大王蜂
虫が出ます。詳しい描写はありませんが、苦手な方、ご注意ください。
回復薬器官の採取も終わって、エカテリーナ一行は街道に戻った。
その前に、老人と村長からどうしてもと言われて肉の塊をもらったり、老人の孫たちからお礼を言われたり――兄と妹の二人きょうだいで、兄がけなげに妹の面倒を見る様子にアレクセイを思い出して、エカテリーナはぐっときた――レジナたち猟犬が村の子供たちに大人気になって取り巻かれ、背中に乗せてー乗せてーの大合唱をくらったり、いろいろ時間がかかったのだが。
「おひめさまー、またきてください!」
そんな可愛い合唱と、ひたすら頭を下げる老人と村長とに送り出されて、一行は旅路についたのだった。
なお、甜菜の畑を見ると、まるで手を振るかのように葉っぱがせっせと揺れていた。単眼熊から救ってもらったお礼の気持ちを示しているのかもしれない。
……最後は君たちを収穫して、煮詰めて砂糖にする予定です。すまん、なんかほんとすまん。
あああ、甜菜は分類すれば根菜だと思うのに、牛さん豚さんを育てて出荷する、畜産農家の気持ちを垣間見ているのはなんでやー!
「お嬢様、お疲れではございませぬか」
フォルリに声をかけられて、エカテリーナは我に返った。
「いいえ、あれしきで疲れたりはいたしませんわ。ですけれど、思いのほか時間をとってしまいましたわね。やはり今宵の宿は、急遽どこかを探さなければなりませんかしら」
「そのことでござります」
うなずいて、フォルリは思いがけないことを言った。
「お嬢様、森の民の天幕にて、一夜の客になられませぬか」
「まあ……」
素敵。だけど、いきなりお邪魔して大丈夫なんでしょうか。
そもそも森の民は、定住せず森の中を移り住んでいる少数民族のはず。今、どのへんにいらっしゃるんでしょう。
それを確認しようとフォルリへ顔を向けて、エカテリーナはピキッと固まった。
某伝説的高視聴率番組の鉄板ネタじゃないけど!
フォルリさん、後ろ、後ろー!
フォルリの後ろ、馬車の窓の外に、巨大な蜂が張り付いている。
その大きさたるや、オオスズメバチも比較にならない。前世のオオスズメバチは大人の親指くらいあったが、親指どころか、大人の手のひらサイズだ。鳥の雀より大きい。
ふ、とフォルリは笑った。
「お嬢様、ご心配は要りませぬ。外におりますのは、大王蜂の伝令。森の民の盟友でございまする」
大王蜂は、魔獣の一種。魔虫というべきだろうか。森の民の盟友のような存在で、両者は共生関係にあるのだそうだ。
共生というと、前世ではカクレクマノミとイソギンチャクとか、アリとアブラムシとかの関係ですね。
強力な魔獣が多いユールノヴァの森でも、大王蜂は強者の一角を占める。熊も一刺しで倒せる強烈な毒針を持ち、高い知能を持つ女王蜂が巣を統率していて、巣や仲間が脅かされれば、一族すべてが一糸乱れず外敵と闘うからだ。
いつの頃からか、森の民は怪我をした成虫の手当てをしたり食料を提供して、大王蜂に庇護されるようになった。大王蜂の巣や卵のケアを手伝う代わりに、蜂蜜を分けてもらったり。森の民が多くの魔獣が棲む危険な森で暮らしてこられたのは、大王蜂と共に生きているからなのだ。
なるほど。
ヒグマサイズの単眼熊が初級編っていう、強力な魔獣が多く棲むユールノヴァの山中で森の民が暮らしていけるのは、思えば不思議。それには、そういう理由があったんだ。
「大王蜂は縄張りの中に複数の巣を作り、女王蜂が移動してそれぞれの巣に卵を産みつけ、子を育てるのでございまする。全滅を防ぐ知恵なのでございましょう。森の民もまた、それぞれの巣の近くに居住地を設け、大王蜂の求めに応じて移動いたしまする」
「ああ、森の民は定住なさらないと聞き及んでおりましたわ。それが理由でしたのね」
「左様にて。その居住地のひとつが、ここから近うござります。大王蜂の伝令がここに来たということは、森の民がそこにおり、我々を招いているということになりますので」
そうか、前世の遊牧民と同じなんだ。彼らも定住せず、家畜に食べさせる草を求めて移動するけれど、季節ごとの拠点はだいたい決まっていると何かで読んだことがある。
「よく解りましたわ」
エカテリーナはうなずいた。
「森の民のご厚意に感謝いたします。喜んでお訪ねいたしますわ。奥方のアウローラ様とは、ゆっくりお話してみとうございましたの。先日の祝宴では、あまりお話できませんでしたもの。お招きくださって嬉しゅうございます」
森の民の居住地訪問なんて、この機会を逃したら二度とできそうにないもん!超ラッキー!
