騒ぐものたち
昼食をとって小さな町を出た後は、窓から馬車の外を見ながら、周辺で栽培している作物についてフォルリから教えてもらう流れになった。
この辺りはまだ北都に近く、はるか昔に開墾されて、今はゆるやかな丘陵が続く農村地帯になっている。ジャガイモらしき緑の畝が延々と続く向こうに、トウモロコシだろうか、背の高い茂みも見えた。
前世ではジャガイモもトウモロコシも、大航海時代に南米からヨーロッパにもたらされたもの。皇国にも『神々の山嶺』の向こうとの交易が確立した、二百年ほど前に到来したそうだ。
そして……。
まだ遠くの畑ですが、なんか、遠目にもうごうごしています。植わってる葉っぱが。
「お嬢様、あれが甜菜にございまする。……しかしなにやら、騒いでおりますな」
騒ぐんですか。野菜が。
なんか、前世の甜菜に申し訳ない。でも他に当てはまるものが無い。
どういう仕組みで動くんだろう。葉っぱに筋肉とか腱とか、ないだろうに。魔獣ってフシギー。
でも植物タイプの魔獣は、ちゃんとした成体になると、ずぼっと地面から抜け出て、のっさのっさ歩くようになるそうだ。甜菜は歩けるようにまではならなくて、植わったままうごうごするだけらしいから、まだ不思議度は低い……ってことにしよう。
あああ、いろいろ言葉に違和感!
「あの……フォルリ様。不可思議な作物に思えますけれど、栽培は容易に広まりましたの?」
前世のジャガイモやトマトでさえ、ヨーロッパに持ち込まれた当初は、ナニコレ?って感じで警戒されて、なかなか広まらなかったらしいのに。
いや、他国が原産であるジャガイモやトマトは皇国にすでに根付いていて、甜菜はユールノヴァが原産だから、違う話だけれども……なんか、ややこしいわ!
エカテリーナの言葉に、フォルリは苦笑した。
「公爵家の直轄地では、いささか強引に導入して三十年ほどにもなり、小作農たちも馴染んでくれておりまするが、それだけ経っても小領主など地主たちにはなかなか広まりませぬ。
砂糖に加工すれば高価な商品となりますゆえ、栽培してくれればよい値で買い取れるのでございまするが、栽培に手を上げるのは、何か事情を抱えていて稼ぐ必要のある者くらいなのが現状にて」
あー、やっぱり。
でもそれだから、ユールノヴァが甜菜砂糖の生産を、ほぼ独占できているのかも。
「それも無理からぬところもございまして、なにぶん甜菜は、雑食の魔獣の多くが好んで食べるのでございまする。それゆえ、魔獣の生息域に近い辺りでは、栽培ができかねまして」
ああ、そうなんだ。前世でも獣害は大きな問題だったけど、こちらの世界では比べ物にならないほど深刻なんだろうな。
とエカテリーナが思ったその時、馬車が停まった。
「お嬢様、フォルリ卿。突然申し訳ございません」
馬車の外から声をかけてきたのは、護衛の騎士たちを率いるオレグ・ガルディア。実は、ユールノヴァ城の家政婦ライーサの双子の息子たちの片割れで、兄のほうだ。彼ら双子は母親ゆずりの黒に近いほど濃い紫色の髪と端整な顔立ちに、ユールノヴァ騎士団副団長である父親ゆずりのたくましい体つきと、両親のいいとこ取りをしたような外見の持ち主であった。
「どうしたのだ、オレグ」
「はっ、ご報告いたします。この近隣の者が、騎士団の助けを求めてまいりました。甜菜の畑に、単眼熊が居座って荒らしているとのこと」
「なんと、このような人里近くに、昼間からか」
……噂をすれば、という奴ですね。
甜菜が騒いでいるのって、仲間が熊に襲われてるせいだったのか。
しかし、ユールノヴァ領では騎士団は領民から慕われているとはいえ、公爵家の紋章付き馬車の警護中である騎士たちに声をかけてくるとは、かなりずうずうしいのかよほど追いつめられているのか。
と思ってエカテリーナが馬車の外を見ると、平伏している村人の姿が目に入って、即座に答えが出た。これは、とことん追いつめられている。見るからに疲れた様子の、貧しげな老いた男。
「お嬢様、しばしお待ちを」
フォルリがさっと馬車から降りて、その男としばし話をした。
そして、少し厳しい顔つきで戻ってきた。
「お嬢様、あの男は別の土地から流れてきたそうで、孫との暮らしを立てるために、村のはずれに借りた畑で甜菜を栽培する決意をしたと申しておりまする。しかし、村から離れた畑であるのをいいことに、単眼熊が居座ってすべての甜菜を食い尽くそうとしているとのこと。
あの男は元々もっと奥地の村に暮らしていたそうにございまする。言葉の訛りから見ても、嘘はございますまい。しかし六年前、村が地滑りに呑まれ、息子夫婦は命を落とし、住むことができなくなりまして、あてもなく放浪してきたと。借財まみれで甜菜に望みをかけたが、駄目になれば孫ともども生きてはいけないと、そう申しておりまする」
エカテリーナは息を呑んだ。
脳裏に浮かんだのは、財務長キンバレイから見せられた横領の一覧。地滑りなどの災害にあった村人に渡されるはずだった災害救済金や復興資金が、多数横領されていた。
この老人は、その被害者なのか。
「単眼熊を掃討していては、予定の距離を進むことができぬやもしれませぬが……」
「かまいませんわ。あの者の力になりとうございます」
