思い出
「ミハイル様は、本当に……優れた洞察力をお持ちでいらっしゃいますのね。歳を重ねた大人であっても、ミハイル様のような対応が取れる方は、なかなかいらっしゃらないことでしょう。生まれ持った資質が違うと、感服いたしました」
栴檀は双葉より芳し。小さい頃から、ものが違うって感じだったんだろうな。
しかし、エカテリーナの言葉にミハイルは笑った。
「そういうことにしておきたいけど、そんなことはないんだ。アレクセイはよく覚えていると思うけど、僕は小さい頃、すごく威張り散らした嫌な子供だったから」
「まさか、そのようなこと」
皇子ってば、ご謙遜〜。
そんなの、想像もつきませんわ。
けれど、ミハイルは目を伏せて言う。
「本当だよ。今思い出すと本当に恥ずかしいけど、あの頃は、自分が世界で一番偉いと思ってた。ああ、先帝陛下や父上母上は別だったけど……まあとにかく、僕はかなり、ちやほやされて育ったものだから」
それを聞いて、エカテリーナは思わず目を見開く。
そうか……言われてみれば、むしろ当然か。
当時皇太子だったお方の一人息子で、やがては皇帝の位を継ぐべき後継者。一人っ子で、言い方は悪いけどスペアになるような弟もいない、唯一の存在だもの。周囲は真綿にくるむように大事に大事にして、叱ることもできなかったというのは、あり得る話。
ていうか十六歳の現在で、すっかりクソガキを卒業してるのが偉いって話だよ。まだまだ子供なんだから、ちやほやされて威張り散らしてるままでも、全然おかしくないのに。
「同じ年頃の子供が学友としてやってきてからも、わがまま放題だった。皆も子供ながらに身分を理解していて、なんでも僕の言うことを聞くばかりでね。勉強でも武術でも、遊びでも僕に勝とうとしなかった」
「そうでしたの……それでは、仕方のないことと思えますわ」
学友ということは、家庭教師がついて勉強を始めた頃?貴族なら、普通は五歳くらいからだっけ。じゃあ、これは皇子が五、六歳くらいの頃かな。前世で言えば、小学校に入学するかしないか……。
そんな頃なら、皇子という身分でなくたって、普通にわがままでしょうよ。
「でも、一人だけ違ったのがアレクセイだった」
「まあ!」
エカテリーナはブラコンを発揮して目を輝かせ、ミハイルは苦笑する。
「アレクセイは全然容赦がなくてね。二つ年上だし、勉強も武術も、まるで歯が立たなかった。僕は負けたことがなかったから、悔しくて泣きわめいた覚えがある。他の子や近習たちがおろおろする中で、アレクセイは僕を冷ややかに見て――最初の説教をしてきた」
さ……さすがお兄様……。
そういえば皇子、お兄様に説教されるとすごくつらい、って言ってたような。確かに、私も一度だけ説教されたけど、中身アラサーの私がうなだれる気迫でしたよ。
皇子はそうやって、あれをがっつり体験してたのかー。
皇子、学園の試験で三位だった時にはすごく大人の対応だったのに、そんな頃もあったんだなあ。それがあればこその今?
お祖父様とツーショットの肖像画で見た十歳のお兄様、可愛かったな。皇子の学友になったのはもう少し前、もっと小さい頃か。それよりもっと小さい五、六歳の皇子……ふふ。君は、とっても可愛かったと思うよ。
泣きわめいていた本人は不本意かもしれないけど、全体の絵面は絶対可愛いな!
「ミハイル様はその頃、兄のことをお嫌いでしたの?」
エカテリーナが尋ねると、ミハイルはふふと笑った。
「そういう時もあったり、そうでもなかったりした。あの頃から、アレクセイには独特の魅力があったよ。孤高な感じで。僕は顔も見たくないと思ったり、認められたくて躍起になったり……ただ確実に、他の学友たちより特別だと思っていた。友達になりたかったんだと思う。
でもアレクセイは、僕は将来の主君で自分は臣下、っていう態度を頑として崩さなくて」
それ以上言わずに、ミハイルは小さくため息をついた。
すまん。お兄様はそういう人なのよ……元祖型ツンデレだから、特定対象者以外にはツンしかないのよ。そんな小さい頃からそうだったんだなあ。
「だけどある日、迷子になって泣いていたウラジーミルの手を引いて現れて。アレクセイは、ウラジーミルにはすごく優しかったんだよ」
あああああ。
元祖型ツンデレの、デレの対象が現れた!
