62
今まで散々な扱いをしていた女との、どこかくすぐったい平穏な生活。
そんな暮らしをしている内に、俊夫の心の中で、ある考えが芽生えて来た。
(髪も伸びないし、顔も老けた感じがしない。神だから不老不死とかなのかもしれないな。……レジーナの寿命が尽きるまで一緒にいて、それから死んでもいいかな)
俊夫は諦めていた。
天神に打ち勝つ事。
そして、日本に帰る事を。
魔族の支援も、すでに期待出来ない。
そして、敵には神教庁という天神側が一体となれる強力な組織がある。
今更どう足掻いても無駄だと、どうしても考えてしまうのだ。
”レジーナの寿命が尽きるまで寄り添いあっていてもいいのではないか”と思ったのだ。
ダークエルフの寿命はわからないが、少なくとも人間よりは長いだろう。
100年や200年という時間を生きるのならば、俊夫も”人間としては十分に生きた”と諦められる。
そう考える事で、今を前向きに生きようという気になってきていた。
そんなある日の事。
王宮から使者が来た。
「昼食会への誘い? 随分急だな」
使者が言うには、明日の昼前に俊夫を呼び出して昼食会をしたいそうだ。
王族が人を呼び出す事は問題無いと思っていたが、明日突然にというのに俊夫は驚いた。
王侯貴族なら、余裕のある期間をとってアポを取るものだと思っていたからだ。
(まぁ、フリードだしな)
あの筋肉の塊を思い出すと、普通の王とかいう言葉がどこかに行ってしまう。
思い立ったら、すぐ行動というタイプなのだろうと思うと、仕方ないかと思えてしまう。
「特別なパーティというわけではなく、主だった者との顔合わせだけですから」
「そうか。レジーナ、さっそくアクセサリーを付ける機会ができたな」
俊夫はレジーナに話を振る。
アクセサリーを買って以来、レジーナは上機嫌だ。
指輪は普段からつけているが、ブローチなどは良い店に食べに出かける時くらいしか付けられなかった。
家で付けておくような物ではないからだ。
宝石の類は、女に買ってやるだけではダメなのだ。
買ってやった後、宝石を付けて出かける機会を作ってやらねばならない。
むしろ、男の義務ともいえる。
そこへ、ちょうど王宮からの呼び出しが来た。
宝石類で完全武装して出かけるには、これ以上ない機会だと俊夫は思った。
「申し訳ございませんが、明日の招待はゾルド様だけと聞き及んでおります。奥様のお披露目はまたの機会という事で、よろしくお願い致します」
使者の言葉にレジーナはガッカリし、すぐに照れ笑いの表情を浮かべた。
左手の薬指に目立つ指輪があるのだ。
俊夫の女だと、誰だって一目でわかる。
それでも、奥様という言葉はまだ言われた事がなかった。
実際の生活でそういった立場だと思っていても、やはり人に言われると全然違う。
まだ正式に結婚はしていないが、レジーナは”この人の隣に居れるのは私だけなのだ”と実感した。
「すまないな。フリードに聞いて、機会を作って貰うよ」
「別にいいのよ。今は二人でいるだけでも……」
そう言って、レジーナは指を絡めてくる。
彼女の話し方が元に戻っているのは、俊夫が言ったからだ。
”もう奴隷じゃないんだから、等身大のレジーナのままでいて欲しい”と。
敬語で話されると、レジーナとの距離を感じてしまうからだ。
時々はクセで敬語になるが、それも愛嬌として受け入れていた。
「久し振りに会うのを楽しみにしていると伝えてくれ」
「はっ、それでは失礼致します」
俊夫も使者も、空気を読んだ。
唯一、レジーナだけが空気を読めなかった。
レジーナが醸し出すデレデレとした空気が、ピンク色の雰囲気を作り出そうとしていたからだ。
いくらなんでも、王宮からの使者がいる前で作り出すムードではない。
(もうちょっと、空気読んでくれないかなぁ……)
俊夫が、そう思うのも仕方がない事だった。
確かにダークエルフの愛が深いのは良い事だとは思うが、時と場合を考えて欲しかった。
俊夫は空気を読む必要性を、しっかりとベッドの上で教え込んでやった。
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翌日、俊夫はフリードの誘いに乗り、王宮へ来ていた。
形式ばった服で来なくても良いと言われたが、馬鹿正直にいつもの服で来たりはしない。
とはいえ、タキシードのような物ではなく、華美になり過ぎない程度の貴族服だ。
これなら悪目立ちするような事はないだろうと考えていた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
執事らしき者に案内される時になって、ようやく俊夫は気付いた。
(あっ、やべっ。お土産持って来てねぇわ)
こういった食事会で手土産がいるのかはわからない。
だが、1年振りに会うのだ。
しかも、一国の王に。
なにか手土産があった方が印象は良かっただろう。
(ローブを着ていたらなぁ。なにか適当な物を取り出して、土産だって言い張れたのに)
今の俊夫は、まったくの手ぶらだ。
「夕食には帰ってくるよ」
と、レジーナに腕時計まで預けて来ていた。
自宅には時計が無かったからだ。
ただ、ここまで何も持っていないのも不安になる。
”フリード達に会うのならば、もう少し飾りっ気があっても良かったのではないか?”
