悪役令嬢は前世を語る
やっぱり俺様か!
そんなんでこんな風に連れてくんなー!
千夜一夜物語ですか。私はシェヘラザード姫の役どころ。
あれの王様って、王妃に不倫されて『もう女なんか信じられない!』と女性不信になっていて、夜伽をさせた女性を翌朝には斬首してしまうって設定だったな。
……あらためて考えると、シャレにならんわ。
シェヘラザード姫と同様、私も生殺与奪権を握られてるよね。魔竜王は私を、煮るも焼くも好きにできる。
食われなくても焼かれなくても、こんな山の中では置き去りにされただけで生還は不可能。私は完全に詰む。
もうちょっと穏便に話を持ちかけてくれたらいいのに、理由に納得できれば前世の話くらいしますから!
こんなとこに連れてきて話をしろって、理不尽だろー!
という内心の叫びを、エカテリーナはぐっと抑える。
頑張れ自分。だてに前世で社畜だったわけじゃない、理不尽なクライアントも上司もさんざん対応してきただろ。
思い出せ、理不尽クライアントへの対応の基本は、共感と対話。個人の持論だけど。
まずごもっともとうなずいて要望をがっつり聞いて、クライアントが真に望むものを理解して、もろもろ考え合わせて一番適切な解決策を提示する。
で、勢いで押し切る!
ちょっと顔が良すぎるけど、クライアントだと思って冷静に対処だ。
ちょっとっていうか、だいぶ顔が良すぎるけど。
こんなクライアント、いるわけないけど。
冷静に。対処だ。
頑張れ自分。
「言っておくが、話を聞かせなかったからとお前をどうこうしたりはせん。先刻も言った通り、俺とて生命ある身。死の神の理の中にある。お前は死の神の気に入りだ、特に奥方のな」
……アレ?
まさか、死の神様と同じで思考が筒抜けなの⁉︎
「この状況で考えそうなことを言っただけだ。人間の頭の中を覗くことなどできはせん、する必要もない」
……ソウデスカ。
「話などしたくない、というならすぐ元の場所へ帰す。安心するがいい」
だったら、こんな荒っぽく連れてこないでくださいよ……。脱力。
思わずため息をついたエカテリーナを見て、ヴラドフォーレンはくつくつと笑う。
わざとからかってるだろ。くそう。
絶世の美形だからって、イケメン無罪なんて適用されないんだからな!
ちょっと勢いが削がれるだけで!
「……三千年の長きにわたる生、わたくしには想像もつきませんわ。わたくしの前世が無聊をお慰めするお役に立つのでしたら、お話しすることはやぶさかではございません。どのようなことにご興味がおありでしょうか」
「さてな。俺にはお前の世界がわからん、何を尋ねれば面白い話が聞けるやら」
「それでは先ほど仰せになった、前世の世界では人間は空を飛ぶか、というお尋ねにお答えいたしましょう。ええ、わたくしが前世を生きた世界では、人間は空を飛ぶすべを得ておりましたわ」
ヴラドフォーレンが目を見開くのを見て、エカテリーナは少しばかり溜飲を下げた。
どーだ、驚いたか。
しかし説明するのは大変だった。
なにしろこの世界には、飛行機はない。そもそも概念がない。したがって、そういうものを示す言葉が存在しない。
そんなわけで、こんな話し方をするしかない。
「この世界では、わたくしども人間が移動に用いることができるのは、馬車くらいですわ。ですけれど前世の世界では、馬がおらずとも自ら動く馬車のような乗り物がございました。その乗り物に翼をつけたもので、人々は空を飛んでおりましたの。中には、一度に数百人の人間を乗せることができるほど、巨大なものもございましたのよ」
「ほう」
ジャンボジェットの大きさをこの世界の単位で説明すると、ヴラドフォーレンはにやりと笑った。
「俺と同じほどの大きさのようだな」
いやあなたの方が大きいでしょ、とエカテリーナは内心でつっこむ。確かゲームで皇都を火の海にした魔竜王(竜バージョン)が皇城を踏み砕いていた図、城と同じくらいのデカさに見えたもん。
それともあれは、ゲームデザイナーの間違いか誇張?
