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「おはよう」
「おはようございます」
ゾルドが朝起きて食堂に入ると、いつもの面子が全員揃っていた。
テレサがホスエの隣に座っている事以外は、いつも通りの朝だ。
(あぁ、やっぱりいたか)
昨夜の事は、酔った事で見た嫌な夢であって欲しいと思っていた。
現実であったのなら、それに対応しなければならない。
とりあえずは、テレサに優しくしてやるつもりだ。
テレサ自身はどうでもいいが、ホスエが執着している。
ホスエを味方として傍に置いておくには、テレサをキープしておくのが無難だろう。
「おはよう、テレサ。昨夜は眠れたかな?」
目の前で殺人が起き、誘拐され、ホスエとの再会。
普通の神経をしていれば、とても眠れるはずがない。
獣人で目の周りも毛が生えているのでわかりにくいが、二人とも眠そうだ。
きっと再会を喜び、語り合っていたのだろう。
「ありがとうございます。でも、昨夜はジョシュアが寝かせてくれなくって」
朝っぱらからの爆弾発言に、皆の視線がホスエに向かう。
ジョシュアと呼んでいるあたり、ちゃんと注意点は教えているようだ。
「ちょっとテレサ!」
「あら。お話をしていただけなのに、なんで慌てるの?」
テレサはクスクスと笑うが、二人の醸し出す空気から話だけではない事が伺える。
テオドールは平然としているが、ラウルは居心地悪そうにしていた。
(そういえば、昨晩はホスエが暴れたから女は買っていないんだっけ)
きっとラウルは女の経験が無い。
あったとしても、限りなく少ないのだろう。
だから、目の前でいちゃつかれると、何があったか想像してしまって気まずさを感じるのだ。
(テオドールに、今度はラウルだけ連れて行ってやれと言っておいてやるか)
”さぁ本番だ!”という時に生殺しになったラウルに対して、可哀想だと思うくらいの情はゾルドにもあった。
ゾルドは、自分がラウルを連れていってやりたいと思うが、半分以上は自分が行きたい理由として利用しているだけだ。
ホスエによるレジーナへの告げ口の件が無ければ、朝から行こうと言い出していたかもしれない。
しかし、いつまでも悔やんでなどいられない。
娼館など、またいつか行く機会くらいあるはずだ。
先の事を考えて行動する必要がある。
まずはテレサに優しい声をかけてやる事にした。
今は知っている相手がホスエしかいない。
早い段階で味方だと教えて、手懐けておかねばいけないのだ。
ゾルドはテーブルに着くと、テレサに微笑みを浮かべて優しく話しかけた。
「テレサ、今まで大変辛い思いをしてきたと思う。ジョシュアは俺にとって命の恩人だ。今では本当の弟のように思っている。だから、君は俺にとって妹みたいなものだ。我が家だと思ってくつろいでくれ」
テレサはゾルドの言葉に驚いた。
「ありがとうございます。ジョシュアに、その……。アダムスさんの事を聞いてましたので驚きました」
おそらく、魔神だという事も話してるのだろう。
ゾルドが優しい言葉をかけるとは思っていなかった。。
魔神という存在は、もっと殺伐とした雰囲気を纏っているものだとテレサは思っていた。
しかし、昨夜の騒ぎは、まだ記憶に新しい。
人の命を軽く奪い取る男だという事を忘れてはいない。
今の待遇は、ホスエの女だから受けられるものだと理解していた。
「そうだね、驚いて当たり前だと思う。だけど心配しなくてもいい。誰にでも噛みつく狂犬ではないんだよ」
ゾルドが明るく笑う。
それに釣られてテレサも少し笑った。
笑えないのはテオドールとラウルだ。
ある日突然、スラムに押しかけてきて仲間を殺された。
しかも、スラムのボスの座を奪う為だけに。
(狂犬だよな?)
