森の民
単眼熊の肉が、いい手土産になった。
森の民は、エカテリーナ一行の宿泊のためにいくつかの天幕を提供してくれるそうで、ゆっくりくつろいでくれと言う。本来は森の民の数家族がそこに住んでいるのだろうに、他の天幕へ身を寄せて明け渡してくれたわけで、それだけの迷惑をかけた礼というには肉などささやかだと思ったが、アウローラは大いに喜んでくれた。森の民は熊肉を好むのだそうだ。
「食べると身体が温まって、病気に強くなるのです。スープに入れますので、お嬢様も召し上がってください」
「ありがとう存じますわ。ご親切なお招きに感謝いたします」
エカテリーナは微笑み、騎士たちも一礼して謝意を示した。
食事の用意を手伝うと言ってみたが、アウローラは笑うだけだ。公爵令嬢に料理ができるとは思わないのが、普通なのだろう。森の民はめったに客を受け入れることはないが、いったん受け入れたからには骨身を惜しまずもてなすのが彼らの流儀なのだそうで、エカテリーナはそれ以上言わず、滞在を楽しませてもらうことにした。
馬車の旅でこわばった身体をほぐすのも兼ねて、居住地を散策させてもらう。メイドのミナの他、フォルリとオレグが付いてきてくれた。そしてレジナたち猟犬も。
普段は排他的らしい森の民たちは、エカテリーナに話しかけてくることはない。けれどフォルリが一緒にいてくれるせいか、微笑みかけてきたり会釈する者はいて、エカテリーナは彼らに笑顔や会釈を返した。皆、長身で引き締まった細身の身体つきの者が多い。男性でも髪を長く伸ばしていて、それが似合う、やや中性的な顔立ちをしている。森の中で暮らすライフスタイルといい、前世のファンタジーで定番の存在だったエルフを思わせた。
この時間、森の民の女性たちは食事の準備に忙しい。と思ったら、男性が食事を作る家庭もあるようだ。女王が率いる大王蜂と共生関係にあるためなのか、彼らは性別をさほど気にせず、個人の向き不向きで役割を決めるそうだ。
うーん、意外なほど進歩的。男女雇用機会均等法とか要らなそう。そもそもこのコミュニティにそんなん、必要ないけども。
「皆様、色鮮やかなお召し物ですのね」
身につけている衣服のデザインは、古風な感じだ。前世で、ケルト民族を描いた漫画のキャラがこういう服を着ていたような。そこに細かく見事な刺繍がほどこされていて、その色が鮮やか。
ユールノヴァ領に来てから、刺繍の美しさに感心することがたびたびあるけれど、この色彩は独特で素敵。
可愛い花の刺繍を見かけて、ふとフローラを思い出した。
ああいうの、フローラちゃんに似合いそう。元気にしてるかな。皇子も。
……お兄様、私がいなくて寂しいと思ってるかな。今朝見送ってもらってからまだ一日も経ってないのに、寂しいとか普通はないけど、お兄様シスコンだから。
私は寂しいですよ!だって私はブラコンなんだからー!
「女性らしい仰せで。森の民は、草木染めに優れた知識を持っておりまする。あの天幕は雨風にさらされても、色褪せることがございませぬ。学んで商品として皇都に広めたいと以前より思っておりまするが、衣服のことなど不調法にて」
「そういうことでしたら、ぜひお手伝いしとうございますわ」
はっ!と我に返り、天上の青を広める手伝いをした経験を思い起こして、エカテリーナは言う。
居住地の片隅に、小さな畑があり作物が植えられていた。定住しないといっても移動は季節ごとなので、育つのが早い夏野菜なら収穫できるのだろう。トマトなど外来の作物もあるのは、フォルリが持ち込んだものだろうか。
で。
……やっぱり。いるというか、あるというか。
うごうごしております……。
「ここの甜菜は、先ほどの農村で植えられていたものより野性味が強いものでございまする」
「……動きが激しゅうございますわね」
端っこの株なんて、前後左右にぐりんぐりん揺れてますよ。抜けそう。
と思ったら。
あ。
よっこら。
しょっと。
……という感じで、ずぽっ、ずぽっ、と二股の根が地面から抜けた……。
なんぞコレ……。
「おお、ちょうど成れずじまいが出たようで」
地面から抜け出た甜菜は、二股の根で立ち上がった(……)ものの、ふらふらしている。
あ、こけた。
「あのように、幼体のまま地面から抜けて動くようになったものは、成体になれずあのままの姿でありますので、成れずじまいと呼んでおりまする。そこらを歩き回りはしても、成体になることはござりませぬゆえ、ご安心ください」
……何を安心すればいいのか、よくわかりません。
と、どこかからもうひとつ、歩く甜菜が現れた。こちらはトテトテと二股の根をうまく動かして、決して速くはないが慣れた足取り。……足取りでいいんだろうか。根だけど。
それが、こけた甜菜に葉っぱを差し伸べた。こけた甜菜もその葉に自分の葉っぱをからめて、起こしてもらっている……。
……美しい同胞愛……?
