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あの後、二件回って同じように受取証にサインを貰った。
「あとは弁護士に裁判の手続きをしてもらって、財産の差し押さえをする。不動産屋か競売にかけて現金化する。簡単だろ?」
その言葉に同意する者は居なかった。
スラム出身の者に、いきなり理解しろと言う方が無理なのだ。
「まぁ、大体は弁護士に任せればいいってことだ。お前達は、さっきのようにサインを書いてもらう仕事さえしてくれればいい。最初は一緒に行くから、やり方を見て覚えろ。いいか、暴力は禁止。怒鳴るのはオッケー。わかってるな」
「へいっ」
今度は威勢の良い返事が返ってくる。
ゾルドは、これにウンザリした。
ロンドンにいた頃は、耳に心地よい綺麗な声が返って来ていた。
それが今では、むさ苦しい男に囲まれて、野太い声の返事が返ってくる。
こうしてみると、やはり今の境遇は辛いと改めて実感する。
「それで、その肝心の弁護士のところまで案内してくれ」
「ここですぜ、おやっさん。」
「……はぁ?」
テオドールが指差した場所は廃墟といってもいいようなアパートだった。
スラムに近く、決して弁護士事務所があるような場所には思えない。
しかし、よく見ると消えかかっている壁看板に”二階 ジェラルド弁護士事務所”と書いているような気がする。
文字が年季の入っているせいで、まったく読めない。
「ここが? てっきり、住所を書いた紙を取りにスラムに戻ってるのかと思ってたんだが……」
弁護士は良い場所に事務所を構えている。
ゾルドにとっては、それが常識だった。
悪人とつるむような、肥え太った悪徳弁護士しか知らないのだから仕方がない。
(さすがにこれは酷い。最低限の書類作成もできないような奴には用はないぞ)
ゾルドが求めているのは、裁判に必要な手続きのできる最低限の知識を持った弁護士だ。
ドラマの弁護士のように、法廷でご立派な弁舌を行う事は期待していない。
必要な書類を揃えていれば、粛々と手続きをしてくれる。
それだけでいいのだ。
だが、このボロい事務所を見ると、それすら不安になってしまう。
「とりあえず、入ってみるか。テオドール以外は帰っていいぞ」
帰りの道案内には一人いればいい。
なので、テオドール以外の面子は先に帰らせた。
弁護士事務所に大勢で押しかけて圧力をかける必要は無い。
中へ入ろうとドアノブを回した時点で、ドア全体が悲鳴を上げる。
古いというだけではなく、油を差したりもしていなさそうだ。
(暇そうっていっても、多分他にもいるよな……)
前情報で問題点も聞いている。
だが、その問題点は利点にもなる。
上手く使えるかどうか次第だ。
しかし、ゾルドはすでに引き返したくなってきていた。
ここまで手入れされていない場所に事務所を構える弁護士に、仕事を依頼するのが怖くなったからだ。
事務所に居たのは中年の男だった。
久々に来た客に、喜ぶどころか驚いている。
「もしかして……、客か?」
「あぁ、大口のな」
「おおっ、それはそれは。どうぞこちらへ」
そう言って進めた先は普通の椅子だった。
応接用のソファーではなく、食卓用のテーブルセットの椅子だ。
さらに部屋の中を見回すと、弁護士事務所によくある判例集といった本も無い。
辛うじて法律書があるだけだった。
これには驚きを越えて、呆れてしまう。
どれだけ貧しいというのだろうか。
(おいおい、マジかよ。大丈夫か、こいつは)
水の入ったコップは綺麗だが、それだけ使う機会が無かったという事だろう。
暇な弁護士とは言ったが、ここまでとは思わなかった。
ゾルドは段々と不安になってくる。
それとは対照的に弁護士、ジェラルドの顔は笑顔が浮かんでいる。
「代表のジェラルドです。今回はどのようなご相談でしょう」
相談するだけならすぐに済む。
駄目でもともと、話をすることにした。
