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悪役令嬢、ブラコンにジョブチェンジします  作者: 浜千鳥


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挿入話〜狩の夜〜

暴力的表現があります。ご注意ください。

節目の100話なのにすみません。

祝宴の夜。その深夜。

ユールノヴァ城は、巨大な黒い塊のように、領都の夜の中心にうずくまっている。


宴はとうに果てている。後始末をしていた使用人たちさえ、すでに寝静まった。夜の最も深い時刻。

そんな深夜に、ユールノヴァの猟犬たちが、むくりとその巨体を起こしていた。


「よーしよし、お前たち」


片目に眼帯をつけた禿頭の男、猟犬の飼育係イーゴリが、犬たちに低く呼びかけた。


「公爵閣下がお前たちに獲物をくださったぞ、ほら」


イーゴリが掲げたのは、紳士物の上着だ。絹地に豪華な刺繍がほどこされた、最高級品。貧民の年収すべてをつぎこんだとしても、この上着の代価には届かないに違いない。

しかしその上着は、ひどく汚れて、破れていた。


ふんふんと匂いを嗅ぐ猟犬たちの後ろから、やや体格の大きい、白い毛並が美しい猟犬がやって来る。


「レジナ、そら嗅げ。おめえなら、獲物が何か、解るんじゃねえか」


猟犬たちのリーダー、レジナが、上着を嗅いだ。

そして、鼻に皺を寄せて、グルル……とうなり声をあげた。


「解るか、そうか。公爵閣下が、おめえの友達の仇を取らせてくださるからな。奴はこのお城のどっかに隠れてる。見付けて、引きずり出してやんな。

いいか、殺しちゃなんねえぞ。けどな、ちっとぐらい齧ってやっても、閣下はお怒りにゃあならねえだろうよ。

さあ、行け!」


イーゴリが犬舎の扉を開け放つと、猟犬たちは一斉に走り出ていった。




(なぜ……なぜこんなことに!)


広大なユールノヴァ城の庭園、その一角にある常緑樹の茂み。

身を隠そうとその中にうずくまって、ノヴァダインは怒りと絶望に震えている。この日のために大金をかけてあつらえた衣装は汚れて裂けて、上着はどこかへいってしまった。自分のみじめな姿が信じられない。


妻も娘も、捕らえられた。ノヴァダイン自身も捕縛されそうになり、かろうじて逃げることはできたが、このユールノヴァ城から脱出するすべがない。これではいずれ、見つかってしまう。


娘キーラをアレクセイに嫁がせ、公爵家の外戚になるはずだった。公爵の義父となり、公爵家の一員となって権勢を振るうはずだった自分が、こんな戸外でこそこそと逃げ隠れしているなど。間違っている。


こんなはずではなかった。

ああ、アレクサンドル、アレクサンドラ様。どうしてあんなに早く、逝ってしまったのか。二人が健在なら、キーラは無事に婚約できたはずなのに。


『伯爵令嬢が、ユールノヴァ公爵夫人になりたいって?面白いことを言うなあ、母が許すわけがないって、わからないとは思わなかったよ』


そう言って楽しげに笑ったアレクサンドルに、苦い思いを隠して一緒に笑った。それでも諦めず、粘り強く懇願して、ようやく手にしたのだ。


懇願しただけではない。そのためなら、なんでもやった。

アレクサンドラ様が連れてきたよそ者たちの、使い走りのようなこともやらねばならなかったし、彼らの邪魔をする者たちを排除するために手を尽くした。


そうするうちに、気付いたのだ。あのアレクサンドラ様が、よそ者たちの要求には、やすやすと応じることに。

いや、応じるわけではない。しかし、よそ者たちが望む通りに動く。あの方はそんなことは、決してしないはずだというのに。


そして……あらためて、思った。

――かつて、目の上のこぶだと思っていたセルゲイ公。頑健な方だったのに、突然亡くなった……。


何度二人に懇願しても、笑い者にされるだけだった。だから、よそ者たちと取引したのだ。彼らの頼みを聞く代わりに、キーラの婚約を後押ししてほしいと。

彼らの目的はしょせん金だとわかっていたから、金の在り処を教えてやればよかった。途方もなく強欲な連中だったが、公爵領で金が動くたびに教えてやり、娘が公爵夫人になったならもっと役に立ってやれると言うと、にやりと笑った。

