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ゾルドは、最後に一つ仕事を依頼するとレストランを出た。
結局、スラムの住人をけしかけたのかは聞かなかった。
同じスラムの住人が金を持ち始めたので、金を奪おうと思ったのだろうと言われたら反論できないからだ。
とりあえず、今回は値上げを飲まされるだけで終わらずに済んだ事で良しとする。
ゾルド達の事を調べようとする者がいれば、教えてくれる事になったからだ。
それだけでも、今回の会合をして良かったと思える。
なんにせよ、人の恨みを買う商売だ。
ゾルド達に恨みを持ち、素性を探ろうとする者がいるのなら、早めに知っておいた方が良い。
金で安全を買ったと思えば、納得のいく交渉だった。
しかし、まだ問題はある。
それも早期に解決しておかなければならない。
「レジーン、最近は二人で過ごす時間が無かった。食後のティータイムくらいはゆっくりするか」
レジーナへのフォローだ。
本来なら”レジーナ”と呼びたいところだが、どこにジョゼフの耳があるかわからない。
家に居る間も偽名を使い続けなければならないだろう。
非常に面倒な事だ。
「あら、いいの? 今後の事を考えれば、仕事に集中するのも悪い事じゃないと思うわ」
「いいんだ。たまにはな」
レジーナと二人でゆっくりとした時間を過ごしたのは、ベルリンでの一週間ほどだ。
少しは二人で休んでも良いだろう。
ブリタニア島での一年のように、長い間楽しむわけではない。
ティータイムくらいは、二人の時間を取っても問題はないはずだ。
それに、レジーナは”仕事に集中するのも悪い事じゃない”と言った。
”良い事”だとは言っていない。
彼女も、もう少し自分に構って欲しいと思っている証拠だ。
ゾルドには女心はわからないが、そういった言葉からどう思っているかをなんとなく感じ取る事はできる。
「なら、ここに来る時に通り掛かったパティスリーで食べましょう。見るだけでも美味しそうだもの」
「そうするか」
レジーナが希望したのは、パティスリー――ケーキ屋――だった。
販売するだけではなく、その場で食べられるタイプの店だ。
先ほどのレストランで、しっかりとデザートも食べていたが、レジーナには物足りなかったらしい。
甘い物は別腹というやつかもしれない。
レジーナはゾルドの手を取る。
女を性処理の道具として使うし、産む機械のような扱いもする。
そんなゾルドでも、こうして手を繋いで街中を歩くのは気恥ずかしくなる。
まさか、異世界で”私達、恋人です”というような姿で、街を歩く事になるとは思ってもみなかった。
それも、学生の間ならともかく、社会人になってからとは。
だが、レジーナが手を繋ぐことを希望するので、ゾルドはやむを得ずそれに応えてやる。
それがゾルドの優しさかどうかは関係ない。
レジーナには、今ある手の温もりが全てなのだから。
「結構人がいるから、ゆっくりっていうわけにはいかないか」
パティスリーは昼過ぎだというのに、八割程度の席が埋まっていた。
比較的裕福な者が住む地域だけあって、昼食後ものんびりとできる者が多いのだろう。
女性客が多いのが目立つ。
昼過ぎの平民街なので、男は働いている時間帯だ。
真っ昼間から、女を連れて歩いている方が珍しい。
「知らない人なんて、気にしなくていいじゃない」
レジーナはゾルドの手をギュッと握る。
”こうして、デートができるだけでも十分だと思うわ”
言葉に出さずとも、繋がった手からそう聞こえるようだ。
ゾルドもレジーナの手を、少し強く握り返してやる。
二人は手を繋いだまま、お菓子の並べられた陳列棚の前まで行く。
「目移りしちゃうわね……。ねぇ、あなたはどうするの?」
レジーナは選択の参考になるかと思い、ゾルドに聞いた。
「俺はフルーツタルトにするかな。初めて来る店では、まずは無難な商品を頼むようにしてるんだ」
ゾルドの選択に迷いは無かった。
元々、冒険するような性分ではない。
初めての店ならオリジナル料理には手を出さず、無難な料理を注文する。
基本的な料理の味がよければ、オリジナルにも手を出すといった感じだ。