そう思うと、自分も何かアクセサリーを買っておけば良かったなと後悔していた。
ロンドンでは自分の事しか考えていなかった。
その反動で、レジーナの事ばかり考えてしまったのだ。
(我ながら、なんとも度し難い)
友人達が”恋人が出来た””結婚した”という話を聞いた時は、表面上は祝っていたが、内心では馬鹿にしていた。
いつかは飽きる女に、小遣い制という名の制約を課され、余生を家族のために使う事を強要される。
そんな人生は嫌だと思っていた。
だが、今はそんな人生も悪くないと思っている。
見知らぬ者が飢えて死のうがなんとも思わないが、レジーナくらいは幸せにしてやりたいと思い始めていた。
自分がここまで変わるとは、今まで思いもしなかった。
”どん底の自分に付いてきてくれた”
それだけ。
たったそれだけで人の心は変わる物なのだ。
”人間の心とは、不思議なものだ”と俊夫は思っていた。
俊夫が考えにふけっている内に、どこかわからない場所まで来ていた。
生垣に囲まれて、周囲の様子がよくわからない。
「なぁ、いつになったら着くんだ?」
「もう、まもなくです」
そう言われては、これ以上言いようがない。
大人しく執事の後ろをついていく。
そして生垣を抜け、フリードが視界に入ったところで異変は起きた。
執事が横に飛び退いたのだ。
そして、得体の知れない壺の影に隠れた。
「おい、何やって――」
言葉を言い切る事が出来なかった。
残りの言葉は悲鳴となったからだ。
「――がぁぁぁ! なんだ、なんだぁぁぁl」
俊夫は地面に倒れる。
背後から何者かに、両手両足に剣を突き立てられた。
再生できないように、剣は刺さったままだ。
そのまま、俊夫は地面に押し付けられた。。
(誰だ、王宮でこんな事をする奴は!)
