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ソシアに到着して三ヵ月が経った。
ゲルハルト達が現地を視察に行ったり、ラインハルトがベリヤンに襲われそうになった事以外は目立った事は無かった。
「あー、寒い寒い」
ゾルドは雪の降る外から屋敷の中に入る。
熱燗で一杯やりたいところだが、そんなものはない。
この屋敷は、ソシア側から用意された物だ。
ウォッカやワインといった物はあるが、日本酒など望むべくもない。
「おやっさん、寒がり過ぎじゃないっすか?」
ゾルドと同じく、外出から戻って来たテオドールが呆れている。
「顔に吹き付ける風が冷たすぎるんだ」
表向きはアダムス・ヒルターとして暮らしているので、魔神のローブは使えない。
暖房の魔法が組み込まれているローブを買ったが、それでも寒いものは寒い。
「精霊が付いていてくれるから暖かいくらいですよ。ちょっと汗もかいてるくらいです」
そう言ったのはラウルだ。
冬になってからは、外出する際に火の精霊を身に付けていく事にしている。
何度も使える懐炉代わりだ。
それでも、ゾルドには物足りなかった。
「そりゃあ、お前達が獣人だからだろ。俺には毛が生えてないんだ。その分保温力が低いんだよ」
「だったら、寒さを感じなくなるくらい鍛えてみようか」
「あっ、暖かいわー。快適だわー」
ホスエの言葉に、ゾルドは露骨に棒読みになって誤魔化した。
今でも十分に大変な思いをしているからだ。
今のゾルド達は時間が空いた時に狩りに出掛ける。
冬ならではの魔物を倒すためだ。
教官モードになったホスエは、ゾルドに休む暇を与えてくれなかった。
今回も、人型の雪ダルマと戦って来たところだ。
一般の兵士でも倒せる程度の強さだが、雪上での戦いを経験させるために、わざわざ連れて行かれた。
――膝の高さまで積もった雪の上。
そんな足場が悪いところでの戦いは、雪国でなければ滅多に経験できない。
”何事も経験しておいた方が良い”というホスエの教育方針により、弱い魔物相手でも良い経験になると狩りに出かけていた。
「俺だって、パーヴェルの相手をしたりしてるから暇じゃないんだぞ」
ソシアの冬は非常に厳しい。
立ちションでもしたら”そのまま凍り付くのではないか?”と思ってしまうほど冷え込んでいる。
できるだけ、家から出たくないと思うのも当然だった。
宮殿に行くまでの短い道のりすら、かなりの我慢を要求される。
それを我慢して頑張っているのだ。
たまにはゆっくりと休みたいと思うのは、ゾルドでなくとも仕方のない事だった。
「陛下の相手って言っても、週に一、二回でしょ。もうすぐ大きな戦争が始まるんだから、時間の空いている時に少しでもやれる事をやっておかないとね」
だが、ホスエはゾルドが休むことを認めなかった。
ゾルドは余裕ができたら”ちょっと娼館へ”という人間である事を熟知している。
もっともらしい理由をつけて、ゾルドに必要以上の休みを与えないようにしていた。
全てゾルドのためを思っての行動であり、実際にゾルドのためになっていた。
本人もホスエの気持ちに気付いているが、どうしても”ありがた迷惑だ”という気持ちを無くすことはできなかった。
「戦争の前だからこそだ。お前だって、家族とゆっくり過ごしたいんじゃないのか?」
レスが生まれてから、ホスエも思うところがあったのだろう。
テレサと、より一層深く愛し合うようになった。
もちろん、マルコやミランダも大切にしている。
戦争に行けば、家族と過ごす時間が無くなってしまう。
もしかしたら、ホスエだって死んでしまうかもしれない。
魔物狩りに出かけるよりも、家族と過ごした方が良いと迷ったりはしないのかと、ゾルドは疑問に思った。