エカテリーナがきっぱりと言うと、フォルリは口元をほころばせた。
単眼熊はさほど強力な魔獣ではないが、騎士たちも掃討用の装備で来てはいない。作戦会議が必要だ。
ということで、熊の姿が見えるところまで、全員で移動した。馬車は御者にまかせて街道に残し、エカテリーナは騎士オレグの馬に乗せてもらっての移動だ。
なお、レジナを始めとするユールノヴァの猟犬たちは、警戒されないよう馬車と一緒に残してきた。
単眼熊は、身体つきは普通の熊と変わらないが、頭が妙に細長い。そこに、巨大なひとつ目がギョロリとついている魔獣だった。
刃向かう者などいないとタカをくくっているのだろう、畑にでんと尻を据え、もっしゃもっしゃと甜菜をむさぼっている。甜菜は、じたばたしたり、葉っぱで単眼熊をぺしぺし叩いたりと、ささやかな抵抗をしている。妙にかわいい。
ちなみに引き抜かれる時、「ぴー」と鳴くそうだ。……妙にかわいい。
「鼻づらに傷があるな。同族との縄張り争いに敗れて、このような人里まで逃れてきたと見える。それゆえ、飢えておるのだろう」
フォルリが言う。さすがワイルドライフな現場主義、六十五歳にしてすごい観察眼だ。
「見晴らしがいいので、近付くとすぐに気付かれてしまいますね」
騎士の一人が腕を組んで言い、オレグもうなずいた。
「ふむ。周りの畑も荒らしてしまうが、馬で一気に突進するか」
「そうですね、猟犬に足止めさせておいて、多方向から同時に行けば」
この、簡単なミーティングでイメージが共有できる感じ、プロフェッショナルですね。かっこいい。
「あの、皆様」
遠慮がちに、エカテリーナは声をかける。
「わたくし、土の魔力を持っておりますわ。あの魔獣の周囲を一気に掘り下げて、落とし穴に落としたような状態にすれば、畑を荒らさずとも近付くことができませんかしら」
「なるほど……」
考えかけたオレグが、あわてて首を横に振った。
「しかし、ご令嬢にそのような。危険でございます」
「いいえ。お兄様に教えていただきましたの、貴族の魔力は、民衆を魔獣などから守るためにあると。それに、皆様にあの魔獣を掃討していただくと決定したのは、このわたくし。出来ることがあるなら、わたくし自身も力を尽くしとうございます」
騎士の皆さんが魔獣掃討のプロであることは解っていますけど、銃火器とか持っているわけじゃないんだもの。皆さんの武器は短槍、それが届くほど近付かなければならないわけで。
ここから距離をおいて見ていても、前世のヒグマくらい大きな熊は、危険な生き物だと感じられる。皆さんが怪我でもしたら、それは単眼熊の掃討を決定した私の責任だ。私が怪我をさせたということだ。
今さらだけど、権力は責任を伴うと痛感するわ。
私なら、魔力で遠距離から攻撃できるんですから。活用してほしいですよ。
「もちろん、危険なことはいたしません。ここからでも、魔力は充分にあの魔獣に届きましてよ。……いけませんかしら」
エカテリーナが小首をかしげると、オレグは口をつぐみ、フォルリがふっと笑った。
「騎士団の貴婦人にふさわしい、気高いお言葉。皆、感激しておろう」
「はっ、まことに」
オレグを始め、六名の騎士が揃って胸に拳をあて、エカテリーナにこうべを垂れる。
「単眼熊ごときに遅れをとるユールノヴァ騎士団ではなかろうが、万一オレグに何かあれば、ユールノヴァ城のエリクに伝わる。公爵閣下にご心配をおかけするわけにはいかぬ」
エリクは、オレグの双子の弟だ。同じたくましい体躯を持ちながら、母の希望に応じて騎士にはならず、文官としてユールノヴァ家に仕えている。この二人は強い絆を持っており、どちらかの身に何か起これば、もう一方に伝わるという。会話ができるわけではないが、確実に察知できるのだそうだ。
オレグがエカテリーナの護衛に選ばれた理由の一つが、これだった。オレグの身に何かあるということは、つまりエカテリーナに危険が迫ったということ。妹の危機を、最速でアレクセイに伝えることができるのだ。
なお、兄オレグは妻帯者、弟エリクは独身である。
……双子の絆って前世でも聞いたことがあったけど、ちょっと都市伝説というか、科学的に証明されたものではなかったイメージ。でもこの世界では、さすがファンタジーというか、「弱いながらもそういう魔力がある」という説明で、疑いのない事実になるんですね。
しかし今さらながらお兄様、私の安否確認にどんだけ心を砕いているのかと。携帯電話のないこの世界で、打てる手をすべて打ってくれてます。さすがシスコン。
「私がお嬢様とご一緒してお守りしよう。お言葉に従い、お力をお借りするがよい」
「お嬢様はあたしがお守りします」
公爵アレクセイの側近たるフォルリの言葉にかぶせるように、エカテリーナの半歩後ろに付き従っていたメイドのミナが、いつも通り淡々と言う。
「うむ、そうであったな」
気を悪くした様子もなくフォルリがうなずいたのは、ミナが戦闘メイドであることを知っているからだろう。が、騎士たちは美人メイドの忠義な言葉に破顔していた。
「それでは、我らユールノヴァ騎士団、お嬢様と共に闘う栄誉にあずかりましょう」
ということで、作戦変更。