なんとか背後を見ようと身をよじる。
――そこにいたのは神教騎士団の鎧を着た男達。
彼らは背後から忍び寄っていたのだ。
さらに、フリードの周囲の物陰から大勢の騎士が姿を現す。
彼らは周辺国に駐留していた神教騎士団の正騎士達。
俊夫がベルリンに姿を現したので、この一週間で気付かれぬように急いで集められたのだ。
その姿を見て、俊夫は恐怖を覚える。
「フリード! なんだこいつら……。なんなんだよぉ!」
騎士や部下達に近寄るのは危ないと制止されているのだが、フリードはそれでも俊夫と話のできる距離まで近づいてきた。
その目に友人のような気安さはない。
敵を見るような目をしていた。
「ゾルド、なんでこうなったかわかるか?」
フリードは静かに語るが、そこに冷たさが感じられる。
俊夫には、その理由がわからなかった。
「わかるか! いきなり、剣を突き立てられてわかる奴がいるか!」
俊夫は感情的になる。
声を荒げる事で、痛みを紛らわそうとしているのだ。
もっとも、それくらいで和らぐ痛みではなかった。
「ブリタニア諸族連合の話は聞いたよ。お前が魔神だったなんてな」
「それがどうした! お前のために力を貸してやっただろうが」
フリードのために、暗殺をしてやった。
戦争に参加までしてやった。
それがこのような扱いを受けるとは……。
俊夫が納得できるわけがなかった。
「言ったはずだ。お前が魔神だったら”殺す”とな」
「えっ……」
俊夫は、そんな話をした覚えはなかった。
実際はしていたのだが、軽い雑談程度の流れだったので気に留めてなんかいない。
まさか話したか、話してないかも覚えていない程度の事が、こんな事になるなんて思ってもみなかった。
「その様子だと覚えていないようだな。だが、覚えているかどうかは関係ない」
フリードは十字架のネックレスを首元から取り出す。
「俺は敬虔な神教徒だ。魔神の居場所を知っているなら、神教騎士団に突き出す。人として当然の事だろ?」
「嘘だろ、フリード……」
「事実だ」
俊夫の言葉にも、フリードは首を振るばかりだ。
確かに今まで魔神だと打ち明けた事は無かった。
だが、いきなりこのような事になる前に、一言”この国から出ていってくれ”くらい言ってくれても良かったのではないか?
俊夫は、そう思ってしまう。
しかし、これはフリードの方も似たような事を思っていた。
俊夫が魔神であるならば、あらかじめ言っておいてくれれば、それ相応の付き合い方が出来た。
一番の問題は、俊夫に仕事を頼んだ事だ。
その事が明るみに出れば、魔神と組んだと思われかねない。
敬虔な信者としてだけではなく、一国の王としても俊夫を通報するしかなかったのだ。
通報する事で、天神へと信仰心を証明する。
それがプローインにとって、選べる唯一の選択だった。
ただでさえ、戦争を周辺国に仕掛けて敬遠されているのだ。
魔神と裏で繋がっているなんて思われたら、連合を組んで滅ぼされてしまう。
「もういい、やってくれ」
フリードの言葉に、俊夫は絶望した。
「いいわけあるかぁぁぁーーー! フリード、待てよ。やめてくれ、フリードォォォーーー」
叫んでも無駄だった。
騎士の一人が俊夫の首を切り落とす。
聖属性の効果が付与された剣は、魔神に非常に有効だった。
それを確認した後、手足に突き刺された剣が抜かれ、手足も切り落とされる。
頭と胴体、両手足。
6つの部位は、それぞれ庭園に置かれていた壺の中に入れられる。
これは魔力を遮断する特殊な壺だ。
普段は特殊な素材を保管するのに使われている。
6個の壺は密封されて、封印の魔法が施された。
これで移動中に体の再生が始まる事はない。
中から逃げ出す事はできなくなった。
ローマまで運ぶのに問題はないだろう。
「陛下。あなたは後世に伝わる偉業を成し遂げられました。神にもかならずお伝え致します」
「あぁ、よろしく頼む。本当に護衛は良いのか?」
騎士は胸を張って答える。
「もちろんです。正騎士が20名もいれば、襲い掛かってくる者などおりませんゆえ」
騎士達は壺を幌馬車に積み込み始める。
その様子を、フリードは複雑な表情で眺めていた。
”あの時、倒れていた男を助けなければ良かったのではないか?”