「実は借金を踏み倒そうとする相手がいるんで、差し押さえの手続きをお願いしたいんですよ」
ゾルドは偽の借用書と、サインを貰った受取証を見せる。
それを見て、ジェラルドが渋い顔をした。
「借用書と受取証のサインが別物ですね。この場合、借用書が偽物の可能性があるので厳しいと思いますよ」
「いやいや、そんなはずがないだろう」
一般論を述べるジェラルドに、ゾルドは反論する。
「受取証にちゃんと”借金の返済として、金を受け取った”って書いているだろう。これは債務の追認だ。借用書に本人がサインしてようがしてまいが、追認した以上は本物の借用書として効力を発揮する。あんたも弁護士ならわかっているはずだ」
――債務の追認
本人が借用書にサインしたかどうかは関係ない。
後からでも一部返済する事で”借金が本物である事を認める”という事になる。
こうなったら、偽物の借用書は本物として扱われてしまう。
その場しのぎのために金を払ったせいで、多額の借金がある事を認めてしまった形になってしまった。
”厄介な奴らに帰ってもらうために払った”と言っても無駄だ。
書類として形に残っている以上、もう取り消す事はできない。
誰だってチンピラに家を囲まれたら、さっさとお帰り願いたい。
その感情を利用して、金を支払わせて受取証にサインさせた。
これは架空請求などにも使われる手だ。
”あなたには○○万円の借金があり、こちらは訴訟の準備中です。今なら〇万円支払う事で裁判沙汰にせずに済みます”
といった文面で手紙を送り、金を支払った場合は○○万円全額支払えと言ってくる。
これは”〇万円を支払ったから、借金がある事を認めた”という”債務の追認”を悪用した詐欺である。
物事を穏便に済ませたいという、人の感情を悪用するのだ。
現代社会ならば、警察や弁護士に相談する事で大体はなんとかなる。
だが、この世界は犯罪が多様化する前の法律のままだ。
今回、ゾルドはそれを利用した。
魔神としての反撃第一弾は、金を集める事。
そのためには手段を選んでいられなかった。
「それはわかりますが……、入手手段は違法でしょう?」
ジェラルドはテオドールの方を見ている。
多少、服や毛並みを綺麗にしたところで、ゴロツキという雰囲気までは変えられない。
テオドールの雰囲気を見て、暴力によって手に入れた物だと思われたのだ。
「いいえ、全て合法ですよ。支払い期限の過ぎた借用書を見せて、全額が無理ならばと一部返済してもらったんです。暴力は一切無し。体に触れてすらいません」
「そうですか。それでは、差し押さえの手続きだけでいいんですか?」
「いや、できれば不動産の競売まで頼みたい」
その言葉に、しばしジェラルドは考え込んでしまう。
「一件当たり着手金として20万エーロ、成功報酬で回収額の30%は頂かないと」
「それは高すぎる。着手金は良いが、成功報酬は20%でいいだろ。仕事は継続的に与える」
だが、ジェラルドは覚悟を決めた顔をして突っぱねる。
「いえ、あなた方からは裏社会の人間の匂いがします。非合法な仕事を引き受けるからには、高額の報酬を頂かなくてはやっていられません」
ジェラルドにはジェラルドの言い分があった。
”100%真っ白な仕事ではない以上、こちらには危険手当を要求する権利がある”
当然とも言える要求だが、ゾルドからすれば違う。
分を越えた要求は不愉快でしかない。
「16%だ。お前がそんな事を言える立場か? 守秘義務のある弁護士にあるまじき依頼者の犯罪の公表。それ以来、仕事が来なくて長年息子に援助してもらってるんだろ。お前は孫娘におもちゃも買ってやれない哀れな爺さんだ。仕事を選り好みしている場合か?」
「なんでそれを……」
これは情報屋から仕入れたネタだ。
ジェラルドは20年ほど前に、児童連続誘拐強姦殺人の容疑者に依頼され弁護をする事になった。
弁護の腕が良かったのだろう。
無罪判決が出そうな流れになってしまった。