後から来た甜菜、やってることがイケメンだな……。イケメン甜菜……。顔はないけどな……。
が、その時突然、森の中から黒い影が飛び出してきた。アナグマだろうか、小型犬くらいの獣が、イケメン(?)な甜菜に噛みついてくわえあげる。
ぴー!と鳴き声が聞こえた。甜菜をくわえたまま、アナグマは一目散に森へと駆け戻る――。
その時、ビョオッ!と何かが空を切る音がした。
「お嬢様!」
ミナがエカテリーナを引き寄せて後ろに庇い、騎士オレグが剣を抜きはなちつつ前へ出る。猟犬たちも威嚇の咆哮をあげているが、エカテリーナには、何が起きたか全くわからない。
ただ、アナグマがふっとかき消えたように見え、くわえられていた甜菜が地面に落ちて、コロコロと転がっていた。
「ミナ、オレグ、心配は無用だ。猟犬も鎮まれ。あれは、こちらが手を出さぬ限り、人間を襲わぬ。――エカテリーナ様、成体が現れましてございまする」
「あれが……」
フォルリが指し示す先を見て、エカテリーナは目を見張る。夕刻――そういえばこの時刻は、前世では逢魔が刻と言ったのだった――の朱い光の中、居住地の外の森にいるそれの姿は半ばしか見て取れないが、畑にいる甜菜とは似ても似つかぬ姿だった。
まず大きい。体長二メートルはあろうか。カブの根だったはずの部分は、樹皮のようにゴツゴツした皮に覆われ大人の一抱えもある太さで、胴体としか見えなくなっている。二股に分かれた足にあたる部分はすっかり安定していて象の足のよう、首というか葉っぱが生えていた部分は、葉が剣のようなトゲに変化したようだ。
そして剣のようなトゲに混じって、鞭のような蔓状の茎(?)が数本、長く伸びてゆらゆらと揺れている。その一本が、先ほどのアナグマに巻き付いてぶらさげていた。
「成体は幼体を守り、襲ってきたものを糧にいたしまする。体内に消化液の溜まった袋を持っており、消化できるのでござります」
ああ……前世のウツボカズラみたいな……。
「成体は大王蜂とは友好関係にありまして、森の民を襲ってくることはありませぬ。また居住地の近くにいる個体は、畑に植えたものが先祖返りで成体になったものでござりますゆえ、かつて面倒を見てもらったことを覚えているのやもしれませぬ。
ゆくゆくは、成体は巨大な花を咲かせまする。大王蜂は普段は自分で蜜を集めることはなく、配下の蜜蜂を使って集めるのみにございまするが、成体の巨大花ばかりは大王蜂が自ら蜜を採取いたしまする。女王蜂を育てるための、特別な王養蜜を造るためにござります。そして成体は大王蜂のおかげで受粉し、実をつけまする。よって成体は、大王蜂の縄張り近くに居るのでござります」
王養蜜って、ローヤルゼリーですね。……甜菜の甘味って、開花した時に大王蜂を呼び寄せるためにあるのか。大王蜂の大きさでないと、甜菜は受粉できないんだろうな。
成体は、のっさのっさと大きな身体を揺すって、森の奥へと消えてゆく。
アナグマにさらわれかけた甜菜は、無事(?)だったようでふらふらと身を起こし、もう一体の甜菜に支えられていた。
うん、成体にならないから安心という意味、よく解りました。
と、逢魔が刻の森の中に、何かが光った気がして、エカテリーナは目をこらした。
「馬が……」
「馬?」
剣を鞘に戻したオレグが、けげんな顔で振り返った。騎士たちの愛馬と馬車を曳く馬たち、あわせて八頭すべて、居住地の中央に繋がれて、騎士たちと森の民が刈ってきた草をのんびりと食んでいる。
「大きな、黒い馬がいたように思ったのですけれど。たてがみが銀色に光って……ミナは気付かなくて?」
「あたしは見ませんでした」
無表情ながら、ミナは困惑しているようだ。
フォルリが厳しい表情になった。
「お嬢様、もしや『死の乙女』をご覧になられましたか」




