『僕もちょっと考えてみるね。工夫すればできると思うんだ』と嬉しそうに言っていて、なんとかしてしまいそうで頼もしいというか、天才怖いというか。
「何か問題があったでしょうか」
「いえ!あなたには引き続き、お願いした特殊なレンズの研究をお願いしとうございますの」
トマに頼んでいるのは、アクロマートレンズを作り出す研究だ。色のにじみや像中心がぼやけるのを防ぐことができる、凸レンズと凹レンズを組み合わせて作る特殊なレンズ。
「はい、頑張ります。なかなかうまくいかないですが、楽しいですね」
「それはようございましたわ。まだ始めたばかりですもの、気楽になさってくださいましね」
という感じで連絡事項が片付くと、エカテリーナはわくわくした笑顔でレフを見た。
レフは心得顔でうなずくと、ベルベットの細長い箱を差し出した。
「お嬢様、皇后陛下のガラスペンです。お検めください」
箱の色は真紅。皇帝の色は紫、皇后の色は真紅とされている。
開くと、三本のガラスペンがきらめいた。
三本とも、基本の色はブルーグリーン。エカテリーナが珊瑚礁の海のようだと思った、マグダレーナの髪色を見事に表現している。
一本は、夏空のような青とブルーグリーンがツイストするもの。空の青と海の碧とが、抱き合うように。皇帝コンスタンティンへ献上したうちの一本と、ほぼ同じデザインだ。
次の一本は、持ち手の部分が太く、後端へいくにつれて細くなる形状。太い部分だけが透明で、その内部に、帆船が描かれていた。
白い帆をいっぱいに張って、波を蹴立てて全速で進む大型帆船。きっと、神々の山嶺の向こう、はるかな東の国々まで航海していける船だ。指の先ほどの小さな絵なのに、恐ろしいほど緻密に、生き生きと描かれている。
外側には白いガラスの線で白波が、と思いかけてエカテリーナは目を見張った。波と見えたそれは、連なる白百合なのだった。皇后の生家、ユールセイン家の象徴は百合だ。
そして、最後の一本。
ブルーグリーンのペンの後ろ半分が、海の色から緑を増して百合の茎に変じ、そこから咲き出でる白百合の中から美しい鳥が顔をのぞかせている。そういう意匠になっていた。
その鳥は、紋章にも描かれている皇后の象徴。アストラ帝国の昔から、詩などで「獅子の伴侶」と詠われる鳥だ。銀色をおびた白い体色、黒い飾り羽根、目元は鮮やかなオレンジ色。これも小さいのに、エナメルでの彩色で、細部までリアルに描き出されていた。
この鳥、見た目は美しいが、実は獰猛な性質。獅子さえ怯む猛毒を持つ蛇を好んで食べ、威嚇する蛇をものともせずに長い足の一撃でノックアウトして丸呑みするという。そのため、本当の名前は蛇喰鳥だ。
獅子は蛇を嫌うためこの鳥と共生関係にあり、鳥の巣を守る。たてがみを毛繕いされて目を細め、鳥を背に止まらせたまま共に辺りを逍遥することもある、とされている。かつては、その姿がよくタペストリーなどに描かれた。
――うろ覚えだけど、この鳥は、おそらく前世にも存在したと思う。某漫画の神様が火の鳥のモデルにしたほど美しい鳥と、ネットに紹介されていた。日本語名は、ヘビクイワシといったはず。ライオンと共生関係という話は聞いたことがなかったので、それはこちらの世界だけのことなのだろう。
「なんて美しい……」
惚れ惚れとそれらを眺め、エカテリーナはため息をつく。
「レフ、あなたの才能には驚くばかりですわ。ガラスでこれほど緻密な細工を……ブルーグリーンから緑へのグラデーション、白い百合、そして鳥……。これほど小さいのに、これほど精緻に……なんて素晴らしい……」
「ありがとうございます。お気に召して何よりです」
レフは嬉しそうに頭を下げた。
「工房に先輩たちが戻ってきてくれましたから、意匠を考える時にそれぞれの得意な細工について、アドバイスをもらえたんです。みんな、ガラスペンに興味津々なんですよ」
「そうでしたの!さすがムラーノ工房、あなた以外の職人もすぐれた方々ですのね」
なんということでしょう……。
レフ君、レベルがさらに上がった!
そして他の職人がガラスペンの製法を習得する日も近そう。これは楽しみ!
「皇帝陛下は希望通りのものを作れるよう助力を惜しまないとおっしゃったそうで、参考にするよう帆船の絵を貸してくださって、皇室で飼育されている蛇喰鳥の見学まで許してくださいました。皇后陛下がお喜びになるものを、というお考えが伝わってくるようで……臣民として、なんだか嬉しかったです」
獅子も蛇喰鳥も、皇国には生息していない。はるか南の彼方にある、別の大陸が生息地だ。しかし時折あちらの国から生きたまま献上され、皇室で飼育される。レフが見学させてもらったのは、そういう個体だろう。
「そうね、その気持ち、わたくしもよく解ってよ。陛下に献上したガラスペンが獅子の意匠でしたから、皇后陛下にはその対になる意匠をとお考えになったのね。両陛下がお睦まじいのは、本当に嬉しいこと」
蛇喰鳥を皇后の紋章に描かせたのは、ピョートル大帝の正妻であった初代皇后リュドミーラ。建国四兄弟の幼馴染で華やかな美女として知られるが、建国期の荒々しい時代、夫が不在のところへ敵襲があると、彼女は城代として反撃や籠城の指揮を取ったそうだ。戦場で指揮を取るのがあまり得意ではなかったピョートルより、リュドミーラの方が指揮官として優れていたという見方もある。
現在では、皇后に求められるのは淑やかさ、優雅さといったものだ。男勝りのマグダレーナは、皇后としての資質を疑問視されることもあった。だが歴史を振り返れば、彼女は皇后の原点回帰とも言えるかもしれない。
とはいえ、皇帝コンスタンティンはマグダレーナが皇后にふさわしい女性だと示すつもりでこの意匠を選んだわけではないのだろう。ただ皇后を表すなら、このガラスペンの色は真紅である方がふさわしい。しかしコンスタンティンは、色は妻の髪色ブルーグリーン、さらに生家ユールセインの花を配することを望んだ。己の唯一の伴侶を表すものを、贈りたいと望んだのだ。
「このガラスペンなら、きっと陛下のお気に召してよ。明日、お兄様が陛下に謁見なさる予定なの。その時にお渡ししていただくわね」
「はい、よろしくお願いします」
「ユールセイン公のガラスペンも、楽しみにしていてよ」
「時間がかかっていてすみません。……ご要望の美の女神をどう描くか、悩んでしまって」
何度描いても別の女神になってしまうんです、と頭を掻くレフに、職人のこだわりを感じてエカテリーナは微笑む。
トマが再び、レフの肩をぽんぽんと叩いていた。
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