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引っ越しを始めて、早くも一週間。
その間、ゾルド達は慌ただしい時間を過ごした。
商会代表へのアポイント。
使用人の面接。
部屋のレイアウト変更。
足りない物の買い足し。
移動用の馬車と馬の購入。
そうなると、御者や馬の世話をする厩務員も雇う必要が出てくる。
何かをすると、その後にさらに用意する必要のある物がドンドン出てくる。
良い暮らしをしようとすると、その準備だけでも疲れてしまう。
引っ越しというものを甘く見ていた。
だが、一度用意すれば後は楽だとわかっているので、この一週間だけ頑張ったのだ。
「ふぅ、ようやく一段落したか。明日くらいからは動き出せるな」
「私もよ」
レジーナは花の種や木の苗を買いそろえていた。
元々、森の中で生まれ育ったレジーナは、自然に囲まれた生活の方が良いらしい。
自然の無い街中の環境では、ストレスが溜まるようだ。
それなら、庭師も雇おうかと申し出たが、レジーナは庭師を雇う事を断った。
自分の手でやれるだけの事をやってみたいそうだ。
ゾルドはその望みを受け入れてやった。
ゾルドがパリでレジーナに言った事。
『お前の美しい手に、あかぎれなんて似合わない。それにお前には苦労をかけた分、楽にさせてやりたいんだ』
これは半分以上は料理を作って欲しくないという思いから出た言葉だ。
しかし、少しくらいは本気で思っている。
とはいえ、ゾルドにはレジーナを家に閉じ込めて、食って寝るだけの生活を強制しようなんて思ってはいない。
家に閉じこもっているのではなく、ガーデニングという趣味を持つのは良い事だと思っていた。
それに、これからゾルドは忙しくなる。
レジーナに構ってやれる時間も減るだろう。
だから、ゾルドはレジーナのガーデニングを応援するつもりだ。
少しでも寂しさを紛らわせるのなら、それは良い事だ。
(金の続く限り、今の生活を続けるだけでもいいんだが……。そうもいかないな)
今は庭のテーブルで、レジーナと優雅にティータイムを過ごしている。
庭の端、鍛錬場としてホスエのスペースを確保したところでは、テオドール達がホスエから剣を教わっていた。
彼等はゾルドの護衛を兼ねた、屋敷の警備員として働いてもらう予定だ。
ホスエという実力者を教官に持つ事は幸運だが、ゾルドの目から見れば少々指導が厳しい。
だが、テオドール達も体力のある獣人なだけに、あれくらいでちょうど良いのかもしれない。
見かけ上は、平和な暮らしだ。
”こんな暮らしがずっと続けばいい”
そう思ってしまうが、そうはいかない。
ロンドンでの失敗を繰り返す事になってしまう。
(天神を殺せば、日本に戻れるかもしれない。ダメだったとしても、神として酒池肉林の生活ができる。今は我慢だ)
成功するためには、いつだって我慢が必要だ。
受験勉強に就職活動、その後の出世争い。
安易な道を選ぶと、その先にあるのは茨の道だけ。
今は未来のための投資の時だと、ゾルドは自分に言い聞かせる。
「こんなに広い庭を耕すのも大変だろ。本当に人を雇わなくてもいいのか?」
「魔法で耕すから大丈夫よ」
「魔法、か……」
土を耕す事までできるとは、本当に便利なものだ。
この時、ゾルド自身も魔法を学びたいという事を思い出した。
忙しくなってからでは、また聞きそびれてしまう。
今の内に聞いておこうと考えた。
「なぁ、俺も魔法を覚えたいんだ。だけど、魔法の適性が無くても魔法を覚える事ができるのか?」
まったく魔法が使えない事自体は恥ではない。
いや、魔神という事を考えれば恥かもしれない。
だが、魔法の使い方を聞かぬままでいる方が、人として恥ずかしい。
”聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥”
その言葉を思い出し、ゾルドはレジーナに聞いた。
「適性が無くても使えるわよ。けれど、私の回復魔法のように、効果は大幅に弱くなるけど」