その時、ジェラルドは依頼者の相談内容や証拠品の隠匿場所を暴露してしまったのだ。
お陰で依頼人は死刑。
人として正しい事はしたが、弁護士としては間違いだった。
数年間の資格停止を受けてしまう。
そして、復帰後は誰も依頼して来なくなってしまった。
犯罪者だけではなく、善良な人間もだ。
守秘義務を破り、依頼者の相談内容を暴露する弁護士に依頼する者などいない。
自分の依頼内容に問題はなくとも、人にバラされると思えば相談し辛いのだ。
それ以来、ジェラルドは息子に援助してもらって事務所を維持していた。
「正義感が強いのは良い。人としては好感が持てる。だが、親としてはどうだ? いつまでも息子の援助に頼っているのも心苦しいだろ? ここらで息子に恩返ししてやれよ。今なら12%だ」
息子は自分の家庭もある。
いつまでも親に援助するのは、妻にも申し訳ないだろう。
つまらぬ一時の正義感で人生を棒に振ってしまった。
ここらで人生を取り戻してもいいはずだ。
正義感に燃えて生きることできない。
必ずどこかで挫折する。
ゾルドの存在は、ジェラルドにとって地獄に垂らされた蜘蛛の糸だ。
再び弁護士として働く機会を与えられたのだから。
「暇そうな弁護士だから選んだだけで、お前じゃなくてもいいんだぞ。8パー――」
「やめてくれ! 引き受けるから減らさないでくれ!」
ジェラルドの悲痛な叫び。
彼は暴露した事には後悔していない。
だが、つまらぬ意地を張って、弁護士事務所を開き続けた事には後悔していた。
妻や息子家族にも迷惑をかけてしまっている。
だから、最後と思ってこんな仕事を引き受けようと思った。
報酬額を高めに要求したのは、弁護士としての正義感が捨てきれなかったからだ。
せめてもの、金を貰う事で気持ちを抑えようとしていた。
しかし、今は違う。
”仕事が欲しい”
それが非合法な物であってもいい。
家族への贖罪をしたかった。
そのためなら、安くなってもいいから仕事が欲しかった。
「なら、12%か。……いや、やっぱりやめよう」
「なぜだ!」
せっかく引き受けると言ったのに、断られてしまっては意味が無い。
「そちらは回収額の30%を要求した。それが12%となると4割でしかない。安い仕事だからと手を抜かれても困るからな。他所を当たる」
「そんな事はない! しっかりと仕事をする。本当だ、信じてくれ」
ジェラルドはすがるような目でゾルドを見る。
せっかくの仕事、それも大口だ。
逃したくは無かった。
「そうだな……。それじゃ最初は成功報酬で回収額の15%。仕事の量が増えたら随時相談により増額するというのでどうだ」
「はい、それで結構です。ありがとうございます」
ジェラルドが要求したのは30%。
ゾルドが提案したのは20%。
いつの間にか15%にまで下がっているのだが、12%から増やしてくれた事にジェラルドは感謝すらしていた。
「それではまず、この三件を頼む」
ゾルドは本日集めて来た受取証を借用書と共に渡す。
「どのくらいの期間で現金化が終わる?」
「……これなら三か月ほどで終わりますね」
「三か月? 早過ぎないか? 不動産の評価や入札期間だけでもそれくらいかかるだろ?」
そうではないと、ジェラルドは首を振る。
「あなたの国ではどうだったのかわかりませんが、この国ではそのくらいで終わるんですよ」
「そうなのか。それでは頼む」
そういうものだと言われれば、それは違うと言い返す事はできない。
ゾルドはあくまでも法律書を流し読みしただけだ。
本職の人間にそう言われれば納得するしかない。
これから三か月間、手に入る金を楽しみにしながら、さらなる犠牲者を増やし続けていくだけだ。
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この国の法律は予想以上だった。
財産の差し押さえ判決が出ると、財産の差し押さえから売却までの流れが異常に早かった。
居住権なんかも関係ない。