ふしぎを発見する番組の、ミステリーをハントする人みたい。テレビ番組はノンフィクション系が好きだった前世、あれも好きだったんですよ。
エカテリーナの言葉に、フォルリは破顔した。
「お嬢様をお招きできるとは、光栄にございまする。妻女も喜ぶことでありましょう」
そして馬車の外の伝令蜂に手を振ると、蜂はすぐさま飛び去っていった。
街道は農村地帯を後にして、森林へと入ってゆく。
夏の空はまだまだ明るいが、陽は傾きつつあって、街道の木の下闇は濃さを増している。もうすぐ、進めなくなってしまうだろう。
……森の民の申し出がなかったら、森の中で野宿するところだったのかも。
この時代この世界この場所では、予定を変更するリスクって大きいんだなあ。反省しよう。おじいさんの畑を守ったことは、後悔しないけど。
「お嬢様、ご心配なく。森の民の居住地は、そう遠くはございませぬ」
「まあ、それはようございましたわ。思いのほか、人里近くにおいでですのね」
「かつては先ほどの農村地帯も、森でござりましたゆえ。大王蜂の縄張りは、古来より変わりませぬ。この辺りが開墾されず森として残ったのは、五代目公爵ヴァシーリー公の遺訓が守られてきたためでござります。森の民と交流のあったヴァシーリー公が、大王蜂との争いを避けてくださったのでしょう。
そしてセルゲイ公が私を森林農業長の職に就けてくださったのは、こうした守るべき森を守るためでござりました」
「そうでしたの……」
近年、燃料や建材にするために、森の伐採が急激に進んでいると言っていた。人里に近い森を守るの、大変だったのじゃないかな。前世でも、環境保全より経済の論理が強かったもの。
でも、前世の知識があるから解る。この森が未来まで残れば、多様性や保水力や、防風や地滑りなどの災害防止、たくさんの素晴らしいものが保たれる。
「森の民の、植林への期待は高まっております。大王蜂の森が伐採されることを、彼らは恐れておりましたゆえ。植林が施策として進みつつあるのを目にして、安堵しておるのです。まことに良い提案をいただき、お嬢様に感謝しておりまする」
あ、いや、前世の知識ってだけなので。すいません、詐欺ですいません。
「フォルリ様が、素晴らしい形で具体化してくださったからこそですわ。黒竜杉の他に、実が食用になる、家具材になる木を取り混ぜるというお考えは、いつか領民を救うと思いますの。飢饉など起こらぬことを願っておりますけれど、天候がいつも良好ではないはずなのですもの」
「まことに、さようで。お嬢様はそのお若さで、物事を実によくお解りであられます」
……詐欺ですいません〜。
ある地点まで来た時、フォルリが御者に声をかけて馬車を停めさせた。エカテリーナには何が目印なのかまるでわからなかったが、森の民の居住地へ通じる小道があるという。
一人で馬車を降りると、フォルリは街道をそれた空き地に馬車を誘導した。少し離れただけで、木立ちに隠れて街道が見えなくなる。街道からも馬車の存在は、隠されてわからないだろう。
馬車から二頭の馬を外させたところで、大きな虫の羽音が聞こえてきた。先ほどの大王蜂の伝令が、木立ちを縫って現れる。
いや、蜂の個体識別とかできないんで、別の蜂かもしれませんけれども。
「馬車は大王蜂が守ってくれる。皆で森の民の元へ参ろう」
大王蜂が馬車の屋根に止まるのを見届けて、フォルリは馬車から外した馬に跨った。わかりにくい小道を皆を先導して進んでゆく。エカテリーナは再びオレグの馬に同乗させてもらい、御者とミナは馬車をひいていたもう一頭の馬に乗っていた。
森の中は、もうかなり薄暗い。前世でも今生でも、宵闇の森に足を踏み入れたことはなかった。背筋がひやりとするのは、人類の根源から来る恐怖なのだろう。
と、ポウ……と白い光の玉が現れた。
馬の足元あたりに、ポウ、ポウ、と白い光が増えていく。
「白珠虫にございまする。麦の粒ほどの小さな虫にございまするが、このようによく光りますので、森の民は夏の夜に、これを灯りにいたしまする」
「美しゅうございますわね……」
なんて幻想的。夏の夜の夢のようだ。
白珠虫に導かれ、森の中の小道を進んだ一行は、ついにひらけた場所に出る。そのあちこちに、色鮮やかな大きな天幕が張られていた。
それら天幕の前にたたずんでいた女性が、一礼する。
「お嬢様、ようこそ」
森の民の長にしてフォルリの妻、アウローラが微笑んだ。
前回、素で更新タイミングを間違えてしまいました……。すみません。
今回はいつも通り、5日おきの更新です。今後も当分、5日おきに更新させていただきたいと思っております。
なお、おかげさまで現在、2巻刊行に向けて作業中です。来月には発売予定日をお知らせできる予定ですので、また活動報告でご連絡いたしますね。
今後とも楽しんでいただければ幸いです。
2020.3.14 白玉虫を白珠虫に変更しました。