「そうか、使えるのか! どう使うんだ」
ゾルドはレジーナの言葉に希望を持った。
多少効果が弱くなろうが、お得用魔法スキルセットの効果を利用して、魔力を多く使って補えば良い。
もう洗浄の魔法だけしか使えない日々からはおさらばだ。
「そうね……、最初は指先から魔力を動かすイメージをしたらどうかしら」
レジーナはティーカップに指先をちょっと入れる。
そして、指先からポトポトと落ちる紅茶を見せた。
「こんな感じに、魔力を水のように垂らす練習するって聞いた事があるわ。その方がイメージしやすいんですって」
「へー、お前もこうやって練習したのか?」
ゾルドに聞かれ、レジーナは気まずそうな顔をした。
言い辛いが言っておいた方が良いだろうと、思い切って話してみる。
「エルフ種なら、物心つく頃には魔力を感じる事ができるわ……。さっきのは魔法を使えない人向けの練習方法よ。魔力を体外に出すのを覚えるためのね」
「そうか……」
この世界で生まれ育っただけあって、魔力の感じ方が優れているのだろう。
ゾルドは魔力があるはずなのだが、この世界に来てから自分の魔力を感じた事はない。
(適性があったりすれば、わかっていたんだろうか)
こんな事なら”最初のスキルを選ぶ時に、相乗効果のあるスキル選びをしておけば良かった”と後悔する。
こればっかりは、何度後悔してもしきれない。
本当に異世界に来るとわかっていれば、もっと真剣に悩んだ。
いや、そもそもゲームを起動なんてしなかった。
しかし、いつまでも悔やんでいても仕方がない。
ゾルドは大人しく、レジーナに言われたやり方で魔力を動かそうとする。
右手の人差し指から、魔力を出そうと試した。
水滴が落ちるのに合わせて……。
――しかし、サッパリわからない。
指先を濡らし、落ちる水分と一緒に魔力を指先から絞り出そうとするが何も出そうにない。
むしろ、力む事で尻から別の物が出そうになる。
「なぁ、さっぱりわからないんだが……」
「魔力はあるはずよね。うーん、何かしら」
レジーナは、ゾルドが魔力を出そうとしていた右手に自分の手を重ねた。
「もう一度やってみて。あなたの魔力が感じられるか試してみるわ」
「わかった、やってみよう」
ゾルドは、もう一度魔力を出そうと試してみる。
「きゃっ」
まだ始めたばかりなのに、レジーナは悲鳴をあげて手を放す。
その手はヤケドをしたかのように、皮膚がめくれあがっていた。
慌ててゾルドは水差しの水をレジーナの手にかける。
「大丈夫か!」
「これくらいなら自分で……。【ヒーリング】」
レジーナは回復魔法を使い、自分で怪我を治した。
それを見て、ゾルドは安心する。
あかぎれの無い手にしてやるどころか、酷いヤケドを負わせてしまった。
「どういう事だ?」
ゾルドは魔力を使おうとしただけだ。
ヤケドをさせるような使い方はしていない。
何がこの事態を引き起こしたのか、聞いておく必要がある。
「魔力があるのはわかったわ。いえ、あり過ぎるのよ。だから、魔力の流れがわからないくらい、多くの魔力が体内を巡っているの。ヤケドをしたのは、あなたの魔力が体からあふれ出て、私の体に流れ込んだせいよ」
”魔力があり過ぎる”
その事自体は悪い事ではない。
ゾルドはそう思ったが、多いとどういうデメリットがあるのかわからなかった。
「多い分には良いんじゃないか?」
「いいえ、違うわ」
レジーナは力なく首を振る。
「魔法を使うには、魔力の流れを感じる事が大切なの。魔力が多すぎて、きっとどう動いているのかわからないのよ」
「あ、あぁ……、なんてこった……」
(俺はいきなり魔神になったしな……。しかも、魔力系のスキルを取ったからなおさらか)
ゾルドは魔力が多すぎて困るなんて、思いもしなかった。
魔力が多ければ、それだけ多くの魔法を使えるとしか考えていなかったからだ。
まさかの事実に、ゾルドは落胆する。
(あれっ? そういえば、あいつはどうなんだ)
「なぁ、ジャックはどうなんだ? あいつも魔力が多かったはずだ」