財務長だった男だ。


アレクサンドルが書状を渡してくれたのは、そのすぐ後だ。アレクサンドラ様の署名も欲しいと言えば、すぐに叶えられた。


それだけの努力を重ねて、やっと手にした書状だった。だから、二人がいなくなってしまった今、あれに賭けるしかなかったのだ。諦めることはできなかったから。

あのよそ者たちは何を握っていたのだろう。探り出そうとしたが、皆目わからなかった。生命の危険さえ感じて、断念した。あの時、諦めなければよかったのか。


だが彼らは、アレクセイが爵位を継承すると、突如姿を消した。


あの時には、せいせいしたものだ。

よそ者に金を渡すのは、やはり気分が良くなかった。いくらかは分け前があったが、ユールノヴァ公爵家の筆頭分家がおこぼれにあずかっているようで。彼らが消えて、キーラが公爵夫人になれば、あの金は自分が自由にできる。そう思うと、世界が薔薇色に思えた。もう怖いものなどないと。


だがアレクセイこそが災厄だった。

前財務長は、どこに囚われているのだろう。ユールノヴァ城の古い牢に違いないのに、アレクセイが帰還する前、城に滞在している間に見付けようと必死で探しても、見付からなかった。追い出された後も手づるをたどって探し続けたのに、間に合わなかった。

あの男さえ手に入っていれば、今夜もこんなことには……。


その時、茂みの向こうから、怪物のようなうなり声が聞こえてきた。




常緑樹の枝をへし折って、巨大な牙をもつけだものが襲いかかる。


「うわあああっ‼︎」


ノヴァダインは絶叫した。跳び上がり駆け出そうとしたが、前方にも獣が牙を剥いており、さらに絶叫する。

四つん這いで逃げようとあがくが、身体が進まない。

それどころか、後ろへ引きずられた。

足に、獣の牙が食い込んでいる。痛みを感じるひまもなく、茂みから引きずり出され、さらに地面の上を引きずり回された。悲鳴を止められない口の中に、土ぼこりと木の葉が流れ込む。


――殺される!


死ぬ。ここで。

食われる。死ぬ。嫌だ、助けてくれ、誰か――!


ぶんと振り回され、放り投げられて地面に叩きつけられた。痛みに気が遠くなるが、気がつくと咳き込んで、口の中の土と葉を吐き出している。


地面に這いつくばったまま、ノヴァダインはようやく、自分を襲った獣の姿を目にした。

ユールノヴァの猟犬。


「うあ、あ……」


闇に慣れた目に、魔獣をも咬み殺す猛獣の一団が、爛々と光る目でこちらを見据えている姿が映る。地鳴りのようなうなり声が、轟いている。


(た、闘ってやる……!)


魔力を高めようとした。だが、長年の安楽な生活に錆び付いたそれは、怯えに乱れる意思に少しも応じてこない。

それを察したように、ひときわ大きい白い毛並みの猟犬が、ずいと踏み出した。


「ぎゃああああっ」


跳ね起きて、ノヴァダインは駆け出した。




どこをどう、逃げ回ったのか。

猟犬たちに追い回され、こけつまろびつ城の庭園を逃げまどい、追い込まれるように小さな建物に駆け込んだ。かろうじて扉を閉め、ずるずるとその場にへたり込む。


とたん、凄い力で扉が押し開けられ、ノヴァダインは床を転がった。


「失礼」


場違いなほど、愛想のいい声がかかる。

虹石の灯火を下げた背の高い青年が、押し開けた扉から入ってきた。闇に慣れた目に、虹石の輝きがまぶしい。が、いつぞやノヴァダインを城から追い出した、アレクセイの従僕であることは解った。


さらに、もう一人。

長身の人影が、扉の中へ足を踏み入れる。


「ゼフィロスの厩舎に逃げ込むとはな」

「か、閣下……」


アレクセイの低い声に、ノヴァダインは震え出した。


「奴が城にいると思ったか」

「は……」

「前財務長の居場所を、嗅ぎ回っていたことはわかっている。お前の手先だったメイド長のアンナは、すでに解雇した」


ノヴァダインは震えるばかりだ。


「前財務長が、何も話していないと思ったか」


その言葉には、息を呑んだ。では……あらかじめ、知っていたのか。あの書状の存在を。


「お前が探した男は、城にはいない。だが、お前はこれからを、城で過ごすがいい」


アレクセイは、厩舎の壁へ目を向けている。そこには、人馬が描かれた絵が、灯火の光におぼろに浮かび上がっている。


「ゼフィロスを覚えているか。お前が殺した」


アレクセイの声音には、珍しく感傷がこもっていた。


「あの時、お前を放っておくべきだった。瀕死だろうと、ゼフィロスはお前など咬み殺してのけただろう。私がやめさせようと間に入ったばかりに、ゼフィロスは私をかばって死んだ」