(ただの野獣ですね)
二人は顔を見合わせ、視線で心を交わす。
さすがに、それを口に出さないだけの分別はある。
ゾルドは二人のそんなやり取りを、横目で見ていて何を考えているのかなんとなくわかっていた。
だが、それを咎めたりすれば、ほぼ認めてしまったようなもの。
見なかった事にして、今日の予定を話す。
「朝食が終わったら、俺は城に向かう。そこで宰相か将軍から部下を付けてもらい、国にこちらの正当性を保障してもらう。それから娼館へ向かう。交渉の上、納得してテレサを引き渡してもらうつもりだ」
ただ、これで納得するとは思えない。
国家権力を盾に”女をよこせ”と言うのは交渉ではないからだ。
脅迫と言う方が正しい。
「娼館に行く時はテレサにも付いて来てもらうぞ。こちらの誘拐では無く、本人の意思で娼館を抜けたいというのを政府の者にも説明して欲しい」
「わかりました」
言葉とは裏腹に、娼館には行きたくなさそうだ。
それもそうだ。
あそこは彼女の辛い思い出が詰まっている。
最後だと思うからこそ、なんとか行こうという気になれるのだ。
「僕も行くよ」
ホスエが声を上げる。
テレサを心配しているのだ。
娼館に戻るのなら、傍に居てやりたいと考えていた。
「だめだ。お前は残っておけ」
「そんな、なんで!?」
同行を認めないのはホスエのためだ。
今は再会の喜びで気にしていないようだが、また娼館に行けば思い出してしまうかもしれない。
――テレサが娼婦だったという事を。
娼婦は仕事上、大勢の男を相手にする。
娼館に行けば、きっとそのような話も出るだろう。
それをホスエが聞けば、かならず悲しみ、苦しむはずだ。
世の中、知らぬままでいた方が良い事だってある。
ゾルドはそう思って、ホスエを留守番させる事にした。
テレサもゾルドの案に乗る。
「私もジョシュアには残っていて欲しい。聞かせたくない話も出るだろうし、それに――」
「かまわない!」
ホスエはテレサの言葉を断ち切った。
「再会して確信した。僕はテレサを愛している! 例えどんな過去があろうと、全て受け入れる覚悟はできている。僕も行くよ。兄さんのように交渉はできなくても、テレサの手を握ってやる事くらいはできるからね」
「ジョシュア……」
ホスエの決意表明に、その場にいた者達は感動した。
ゾルド以外は。
(こいつ、思い込み凄ぇな……)
今思えば、一度助けてもらっただけのゾルドに命懸けで恩返しするなんて異常だ。
今回も幼馴染で義理の妹という事で助けるのはわかる。
だが、昔の感情を引きずって全てを受け入れるというのは、ゾルドには理解できなかった。
もしも、レジーナが娼婦だったなら、ゾルドは婚約者扱いはしなかっただろう。
今回は誘拐されて売られたという事情を考慮すれば、同情の余地はある。
それでも、ゾルドがホスエの立場なら、ホスエのような事は言えなかっただろう。
”男としての器で負けている”
その事に心のどこかで気付いたが、それを認めたくはなかった。
だから、ホスエの思い込みが異常だと考える事で、自分のプライドを守った。
その時点で、器の小さい男だと証明している事に気付かずに。
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「――というわけで、テレサはこちらで引き取る」
ゾルドはテレサが売られた経緯を説明し、娼館の主人にそう告げた。
まるで確定事項のように言われて、主人はご立腹だ。
「確かに同情すべき事情があるようですが、随分勝手な言い分ですね。テレサを購入した時は誘拐されたなんて知りませんでした。私は善意の第三者なんですよ。ボーイに暴行し、用心棒を殺すなんて酷いとは思いませんか?」
その後の言葉を聞くまでもない。
ゾルドはセンターテーブルの上に金の入った袋を置く。
「これはこれは」
――話が早い。
そう言わんばかりに主人は笑みを浮かべる。
ゾルドは金の話になると思っていたので、さっさと出した。
しかし、中身を確認した主人は不満そうだ。
「1,000万エーロしか入っていませんが」
「テレサは10年以上も働いていたんだ。自分を身請けする分は働いているだろ。今回の迷惑料としては十分なはずだ」
相手はアダムス・ヒルターだ。
もっと多くの金を払うと思っていた主人は露骨に表情を変える。
「昨日の騒ぎでまともに営業ができなかった。これから客が離れるかもしれない。その保障はないのか? こちらは人も殺されているんだぞ! グワッ」
センターテーブルをゾルドに蹴り飛ばされ、すねにぶつけられる。
「だったら、お前も殺してやろうか?」
アダムス・ヒルターが大金を持っているというのは噂になっている。
この機会に搾り取ってやろうと考えているのが透けて見える。
ここらで一発、解決が交渉だけではないと教えてやればならない。
それに、国家権力を味方につけた事で気が大きくなっていた。
(やっぱり狂犬だよな)
(僕らよりチンピラって感じかも)
護衛として付き添っているテオドール達が、部屋の隅で再確認する。
「まぁまぁ、アダムスさん。それでは私が付いてきた意味がありません。ここは穏便にお願いします」
仲裁に入ったのはハストン宰相の秘書官だ。
彼は宰相から娼館の主人に”今回の件でアダムス・ヒルター側を罪に問わない”と伝えるために派遣されていた。
もちろん、ただのメッセンジャーではない。
間に入って、仲裁するようにとも命じられている。
「そちらの要求はどの程度でしょうか?