その問いは、俊夫が魔神だと知ってからずっと考えている。
だが、その答えはいまだに出せていない。
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「クソッ、裏切者め」
「早く仕留めろ」
周囲が騒がしい。
何か争っているような音が、俊夫の耳に入ってくる。
時折爆発音のような音も聞こえてきた。
「もしや、あのダークエルフまでいるのか! 逃がしていたとは」
俊夫は体の痛みを感じて、自分の体を見た。
周囲には壺の破片が散乱し、自分はその破片の上で横たわっている状態だった。
せっかくの貴族服が破れ、半袖半ズボンという情けない恰好になっている。
(そうだ、俺はフリードに裏切られたんだった……)
信用していた相手に裏切られた。
その事は俊夫の心に、新しい傷を与えた。
だが、今は落ち込んでいる場合ではない。
ダークエルフという事は、レジーナが助けに来てくれたのかもしれない。
そちらを助けなければ、また集まってきた騎士によって切られてしまう。
魔神装備が手元にないのが悔やまれる。
おそらく、それを計算して昼食会といって誘いだしたのだろう。
己の迂闊さを悔やむ。
馬車に火も付いているが、まだ燃え広がってはいない。
俊夫は、そっと横倒しになった馬車の荷台から様子を窺う。
いきなり飛び出すわけにはいかないからだ。
(うぉっ、あいつ強ぇな)
神教騎士団の鎧を着た犬の獣人。
彼だけは頭一つ抜けて強かった。
戦いの素人である俊夫が見てもわかるくらいに。
彼は腹に傷を負いながらも、また一人切り伏せる。
疑問が浮かぶとすれば、他の神教騎士を相手にしている事だ。
(裏切り者って事は……、そうか! 昔、魔族が俺を探すために、人類社会に潜入させてた奴かもしれないな)
俊夫の疑問は解決した。
そう考えれば、わざわざ俊夫を助けようとする理由も納得できる。
魔神を助けようとしているのだ。
だが、今のまま放置すれば、彼も殺されてしまう。
状況を変える必要があった。
騎士は、まだ5人残っている。
どこからか飛んでくる魔法も、避けられてしまっている。
このままでは、長くは持たないだろう。
俊夫は馬車の近くで死んでいる騎士の剣を抜く。
自分がまともに剣術を学んでいる者に勝てるとは思わない。
しかし、隙を作るだけなら別だ。
魔神の力で振り回される剣を無視できる者はいない。
その間に、あの犬の獣人が他の騎士を倒してくれれば良い。
俊夫が様子を見ている内に、獣人は追い詰められている。
ここはもう行くしかない。
「うぉーーー」
わざとらしく大声をあげ、剣を振り回しながら突進する。
剣は子供が棒切れを振り回すような雑な動きだったが、勢いだけは凄かった。
騎士達は俊夫の登場で一瞬動きが止まる。
魔神が蘇っていたというのにも驚いたが、ド素人丸出しの剣技にも驚いた。
わざとやっているにしても無様過ぎる。
何か狙いがあるのではないかと深読みしてしまい、足が止まってしまった。
それが失策だった。
素早く1人が切られ、2人が火魔法の直撃を受けてしまった。
炎に巻かれて即死した方はまだいい。
死ねなかった方は、高熱で喉を焼かれて呼吸できなくなり、空気を求めて喉をかきむしりながら死んでいった。
「くそっ、どうしろってんだ」
「やるしかねぇだろ!」
残った2人の騎士の内、1人が俊夫に向かってくる。
そして見事、俊夫の胸に剣を突き刺した。
だが、俊夫はそれでひるまなかった。
剣を刺されたまま、俊夫も剣を刺し返したのだ。
無傷で倒そうとすれば、剣の扱いが上手い相手に勝てるはずがない。
魔神だからこそできる、相討ち覚悟の捨て身の戦いだ。
さすがに騎士もこれは計算外だった。
俊夫と騎士は共に血を吐き出すが、先に力尽きたのは騎士の方だった。
犬の獣人の方を見ると、全員倒れていた。
犬の獣人も含めて、全員だ。
(ちくしょう、痛ぇな)
痛いが、死ぬよりはマシだ。