ノヴァダインの脳裏に、あの時の光景がよみがえる。酔いに濁った、きれぎれの映像だったが。


邸から駆け出してきて、忌まわしい魔獣馬を背にかばったアレクセイ。いつも小憎らしいほど落ち着いていた、賢しげな子供だったのに、あの時は必死で叫んでいた。

だから……ちょっとからかうつもりで、剣を振り上げてみせたのだ。ただの冗談だった。酔っていた。

だがあの獣は凄まじい咆哮を上げて、アレクセイと剣の間に割り込んできた。

すごい殺気だった。だからだ、思いきり剣を突き立てたのは。何度も、何度もそうした。そうしなければ、獣が襲いかかってきたからだ……。


アレクセイがエカテリーナを悲しませまいと語らなかった、ゼフィロスの死の真相だった。


「は、は」


ノヴァダインは、ひきつった笑い声を上げる。


「あの時のあなたは……珍しく、子供らしかった。あなたの泣き顔など見たのは、あの時が」


ガッ!と衝撃があって、ノヴァダインは再び床を転がった。従僕が蹴りを放ったのだ。


「すみません、閣下。勝手な真似を」

「いい。……以前なら、自分でそうしていたかもしれないな」


頭を下げる従僕に、アレクセイは首を振る。何を想ってか、後半の語調はむしろ穏やかだった。

だが、ノヴァダインに向けた目は、ただ冷たい。


「お前は領都警護隊から逃走し、行方不明だ。お前がどうなろうと、誰も何も知り得ない」


ノヴァダインは硬直した。では、奴らは自分を、わざと逃がしたのか。

いや、追い込まれたのだ、アレクセイの手中に。誰も、知らない。それでは自分は、アレクセイの思うがままだ。


「知っているか、この城の地下には、巨大な炉がいくつもある。冬の暖房のためだ。秋の終わりから春先にかけて、炉に火が絶えることはない。

そこが、お前の過ごす場所だ」


ノヴァダインは蒼白になった。

アレクセイは、うっすらと微笑む。


「昼も夜も、お前にはもはや知り得まいが……初雪を指折り数えて待つがいい」




悲鳴を上げ続けるノヴァダインを騎士たちが引きずっていき、アレクセイはイヴァンと共に厩舎を後にした。


「今夜中にも、知ってることは洗いざらい喋りそうですね。あんな奴、本当に燃やしてやればいいんですよ」


イヴァンが明るく言う。しかし、アレクセイは首を振った。


「いや。あれで公爵領の上流階級には顔が広い、謀殺しては禍根を残す可能性がある。当分は押さえておく。……片付けることは、いつでもできる。どうせなら、より効果的に使うべきだ」


冷徹に言った後、アレクセイはふと表情をやわらげた。


「それに、エカテリーナはそういうことを好まないだろう。嫌われたくはない」

「お嬢様なら、閣下が何をなさろうと、嫌ったりはなさらないですよ」

「ああ、あの子は理解して、許してくれるだろう。……だが、すべてを許してくれるからこそ、それに甘えるべきではないと思う」


彼らしい、生真面目な言葉だ。許してくれる相手にほど、際限なく要求し続ける人間は多いものだが。


「ひとつだけ、お嬢様がお許しにならないことがありました。閣下が仕事で夜更かしなさることです」

「そうだな。早く休まなければ」


イヴァンの言葉にアレクセイは笑い、主従は足早に城内へ戻っていった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] レジナ姐さんと猟犬さんたちのお腹が心配です。ばっちいものをお口に入れちゃダメー!とひたすら絶叫してました。
[良い点] 何も恥じることのない、 素晴らしい100話だと思います。 (過度な褒め方ならすみません(¯―¯٥))
[良い点] 祝!!100 話!!! おめでとう御座います! そしていつも素敵な物語をありがとう御座います! 記念すべき100 話がアレクセイの冷酷冷淡なシーンなのがむしろ良いです(≧∀≦) 今まで仕…
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