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「そういえば、最近パンが高いんだけど何か知ってる?」
食事が出され始めた時に、レジーナがジョゼフに聞いた。
仕事の話が終わったようなので、世間話として聞いてみたのだろう。
(わざわざジョゼフに聞く必要もないだろうに)
ゾルドはそう思ったが、こんな事を聞かれてもジョゼフは笑顔で答えた。
「確かにパリでは、平均して小麦が20%ほど値上がりしています。今後も売り渋りなどが重なって、より一層値上がりするでしょう。天候不順とプローインとの戦争が重なったせいですね」
――プローインとの戦争。
その言葉にゾルドはピクリと反応する。
まさか、こんなところで聞く事になるとは思いもしなかった。
ゾルドは心の中でレジーナに感謝する。
「ここのところ仕事にかかりっきりで知らないんだが、プローインとの戦争ってどうなってるんだ?」
「酷いもんです。最初の足並みがバラバラだったので、酷い目に遭いました」
苦笑交じりにジョゼフは言った内容はこうだ。
魔神に寝返ったプローインの打倒に、まずはガリア、オストブルク、ポールランドが兵を挙げる。
ポール・タルノフスキ将軍が居なくなったのは、時期的にプローインの仕業だと思っていたポール・ランドは特に早かった。
討伐軍を編成すると、タルノフスキ将軍の息子であるポールを先頭に攻め込んだ。
だが、それは撃破されてしまう。
次にガリアの軍が越境し、ベルリンに向かい進軍していた。
そしてハノーファ近郊まで近づいたところで、ポール・ランド軍を撃破したプローイン軍の待ち伏せに遭い撃退される。
今はオストブルク軍の迎撃に移動中だろう、との事。
ミラノやソシアは軍の移動中らしい。
(なんだ、意外と強いじゃないか。そのまま頑張ってくれよ、フリード)
戦争に強いというのは、嘘ではなかったようだ。
周囲が敵だらけという状況で、かなり頑張っている。
だが、勝って欲しいとまでは思わない。
フリードは、ゾルドを裏切った。
今なら魔神の助けを求めるかもしれないが、助ける気などまったくない。
それだけフリードの裏切りは、ゾルドの心に深い傷を刻み込んだ。
ほどほどに戦争を長引かせて、戦死した兵士の家族に憎悪の感情を撒き散らして死んでくれれば、それでいいと思っている。
(そうか、戦争を起こさせるのは良いな。自分の家族が死ねば”なんで夫を死なせたんだ”と神を恨む奴も一定数いるだろう)
今後の行動方針をどうするか。
それについて、一つの選択肢を得る事ができた。
レジーナやホスエは、ゾルドと共に行動をするから入手できる情報は変わらない。
テオドール達は、今は仕事に必死で噂話を聞き集めるなんて事はできない。
ゾルドは閉鎖的なコミュニティ内だけではなく、外部からの情報の獲得。
その重要性を実感した。
「しかし凄いな。国外の事までわかるなんて」
「いえ、今のは新聞にも載っている程度の内容ですよ」
「……そうか。新聞をとるのも良さそうだ」
ゾルドは情報収集に、紙の新聞から情報を得るという事が抜け落ちていた。
異世界で紙の新聞という情報の入手手段があるとは思わなかったし”ニュースはスマホなり、パソコンなりで新聞社のHPで見るもの”という認識だったからだ。
これは良いことを聞いたと、心のメモ帳に書き記しておく。
「それにしても、せっかく三ヵ国で攻めてるのに各個撃破されるなんてな」
せっかく東西南と半包囲しているのに、バラバラに攻めては意味がない。
せめてに日にちだけでも決めてから、同時に攻めこめば良かった。
それくらい、戦争の素人であるゾルドですらわかることだ。
「油断したとしか言いようがありませんね。せっかく、去年オストブルクの皇女が陛下と結婚されたというのに生かせていない」
ジョゼフの話はゾルドを刺激してくれる。
もちろん、いい意味でだ。
(そういえば、オストブルクのマリーが結婚するとか言っていたな……)
この時、ゾルドの脳裏にとある人物名が浮かび上がった。
(もしかして、マリーはマリー・アントワネット役だったりするのか!)
ゾルドに衝撃が走る。
歴史に詳しくないゾルドでも、その名前は知っているくらいの有名人だ。
ガリアはフランス、オストブルクはオーストリアだろう。
その両国が婚姻して、ガリアに輿入れしたマリーという名の嫌な女。
そこまで揃えば、なんとなく連想できる。
もしかしたら、ヨーロッパ大陸をモチーフにしただけではなく、重要人物もモチーフにしているのかもしれない。
これを利用すれば、これから有用な人物を探し出せる。
そう思い――
(あぁ、世界史取っときゃ良かった! ちくしょう!)
――後悔した。
ヨーロッパ関係の歴史など、有名政治家くらいしか覚えていなかった。
マリー・アントワネットがいる時代の有名人なんて、ナポレオンくらいしか知らない。
他の国なんてサッパリだ。
(いや待てよ、スペイン内戦とか聞いた事あるぞ。ヒスパンの内戦がそれなら、時代が合わない気がする。もしかして、時代がバラバラなのか?)
