76.雪が降り積もり冠雪した大地の隙間からは岩肌しか見えない山岳地帯を、フード付きのマントを被った男女二人が歩いている
「この辺りの雪は踏み固められているな。人の行き来があるのか、それともダンジョンから魔物が出てきているのか」
「風も……冷たい……。大丈夫……? 私ばかり……暖かい格好……させて貰っている……けど……体は……冷えない?」
「私にそれを聞くか? もう少し涼しくてもいいくらいだ」
雪が降り積もり冠雪した大地の隙間からは岩肌しか見えない山岳地帯を、フード付きのマントを被った男女二人が歩いている。
二人はセリンヴェイルにある冒険者ギルドから依頼され、山岳地帯の中腹にあるダンジョン周辺を調査しているところであった。
「さっき見た……ダンジョンには……ヴァイパーやワーウルフしか……いなかった……。でもこれは……明らかに……人型の魔物の……足跡……。この近くには……こんな人型の魔物が……いるダンジョンは……ない……はずだけど……」
「それもかなりの大群でな。一昨日行った山岳民族の集落を見る限り魔物はダンジョンから調達しているので間違いないとは思うが、それにしても一体どの辺りまで行って調達しているのかは謎だな。ひょっとしたらまだ私達が立ち入っていないもっと山奥の方に別のダンジョンが広がっているのかもしれない」
二人が踏み固められた雪や周辺の調査をしていると女の方が何かに気付いた。
「待って……向こうの方から……何か来る……」
男が女の指さす方に目をやると、オーガやリザードマンといった人型の魔物が群れを成して近付いてきている。
本来であればダンジョンの外には出てくることがないはずの魔物達であった。
「見逃してはくれなさそうだな、行くぞ!」
そう言って二人は戦闘態勢を取り、男の方は銀製の錫杖を、女の方は魔力の増幅に使う呪文書を掲げ、戦闘態勢に入った。
「氷晶は連なる牙突、常闇の風は狂気を宿し吹雪と成す。吹き荒れろ! ブリザード!」
男の詠唱と共に氷を纏った嵐が吹き荒れ、周囲の雪を巻き込みながら魔物の群れの大部分を一網打尽に絡め取る。
「目の前にあるのは……たった一枚だけの壁……。だけど貴方の心の内側は……誰にも入れない……誰にも見えない……。聳え立て、ストーンウォール」
一方男の放った吹雪の魔法を掻い潜り、数体の魔物が二人に向かって突進してきた。
しかしその魔物達の突撃も女の魔法によって生成された岩石の壁にぶつかるのみで終わり、その侵攻を食い止められる。
「明けの星に形成す白刃は幾星霜を積み重ね自ら氷星となり母なる地へと還りつく。降り注げ! アイシクル・ヘイル!」
岩石の壁によって足を止められた魔物達に対して、男の魔法によって頭上に生成された氷柱の雨は容赦なく降り注ぐ。
二桁はいたはずの魔物は全て砂へと還っていき、たった二人の冒険者によって壊滅した。
「そこにいるのは分かっている。出てこい」
そして僅かな時間で呼吸を整えた後、魔物を全て倒した男はフードの下で目を光らせながら数十歩先にある大岩の一つを睨みつける。
「オレに気付くとは中々やるねぇ。冒険者の中ではできる方じゃん?」
出てこなければ吹雪の一つでもお見舞いするつもりであったが、フードの男の言葉によってあっさりと岩陰から人間が出てきた。
「貴様の出で立ちはともかく、その杖に設えた宝珠の禍々しさは隠し切れん」
岩陰から出てきたその男は、山岳民族特有の衣服を身に纏いながらもどこか似合っておらず服装に違和感を覚える。
背が低く色白の痩せ型であり、戦闘民族である山岳民族には似つかわしくない姿形をしているのでそのような印象を受けるのかもしれないとフードの男は思った。
右手には紫とも黒ともつかぬ禍々しいオーラを放った、人の頭のサイズほどもある宝珠を戴いた杖を持っている。
「大体人のことをコソコソと盗み見とは趣味が悪い。敵なのか味方なのか知らないが、話があるのならば堂々と前に出てこい」
「ははは。敵か味方かって、あんたは麓の町の冒険者だろ? 対してオレは見てのとおり山岳民族の服を着ているんだ、あんた等の味方のわけがないだろう?」
色白の男はフードを被った男を嘲るように言い放つ。
「いや、オレとしてもここであんた等を殺しておくつもりだったんだけどねぇ、こんなところまで来るだけあって、思ったよりもやるみたいだ。あの数の下僕達を二人で壊滅させてしまうなんて、中々できないよ」