お兄様は、守りたくなる相手がタイプなんだなあ。皇子がデレの対象じゃないのは、なんかわかる。それに未来の主君にデレたら、ヤバい臣下が爆誕するし。主君を見る目にフィルター装備とか、怖いわ。
「僕と扱いが全然違うものだから、僕はふてくされたりもしたんだけど。ぼく皇子なのにー、えらいのにー、って」
なにそれ可愛い!
ぼく皇子なのにー、ってふてくされてる小さい皇子、見たい!
つい笑ってしまって、エカテリーナは両手で口元を覆う。
「ウラジーミルも特別優秀で、勉強では全然勝てなくてね。僕どころか、大人も顔負けな知識の持ち主だった。でも彼はあの頃は、内気だけど優しい性格で、僕とアレクセイの間に入って取り持ってくれた。それでようやく、仲良く付き合えるようになったんだ」
「そうでしたの……」
そんな二人と仲良くなれたなら、皇子だって当時から相当優秀だったんだろうな。他の子たちは、勝とうとしなかったんじゃなくて、素で勝てなかったのかも。
将来が楽しみな、恐るべき子供たちだな。両陛下はさぞ、目を細めて三人を見ていらしただろう。
「……でも、突然セルゲイ公が亡くなって」
ミハイルの口調が変わって、エカテリーナははっとする。
「アレクセイもウラジーミルも、ぱたりと僕を訪ねて来なくなった。アレクセイはセルゲイ公の葬儀のあと領地で過ごすことが多くなったし、ウラジーミルは大きな病気をしたから、仕方なかったんだけど。でも、久しぶりに会っても、それぞれ暗い顔をしていたよ。特にウラジーミルは、あの時から人が変わってしまった」
ミハイルは哀しく微笑んでいる。
……お兄様は仕方がない。ババアが牛耳るようになった家で、幼くして領主代理の役目を担わされ、孤立していたんだから。
けれど――ふと思ったけど。ウラジーミル君は、彼の家……ユールマグナが、我が家に何をしていたか知っていたんだろうか。人を送り込んで多額の金銭を横領させ、その金銭を自分のものにしていた犯罪行為を。
当時、彼はまだ九歳。……さすがに知るはずはないか?でも、それなら、彼はなぜ変わったのだろう……。
きざした考えをいったん振り払い、エカテリーナはミハイルに優しく微笑みかけた。
「それは、さぞ、お寂しいことでしたでしょう」
「そうだね。……でも僕は、あの時少し、大人になったのかもしれない。父上は僕におっしゃったよ、我々は孤独であることを宿命付けられているのだ、と」
我々は――我々、皇帝を継ぐ者は。
胸が痛んで、エカテリーナは目を伏せる。
皇帝の孤独。
私には、想像もつかないよ。
誰かと友達になったとして、君の友情は、その友達に特権や特別待遇を与えるものになってしまうだろう。たとえ友達がそんなことを望まなかったとしても、君とつながりを持ちたい人々が群がって、自分に便宜を図ってくれと見返りを差し出し、友達を腐らせてゆく。そんな、ある意味では毒のようなものになってしまう。
そして君は、自分でその友達を、処罰することになるかもしれない。
そんなことがなくても、友人がいたとしても、その友人はどれだけ君の力になれるだろう。やがて君が皇帝の位に即いたのち、国を左右するような決断をする時に、その責任を、その重荷を、誰が共に担えるだろう。その決断は、歴史の中に、君の名で刻まれるのに。
私に何を言えるだろう。
言えることがあるとすれば……。
エカテリーナは顔を上げて、ミハイルを見た。
「孤独である宿命――と仰せになりましたわね。ですけれど、やがて孤独となること、を宿命付けられているとしても……今はまだ、違うのではありませんかしら。なにしろわたくしたちは、まだ学園で学んでいる身なのですもの」
まだ君は皇帝ではなくて、学園で学ぶ学生の一人で、その生活を楽しんでいるんだから。
まだ君は、たったの十六歳の、子供なんだから。
アラサーお姉さんから見れば、君なんか子供なんだからね。
子供の頃の友達なんて、あんまり大層に考えなくてもいいんじゃない……かな。
学生時代の友達って、一緒に遊んで、いい思い出を共有して。でも社会に出たら道が分かれて、そんなにしょっちゅう会うことはなかったり、そういうことが多いもの。未来の立場のために、今を諦めたりはしないでいいはずだと思う。
ミハイルは少し驚いた様子で目を見張り、笑顔になった。
「ありがとう。君という友達を得られて嬉しいよ」
あれ?