痛む足をさすりながら、主人は要求を口にする。
「3億だ。見舞金1億に、ガキ一匹あたり1億。あいつらは商人から買ったんじゃなく、この娼館の持ち物だからな」
娼婦の子に1億もの価値はないが、せめてもの意趣返しとして要求する。
「ガキ? 子供がいるのか?」
発覚した新事実に、皆の視線がテレサに集中する。
子供がいるなんて初耳だ。
「ごめんなさい……。だって、子供が二人いるなんて知られたら……」
テレサはホスエに泣きながら抱き着く。
(もし、レジーナが娼婦で二人の子持ちだったら……。仲間として扱うが女としては距離を置いてたかもな。さすがに重すぎる)
ゾルドはそんな事を考えてしまう。
テレサも同じ事を考えたのだろう。
ホスエの愛を失ってしまうのが恐ろしくなり、子供の事を言えなかったのだ。
コンドームなんてない世界だ。
”やればできる”
娼婦という仕事を考えれば、子供がいるかもしれないという事は想定しておくべきだった。
「そうか、いきなり二人のパパになるなんて自信がないな。でも、頑張らなきゃ」
「えっ」
驚くテレサに、ホスエは優しくキスをした。
「言ったはずだよ。全て受け入れる覚悟はできているってね」
テレサはホスエの胸に顔をうずめ、大きな声で泣き出した。
この10年、良い事なんて無かった。
今までの不幸の揺り返しが、幸運となって戻って来たのだ。
涙の一つや二つは出る。
(そうなると、ガキを購入しなきゃならないんだよなぁ……)
ホスエはすでに子供を引き取る気だ。
今までに給料として渡してきた金で払う事はできるが、いくらかは使っているだろうから足りないはず。
そうなると、ゾルドが払ってやらねばならない。
「とりあえず、子供を呼んでくれ。金を払ってから、実は死んでいたとか言われてもたまらないからな」
「そんな事は言わない。おい、テレサのガキ共を連れてこい」
主人はドアの外にいる部下に声をかけた。
彼も娼館を経営している男だ。
今話している相手が危険な男だと感じ取っていた。
交渉の途中でセンターテーブルを蹴って相手に当てるなんて、今時のマフィアですらやらない。
それに”金を受け取るだけ受け取って死体を渡すかも”なんて発想がイカれている。
そんな事が思いつくという事は、それが日常の殺伐とした生活をしているという事だ。
さっさと交渉を済ませた方が良いかもしれない、娼館の主人は判断した。
連れて来られたのは熊の男の子と、虎の女の子だった。
二人ともみすぼらしい恰好だ。
服の汚れからすると、下働きさせられているのかもしれない。
「ママ!」
女の子の方がテレサに飛びつくように抱き付いた。
突然母親がいなくなって一晩。
寂しかったのだろう。
男の子の方は周囲を気にしながらテレサに近づく。
「マルコ、ミランダ。心配かけてごめんね」
「その名前……」
「そうよ、マルコは熊。ミランダは虎。ちょうど父さんと母さんと同じだったの。だから名前も一緒にしたのよ」
親と同じ容姿に生まれて来た。
だから、親と同じ名前をつけて、寂しさを紛らわせていたのだろう。
子供にも慕われている。
パッと見ではテレサは良い母親でもあるようだ。
しかし、ゾルドは別の事を考えていた。
(子供の事を言い出されなければ、黙っていてホスエと二人で新しい人生を歩んでいたんじゃないのか?)
その事に考えが至ると、ゾルドはテレサの人間的評価を数段階下げた。
もちろん、思い過ごしかもしれない。
しかし、その可能性があるだけで要注意人物だと、ゾルドは警戒する事にした。
「他に何もないなら、交渉をまとめましょう」
ティムが話を進めようとする。
宰相の秘書官は暇ではないのだ。
彼としてはお涙頂戴の話は自宅でやって欲しい。
さすがにそこまでは付き合っていられない。
「そうだな、金は要求通り3億支払おう。それでいいな」
「ああ、金さえ貰えれば言う事は無い」
ゾルドも話には付き合っていられない。
さっさと終わらせて、屋敷で家族会議でもやっておいて欲しい。
ティムの申し出に乗り、テレサと子供達はもう娼館とは関係ないという書類にサインした。
しかし、ゾルドの気は重い。
(あぁ、これからどうしよう)
まさか子供までいるとは思わなかった。
(屋敷がうるさくなるな。いや、礼儀作法の勉強をさせればいいか)
子供の将来のためだといって、他にも勉強をさせる。
そうすれば、遊び回る時間も減るだろう。
少しは静かになるはずだ。
それでも、これからの事を考えると気が滅入ってしまう。
一晩グッスリ寝て収まったはずの頭痛が、また痛み始めたように感じていた。




