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「良い話のようだが、残念ながら金を預ける事はできない」
あれから一か月。
アルベールの紹介により、話を聞きに来た貴族はそれなりの数になった。
しかし、皆が契約してくれるわけではない。
”義理で話を聞きに来ただけ”
そんな者が多かった。
「そうですか、残念です……」
最初からまったく投資する気の無い者相手に、必死になって説得しても時間の無駄だ。
義理だけで話を聞きに来た者の多くは、王太子のフィリップ王子派だった。
貴族として、仮にも王族であるアルベールに声をかけられたから、体に流れる王族の血を尊重して来ているだけだ。
アルベールの投資の話に乗って、第二王子のアルベール派と勘違いされる事を避けている。
これは”金が無い”とか”ゾルドの話が信用できない”というレベルの話ではない。
成功に確信がない限り、この話に乗ろうとはしなかった。
「ご本人が契約されていなくても、どなたかご紹介頂ければ、契約金額の3%が褒賞金として支払われます。興味がありそうな方をご存じでしたら、声をかけて頂ければ助かります」
「考えておこう」
”考える振りをして、何もする気はない”という事だろう。
例え嘘でも、人を紹介するという言質を取らせるような真似はできないからだ。
ゾルドが見送ろうとドアを開けると、そこにはラウルがいた。
彼は若いからか、テオドールに比べてスラムの住人という匂いを消せている。
少し不安があるが、小間使い程度なら商会内で働かせる事ができる程度になっていた。
「どうした?」
ゾルドが聞くと、ラウルは姿勢を正して答える。
「ヨハン会長からの伝言です。”1,000億エーロの達成が見込まれるので、以後は初期契約者の特典は無いと説明するように”との事です。……おそらく、そちらの方も初期契約者としては認められないかと」
「そうか。だが、問題ない。こちらの方は――」
言葉の途中で、肩を後ろから掴まれる。
「話の途中だったはずだ。戻りたまえ」
「えっ、しかし……。いえ、そうでした。会長にはわかったと伝えておいてくれ」
ゾルドは、ラウルにヨハンへの言付けを頼むと部屋に戻った。
そこで貴族が話を持ちかけて来る。
「初期契約者として契約できるのなら、やはり契約してやってもいいぞ」
どうやら、彼は1,000億エーロも集まったと聞いて気が変わったようだ。
”それだけ契約者がいるなら、自分もやってみよう”という考えになった。
それに加えて”初期契約者の特典が無くなってしまう”という焦燥感が彼の背中を押したようだ。
「しかし、会長が――」
「君と会長の噂は聞いている。それくらい、なんとかしたまえ」
人の言葉に、言葉を被せる好きなのだろうか。
ゾルドは言葉を被せられて、少しイラっとしたが、貴族の言う事を聞いてやる。
「そうですね。せっかくお越し頂いたのですから、今回の契約くらいはねじ込んでみせましょう」
”ヨハン・ベルシュタインは、アダムス・ヒルターに借りがあるので強気に出れない”
その噂が広まっているようで、なによりだ。
ゾルドは、少しずつだが上手くいっていると感じていた。
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「2億エーロの契約だ。決裁を頼む」
「わかった、置いておいてくれ」
ゾルドは書類を机の上に置くと、ソファーに座る。
ヨハンの机の上には書類が山積みだ。
ゾルドが副会長になる際、決裁の権限を与えなかったので全てヨハンが行っている。
決裁の権限は重要だ。
権限を渡せば、商会をかき乱される可能性もある。
ヨハンも、これだけは絶対に渡そうとしなかった。
各地の支店の決裁に関しては、支店長に任されている。
ゾルドは副会長という地位にありながら、支店長未満の権限しか持っていなかったのだ。
しかし、これについては今のところは文句を言うつもりはない。
こちらの要求を呑ませるばかりではなく、相手に譲歩する事も重要だからだ。
「なぁ、権限をくれとは言わないが、何枚か会長のサインだけをした紙を渡しておいてくれないか? 副会長という地位にあるのに、契約を取ったら”会長の承認を得てくる”と、その場で契約ができないのは辛いんだよ」
今までにも”えっ? 副会長だよな?”という反応が返ってきた。
わかっていても、そういう反応をされると少し寂しい。
ゾルドはこの機会に、それをなんとかしたいと思っていた。
「そうだな、それくらいなら用意しておこう」
表向きは不仲を装っているが、実際は協力関係にある。
ゾルドの面子を守るために”少しくらいは妥協してやってもいいか”とヨハンは考えた。