「長い時間一緒に過ごせば良いというものじゃないと思う。どんな時間を一緒に過ごすかが大事だと僕は思うよ」
ホスエはそれが当たり前であるかのように答えた。
共に過ごす長さではなく、密度があればそれでいいと。
「時間の密度ねぇ……。あんまり密度が濃いのもなぁ」
ゾルドは広く浅く楽しめればいいと考えている。
やり込み要素のあるゲームなら有る程度やり込むが、それも途中で飽きてしまう。
気軽さを求めるタイプなのだ。
自分が家族と密度の濃い時間を過ごす事を考えても、イマイチピンと来ない。
「万が一の事を考えて、悔いの残らないようにだけはしとけよ。お前達もだぞ」
「へい」
「わかりました」
ゾルドはテオドール達にも声を掛ける。
強くなったとはいえ、ホスエのような圧倒的な強さを持つわけではない。
戦場で死ぬ可能性が高いのは、彼らの方だった。
「それじゃ、俺も少しくらいは家族と過ごすか」
そう言ってゾルドはリビングのドアを開き、絶句した。
家族が見えない。
「どうしたの?」
動きの止まったゾルドの背後から、ホスエが肩越しに部屋の中を覗き込む。
ソファーの横に置かれたベビーベッドを、テレサと雇った子守りが見守っている。
レジーナは夜にレスの面倒を見るようにしているので、昼間は寝室で寝ていた。
もちろん、子守りに関しては口の堅い者を紹介してもらい、誓約書を書かせている。
「何も無いよ」
いや、ホスエには何も無いように見えるだけだ。
ゾルドの目にはハッキリと見えている。
倍以上に増量された精霊達が、部屋を飛び交っている姿が。
ゾルドは近くを飛んでいた風の精霊に声を掛ける。
「なぁ、お前ら。急に増えたけど一体何があったんだ?」
呼び掛けに反応し、数人の精霊がゾルドの目の前で羽ばたいて止まった。
「王様がゾルドと一緒に戦っても良いって言ってたよー」
「フレイはもう王様じゃないよー」
「王様はレスだよー」
「そうだったー」
そして、キャハハハと笑い声を上げた。
すぐに話が脱線する事に頭痛を感じたが、ゾルドは根気よく話をしようとした。
「それじゃあ、フェアリーランドが味方になってくれるって事で良いんだな?」
「違うよー」
「へっ」
”なら、なぜこんなところに来た?”
そう思ったゾルドだが、精霊の言葉はまだ続きがあった。
「戦いたい人だけ行って良いんだってー」
「でも、たくさん行くのはダメだっていうから、クジ引きで決めたんだー」
「なるほど」
(一応、フレイも配慮してくれたって事か)
ストックホルムに居たのは一晩だけだったが、ゾルドが大量の精霊を鬱陶しいと思っていた事はフレイにも伝わっていたはずだ。
レスの話が伝わったのがストックホルム周辺だけだったとしても、かなりの数の精霊がいたはず。
その全てが押しかけると、絶対にゾルドが嫌がるとわかって止めてくれたのだろう。
レスが生まれるまでは”王”と慕われていただけあって、調整役として心配りのできる男だったようだ。
「アダムス兄さん、精霊が増えてるの?」
ホスエがゾルドに聞いてきた。
ホスエからすれば、ゾルドが独り言を呟いているだけにしか見えない。
だが、その内容でなんとなく何が起きたのかを悟った。
「そうだ。部屋中至る所にいる」
これまでは、蜂の巣に出入りする蜂の群れのようにレスに群がっていた。
今ではレスの周囲どころか、かなり広いリビング中にいる。
(ゴキブリが繁殖し続けた部屋って、きっとこんな感じだろうな)
ウゾウゾとした動きが気持ち悪い。
「精霊の一部が味方になってくれたって事?」
「そうだ」
ゾルドの返事を聞き、ホスエは笑顔を浮かべる。
「良かった。味方は多いに越したことはないからね」
部屋に入った時にゾルドが驚いた理由がわかった。
ホスエはテレサのもとへ向かい、テオドールはリビングのソファーに座る。