「下僕だと? その口ぶりだと、まるで貴様が魔物達を操っているように聞こえるが?」
フードの男の言葉に色白の男は下品に口元を歪ませる。
「そうだよ。オレだ、全部オレの力だ。魔物を山岳民族に貸しているのもオレだ。指先一つで魔物を動かす絶大な力を持つのもオレだ。息も絶え絶えでお前達に屈服する未来しかなかった山岳民族を再び隆盛させたのもこのオレだ! 凄いだろう!? このオレは! 何の労力もなく最強の軍団を編成できるんだからな!」
色白の男はそう言いながらひとしきり高笑いをした後、その容姿には似合わない髪をかき上げるような仕草をしてにやけ笑いをしながらフード姿の男女を睨みつけた。
「近々、あんた等にとっておきの絶望をお届けするよ。俺のことを罵倒し、蔑ろにした領内の連中……。そして最後にはダンジョンの奥でオレのことを追放し見捨てたあんた等冒険者達が報いを受ける日が来たんだ! その日まで、せいぜい悔悟の念に駆られながら生きるがいいさ!」
「謂れなき悔悟の念に駆られる必要など毛頭感じないが、元凶である貴様は少々手荒なことをしてでもここで捕縛させて貰う。白刃は水より出でて明けの星に形成す。貫け! アイシクル・レイ!」
フードを被った男は錫杖を構え氷の魔法を放つが、色白の男は一足先に鳥型の魔物を呼びその背に乗って飛び上がる。
氷の弾丸は男の後ろにあった大岩へとぶつかり、大岩は音を立てながら崩れ落ちた。
色白の男が持つ杖の宝珠は先程よりもより黒く禍々しいオーラを纏い、そのオーラの脈動に呼応するかのように鳥型の魔物の目に怪しい光が明滅する。
「はははは。流石のあんたも空までは来られないだろう? オレはこんなこともできるんだよなぁ。はははは、ははははは!」
エクスエルが色白の男とその手に持つ杖の宝珠を睨みつける中、鳥型の魔物の背でひとしきり高笑いをした後、色白の男は魔物と共に山岳民族が集落を構える場所の方向へと空高く消えて行った。
「もうしばらく調査が必要らしいな。あれが何者なのかを含めて、再び山岳民族の集落を探ろう。行くぞ、ネシュレム」
「分かった……エクス……」
そう言って二人はこの場を後にし、山岳民族の集落がある方へと歩き始める。
フード姿の二人の男女はエクスエルとネシュレム。
アンサスランを賑わせたあの事件の後すぐに街を出て各地を放浪し、流浪の冒険者として依頼をこなしながら自己研鑽を重ねていた。
今は辺境の町セリンヴェイルに滞在し、現地の冒険者ギルドに力を貸している。
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岩だらけの山岳の中に拓けた場所があり、そこには集落が広がっていた。
集落の周辺にはいくつか囲いで覆われたスペースがあり、その中では少ないながらも牛や豚といった家畜が飼われていた。
そこまでは一般的な山岳集落とさして変わりはないが、ひとつ異常なのは明らかに家畜ではない大型の動物や人型生物……魔物が飼われている点である。
そんなある種の異様さを感じさせる集落の中に、鳥型の魔物の背に乗った色白の男が舞い降りてきた。
「お帰りなさいませ、救世主様!」
「よくぞご無事で戻られました、救世主様!」
色とりどりの衣装に身を包んだ集落の者達に迎えられながら、色白の男がその中心を歩いて行く。
「やれやれ、オレは静かに平和に暮らしたいだけなんだけどな。どうしてもこうやって頼られ、慕われてしまう」
そんなことを呟きながら男は取り囲んでいる老若男女の中から若いエルフの女を一人見定めてその肩を抱き、女と共に藁葺ながらも立派な家の中に入っていった。
そんな外の様子を、木造りの屋敷の小さな窓から眺めている男達がいる。
彼等は人間に限らずドワーフやエルフといった人型種族の集まりであり、暗い部屋の中異様な雰囲気で車座になり座っていた。
男達のうちの一人が、最も出入口から遠い場所に座る壮年の男の方を見ながら言う。
「戦頭。あの者、少々増長させすぎでは?」
男の言葉の後には誰も続かず、薄暗い屋敷の一角に集まる男達の間に静寂が戻った。
しばしの沈黙の後、戦頭と呼ばれた壮年の男は口を開く。
「あの男は既に魅入られておる。どの道、長くはない。我等が山岳から麓へと下る足掛かりを作るために、せいぜい利用させて貰うだけじゃ」
戦頭と呼ばれた壮年の男がそう言うと、屋敷に集まる男達は戦評定を再開した。