彼は急激に増えた仕事による疲れで判断力が鈍っている。
そんな状態なので、実は疲れている時を選んで、この話題を持ち出されたという事に気付かなかった。
「どの程度金が集まった?」
「大体600億ってところだな」
先ほどのラウルの報告は嘘だった。
この国の貴族は金が儲かるかどうかよりも、派閥を気にして契約をしない者が多かったから、後押しをしてやっただけだ。
もっとも、各地の支店が獲得した契約を合わせれば、1,000億エーロくらいはいくだろうから、まったくの嘘ではない。
「仕掛けるには、まだまだ足りないな」
それでも最初の一週間よりはマシだった。
アルベール王子やマウリッツ将軍が、周囲の者を誘って少しずつ増えていったが、やはり人数は少なかった。
しかし、誘われた者がさらに人を誘っていく。
そこからネズミ算式に増加していった。
皮肉にも、これはアルヴェスのお陰だった。
アルヴェス商会に登録した者が多いからだ。
紹介する者が多ければ多いほど儲けられると、経験上わかっている者が多かった。
そのため、一度契約すれば積極的に勧誘を始めてくれる。
商会の人間が一軒一軒営業回りせずとも、契約した者が勝手に人を探してきてくれる。
そこが、この商法のもっとも良い所だった。
最初の一週間は10億エーロ程度でしかなかったが、そこからの三週間で600億エーロまで跳ね上がった。
来月には1,000億エーロは余裕で達成できる見込みだ。
「そういえば、ヘンリクスと言ったか。凄い男を採用したな。私だったら落としていたところだ」
ヨハンが言うように、ヘンリクスはゾルドの予想以上に活躍していた。
すでに始めて一か月で、合計2億エーロの契約を取っていた。
しかも、ちょっとした金持ちとはいえ平民相手にだ。
それだけ契約件数が多いという事。
契約金の1%が給与に反映されるので、月給200万エーロになる。
新規採用者どころか、古参の商会員を含めて営業のエースと言える存在になっていた。
「あいつは落とそうと思ったんだけどな。図々しいところが、営業に向いていると思って雇ってみたんだ。どうせ基本給は安いしさ」
古参の商会員は大体月給30万エーロ以上。
新規採用者は月給10万エーロ前後で、後は能力給だ。
とはいえ、これは日本のブラック企業のように”社員の能力にケチをつけて給料を下げるため”の能力給ではない。
契約金額の1%を給与に反映すると、ホワイト企業と言えるような好条件が明示されていた。
もっとも、これは一般の紹介者として契約していれば3%貰えるものなので、彼等は騙されて働かされている事に気付いていない。
「裾野を広げるためとはいえ、あんなに安い給料で人を雇う事を考えるなんてな……。しかも、正規の商会員ですらない」
人を一山いくらでかき集めて、その中から輝きを見せる者を見出すような真似はしない。
基本的に商会員は、教育を受けた者の中から厳選される。
ヨハンからすれば、商会員は好待遇で囲い込むもの。
数を集めて、ダメな者は切り捨てるというやり方は、彼には合わなかった。
「そういえば、フィリップ王子から使者が来たぞ」
「どんな要件だった?」
「”初期契約者に入れておけ”と言われた。契約金額は10億エーロ」
10億エーロ。
だが、ゾルドは顔をしかめた。
それがどういう事か、予想が付いていたからだ。
聞くまでもない事だったが、万が一という事もある。
「もちろん、金は払ったんだよな?」
ゾルドの言葉に、ヨハンは力なく首を振る。
やはり、予想通りだったようだ。
「アルベール殿下に、1億エーロの契約を無償で行った事を持ち出された。そして使者に”王太子にふさわしい対応をしてくれるんでしょうね”と言われてしまった。そう言われてしまってはな……」
アルベール達に無償で契約を持ち出したのはゾルド側だ。
だが、今回はフィリップ王子側から要求された。
これは金額の問題ではない。
こちらからの善意で無償にするのと、実質的に強制されて無償の契約を交わすのとでは大違いだ。
そんな無法を、一国の王子がするという。
しかも、王太子がだ。
「ロクでもねぇな。いつも、そんな感じなのか?」
「いいえ、今回が初めてです。……もっとも、今までは金をたかられても払う金がありませんでしたけどね」
さすがに、普段から露骨には要求していないようだ。
しかし、王太子が露骨に賄賂を要求するのには疑問を抱く。
アルベール達との話の感じでは、王太子のフィリップは金に困っていないようだった。
「なぁ”フィリップ王子が単純に金が欲しい”という問題では無さそうだ。何か知らないか?」
「ふむ……」
ヨハンはアゴに手をやると、少し考え込んだ。
