顕微鏡と戸棚
「まあ、これが!」
エカテリーナは目を見張る。
「気付きませんでしたわ、虹石はもっと光が強いものと思っておりましたの」
「うん、これだけ小さいとわかりにくいよね。でも、視界が明るいから透き通っているだけに見えるけど、光っているんだよ。魔力の渦光を確認できたから、間違いない。
これは大きな虹石を採取した周辺の屑石なんだけど、そこからこういう微細な虹石を効率よく抽出する方法がないかと思って、いろいろ考えているんだ」
おおー!
虹石は、しげしげ見たのは皇都公爵邸での行幸の時にブローチにしたものだけだけど、透明な石の中に青い光が閉じ込められて渦巻いていた。渦光というのは、あの渦巻く光のことなんだろうな。
ああいう、大きくて光の強いものも採取できるのに、微細な虹石を抽出したいのか。
「それは、虹石魔法陣に用いるためですのね。高品質な虹石を採掘するだけでなく、微細な虹石を抽出することで、人工的に高品質の虹石を造り出すという試みをなさっておられますの?」
「エカテリーナも虹石魔法陣を知っているのかい。だいたいそんな感じだよ。
天然の大型虹石では、含まれる魔力の品質が低い場合や属性が複数混在している場合があって、魔法陣の起動結果が安定しない可能性が高いんだ。それで砕いて品質や属性で選別することにしたんだけど、どうせなら今まで捨てていた屑石からも微細な虹石を抽出できればと思ってね。小さくても品質の高いものや、稀少な属性のものもあるから、惜しいと思ったんだ」
品質均一化や属性単一化が狙いなのか。なるほど。
試行の前にすでに改良が始まっている……えらいなあ。前世でSEやってた身として、設計段階で問題点に気付いて改善することがいかに大切か、よく解ります。
この人の頭の中には、すでに虹石魔法陣が存在しているんだ。頭の中のシミュレーションで問題点を見つけられるほど、リアルに。本当に頭のいい人だ。
歴史を動かすであろうものが、目の前のこの人の頭脳から生まれたんだ。今も目の前で、人類史の転換点が練り上げられていっている。
うわあ、そう思うとぞくぞくする。鳥肌立つほど感動だわ。
「鉄や金銀のような金属は、高熱で鉱石を溶かして製錬いたしますわね。虹石にはその方法は使えませんのね」
「虹石は金属のように、熱で融解するわけではないから。宝石の一種と思った方がいいけど、自然魔力が凝縮したものだから、普通の石とは違う性質があってね……今まであまり研究されていないから、まだよく解っていないんだよ」
「まあ……興味深うございますわ」
前人未踏の、知の新大陸って感じかな。知的冒険そのもの。浪漫だわー!
目をキラキラさせているエカテリーナに、アイザックは微笑む。
「そんな風に聞いてもらえて嬉しいなあ。普通のご令嬢は、こんなことに興味は持たないと思うのに」
「わたくしとしては、興味を持たないほうが不思議ですわ。これほど胸がときめくことが、他にありましょうか。
大叔父様のご研究に触れることができて、光栄に存じますわ。人の暮らしをすっかり変えるかもしれない可能性を秘めているのですもの、わくわくしてたまりませんの」
「嬉しいよ。ありがとう」
アイザックは手を伸ばし、エカテリーナの頭をよしよしと撫でた。
「エカテリーナは賢い子だね、さすがアレクセイの妹だ。アレクセイも小さい頃からとても賢くて、いつも感心していたけど、君はあの子とまた違う賢さがあるみたいだ」
天才に賢いって言われたー。照れるわー。
いや照れてる場合じゃない、詐欺ですいませんだろ。私は賢いわけじゃなく、前世で数百年後の文明を知っていただけなんだから。賢いなんて自惚れたら人として終わるぞ、肝に銘じねば!