うぐ。
うぎゃあ!
す……すまん。私は私で、悪役令嬢という宿命を背負っていてだね、君は私の破滅フラグの化身なんだよ。
だから、なるべく距離を置くべきなのよ。
破滅フラグ対策はすっかりグダグダで、いい友達だと私も思っていたけど、なんかこの流れでそう言葉にされると、なんかこう……なんか……。
距離を置くどころか、お兄様とウラジーミル君に代わって、親友とかのポジションにならなきゃいけないような気がしてきちゃうんだけど!
もうなんか、この世界は乙女ゲームそのものではなくて元ネタみたいなものだとわかったり、それなりにゲームと展開が変わったりしてきた気がするけど。それでもここはゲームの通りに、大国の首都である皇都に突然魔獣が出現するなんていう、トンデモな出来事が実際起こるんだから!
怖いのよ!
エカテリーナが脳内であたふたしているのに、ミハイルは嬉しそうに微笑む。
「夏期休暇ももうすぐ終わるけど、学園へ戻っても、また二人で話をしてくれるかな。……こういう話ができる相手は、なかなかいないんだ」
あうううう。
こ……これを拒絶したら、私って鬼やん!
「あ……兄が良いと申しましたら」
切り札、シスコンお兄様!
するとミハイルは、首を傾げた。どこか困ったような、悲しげな感じで。
君は蓄音機の前の犬か!某社の商標かー!
やめて、わかった全然オッケーだから笑って!って言わなきゃいけない気になるだろ!
わーんこのわんこどうしよう。
エカテリーナが焦りまくった、その時。
「これまでか」
とミハイルが呟いた。
何のこと?と思った瞬間、思いがけない声がかかる。
「お嬢様!」
兄の従僕イヴァンが、珍しく息を切らせて駆け寄ってきた。
「イヴァン、どうかして?」
「お嬢様、閣下がお探しです。お姿が見えないと、心配なさっておいででした」
「まあ!」
しまった、うっかり時間が経ってしまった。
と思いながらも、ほっとしているエカテリーナである。
「わざわざ足を運ばせてしまって、申し訳なかったことね」
と言いながら、ふと気付く。
「イヴァン、髪が乱れていてよ」
「ちょっと……たちの悪い狐に邪魔をされまして」
そう言って、イヴァンは苛立たしげに髪をかき上げた。
え、狐?
エカテリーナは周囲を見回すが、それらしいものがいる様子はない。
代わりに気付いた。
「まあ、ルカ、上着が」
ミハイルの従僕ルカの着ているお仕着せの上着、その袖に破れと汚れがある。
これも狐のせいだろうか。彼はミナと一緒に裏庭の入り口で控えていたはずなのに、いつの間に?とエカテリーナは首をかしげる。
「怪我をしたのではなくて?医師に診てもらっては」
「お気遣いありがとうございます。服だけですので、大丈夫です」
糸のように細い目をいっそう細めて、ルカは微笑んだ。
そのルカを、イヴァンが睨んだような。
「時間を取らせてすまなかったね、エカテリーナ。戻ろうか」
そう言ってミハイルが右手を差し出したので、エカテリーナの頭からは今見た一幕は消し飛んだ。うわー皇子のエスコート!いいのか、破滅フラグ回避的に大丈夫なのかこれ?
しかしマナーとしては、皇子ミハイルの方からエスコートの手を差し伸べてくれている状況で、公爵令嬢エカテリーナがそれを拒絶するのはあり得ない。しかも今までの会話の流れ。
ええい、仕方ない。相手はわんこだ!
脳内で現実逃避をして、エカテリーナはそっと左手をミハイルの腕に預けた。
皆様、よいお年を。