不動産の評価が終わり、宝石などの動産を売り払っても借金を返せないとなると、居住者は奴隷として売り飛ばされるからだ。
これは予想外のメリットだった。
パリにいればうるさくわめかれるので、どこかへ売り払われるのは好都合だった。
「はい。というわけで、今月のお給料です」
スラムに近い場所に借りた倉庫で、パチパチと20人分の拍手が鳴り響く。
机を並べただけの簡素な事務所。
そこでは三か月目の給料日が訪れていた。
「今までは月20万エーロの基本給でしたが、なんと! 今月から回収金の1割が皆さんのお給料に上乗せされます!」
今度は歓声と共に、より盛大な拍手が沸き起こる。
誰だって給料が増えるのは嬉しい。
皆が純粋に喜んだ。
ゾルドも、ノリノリで良い社長を演じている。
「この仕事を始めたばかりの頃の案件がお金になりました。動産、不動産の売却。足りない分は奴隷として売り飛ばして、合計10億エーロ。この1割の1億エーロを均等に分けます」
スラムメンバー20人分の給料袋を並べる。
レジーナとホスエには同額を渡していた。
ホスエが会計として仕事をし、レジーナは社長秘書と会計補佐をやっている。
その働きの分は渡しておかねばならない。
彼等にも自由に買い物をしたいと思う気持ちはあるのだし、無償の奉仕といううさんくさいものに頼るつもりもない。
「今月は一人520万エーロです。さぁ、順番に受け取りに来てくれ」
「おやっさん、いいんですか? 俺等はスラムの人間なんですが……」
テオドールは恐る恐る金を受け取る。
520万エーロという金額は、パリに住む者でも年収ともいえる金額。
それが一月分の給料として受け取れる。
あまりの現実感の無さに、手の中の重みすら信じられなかった。
「いいんだよ。働けば働いただけ給料が増える。その方がやりがいがあるだろ」
「おやっさん……、あんた良い人だなぁ。ありがとう。本当にありがとう」
テオドールだけではない。
他の者達も泣いて喜ぶ。
本当にチャンスだったからだ。
もう、ひったくりなんてしなくていい。
真面目に働くだけで、盗みなんて比べ物にならない金を稼げるのだから。
「残った金は貴族や衛兵にタカられた時のために置いておく。お前達がヘマした時の弁護士費用にもな。捕まらないようにこれからも頑張ってくれ」
「はい!」
「最近、小麦の値段も高くなってきてるから助かるよな」
「助かるなんてもんじゃねぇよ。家も買えるぜ」
「さすがに家は買えねぇよ」
「そりゃそうか、ハハハハハハ」
口々に喜びの声が上がる。
ゾルドは嘘を吐かなかった。
スラムの人間にチャンスを与えた。
スラムの人間が稼ぐ事のできない金を掴ませたのだ。
そしてなによりも、今回の件で多くの人が神を恨んだことだ。
”なんでこんなことになってしまったのだ”と。
自分が金を稼げて、神への恨みも稼げる。
この時は、最高にやりがいのあるの仕事だと思っていた。
その日の晩、ゾルドは寝る前にレジーナに話しかけた。
「なぁ、今の仕事どう思う?」
「どうって……、10億エーロも稼ぐのは凄いと思うわ」
「そうか……」
レジーナの返答を受け、ゾルドは一度考え込んだ。
彼女の返事に満足していないのだ。
「なら、魔神としてはどうだ? 正直なところ、魔神のやる事としてはショボイなとか思わなかったか?」
「Zzzzzzz――」
露骨な狸寝入りだ。
レジーナとしては口に出して答えるのは気が引けたのだろう。
しかし、時として人の態度は言葉よりも雄弁に語る。
「やっぱ、思ってんじゃねぇか!」
ゾルドはレジーナの脇腹をくすぐる。
「きゃっ、ちょっと、やめてよ」
突然くすぐられて、身をよじるがゾルドからは逃れられない。
ひとしきりイチャついた後、グッタリとしたレジーナを尻目にゾルドは考えにふけっていた。
(やっぱり、もっと大きな事をやらないといけないな……)
今やっている事が、自分に思いつく精一杯。
ゾルドは己の器の小ささに頭を抱えていた。