さっきの竜バージョン姿は首から上しか見えなかったし、比較対象物がないからイマイチ判断できないなあ。
「それほど巨大な乗り物で、人間はどこへ行く」
「どこへなりと。あの世界ではほとんど全ての国々が、空飛ぶ乗り物で結ばれておりましたわ。雲を見下ろす高みを飛んで、大海原を越え、人々を運んでゆくのです。北の果て、南の果ての氷原も、砂漠の国も、前世では望めばゆけぬ処はないほどでしたの」
ヴラドフォーレンは鋭くエカテリーナを見た。
「南の果ての氷原と言ったか。確かに南には、暑い密林の国々を越えたはるかな果てに、北の果てと同じ氷原がある。推測でそう考える人間はいるようだが、本当にそれを知っている人間は、おそらくいない」
「前世では、誰もが知っておりました。北と南、それぞれの果てを、北の極、南の極と呼んでおりましたわ。前世でわたくしが生きた時代から……二百年ほど前であったかと思いますが、人間はその地を見つけましたの」
「空飛ぶ乗り物でか」
「いえ、当時は船でしたわ。空飛ぶ乗り物が作り出されたのは、わたくしが生きた時代の百年ほど前であったはず。南極を発見したのは、人間が空を飛ぶよりもさらに百年前のことですわね。発見者たちは、氷山を縫って海を進み、氷原に到達したのです」
正直、発見者の名前は覚えてないです。南極の歴史エピソードで覚えてる人物って、南極点への到達レースがらみの、アムンゼン、スコット、白瀬隊長くらいですわ。
ヴラドフォーレンはふっと笑う。
「見てきたように語るものだ。百年や二百年前の歴史にそれほど詳しいなら、お前は前世でも高度な教育を受けることのできる、高い身分に生まれたのだろうな」
エカテリーナは首を振った。
「いいえ、わたくしは平民でしたの。前世のわたくしが生まれた国は、わたくしが生きた時代には、身分制度が存在しなかったのです。すべての人間は生まれながらに平等である、とされておりました」
「……平等?」
疑わしげに、ヴラドフォーレンが呟く。
「はい。すべての子供には教育を受ける権利があり、六歳から学校へ通うものでしたわ。十五歳になって義務の教育を終えるまでは、必ず。子供に教育を受けさせることは、国と国民の義務でございました。読み書き、数学、地理、歴史、外国語などを、すべての子供が学ぶものでした」
「まるで理想郷だな」
皮肉っぽい口調に、エカテリーナは微笑んだ。
「率直に申し上げれば、平等など建前でございました。貧富の差などにより、生まれながらに恵まれた者とそうでない者がおりましたわ。ですけれど、あの時代のあの国は、人類の史上でも有数と言えるほど、人間同士の格差が小さかったと申せましょう。先ほど申し上げた程度のことは、多くの者が当たり前に持っている知識でございました」
うん。この世界を生きて、あらためて思う。身分制度がないって、すごいことだった。
前世だって人類史を振り返ったら、身分制度がなくなったのって、歴史年表のほんの最近だったもん。日本にも第二次世界大戦に敗戦するまではいたんだよ、華族とか士族とかが。
身分制度がなくなっても、本当に平等だったわけじゃなかった。一時期縮まった格差も、近年になって拡大してきちゃってたけど。進歩したら、反動がきちゃうものなんだろう。
第二次世界大戦後に民主主義が広がったのって、人類史上ぶっちぎりの量の死と破壊に世界中で嫌気がさしたり、破壊衝動やらなんやらを吐き出して毒気が抜けたりして、ちょっと賢者タイムみたいになってたんじゃなかろうか。いや賢者タイムってよく知らんけども。時間が経ったら、また吐き出したものが溜まってきつつあったと。
でも少し行きつ戻りつしても、人類は前へ進んでいたよ。
いろいろ前世を思い起こしてしみじみしているエカテリーナを、ヴラドフォーレンは見つめている。
そして、ふうっと息を吐いた。
「前世で異世界に生きていた記憶があるというのは、いつわりではないようだな。お前が言うことは、とうてい貴族令嬢が空想で思いつくような話ではない。実に――興味深い」
「信じていただけたようで、ようございましたわ」
エカテリーナは微笑んだ。




