山岳神
アイザックの腕の中にある虹石は、まるで枝珊瑚のように、根元から枝分かれして上へ伸びたかのような形をしている。
光の色は薄紅。いわゆる薔薇色。あたたかく華やかな色彩が、天へ枝を伸ばすかのような形の中で、ゆったりと渦巻いていた。
息を呑む美しさだ。
「はい、君にあげる」
「まあ……!ですが、このように貴重なものを」
にこにこしてアイザックが虹石を差し出すが、エカテリーナはためらう。大きさが大きさだし、光の強さや美しさを総合した価値として、これはかつてブローチにした虹石とさえ比較にならないほどの逸品ではないだろうか。
「学術的に興味深いサンプルではございませんの?大叔父様がお持ちになったほうが。わたくしは、お気持ちだけで充分ですわ」
「エカテリーナはいい子だね。稀少な属性のようだし品質も良さそうだから、そのうち分析させてくれれば嬉しいけど、君のために採ったものだし、気にせず受け取ってほしいな。ああでも女の子には重いから、僕が持っているね」
「博士、僕がお持ちします」
「アーロン様、お嬢様の物なら、あたしがお持ちします」
さっとアーロンが進み出たが、その上をいく素早さでミナがアイザックの腕から虹石をさらった。
「重いのに……ああ、でも君は、そうなんだね」
メイドであろうと女の子に重いものは持たせない人のようだが、軽々と持つ様子にミナの背景を察したようで、アイザックはうなずく。
「では博士、お嬢様、戻りましょう」
「ああ、そうだね。エカテリーナ、疲れただろう。戻ったらゆっくり休んでおくれ」
我に返ったようにアーロンが言い、おっとりとアイザックがうなずいた。
アーロンの口調が妙に焦った風で、次の予定でもあったのだろうか、とエカテリーナは首を傾げたが、思えば閉鎖した坑道に入り込んでいるのだった。安全性とか、もろもろ問題があるに違いない。
納得して、エカテリーナは急いで撤収することにした。
「大叔父様、さきほど大叔父様の魔力が、地中のはるか深みに向かうのを感じましたわ。この虹石はその深みから――引き寄せたものですのね」
鉱山事業本部へ戻る道すがら、エカテリーナはアイザックに言ってみた。
すごい特殊な魔力。前世の引き寄せみたい?あれは超能力だっけか。
逆にこの世界では、物質を手元に呼び寄せる魔力なんて、ほとんど例がないはず。魔力に関する研究書に、そういう事例があったという記述を見たことはあるけど、数行しか書かれていなかった。
存在しないところへ呼び出すといえば、炎や光、闇、雷など。水も可能だけど、あれは実は、大気中の水蒸気を液体化しているのじゃないかと思う。地中に埋まっている石を手元に持ってくる、というのは根本的に違う。
思えば、森の民の居住地で知ったこの世界の中世における迫害。こういう特殊な魔力の持ち主も異端とされ、歴史から抹消されてきたのではないだろうか。
「小さい頃から石を探しているうちに、珍しい石には向こうから呼ばれるようになってね。呼ばれるとどうしても採りたくなって、昔はスコップで地面を掘っていたんだ。でも服が汚れるから迷惑になるって知って、魔力で持ってこられないか頑張って、できるようになったんだよ」
洗濯女だったライーサさんの言葉がきっかけか!