「あらためてだけど、この顕微鏡をくれてありがとう、エカテリーナ。とても嬉しいよ、こんなに嬉しいものをもらったのは、小さい頃に兄様から戸棚をもらって以来かもしれないくらいだ」
「戸棚……とおっしゃいまして?」
エカテリーナは首を傾げる。
大叔父様、セルゲイお祖父様のことを『兄様』って呼んでいるのか。昔からずっとなんだろうな。白髪の紳士がちょっと子供っぽい呼び方をするの、かわいい。小さい頃なら、お祖父様も子供だよね。子供が子供に戸棚をあげるって、それが嬉しいって、どんな状況だろう。
「僕は昔から鉱物に惹きつけられるたちでね、小さい頃には毎日のように石を拾って部屋に持ち込んでいたんだ。でも、いつも怒られて、捨てられてしまった。
今考えると仕方ないんだけど、あの頃は悲しくてねえ。庭でわんわん泣いていたら、兄様が来て、捨てられずにすむ方法を教えてくれた。きれいに並べて、名札をつけるといいよって。そうすれば、珍しいからとっておきたいんだってことが、他の人にも解るから、って。
それで、石をしまっておくための戸棚と、鉱物図鑑をくれた」
なるほど!
人は見た目が九割っていうけど、物だって大事そうに展示されていれば、価値あるもののように見えるのは同じ。お祖父様、子供の頃から頭良かったんだなー。
でも、弟にぽんと『戸棚』あげられるなんて、お値段高いし大きさデカいし、なにげにセレブならではだわ。
「僕が七歳だった頃だよ。だけど、僕はその頃になってもまだ、字が読めなくてねえ。家庭教師が教えてくれていたのに、わからなかったんだ。文字から意味を読み取るより、外へ出て空や木々や、何より石の声を聞くほうがよく解るのに、と思っていたものだから。それで、駄目な子だって言われてしまっていたよ。
でも図鑑なら絵がたくさん載っているから、絵と石を比べて同じものを探せばいい。石と同じ絵を見付けたら、名前を書き写すんだよ。字の勉強にもなるから。兄様はそう言ってくれた。
鉱物図鑑はすごく面白くて、今まで拾ってきた石に誰かが付けた名前があったことに驚いた。それで夢中になって、一晩中見ていたら、翌朝には全部読めるようになったんだ」
はい?
「書くほうも、鉱物の専門用語ならだいたい書けるようになったよ。大人向けの図鑑だったから、とても勉強になった」
にこにことおっしゃる大叔父様、いろいろ認識に間違いがあります。ツッコミがもはや無理と白旗上げるほどです。
……本当に一晩で読み書きできるようになっちゃったんだろうな!天才こわっ!
ふとアーロンさんと目が合ったら、深くうなずかれてしまった。そうですね、あなたの大好きなアイザック博士は、本当にすごい人です。そのうち伝記を執筆してください。
……すでに書いてるかもしれない。
「でも、やっぱり戸棚が嬉しかった。兄様が言った通り、名札をつけて戸棚に並べたら、それまで怒るばっかりだったメイドが、感心してくれたんだ。石に名前があるなんて知りませんでした、って。あれで、すっかり世界が変わった気がする。
もらった戸棚が名札をつけた石でいっぱいになった時、兄様に見せたら驚いて、すごく褒めてくれた。そして、新しい戸棚をくれた。それからずうっと、僕の研究を応援してくれてね。いっぱいになった戸棚を保管する場所の手配や、よその領地や普通では行けない場所に行って蒐集する許可をとってくれたり、いろいろなことをしてくれたんだ。最後までずっと、そうしてくれた」
しみじみと、アイザックは語る。戸棚は彼にとって、兄セルゲイとの絆の象徴なのかもしれない。
「兄様が……逝ってしまってからは、アレクセイが同じことをしてくれる。まだあんなに若いのに、あの子は賢くて立派で、いつも感心するよ。
それに君も、兄様と同じことをしてくれた。兄様はいつも僕の話を、今の君みたいにわくわくした顔をして聞いてくれたんだ」
アイザックはにっこり笑った。
「兄様に鉱物図鑑をもらってから、僕もいつか同じようなものを作るのが夢になったんだ。あの図鑑に載っていなかった鉱物を網羅してね。そして作ったんだよ。
でも、もう一度作り直したくなった。図鑑にこの顕微鏡で見た姿を添えて、もっと良いものに改訂したい。虹石の研究が一段落したら着手しよう、僕の新しい夢だ。兄様のように夢をくれた君が、兄様の孫で嬉しいよ。ありがとう、エカテリーナ」
かわいい。すごい人なのに、なんでこんなにかわいいんだ。
アーロンさんのラブがちょっと理解できてしまった。それにお祖父様も、アイザック大叔父様のこと、すごく可愛かっただろうな。
私はブラコンですが、大叔父様のことも大好きになりましたよ。
エカテリーナは微笑む。
「わたくしも大叔父様のお身内であることが、嬉しゅうございますわ」