ラウルはつまみ食いに厨房へと向かった。
彼らの後ろ姿を、ゾルドは羨ましそうに眺める。
(見えないって良いよな)
精霊は霊体のようなもの。
魔力の無い者には見えないし、触る事ができない。
ホスエ達の体をすり抜けるので、ホラー映画のような光景になっている。
ホスエが歩いて行った道筋には精霊がいたし、テオドールは精霊達がたむろしていた場所に腰を下ろした。
ゾルドはどうしても精霊が気になってしまい、そんな風には振る舞えなかった。
だが、いつまでも立ちすくんでいる訳にはいかない。
「ほら、通るからどいてくれ」
ゾルドは声を掛けながら、レスのもとへと精霊をかき分けながら進む。
膨大な魔力が流れているゾルドの体を、精霊はすり抜けられない。
時々、小鳥がぶつかるような感触を感じるのが不愉快だ。
「テレサ、ダーリャ。二人とも、お疲れさん。何か変わった事はあったか?」
ゾルドはテレサと子守りのダーリャに労いの言葉を掛ける。
戦争は始まってから一年以内に終わらせるつもりだが、予想以上に長引く可能性だってある。
”将来的に戦力として期待できるレスは大事に育てるべきだ”
そのような考えから、人並みに我が子を気遣うようになっていた。
「いつも通り変わった事だらけです」
ホホホとダーリャが笑う。
四十過ぎで五人の子持ちという経験豊富な彼女も、精霊達の存在にはなかなか慣れないようだ。
その存在が見えずとも、ガラガラのおもちゃがひとりでに鳴りだしたり、どこからともなく笑い声が聞こえてきたりする。
一般人には、この屋敷はお化け屋敷でしかない。
にもかかわらず、こんな状況を笑い飛ばせるほど肝が据わっている。
さすが帝室からの紹介だけあって、頼り甲斐がある。
「まったく、こいつらはしょうがねぇなぁ。もう少し大きくなるまで待てねぇんだから」
レスに群がる精霊達を見て、ゾルドは呆れたような声を出す。
彼らは寝ているレスを起こしてまで遊ぼうとした前科がある。
何度も注意をして収まったが、新顔が増えたのならまた注意をしなければならないだろう。
「テレサ。後は俺とダーリャで見ておくから、ホスエとイチャついてきていいぞ」
ゾルドの言葉に、テレサは頬を染める。
「イチャつくだなんて……。それでは、お言葉に甘えて失礼します」
テレサは恥ずかしがっているが、ゾルドと話している間もホスエと腕を組んだままだった。
二人が再会してから、それなりの日数が経つ。
それでも熱愛ぶりは冷める事は無かった。
リビングを出ていく姿を見ているだけで胸やけしそうだ。
「坊ちゃんをお抱きになられますか?」
「ん? 今起きているのか?」
「はい」
精霊達がレスに群がっているせいで、起きているのか寝ているのかもわからない。
泣き声を上げている時は起きているとわかるのだが、大人しい時は判別ができないのだ。
我が子の顔すらまともに見れないのは”さすがに異常な状態だ”とゾルドは思っていた。
「ほらほら、お前らどけよ。親子の触れ合いの邪魔はするなよ」
邪魔な精霊を優しく払い除け、ゾルドはレスを抱き上げる。
レジーナに”レスを抱いてあげて”と何度も頼まれていたので、すでに手慣れたものだった。
初めて抱いた時の、赤子を抱き上げる恐怖感も消え去っている。
「むー、やっぱりゾルドの方が良いの? でも負けない。私がレスの一番になるんだから」
「違う、私よ」
「いやいや、僕だね」
まだ”あー”とか”うー”といった事しか話せないが、精霊にはレスの感情が読み取れる。
やはり、ゾルドやレジーナに抱かれる事が安心できるようで、精霊達は少しばかり嫉妬していた。
「やれやれ、生まれて来た事を大勢に喜ばれるのは良い事だが……。お前の人生は騒がしくなりそうだな」
レスは生まれた時から精霊に囲まれていた。