それで『石を採取するのをやめる』じゃなくて『服を汚さずに採取できるようになる』方向に努力するあたりが、天才の思考か……。
天才とは1%のひらめきと99%の努力、って本当なんだなあ。
「大叔父様の魔力は、土属性ですの?」
「分類上はね、そういうことになっているよ。でも土属性は、そう呼ぶのはどうかと思うタイプも多いよね。植物を操る魔力の持ち主と僕が同じ属性というのは、奇妙な感じだよ。アストラ帝国時代の分類に当てはめるのは、もういろいろ無理があると思っているんだ」
なるほど。
魔力属性は土、水、火、風、氷、光、闇、雷、聖などさまざまな種類があるのだけど、これらは古代アストラ帝国時代に分類されたもの。燦然たる権威があって、揺るがすことができないのだろう。どれにも該当しないようなものでも、無理やりどれかに押し込んでしまうのだ。
死の乙女セレーネさんの魔力属性『冥』だって、古代アストラの分類上に存在しないはず。だから、今現在『冥』の魔力を持っている人がいたとしても、他のどれかに紛れてしまっているだろう。
前世でも似たようなことがあって、世界を構成するのは土・水・火・風の四元素であるという説を古代ギリシャのアリストテレスが推したもんだから、長いこと盲信されて『異論は認めない』状態が続いた、というのを漫画で読んだことがある。アリストテレスの権威は、ほとんど神だったそうな。
「仰せの通りですわ。魔力を属性で分類すること自体、いつか行われなくなるのかもしれませんわね」
物質の最小単位は原子だと証明されて四大元素説が消えたことを念頭にエカテリーナが言うと、アイザックは目を見張り、にっこり笑った。
「大胆なことを言うんだねえ。そういうの、僕は大好きだ。
そのうち必ず皇都に行くよ。君の工房を見せてもらって、そして、君とたくさん話をしたいね」
翌日、エカテリーナは山岳神殿への参拝におもむいた。
神への敬意を表すべく控えめながらも、美しく装ったご令嬢の姿に見惚れる神官たちに導かれ、森林農業長フォルリと鉱山長アーロンを従えて、エカテリーナは神殿の奥殿に足を踏み入れる。
なお、一緒に参拝するのかと思ったアイザックは、
「うーん、やめておくよ。神様の冗談ってよくわからないから」
と、それこそよくわからないことを言って、今日も研究に没頭しているようだ。冗談を言われるほど、神様と親しいのだろうか。
歴史を感じる石造りの神殿には、見事な彫刻がずらりと並んでいた。ユールノヴァ領内の山々を司る山岳神一柱一柱の姿を写しとったもので、人間の姿をしている神もいれば、狼や猪など動物の姿、あるいはもっと独特な姿の神もいるようだ。
それらの神々の中心に、いかにも長老然とした白髪白髯の老人の姿の神がいる。これが旧鉱山の山の神だと教えてもらったところで、その神像がぼうっと光った。
降臨だ。
神像から流れ出た光が、像と瓜二つの老人の姿に変容する。その場に満ちる神威に、人間たちはうやうやしく礼をとった。
そこへ、声がかかる。
「ユールノヴァの娘、顔をあげるがよいぞ。他の者どもも、楽にするがよい」
底知れぬほど年老いた、やさしい声だ。
エカテリーナは顔を上げた。
「拝顔をお赦しいただき、恐悦至極に存じます。わたくし、エカテリーナ・ユールノヴァにございます」
「きれいな娘ごじゃ。よく来たのう」
ほっほと笑う旧鉱山の神は、前世のハリウッド大作映画に登場した灰色の魔法使いをうんと優しげにしたような、侵しがたい威厳がありつつも好々爺そのものの印象だ。
そして別の神像にも光が宿り、あと二柱の神々が降臨した。
一柱は、同じく人間の姿だが旧鉱山の神とは対極的に、幼い女の子の姿をしている。外見は小学生女児だが、前世では肉眼で見たことがなかったレベルの可愛さだ。まるで天使。神様なのに天使。長いやわらかそうな髪は若草色で、さまざまな花で編まれた花冠をつけている。花咲き乱れる春山そのもののように、愛らしくかぐわしい姫神。
もう一柱は、巨大な狼の姿。レジナたち猟犬よりも、さらに大きい。
しかも、炎をまとっている。
たてがみと尾の先が、あかあかと燃えるオレンジ色の炎だ。金色の瞳は溶けた黄金のよう、大きな口からも炎があふれ出る。それでも熱を感じないのは、旧鉱山の神が守ってくれているのだろうか。
この神が司る山は、火山なのかもしれない。魔獣よりも恐ろしげな姿だ。
すごい、ファンタジックでファンタスティック!