胸を突かれて、肺が傷ついたのだろう。
息が苦しい。
だが、それも少しの我慢。
すぐに怪我が治るからこそ、できる事だ
俊夫は、自分の首筋に触る。
首を切り落とされていたのに、今では普通に繋がっている。
もしかすると、神の持つ武器でないと神は殺せないのかもしれない。
(でもベルリンには帰れないよな)
荷物は全てベルリンだ。
そう考えれば、全てを失った事になる。
ガックリきた俊夫の視界に、茂みから出てくる怪しい人影が映る。
(まだ居たのか)
思わず戦闘態勢を取るが、その怪しい人物が話しかけてくるとすぐに警戒を解いた。
「あなた、大丈夫!?」
怪しい人影はレジーナだった。
彼女は俊夫のローブを纏い、背中に剣とカバンを背負っている。
いつもの俊夫の恰好に近かった。
(俺はこんなに怪しかったのか)
自分では気付かなかったが、他人があの恰好をしているのを見ると怪しさがよくわかる。
(我ながら凄い恰好をしていたもんだ……)
だが、今は装備と一緒にレジーナが来てくれた事が嬉しい。
俊夫は両手を広げて、レジーナを迎えた。
「レジーナ、助けに来てくれてありがとう」
「良かったぁ。本当に良かった」
レジーナは俊夫に飛びつくように抱きつき、俊夫の安全を喜んだ。
そして、自然と二人はキスをする。
しかし、そのキスは軽い物だった。
この場から、一刻も早く逃げなければならない。
神教騎士団の人間を殺しても、プローイン軍が出張ってくるかもしれないからだ。
「まずは逃げよう」
名残惜しいが、俊夫はレジーナを引き離す。
レジーナもわかっているのか、わがままは言わなかった。
ただ、先ほど戦っていた獣人の方を見て、俊夫を引き留めた。
「あの人のお陰で私は逃げられて、ここであなたを助ける事ができたの。生きているなら、最後に声をかけてあげてもいいんじゃない?」
「そうなのか」
(俺だけじゃなく、レジーナも助けてくれたのなら一言くらいはいいか)
時間はないが、一言”おつかれさん”と声をかけてやるくらいなら良いだろうと思った。
獣人の場所まで歩いていく。
胸が上下しているのが見えるので、まだ生きているようだ。
しかし、腹が大きく引き裂かれている。
出血も酷いようで、そう長くは無さそうだ。
「俺達を助けてくれたんだって? ありがとうな」
命を助けてもらった割りには、軽いお礼だった。
俊夫にとって、もう魔族は絶対的な味方ではない。
今では捨て駒の一つでしかないのだ。
「ねぇ、あなた。さすがにそれは酷いと思うのだけれど……。親切で助けてくれたのよ」
「親切? 魔族が俺を探すために送り込んでいた奴の残りじゃないのか?」
「まぁ、呆れた」
レジーナは、やれやれと首を振る。
「神教騎士団に潜入できるわけないじゃない。それに大陸に探しに来ていた人達は、みんな島に帰ったわよ」
「……それじゃ、こいつは誰だ?」
俊夫は倒れている犬の獣人に視線を向ける。
息も絶え絶えで、苦しそうだ。
「ゾルド兄ちゃん。俺、役に立てたかな」
(なんだ、こいつは。妙に馴れ馴れしいな)
いきなり”ゾルド兄ちゃん”呼ばわりされて、俊夫は眉をひそめる。
獣人の年齢は俊夫には判別し辛いが、それでも20代半ばくらいだろうというのはわかる。
だが、こんな獣人に知り合いはいなかった。
見覚えのない奴に”ゾルド兄ちゃん”呼ばわりされる覚えはない。
「あぁ、役に立ったぞ」
「良かった……」
獣人は少し安心したような表情を見せる。
それでも苦悶の表情は消せない。
凄く苦しそうだ。
「なんでお前は、俺達を助けようと思った? 神教騎士団だろ、お前も」
獣人は少し遠い目をしてから、俊夫を見つめ返した。
「助けて貰ったんだ……、ゾルド兄ちゃんに……」
「俺に? 犬の獣人を助けた覚えなんてないぞ」
その言葉に怒るのではなく、獣人は懐かしむように目を細める。
「犬じゃない、狼だ」
この時、俊夫は真剣に悩んだ。
自分が人を助けるような事があったか?