今回も、フルーツタルトなら外れは無いだろうと思い、これを選んだ。
「そうねぇ、私もそれもしようかしら」
「美味ければ、また来ればいいしな」
次に来るのがいつになるのかわからない。
だが、また二人で出かける事を約束しておくのも悪い事ではない。
二人の約束事というものがある事で、二人の絆を深めるのだから。
二人はフルーツタルトとコーヒーを注文し、空いているテーブルに座って待つ。
そしてゾルドは、近くのテーブルにおしゃべりが好きそうなマダム達がいる事をチェックした。
ほんのちょっと、マリーがあのマリー・アントワネットの役割なのか確認しておきたい事がある。
「そういえば知っているか? 王妃殿下は小麦の高騰を知って”パンが無ければお菓子を食べればいいのに”って言っているそうだ」
「えぇ、そんな事言っているの!?」
ゾルドは近くのテーブルにいるマダム達に聞こえる程度の声で話す。
不自然に大きすぎず、それでいてハッキリと聞こえる程度の声量でだ。
心持ち、周囲の話し声が小さくなった気がする。
「オストブルクの姫様とはいえ、世間知らずにも程があるよな。小麦自体が不足している。これが続くと、平民は金を持っていても麦粥すら食えなくなる」
「そうなったら困るわね」
レジーナはゾルドの意図を理解していない。
純粋に食事ができなくなる事を心配している。
「国のトップがそんな考えじゃ、一時的に国を離れる事も考えないとな。おっ、来たか」
注文した品が届くと、そちらを食べる事に集中する。
それを見て、周囲の者達はまた自分達の話へと戻っていった。
元々マリーへの嫌がらせになれば良い程度で、本気で何かを引き起こすとは思っていない。
だが、もしも何らかの影響を与えるならば、ゾルドが閃いた”重要人物もモチーフしている”という事が裏付けられる。
これからも機会があれば、自然な範囲で話していくつもりだ。
「結構イケるな、これ」
ゾルドの言葉に、レジーナも満足そうに頷く。
「本当に美味しい。やっぱりオーソドックスなのが一番よね」
(……だったら、飯も普通にしろよ)
オーソドックスが一番と言いながら、一番オーソドックスから遠い事をやっている。
そんなレジーナに、心の中で苦情を留めるのは忍耐の必要な事であった。
ゾルドにとって、レジーナとホスエは大事にしておきたい。
だが、どこまで正直に言ってもいいものか。
その距離感を、いまだに掴めずにいた。
「事務所の奴等にも、何か持って帰ってやるか」
ゾルドにしては珍しく気を回してやる。
高額の給料をくれてやっているが、それでも上司から土産を貰うのは嬉しいものだ。
上司に気にかけて貰っていると思えば、部下もやる気が出る。
部下のやる気を引き出してやるのも、人の上に立つ者としての義務だ。
「そうね、皆も喜ぶと思うわ」
久しぶりの二人の時間を過ごし、ゾルド達は土産を買って行った。
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事務所に帰る途中、ゾルド達はジェラルド弁護士事務所に立ち寄った。
金が入り始めたところだ。
改めてよろしく頼むと伝えるのもいいだろうと思ったからだ。
「あら、いらっしゃいませ」
事務所のドアをノックしたゾルド達を迎えたのは、中年の女性だった。
「俺はノルドだ。ジェラルドに会いに来たんだが、今いるか?」
「まぁ、あなたがノルドさん! いつも主人がお世話になっております」
どうやらジェラルドの妻のようだ。
満面の笑みを浮かべて、ゾルドを歓迎する。
「ノルドさんのお陰で主人も人生に張り合いが出て来たようで、張り切って仕事しているんですのよ。それに――」
「ジゼル! 入口で立たせてないで、ノルドさんに入ってもらいなさい」
ゾルドと妻とのやり取りを聞いて、ジェラルドが会話に割って入ってきた。
「あらやだ、私ったら。すみませんね」
「いえ、いいんですよ。これお土産ですので、よろしければご家族でどうぞ」
ゾルドが菓子詰めを渡すと、礼を言ってジゼルが受け取った。
何気なく周囲を見回すと、事務所内にあった安そうな椅子から、来客用のソファーセットに変わっていた。
判例集なども増えているようだ。