エカテリーナが怖がると思ったらしく心配そうにちらりと見た神官が、むしろわくわくしているのに気付いて微妙な表情になっていた。
三柱の神々に、アレクセイの公爵位継承を報告し、本人の不在を詫びる。
「なんと、あの子はとうにユールノヴァの当主かと思うておったわ。小さい時分に先代に連れられてやって来てから、たびたび会いにきてよく務めを果たしておったに」
あ、旧鉱山の神様、親父を認識していない。お兄様を連れてきた先代って、絶対、お祖父様だ。
オッケーあえて訂正しません。
山岳神へ奉げる奉納物の一覧を、エカテリーナが読み上げる。慣例通りの酒、食べ物、装飾品など。全て極上のもの。嘉納してもらい、参拝はつつがなく進む。
続けて、エカテリーナはユールノヴァ家の領政について、神々にお伺いを立てた。
内容は、植林について。
山と森に直接関わるところだから、神々に言上しておくに越したことはない。
「植林とな。ほほう」
旧鉱山の神は、おっとりと笑う。
「樹々に比べれば人間たちは生命短き身であろうに、刈った森を元に戻そうとは、気長なことを言うようになったのう」
と、炎をまとう狼神が口を開いた。
「森を保てば、魔獣が棲むぞ。人間は魔獣を根絶やしにしたいのではないのか」
重低音の、迫力のある声だ。溶けた黄金のような金色の瞳が、ひたとエカテリーナを見据えている。
エカテリーナは一礼した。
「率直に申し上げれば、魔獣は恐ろしゅうございます。人間など一人一人は弱きもの、魔獣に行き会えばひとたまりもなく生命を失いましょう。存在しなくなることを、望む者は多いと存じます」
単眼熊、大王蜂。どちらも魔力を持たない一般人なら、あらがいようもない存在だった。畑に入り込んだ単眼熊をどうすることもできず、作物を食らい尽くすのを見ていることしかできなかった老人は、魔獣が絶滅すればただほっとするだろう。
前世の日本でさえ、野生の熊が出没する地域の人々は、内心では熊に絶滅してほしいと思うことも多いという。下手をすれば殺されるのだ、そう思うのは当然。
森を保ち生態系を残そうとする試みは、魔獣におびやかされながら暮らす人々から見れば、魔獣たちから遠い安全な場所に住む者の身勝手なのだろう。
「ですが、偉大なる北の王たる玄竜様は、人間がこれ以上森を削ることを不快に思うご様子。あの方のお怒りを受ければ、根絶やしになるのは人間の方でございましょう。それゆえ、植林という試みで森を保ち、人間と魔獣が共に生きる道を探ることにいたしました」
植林しないと玄竜がまた居座っちゃうから仕方ないんだ!って、わかりやすくていい言い訳だよね。隠し攻略キャラの魔竜王様、ありがとうございます。
「それに、森の恵みは人間にとっても尊きもの。森を開拓し農地に変え、魔獣を絶やせば、人間の暮らしからひとつの憂いを除くことにはなりましょう。けれど、それで失われるものは、永遠に消えてしまって取り返しがつかないことでありましょう」
前世で、白神山地で見つかった酵母でおいしいパンができたり、熱帯雨林の植物研究から薬が開発されたり、いろいろあったのを知っているから。森を潰してしまうことは、そういう可能性を潰してしまうことだとわかっている。
「魔獣も同じ生命ゆえ生かすべき、などと綺麗事は申しませんわ。人間は、人間の未来のために、何かを永遠に失うようなことはつつしむべきと考えているだけでございます。……ただ」
単眼熊の、最後の声を思い出す。
「人間は……何かの生命を断つ時に、心に痛みを覚えますの。それが、自分を殺める存在であっても。おかしなことですわね。
わたくし、魔獣であれ何であれ、なるべく生きて、存在していてほしいと思いますのよ」
なんだか甘っちょろい考えなんだろうけれどね。
あ、いかん。神様相手に、思いっきり自分の言葉で語ってしまった。
「……」
狼神は、なんとも言い難い表情でエカテリーナを見ている。
ややあって、言った。
「お前は、変わった魂をしている」
ぎゃあ!
死の乙女セレーネさんにも言われたけど、別の世界から転生した魂って、他の神様にも変わった感じに見えるのか。
フォルリさんアーロンさんこっち見ないでー。笑顔で見ないでー。
「なんじゃ、考えを変えたか。おぬしも人間を嫁に望むことにしたかの?」
花冠の姫神が可愛らしい声でとんでもないことを言い出し、エカテリーナは内心でもう一度ぎゃあと叫んだ。
「おぬしと一緒にするな」
狼神はフンと鼻を鳴らす。
姫神はエカテリーナに目を向け、のたまった。
「ところでそなた、昨日、わしの嫁と一緒におらなんだか」




