82.四人は温泉につかりながら、他愛もない話に花を咲かせている
「あ゛ーーー。これは体中に染み渡りますな゛ーーー」
「アイリス様、何やらお年を召した殿方のようになっておりますよ」
頭の上に四角い布を乗せ湯の中に肩までつかるアイリスに対して、メルティラは笑みを崩さぬままその豊かな胸の上付近までは湯の外に出している。
山岳の中腹に建造された温泉施設は豊富な湯量を湛えており、眼前に広がるパノラマは麓の町セリンヴェイルから遥か遠くの平原の果てに浮かぶ山の端までを一望することができた。
四人は温泉につかりながら、他愛もない話に花を咲かせている。
「露天風呂、いいですね。アンサスランにある共同浴場とは全然違うというか。何でしょう、この開放感がそうさせるのでしょうか」
「旅の途中で……いくつか露天風呂に……入ったけど……ここは別格の……絶景……。これ以上の贅沢は……あまり……ないと思う……」
ルシアがその華奢な体を湯で流す横で、ネシュレムが髪を洗いながら答える。
彼女達の上には突き抜けるような晴天が広がり、春先の山風は湯に当たり火照った体を心地よく冷やしてくれた。
「ネシュちゃんは今までどこを旅してきたのですか?」
「アンサスランを……後にしてからは……北の方を中心に……色々と回ってた……。この国から出て……隣の国にも……行ってきた」
アイリスが指鉄砲を作りお湯を前方に噴出しながら、隣に入ってきたネシュレムに話しかけた。
「なるほどなるほど。それで、エクっさんとはどこまで進展したのです?」
「え……ええと……。エクスとは……なにも……。エクスは……旅をしている間……自己研鑽が中心……だったから。一応……私の修行にも……付き合ってはくれた……けど……」
「あらあら、エクスエル様も随分と長い間二人一緒にいますのに。修行修行ばかりではいつかネシュレム様に愛想を尽かされてしまいますよ」
ネシュレムがブクブクと口元辺りまで沈み、それをアイリスとメルティラが頭を撫でながら慰める。
ルシアはどうしていいか分からないといった感じでゆっくりと湯に入ってきた。
「あ……話は変わるけど……二人とも……Sランクおめでとう……。なんだか……すごいことに……なっているね……」
「いえいえ。アイリス様はともかく、私などはたまたまです。ロノム様やアイリス様、そしてルシア様のお陰で分不相応ながらここまで来ることができました」
「メルちゃんよりも私の方がしょーじきたまたまって感じですけどねー。ほら、治癒術師のSランクの人が引退したじゃないですかー。その空いた席に潜り込んだって感じですよたまたまたまたま」
ネシュレムとメルティラの言葉に、アイリスが温泉に浮かぶオレンジに対して指鉄砲で噴出したお湯を当てながら答える。
オレンジはアイリスの作った水流に押されてそのまま反対側へと流れていった。
「僕も次のランク試験受けなければならないんですよね……。嫌だなあ、下がらなければいいですけど……」
「ルシちゃんは間違いなく次はランクアップのAだと思いますですよ。越えてきた場数もそこらの冒険者の比じゃないですし、むしろ今年受けてA貰っちゃっても良かったくらいです」
落ち込みがちなルシアに対してアイリスが励ます。
「ルシア……。貴女は……私と同じで……少し……ネガティブに……考えすぎるところが……ある……。それは……あまりいい人生を……渡れない……気がする……から、……もう少し……前向きに考えて……生きた方が……いいんじゃないかな……? 一応……先輩からの……アドバイス……」
「ありがとうございます。そうですね……。折角凄い人達に囲まれているのだし、僕もそこに何とかついていくだけのことはしようと思います」
「ええ、その意気です。私もルシア様のために色々とお手伝いをいたしますよ」
(そうだ……下を向いてばかりいたあの時とは違うんだ……)
三人の言葉を聞いて、ルシアはもう少しだけ前を向いてみようと心に決めた。
「ところで、ロッさんとエクっさんは温泉には来ませんでしたねぇ。なにをしてるのでしょーか」
「なんか……二人で……久し振りに……修行するとか……言ってた……。多分……今は……東側にある……滝に……打たれに……行ってると……思う……」
「はぁーーー。あの二人は全く……」
アイリスが本気の呆れ顔を見せながら、お湯から出て湯冷ましの風に当たり始めた。