「……ごめんなさい。ジャックって誰だったかしら?」
レジーナはジャックの事を知らなかった。
ドーバーの食堂であった少年の名前など忘れていたというのもあるが、彼女はゾルドが追い出され、ジャックが魔族の王になった事を知らない。
ジャックが即位した時には、ゾルドと共にブリタニアを出ていたからだ。
その事を思い出したゾルドは、レジーナに説明してやる。
「ジャックっていうのは、ドーバーの食堂であったハーピーの子供だ。実は俺の子だった」
「えっ……」
レジーナはようやくジャックの事を思い出した。
そしてゾルドは、ブリタニアを追い出された時の経緯をレジーナに話す。
己の愚かさを話すのは辛かったが、重要な事だ。
包み隠さず、全てを話した。
「子供の頃の方が魔力を感じやすいらしいから、多分だけれど慣れていたんじゃないかしら。それにハーピーの子なら風魔法の適性はあるはず。だから、なおさら覚えが良かったんじゃない」
「そうか……」
(確かにジャックはこの世界で生まれ育った。やっぱり、子供の頃から慣れるっていうのが大事なのか……。しかも、地属性以外は適性があったと言っていたし)
同じようにお得用魔法スキルセットを持っていそうな感じだったのに、活用できる者とできない者。
その差を目の当たりにすると、より一層惨めになる。
(俺にできる事……、やっぱ詐欺だけか?)
それはそれで惨めだ。
せっかく剣と魔法の世界にいるというのに、できる事は人を騙す事と力任せに暴れるだけ。
その力すら、ニーズヘッグ達には負ける。
弱い者イジメにしか使えない程度の力だ。
落ち込んでいたゾルドの頭に、あるひらめきが脳裏をよぎった。
「レジーナ。俺の手に魔力を流せ」
「ええっ!」
先ほどレジーナのヤケドを見ていたはずなのに、なぜ自分の手に魔力を流せというのか。
(もしかして、責められる方が好きなのかしら?)
レジーナはおかしな事を思い浮かべた。
だが、そんなはずはない。
今までレジーナと過ごした夜を思い出す限り、ゾルドは責めるのが好きなタイプだ。
「いいからやってみてくれ。それで魔力の流れがわかるかもしれない」
「なるほど、そういう事ね。でも、他人の魔力を受け入れるのは痛いわよ」
「構わない」
歪んだ性癖があるわけではない。
だが、レジーナはちょっとだけ”これで目覚めてしまったらどうしよう”と心配するような心の余裕があった。
レジーナは手をそっとゾルドの手に重ねる。
「それじゃあ、やるわね」
「があぁ、痛えぇぇぇ」
レジーナが魔力を流した瞬間、感電したような痛みを感じ、ゾルドは手を引っ込める。
しかし、その手はレジーナの時のようにヤケドはしていない。
手と手が触れ合っていた部分が赤くなっているだけだ。
流れ込む魔力量の違いかもしれない。
「あなた、大丈夫?」
レジーナが心配そうな顔をしている。
先に彼女が痛い目に合っていたのだ。
ゾルドの痛みも想像できるだけに、心配していた。
そんなレジーナに、ゾルドは手を見せる。
「赤くなっただけだ。俺はすぐに治るから心配ない。それに、今のは良い感じだった」
先ほど感じた、感電したかのような痛み。
ゾルドだって馬鹿なガキの時分があった。
家電の電源コードが千切れそうになっているのを見て、つい触ってしまった事がある。
その時の痛みに似ていた。
(人間の体には電気が流れているらしい。もしかすると魔力というのは、その電気の強い版なのかもしれないな)
「ありがとう、レジーナ」
ゾルドは素直にレジーナに感謝の気持ちを伝えた。
これが魔法を使えるようになるきっかけになるかもしれない。
今の痛みは無駄ではなかった。
少しずつ今の感覚を覚えていけば、いつかは魔法が使えるかもしれない。
そう思うと、ゾルドの顔が自然と緩んだ。
(やっぱり、目覚めちゃった? 気持ちに応えて、責めてあげたほうがいいのかしら?)
すでに治った手を見つめながらニヤけるゾルドに、レジーナはそんな感想を抱いていた。