もしも、そうだったならお手上げだ。
歴史の広い範囲なんてカバーできない。
最高の人材獲得チャンスなのに、誰が有用な人材なのかサッパリわからない。
世界史を選択しておけば良かったと、ゾルドは落ち込んでしまう。
「あなた、大丈夫?」
レジーナが心配そうな顔をして、ゾルドの顔を覗き込む。
何かを思いついたような表情をしたと思うと、悩み始めて頭を抱える。
そんな異常行動を取り始めたのだ。
誰だって心配する。
もちろん、ゾルドに問題はない。
かなり重要な事に気付いたから、つい周囲を気にせず考え込んでしまっただけだ。
――目の前にジョゼフという名の、拡声器があるというのに。
これは失態だ。
ゾルドは素直に謝る事にした。
「マリー王妃殿下の事を考えるのに熱中してしまった。心配かけたな。ジョゼフにも申し訳ない事をした」
「いいえ、いいんですよ。……ただ、王族関係の犯罪には一切の協力はできませんからね。それはハッキリ言わせて頂きます」
どうやら話のタイミング的に、ジョゼフは勘違いしてしまったようだ。
ジョゼフは、ゾルドがマリーを使って何かをやらかそうとして考え込んでいたと思っていた。
そんなゾルドのイカレっぷりに、ジョゼフの腰が引けてしまっている。
さすがに”この世界について考えていた”なんて言えないゾルドにとって、好都合な勘違いだった。
「あぁ、わかっている。考えただけだ。実際には何もやらない」
「普通は考えもしないんですが……」
ジョゼフはドン引きしていた。
”いくらなんでも、この男はヤバイ”
情報を聞いてある程度は理解していたはずなのに、それ以上にぶっ飛んでいる。
王族ですら、踏み台程度にしか思わないのだ。
情報を売買するだけの仲。
それ以上は、絶対に深入りしないとジョゼフは決意する。
「ん? どうした、レジーン」
”すねてます”という表情をして、レジーナがむくれている。
ゾルドは心配そうに、レジーナにどうしたのか聞いてみた。
「別に……。マリー王妃殿下は大層美人な方らしいですから、真剣に考えるのも仕方ないと思っただけよ」
レジーナは、ゾルドが”マリーの事を考えるのに熱中した”という事が不満だった。
ゾルドも男なので「誰々が美人だよな」という話しが出るというのは許容できる。
だが、すぐ隣に自分がいるのに、そんな話をしなくてもいいではないかと勘違いしてしまった。
だからつい、むくれてしまったのだ。
ゾルドも、レジーナが何かを勘違いしている事に気付いた。
(うわぁ、めんどくせぇ……)
しかし、レジーナは他の有象無象の女とは違う。
レジーナには、それなりに誠実な対応をしてやりたいと思っている。
仕方なしに、ゾルドは誤解を解いておく事にした。
「レジーン、思い出せ。俺が今まで抱いてきた女を、顔の好みを。マリー王妃の事をそういう意味で考えていたわけじゃない」
ゾルドの言葉に、レジーナは思い出した。
魔族の女と人間の女では、美人とされる基準が違う。
そして、ゾルドは魔族の女を好んでいた。
その事を考慮すれば、人間の美人は好みの範疇ではないだろうという事をわかってもらえるはずだ。
だがしかし、レジーナはまだむくれたままだ。
ゾルドには何故だか理由がわからず、首を傾げる。
それを見たジョゼフが助け舟を出してやった。
「他の女の話をされた。その事自体が面白くないのでは」
「あぁ、そうか。悪かった、怒るなよ」
(やっぱり、女はこういうところが面倒だな)
確かに感情の乏しい女よりは良いが、感情が豊か過ぎても困るもの。
だが、無神経なゾルドも悪い。
レジーナと一歩進んだ関係になったのだから、相手を尊重するという事を覚えるべきだ。
今はもう、ただの都合の良い女ではないのだから。
「それにしても、よくわかったな」
そんなゾルドの問いかけに、ジョゼフは苦笑する。
「私だって、家に帰れば妻の顔色を伺う毎日ですよ。まぁ、そのお陰で物事を見る目が鍛えられましたがね」
ジョゼフの冗談に、ゾルドは笑う。
惚れてしまえば、その相手に強く出れないのは誰だって同じだった。
おかしなものだ。
二人とも大勢の部下を使っている。
多くの者の上に立つ男達が、女には勝てないのだから。
この後、彼らは食事を進めながら世間話をして、会合を終えた。
ゾルドにしてみれば、得るものが多い会合だった。
それにレジーナの存在のお陰で、ジョゼフから見たゾルドの印象も少しだが和らいだ。
――女のご機嫌取りに困る。
そういった人間らしい一面を見る事ができたからだ。
やはり、人間というのは共感できる一面があれば親しみが沸くというもの。
レジーナのお陰で”友好的なフリをして距離を置く”というジョゼフの判断が”距離を置くが、友好的な関係を築いてもいい”程度には変わっていた。
世の中何が役に立つかわからないものである。