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「なあ、エクスさん! この修行、本当に意味あるのかなぁ……!」
瀑布の轟音が間断なく響き続ける中、ロノムは滝に打たれながら白装束に身を包み、隣にいる同じく白装束姿のエクスエルに大声で聞く。
「いいかロノム! これは集中力を高める修行だ! 無駄口を叩かず気を高め、精神を統一しろ!」
山の上から降り注ぐ大容量の冷たい水に震えながら、エクスエルがロノムに対して答えた。
「いやさ! 実際のところ俺達も結構疲労が残ってるから休んだ方がいいような気もするし、どうせ修行をするならこんなことするよりも筋トレしたりとか走り込みをしたりする方がいいんじゃないかと思ったんだけど!」
「それは違うぞ! 動かず滝に打たれているだけの状態ならば体は休みつつも精神は鍛えられるという寸法だ! 分かったら黙って集中をしろ!」
春先の水は身を引き締めるほどに冷たい。
滝に打たれ水に清められる修業は精神鍛錬にはもってこいであり、ロノムもエクスエルも自己の心力向上のために大量の水流を浴び続けていた。
「ありゃあ……。あの男衆二人は何やっとるんかねえ」
僧侶の装束を着た坊主頭の神官が、同じく隣にいる坊主頭の神官と二人で寺院の欄干から滝の方を見ながら会話をしている。
「なんでも、随分と昔の古文書に書いてあった修行をやっとるそうじゃ。滝行言うてなあ、ああやって滝に打たれながら精神を統一しているそうじゃのう」
「ははあ……こんな風の冷たい日にご苦労なことだのう……。どれ、暖炉と湯の用意でもしといてやるか」
限界ギリギリとなったロノムとエクスエルが二人の神官に感謝するのは、今から僅か十分後のことであった。
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「魔物を操る男の素性が大体わかったよ~」
ロノム達が束の間の休息を貰ってから三日経った日の朝、六人はクリストファー伯から召集され冒険者ギルドに来ていた。
冒険者ギルドの一室では、クリストファー伯がロノム達六人を前にして調査報告書を束を広げている。
「男の名前は『マクスウェル』。クリストファー領出身の孤児であり、かつてこのセリンヴェイル冒険者ギルドに所属していた冒険者のようです。難度の高い仕事を請け負っては途中で投げ出すことが多かったようで、依頼者からの評判は良くありませんでした。冒険者ギルドで編成した五人パーティでダンジョン探索に挑み、そこでのスタンドプレーの結果一人突出し消息を絶ったのが我々の確認できる最後となります」
報告書の一つを読み上げながら、ゼフィトがロノム達に資料を渡した。
「あの男……マクスウェルとやらはダンジョン内で追放されたと言っていたが?」
「片一方の意見なのでそのまま鵜呑みにはできませんが、共にダンジョンに挑んだ他の冒険者達は一人駆け出すその男を捨て置けないと思ってダンジョン内を探し、結果パーティリーダーも失っているようです。当時同じパーティにいた元冒険者に話を聞きましたが、やはりその男に対して良い感情は抱いていないようですね」
椅子に座って足を組みながら問うエクスエルに対して、ゼフィトが回答する。
「なるほど……。可能性としてはそこでダンジョンコアとその力を手に入れて、セリンヴェイルの冒険者ギルド含めクリストファー領全体に復讐をするために山岳民族へと近付いたと……」
「いやー思いの他しっかりはっきり完全に逆恨みだねぇ。此方達、恨まれる要素あったかなぁ?」
ロノムの言葉にクリストファー伯が曖昧な笑みを浮かべながら言った。
「ま、それはそれとしてさ。そのマクスウェルが持つ魔物を操る杖さえなんとかすれば、此方達の目標は達成できるかな~、などと思った次第なのよ」
「纏まりかけていた講和の話を山岳民族が反故にしたのも、彼等が魔物という力を手に入れたからですからね。あてにしていた武力が無くなれば停戦せざるを得ないでしょう」
「なるほど。それではマクスウェルを何とかすることが、当面の目標と言うわけですか?」
クリストファー伯とゼフィトの言葉に対して、ロノムが聞く。
「そのとーり。そしてそのための作戦ももちろん考えてあるのよ! 題して『馬さん鹿さん大作戦』!」
クリストファー伯が両手の人差し指と中指を立てながらドヤ顔で作戦名を発表する様子を、内心では「大丈夫なのか?」と思いながらロノムとエクスエルは顔を見合わせた。





