第13話
「ラティユイシェラ嬢、本当にこの道であっているのか?」
明るい城下町の影のような路地裏を、ひょいひょい身軽に歩いていくラティユイシェラのすぐ後ろでアーサーが口にした。
変な場所で曲がったり低い塀を乗り越えたりと、感覚で向かっているラティユイシェラに戸惑っているのだ。
「確かこっち方面だったと思うのよ」
言葉は確証の少ないものだったが、言ったラティユイシェラは、真っ直ぐに前だけを向いて足取りを緩める気がしない。
ラティユイシェラしか目的地への場所を知る者はいないため、アーサーは大人しく付いていった。
奥に奥に進みきった、端の一角。漸くラティユイシェラの歩みが止まる。図書館というには覚束無い錆び付いた扉の前でアーサーは目をパチクリさせた。
「ここか?」
どうにも半信半疑な眼差しをそのまま送られるが、カチャリと扉を開けて地下階段へ進む。
地下にある図書館など見たことがないアーサーはあっけらかんとして突如差し込んできた光に目を瞑った。
「きちんと覚えてたわ」
安堵の声を漏らすラティユイシェラの声を通り抜けて見上げるアーサーの瞳には、地下から地上3階程度まで突き抜けた大きな空間に、隙間を埋めようとしているかのような本棚の数。
物静かな司書ひとりと猫が1匹、迎え入れてくれた。
「…確かに、この場所は穴場だな」
「私も最初に来た頃、言葉を失ったの」
ほう…とアーサーは感嘆の声を漏らし、嬉しそうなはにかみ笑顔をラティユイシェラは見せた。
ラティユイシェラは図書館を利用して良いか聞くため、司書の元へ駆け寄ると司書の身体がこわばったように感じた。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ。」
ラティユイシェラの気遣いに司書は言葉を返すと、すぐに何処かへ行ってしまった。懸念するラティユイッシェラを宥めたアーサーは堂々と資料集めができると肩を押す。
今回の自主研修は ‘‘ シンドリアの見習うべき点と見直すべき点 ’’ 生徒を半分に別け対立させ相手の作ったデータを覆すことが目的とされる。
自国ではなく、他国でその2つを議題にするには片っ端から資料を見なければならない。良い点も悪い点も見つけ出せない限り、頭の良いリヴァーヴ学園の生徒たちは簡単に論破するだろう。それを生徒たち皆が分かっているため相手よりも秀でた文章で、相手よりも秀でた資料内容が必要になる。
より多くの資料を探すため、ラティユイシェラはアーサーと二手に分かれて、2階窓際の机へ集まることを決めた。
文明の歴史、国家の形態、役割。独創的な文化と言語。経済の発展と、賢王愚王。それぞれが記述してある書物は勿論、罪人への処刑法まで。
「独自の文化はシンドリアにとって魅力の1つだが、これは悪い点の方が多いのではないか」
「いつまでも固い頭では何も生み出せないわ」
「シンドリアの発展は、それを望める環境にある。か」
「自由な思想と、規律は全くの別物だと思うけれどね」
「秩序がなければ行き着く先はトラブルや紛争ではないのか?」
「そのための対策が…」
大きな用紙とペンを持ち息つく間の無い討議は、アーサーの目に1つの書類が目に止まった。
「・・・どうしたの?」
アーサーの異変に気付いたラティユイシェラだが、アーサーは何食わぬ顔で向き直った。
「なんでもないよ、ラティユイシェラ嬢。さぁ、続けよう」
ラティユイシェラは気づかなかった。
アーサーが咄嗟に隠した書物に・・・ラティユイシェラの平穏を崩すものになると恐れて・・・。
ラティユイシェラに悟られないよう白熱させたレポートは完成間近となったとき、静かな図書館に響く幼い声とそれを諭すテノール声が響いた。
地下の入り口から手を繋いでやってきたのは金髪碧眼の容姿端麗な兄弟と思われる二人組。兄と思われる人物は繋いでいない方の手で人差し指を口元に持って行き、シーッと口パクしていた。
誰しもが思う王道の王子様の姿。どこかの扉絵のような夕陽が差し込む背景に、ラティユイシェラはつい恍惚する。そして、初めてここに来たときのことを思い出した。
「シンア様に言ってやろ」
面白くないと言った様子で、そっぽを向いたアーサーは先程までの討論をメモしていた紙の端を千切り、浮気疑惑という題で書き連ねていく。
「シンドリアにて夕刻6時20分、図書館にやってきた容姿端麗の兄弟に見惚れ…」
「ちょ、アーサー!?何を言っているのよ!」
「路地裏ですれ違っても気にも止めなかったのに、その顔は夕陽のせいと言わせないからな」
仮にも婚約者にそんなことを伝えられては不味い。それに、あの時は第三王子と知らなかったが一度会っているだけあって分が悪い。
「違うわアーサー!お願いだからその紙寄越して」
シンアに渡される前に何とかしてあの紙を処分したい思いでラティユイシェラはアーサーの袖を掴むと、アーサーは嬉しそうに微笑んだ。
「…アーサー?」
騒がしいラティユイシェラたちの耳に、ストンと響くテノール声。
アーサーは肩の力を抜き、2階の手すりから顔を見下ろした。
「いかにも、私がアーサー・アルバートです。このような場所でお目に掛かれるとは思いませんでしたよ。シンドリア国第3王子、ユリウス様とその弟君ハル様」
耳にかけていた青の髪がさらりと落ちて、その琥珀色の瞳に扉前の2人を映す。
名前を言い当てられたユリウスは碧の瞳を見開き、繋いでいた手に力が入る。
「研修前に事前に調べていたのです。騎士団はもちろんのこと、高位の官職である名前と顔。そこには無論貴方も覚えました」
アーサーはこっそりとラティユイシェラに耳打ちする。ーーラティユイシェラ嬢が地形や文明を調べている時に、自分は人を調べたんだ、と。
ユリウスは、この国を知り尽くそうとしている2人に冷や汗を感じながら、もしもの時のために内ポケットに潜めている魔導石を握った。
「そんなに調べて何をするんだ?このシンドリアは独立国家であり、戦争や武器を許さない」
可愛い弟であるハルを背に隠し、緊張で喉がなる。その緊張感を肌で感じたアーサーは持っている物を机に置き、両手を挙げて敵意がないことを示した。
「名乗るのが申し遅れました。上の階から大変失礼と存じますが、私は隣国レヴィンソンの第一騎士団長の息子、アーサー・アルバートと申します。此度はリヴァーヴ学園の自主研修にこの図書館を利用したまでのこと、深掘りして申し訳ありません」
アーサーの誠意が伝わったのか、ユリウスも緊張を解き真っ直ぐに2階を見上げてアーサーを名指ししたわけを疑問形で答えた。
「…いや、そうか。リヴァーヴ学園の噂は予々聞いている。優秀な者のみを集め、国へその才を尽くす。しかしアーサー殿、名前が同じだけで早計だと思うが、この薬を作ったのは貴殿ではないだろうか」
品の良いえんじ色のジャケットに仕舞い込んでいたカラの瓶を見せ、その瓶に書かれてある名前を口にする。
「A03、若い方が作られたとしか情報が入ってこなかった」
ユリウスの言葉に驚いて体を震わせたラティユイシェラを背に隠すアーサーは、何が得策なのか苦手な頭で考える。
ラティユイシェラはバレたくないと、作った当初から思っていることを知っていた。かと言って作ってもないものを我が物顔で自分の手柄になど毛頭したくもない。
そう考えているだけで、ユリウスは沈黙を肯定とみなした。