ジャラルドはゾルドの視線に気付き、少し恥ずかしそうな顔をした。
「お恥ずかしい限りです。ノルドさんから受けた依頼の報酬で、必要なものを買い揃えている最中でして……。さぁどうぞこちらへ。ジゼル、お茶をお出しして」
「いや、問題が無ければすぐに帰るつもりだ。差し押さえの最初の回収金が入ったから、一度様子を見に来ただけだ」
ゾルド達はソファーに腰をかける。
ジェラルドはゾルドの対面に座り、今の状況を話しだした。
「今は問題はありません。ただ、受け持つ案件が増えてきたので、補助を募集しています。今は妻にスケジュール管理をしてもらっているくらいでして」
今まで暇だった分、一気に忙しくなった。
そして、忙しいだけではなく、その忙しさに見合った収入もある。
嬉しい悲鳴というやつだ。
チンケな正義感のせいで不遇の時間を過ごした。
今はそのお陰でゾルドの仕事を受ける事ができたのだから、人生何が幸いするかわからない。
「そうか。だが、増やし過ぎないようにな。弁護士にこんな事を言うまでもないと思うが、この商売は長く続かん」
「えぇ、わかっています」
ゾルドに言われるまでもない。
何らかの方法で受取証にサインを書かせて、それを証拠に借金の取り立てを行う。
法の専門家であるジェラルドは、ゾルドのやり方には問題があるとわかっていた。
いずれ法によって規制されるか、被害者の救済措置を取るようになるだろうと考えていた。
彼としても、それまでは太く短く、ガッツリと短期間で稼ぐつもりである。
「他にもいくつか商売を考えているが、その時は相談に乗ってくれ」
「もちろん、相談に乗らせていただきますよ」
ジェラルドの息子は、親が急に稼ぎ出して心配していた。
怪しい仕事に手を出したと思っているからだ。
だが、それでも”今まで苦労をかけた分だ”と、大金を積まれれば心も変わる。
今までにないくらい、親子関係は円満になっている。
全てゾルドのお陰だ。
自分が稼ぐためにも、喜んで協力するつもりだ。
「そういえば、俺の借金回収は元金だけで利子の回収は諦めている。この意味がわかるか?」
ゾルドの問いかけに、ジェラルドはなんて事はないといった感じで答える。
「えぇ、もちろんです。元金の回収だけなら所得の申告をしなくてもいい。裁判所を通しても、利子を取ってないので税務署は動きません」
「そうだ、所得の申告をしなくていい金。そして、裁判所を通して手に入れた合法的な金だ」
堂々と人目を気にせず自由に使える金だ。
後からどう使ったか調べられる事もない。
ゾルドはこれを有効に使おうと思っていた。
「報酬額は回収金の15%、これは変わらない。だが、人を増やすのなら約束は守る。そうだな、まずは来月から回収額の2%分は、申告しなくていい金を渡そう」
ゾルド達は借金の回収なので、税金で取られる事はない。
国に取られる金は、手続きに必要な金だけだ。
だが、ジェラルドは違う。
この国に住み、弁護士という収入がハッキリとしている職業だ。
収入があれば、その分はしっかりと税金で取られる。
だから、ゾルドは表向きは今まで通りの報酬額を払う。
その裏で、コッソリと現金を渡してやると言っている。
普通に2%分増額しても、税金で取られるのは面白くない。
ジェラルドとしても、収入が増える方が良いだろうと気遣ってやったのだ。
「……そうですね、そうしてくださると助かります」
ジェラルドはその提案を受け入れた。
――毒を食らわば皿まで。
少しでも家族に良い暮らしをさせてやりたい。
そのためなら、一線を越えてもいいと思っていた。
正義感に燃えた男の姿は、もうそこには無い。
不遇の時間が正義に燃える炎を消し去って、煤のように黒く薄汚れた心だけが残っていた。
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事務所前では、ホスエがテオドールと剣の練習をしていた。
ゾルドの姿を確認すると、手を止める。
「社長、お帰りなさい」
「おやっさん、どうでしたか」
テオドールが残っていたのは、ジョゼフとの会合が心配だったからだ。
ゾルドは心配ないと教えてやる。