そして、これからも精霊に囲まれる暮らしになるだろう。
さすがに、周囲が精霊だらけの人生は少し可哀想に思える。
我が子を心配するゾルドの視線は、少しばかり慈愛に満ちたものだった。
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反革命取締非常委員会本部の地下三階。
ここはぶ厚い壁に魔装技師による細工を施され、一切の音を外部に漏らさぬように作られていた。
チェーカーの暗部ともいえる場所。
そこに数人の姿があった。
「いつも悪いな。用意してもらって」
一人はゾルド。
ここには重要な用事があり、週に一度は訪れている。
「いえいえ、良いんですよ。すでにチェキり終わった出涸らしですから」
もう一人はベリヤン。
ゾルドの要請により、とあるモノを用意していた。
「どれを使っても良いのかわからなくてな。自由に使って良いのを用意してくれるのは助かるよ」
ゾルドの視線の先には、取り調べの終わった容疑者がいる。
後は死刑が執行されるのを待っているだけの身。
ただ死ぬだけよりかは、ゾルドに有効活用される方が世のため人のためになる。
(あいつらはこういうの嫌うだろうなぁ。まぁ、俺も見てて気持ち良いものじゃないけどさ……)
レジーナやホスエは人体実験をあまり良くは思わないだろう。
その事はゾルドでも簡単に推察できた。
だから、パーヴェルに会うフリをして、ここに来ていた。
「ありがとう。あとはこっちで片付けておくよ」
ゾルドは実験した後、自分で死体を掃除できる。
遺体を家族の元へ返してやるなど、考えもしなかった。
もっとも、拷問済みの遺体など、返せるようなものではなかったが。
「お礼ならラインハルト君を――」
「ダメだ」
ベリヤンが言葉を言い切る前に遮った。
ゾルドからすれば、ラインハルトは代えがきかない人材だ。
一時的な性欲を満たすために使い捨てられては困る。
「大体、お前の立場なら自分好みの男の子に適当な罪状を付けて自由にできるだろ。それで我慢しておけ」
ベリヤンはゾルドの言葉に雷に打たれたような衝撃を受けた。
今の仕事は天職。
真面目に取り組む事しか頭に無く、職権を濫用しようなどとは考えもしなかった。
好みの子に罪を擦り付ける必要は無い。
親を捕まえた際に、連帯責任で家族も一緒に連れて来れば良い。
どうせ、大人は誰だって大なり小なり社会への不満をこぼしている。
それを理由に、反革命的だと罪を着せる事は難しくない。
自分好みの子を持つ親を狙えば、子供を簡単に手に入れる事ができる。
「さすがゾルド様。その考え方、チェキですよ!」
ゾルドの素晴らしい意見を、ベリヤンはダブルピースで受け入れる。
(好きとチェキをかけてたりするんじゃねぇだろうな)
相変わらず、このおばさんの考える事はさっぱりわからない。
イラつきはするが、彼女には今も世話になっているのできつい事は言いにくい。
手を振って”どっかいけ”と仕草で追い払うと、服の中から闇の精霊を取り出す。
「それじゃあ、今日も頼むぞ」
「任セヨ」
ゾルドは天神対策の魔法を容疑者の体で練習していた。
それは、今までこの世界には無かったオリジナルの魔法だ。
すでに発動の確認はしていたが、戦闘中に必要な効果を発揮できるのかがわからない。
ならば、魔法を使うコツを教えてもらいながら、地道に練習していくのが一番だ。
「クソを垂れ流しているだけの人生で、最後になってようやく人様の役に立てるんだ。誰だか知らないが、良かったな。おめでとう」
椅子に縛り付けられ、目隠しと猿轡をされた男がもがく。
”人生の最後”という言葉に反応したのだ。
身体がボロボロで疲れきっていても、この運命には抗わずにはいられない。
そんな彼を見るゾルドの視線もまた、少しばかり慈愛に満ちたものだった。