「フィリップ王子は、腹違いの弟であるアルベール王子を警戒しているのかもしれない。継承権はフィリップ王子が優位だが、人柄ではアルベール王子の方が支持されている。もしかすると、アルベール王子に王太子の座を奪われると思っているんじゃないか? だから、自分の方が影響力があると証明したいとか」
「それじゃあ、自分が優位に立っていると確認したいだけって理由で……。こっちはとばっちりかよ」
「かもな」
二人は同時にため息を吐く。
金が欲しいからという理由であれば、金を使って自分達の望む方向に持っていける。
だが、個人的な感情が理由であれば難しい。
ゾルド達は、すでにアルベールと友好的な関係にある。
フィルップに何か言っても、感情的になって聞く耳を持たないだろう。
それに、今となってはアルベールとの関係を断ち切る事はできない。
残念ながら、フィルップが望むであろうアルベールとの関係を絶つ事は無理だ。
これなら欲望剥き出しの俗物であってくれた方が良かった。
金をエサに利用する事ができたのだから。
「あーあ、アホらしい。今日の予定は終わったし、帰って一杯やるか」
ゾルドは立ち上がり、帰ろうとする。
「おいおい、こっちはこんなに書類が残っているのに、自分だけ先に帰るのか?」
ヨハンは帰ろうとするゾルドを止める。
しかし、その苦情は筋違いだ。
「じゃあ、俺に決裁の権限をくれるのか?」
権限の無い者のサインなど、落書きでしかない。
書類の処理を手伝うのなら、権限を寄越せと要求するのは当然だった。
「それは断る」
ヨハンは考えるまでもなく、その要求を断った。
これだけは譲れないのだ。
「じゃあ、お疲れさん」
ゾルドも言ってみただけだ。
本当に権限をくれるとは思っていない。
少しばかりの親切心で、先に帰る理由をわかりやすくヨハンに教えてやっただけだ。
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「なぁ、ラウル。あのガキどう思う?」
御者が馬車を停留所から、商会の前に持ってくるのを待っている時、ゾルドはラウルに話しかけた。
商会の向かいにある建物と建物の間の路地。
そこに、十歳くらいの浮浪児が座り込んでいた。
しかし、浮浪児にしては血色が良く見える。
「よくないですね。金持ちに恵んで貰えるかもしれないと思っているのかもしれませんが、金持ちは恵んでくれません。それどころか、護衛や近くで働いている者に、酷い目に合わされるでしょう」
ひょっとしたら、ラウルも金持ち相手に物乞いをした経験があるのかもしれない。
語る言葉に実感が籠っている。
しかし、ゾルドが聞いたのはそういう事ではない。
(あのガキ、視線を向けずにこっちを見ているように感じる)
ゾルドを見ているのか、ベルシュタイン商会を見ているのかまではわからない。
だが、こちらを見ているのは確かだ。
過去にゾルドが警察に見張られていた時に感じていた、この何とも言えない感覚。
視線を向けずに、視界に入れて見張られている感覚だ。
「これを渡してこい」
ゾルドはラウルに1,000エーロ硬貨を渡す。
思ったよりも多い金額に、ラウルは驚いた。
「アダムスさん、優しいんですね」
「そうじゃない……。いいからさっさと行け」
ラウルは言われた通りに、金を渡しに行った。
これがレジーナやホスエなら”良い所もあるんだ”と、ゾルドにニヤついた顔を見せていただろう。
その点、ラウルはそんな事をしない。
ゾルドが魔神だという事もあるが、あまり人をからかったりしないのだ。
スラム育ちなのに、スレていないのは良い事だとゾルドは思っていた。
「渡してきました。ありがとうございますと言っていましたよ」
「ご苦労」
ゾルドが浮浪児の方を見ると、ゾルドに軽く会釈した後、また何かを見張り始める。
「なぁ――」
ゾルドが口を開こうとした時、馬車が到着した。
タイミングを逃したが、家路につく馬車の中でラウルに話しかけた。
「1,000エーロも貰って、軽い会釈だけなんてありえるか? 昔の俺が貰っていたら”今日の飯は心配しないでいい”か”ちょっと豪勢に一杯やるか”と喜んでいたぞ」
どう考えてもおかしい。
浮浪児ならば、小躍りして喜ぶくらいしても良いはずだ。
路上生活で感情がやられているだけなのだろうか。
しかし、浮浪児について考え続ける事はできなかった。
「えぇっ! アダムスさんにそんな時代があったんですか」
ラウルが、貧乏時代のゾルドの話に食いついて来たからだ。
「そんなに気になる事か?」
「気になりますよ」
魔神が1,000エーロで喜ぶ話。
そんな話に、普通の者が食いつかないわけがない。
ゾルドはラウルに話してやっている内に、薄汚い浮浪児の事など、いつの間にか忘れてしまっていた。