「話し合いは上手くいった方だと思う。俺達の事を調べようとする奴がいれば、向こうから教えてくれる事になった」
だが、テオドールはよけいに心配そうな顔になった。
「俺達になにかしようとする奴がいるんですかい?」
「今は大丈夫だ。だが、これからはわからんだろ。保険だよ。ちょっとくらいなら、オスエ一人でなんとかしてくれるさ」
ゾルドの言葉を受け、ホスエは胸の前で拳を作る。
自分に任せろという事だろう。
実際、その強さを知っているだけに頼もしく感じた。
「今日は土産を買ってきたから、みんなで食べてくれ。特にオスエはいつも事務所と家の往復ばかりだしな。たまにはお菓子でも食べて休んでくれ」
「ありがとうございます、社長」
「剣を教えるのは良いが、怪我をしないようにな」
そう言い残すと、ゾルドとレジーナは事務所へと入っていく。
「先に着替えて来るわね」
「あぁ、いいよ」
レジーナは事務所の隅に作られた仮設の更衣室に向かう。
こういう時のために作っておいたものだ。
元がそこそこ広い倉庫なので、場所には困らない。
レジーナが着替えに向かっている間、ゾルドは買ってきた菓子を事務所の台所に置く。
わざわざ魔道コンロまで買って、事務所内で飲み物が飲めるようにしている。
こんな場所にしては無駄に高価な物だが、誰も盗もうとはしない。
ゾルドが買ってきた物だと、皆が知っているからだ。
皆に行き渡る量の菓子があるのを確認すると、ゾルドは自分の席に座る。
自分の席といっても、他の者達と変わらない。
普通のオフィス用デスクだ。
そこで、自分の知っている人間を思い出そうとする。
(とはいえ、俺が知っているのは少ないっていうか……。ほぼゼロか)
学校の授業は単位を取るために頑張るのであって、卒業したら覚えている事は少ない。
それに熱心で、優秀な生徒ではなかった。
友人に歴史好きな奴はいたが、ゾルドは興味が無かった。
世界史を専攻していないゾルドに、思い出せるのはほんの数人。
そして、戦争関連は一人しか思い浮かばなかった。
(そうだ、ヒトラーだ。あいつなら世界を戦争に巻き込んでくれる!)
だが、まだ居るかどうかもわからない。
そんな奴に期待していいものだろうか。
悩むゾルドの脳裏に、一人の男の顔が浮かぶ。
(……あぁっ、居たよ! たぶん、あのチョビ髭だ!)
初めてウィーンに行った時、出会った絵描き。
今思えば、ヒトラーを若くした感じだったかもしれない。
しかし、その時話した内容が問題だった。
”美術学校に落第したけど、後から合格になった”
ゾルドの友人が”ヒトラーは美術学校に落第がきっかけで、それから色々こじらせた結果独裁者になった”と言っていた気がする。
それが今ではキャンパスライフを楽しんでいる。
きっと、頼りにはならないだろう。
(人が苦しんでるのに、なに充実した生活を送ってやがんだ!)
彼は”魔神がいる時代に合う絵柄だから”と学校に合格したと言っていた。
ゾルドに必要な人材なのに、ゾルド自身が遠ざけてしまっている。
もちろん、彼がヒトラーだった場合だ。
似たような顔をした別人なら、関係はない。
もしも、本人だったら……。
大きな損失だ。
ゾルドはため息を吐く。
「ねぇ、あなた。少し休んだら」
レジーナがゾルドの背後から抱き着く。
いつの間にか、着替え終わっていたようだ。
豊満な胸の谷間に頭が挟み込まれて心地良い。
「大丈夫だ。十分休んでいる」
「でも……」
レジーナは、ここまで考え込むゾルドを見た事がない。
肉欲に溺れている姿の方が印象強いくらいだ。
そんな男が真剣に悩む姿は、レジーナを不安にさせた。
無理をせず、時には休んで欲しいと思っている。
「わかったわ。今晩の料理は私が頑張るわね」
「さて、着替え着替え。今日は疲れただろ? 料理なんてしないで、夕食はどこかに食べに行こう」
突然元気そうに立ち上がるゾルドに、レジーナは目を丸くした。
でも、元気になってくれたのならそれでいいと、ゾルドに笑顔を向ける。
(やれやれ、これじゃゆっくり考える事もできやしない)
今のゾルドが恐れるのは、いつ現れるかわからない神教庁関係者ではない。
毎日のように現れる、料理らしきナニカだった。