しかし、今のやり取りは、どこかでやった覚えがあるような気がする。
しばらく思い悩んで、ようやく一つの出来事を思い出した。
11年前に出会った少年の事を。
「お前……、ホスエか?」
「そうだよ」
俊夫が思い出してくれた。
自分に気付いてくれたと、ホスエは涙を流す。
大怪我していても動じなかった涙腺が、感動には耐えられなかったのだ。
「ごめん。本当はもっと早く助けられたら良かったんだけど、急な招集で伝える暇が無かった。だから、レジーナさんを逃がして、護送中に襲うくらいしかできなかったんです」
「わかった、お前がやった事は十分ありがたい。もういい、喋るな。どこか治療できるところまで連れて行ってやる」
俊夫はホスエに話す事をやめさせたかった。
貴重な自分の味方だからだ。
それも、魔神だと知った上で助けてくれたし、かなりの実力を持っている。
そんなホスエを失いたくなかったのだ。
だが、ホスエはやめなかった。
自分の傷は致命傷であること。
このままでは、近くの街まで持たないと気付いていたから。
「ずっと恩返しするために頑張ってきたんだ。今日、やっと恩返しが出来て良かった」
「……俺は魔神だぞ」
嬉しそうに言うホスエに、俊夫は自分の正体をハッキリと伝えた。
それでも気にしないと、ホスエは話を続ける。
「初めて会った時、ずっと神様に助けて欲しいって祈ってたんだ。そんな時に救いの手を伸ばしてくれたのは、ゾルド兄ちゃんだけだったんだ。天神か魔神かなんて関係ない。僕にとっての神様はゾルド兄ちゃんだけなんだよ」
そこで一度深く深呼吸する。
腹が切られているので、息をするだけでも苦しそうだ。
「神教騎士団に入ったのは、ゾルド兄ちゃんの役に立ちたかったから。魔神だと知っていれば入ってなかった」
ホスエは、ニッコリと笑う。
「最期に恩返しが出来て良かった……」
ホスエの顔からは苦悶の表情が消え去った。
成すべきことを成し遂げ、満足した男の表情がそこにあった。
ホスエはゆっくりとまぶたを閉じていく。
「おいおい、自分だけ満足して死ぬ気か? 人に恩を着せておいて、そりゃ勝手すぎるだろ。死ぬんじゃない。死ぬな、ホスエーーー」
俊夫の声をバックミュージックにして、ホスエは走馬燈を見ていた。
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『そこの兄ちゃん、これ以上先に行くのは止めときなよ』
『なんでこの先に行くのはダメなんだ?』
『ただでさえ魔神が現れたっていうで殺気だってる中に、そんな恰好で行くなんて馬鹿みたいだ。そこは自分で気付こうよ』
『これはこれで便利だからな。やっぱり、この先の街でも暴動が起きているのか?』
『誰も暴れたりはしてないよ。がっかりはしているけどね』
『何があったんだ?』
『ヒスパンが国境の通行税を値上げしたんだ。一人1,000万エーロだってさ。ポート・ガ・ルーの避難民を受け入れたくないんみたいだ』
『ふーん』
『家族に捨てられたか』
『違う、僕が自分で残るって言ったんだ! 僕はもう立派な男だから!』
『そうか。お前も色々あって大変そうだな』
『まぁね。けど、こうやって話してみると兄ちゃん、意外と普通だね。もっと悪い人かと思ったよ』
『そりゃそうだ。本当に悪い奴は普通の恰好をして、周りに溶け込むもんさ。悪巧みを気付かれないようにな』
『それもそうだね』
『ところで、少しでも早く家族に会いたいか?』
『そりゃ会いたいよ』
『良い方法がある。お前も連れて行ってやってもいいぞ』
『……国境の検問所を避けて、川越えとか違法な行為は嫌だよ』
『検問を正面から通るさ。合法的に通ってヒスパンに行くから安心しろ』
『……』
『騙されたと思えば、こっちに戻って家族が迎えに来るのを待てばいいだけだろう。正面から行くんだ。最悪追い返されるだけだと思わないか? それに親戚から金を貸してもらえないかもしれないだろ。行くだけ行って損はないさ』
『それはそうだけど……』
『家族に合わせてやるよ。俺はゾルドだ。よろしくな』
『……僕はホスエ。よろしく』




