35.第一章最終戦(4)―ロノムを殺せ
「エクスエル、ロノムを殺せ。そうしたらネシュレムは解放してやる」
煌々と照らす満月の下で、アイリスとネシュレムの喉元に短剣をあてたままドディウスはエクスエルに対して言った。
「ドディウス団長……何を言って……」
「もう一度だけ言う。ロノムを殺せ」
エクスエルの抗議の言葉は、ネシュレムの白い首筋に当てられた短剣に滴る一筋の血と、ドディウスの言葉によってかき消される。
「エクスさん……」
「……」
「ロノム……私の事が信じられなければ、この首を刎ねろ……」
僅かな時間逡巡した後、誰にも聞こえないような呟きをしてエクスエルはドディウス達三人の方に向かって歩く。
そして数歩の距離を進んだところでロノムに対して向き直り、銀でできた錫杖を構えた。
エクスエルの動きを見てロノムもハンドアックスを構える。
対峙するロノムとエクスエル、風音すらない静寂の時間。
先に動いたのはエクスエルだった。
「白刃は水より出でて明けの星に形成す。貫け! アイシクル・レイ!!」
エクスエルは中空に白と青が入り混じった魔法陣を展開し、その詠唱完了と同時に大気は煌めきいくつもの氷柱を発生させる。
そして氷柱の群れはロノムへと方向を変え、一直線に飛んで行った。
「はっ!」
対するロノムは短く気合を発声しながら横方向へとステップし、氷柱の弾幕を避けながらそのままの勢いでエクスエルへと向かっていく。
しかし、すぐさまエクスエルも次の一手を打った。
「舞うは冷苞、群れるは霧氷。囚われるがよい! フロスト・プリズン!」
エクスエルの詠唱と共にロノムの周囲の気温は一気に低下し、霧とも雪ともつかない白氷がロノムに纏わりつく。
ロノムは氷の膜を振りほどこうとしてあがきを見せるが、もがけばもがく程に氷膜はロノムへと纏わりつき、その動きを止めていった。
「明けの闇に集うは群れ成す霜狼。幾重に連なる狼牙を剥きて、雪崩と共に喊声をあげよ! 凍てつく牙によって屠られるがよい!! ライムタイド・ウルヴズ!!!」
エクスエルは続けざまに青と紫で彩られた大がかりな魔法陣を展開する。
と、同時に銀の錫杖から放たれた氷の波動は大気の水分を巻き込み、さながら餓えた狼の集団のように霜と氷の群塊となってロノムに向かった。
「うわああ!」
霜の牢獄に囚われながらエクスエルの大技が直撃して悲鳴を上げながら倒れるロノム。
吹雪のような冷気と氷の群狼はロノム食い尽くしてなお数十歩程の距離を突き進み、そのまま砕けて水氷と化した。
そして再び静寂が辺りを包み込む。
二人の対決を見ていたドディウスはしばしの沈黙後、ネシュレムの荒縄を切り解放した。
「ロノムの死を確認しろ」
ネシュレムは未だ構えを解かないエクスエルの横を抜け、霜と氷にまみれ俯せになって倒れているロノムの元へと駆け寄る。
「確かに……ロノムは……エクスが……倒しました……」
そしてロノムの生死を確認し、ドディウスへと報告した。
「よかろう……」
「これであとは、この小娘と既に捕らえられているであろうゲンディアスの娘をエサに、奴をおびき出すだけか……」
変わらずアイリスの喉元には短剣を当てたまま、ドディウスが独り呟く。
ふとドディウスが顔を上げ前を見ると、構えたままのエクスエル、倒れているロノム、そしてその傍にいるネシュレムの更に奥、庭園の出入口に半ば放心状態で立っている男がいた。
「ロ……ロノム……しっかりしろ……!」
「い、いや……それよりも……ドディウス……どうしてお前が……」
白髪交じりの頭に髭を蓄えた、亜麻と木綿で織られた洒落っ気のある服を着ているガタイのいい男。
かつての防衛士Sランク冒険者、剛盾のゲンディアス。
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「ゲン……ディアス……」
「ゲンンンディアァァァスウゥゥゥゥ!!!」
ドディウスが目を見開いて叫んだ。
「貴様が……! 貴様さえいなければなぁ!! 俺はこのような劣等感! そして敗北感など持たずに済んだのだ!」
「分かるか!? ゲンディアス!!! この恥辱に塗れた人生を作り上げた貴様は! 貴様だけは!! 断じて赦すことはできん!!!」
ドディウスが目の前に現れたゲンディアスに向かって吼える。
今までの冷徹に周囲の状況をコントロールしていた自分を忘れてしまったかのような様で。
その姿は虚勢を張る子犬のようであった。
「どうして……どうしてだ!? どうしてお前が劣等感など感じる必要がある……!? 冒険者として名を馳せ、何年も、何十年もアライアンスの団長として慕われ続けてきたんだぞ……!! 途中で逃げ出しちまった俺なんかよりも、よっぽど意味のある人生を送ってきたじゃねえか……!!!」
「きいぃぃぃさぁぁぁまぁぁぁがああぁあぁ!! それを言うかああぁぁああぁ!!」
ゲンディアスの言葉を聞いて、まるで悲鳴のように、喉の奥から絞り出しながらドディウスは叫んだ。
「もはや構わぬ! 今ここで貴様を膾の如く斬り刻み!! 全てを終わらせてくれるわ!!!」
そして激高したまま、アイリスの喉元に当てていた短剣をゲンディアスの方へと向ける。
と、同時に、今まで沈黙を保ち続けていたアイリスが初めて動いた。
「祭りを彩るお星さま、妖精達は手を取り踊る。夜空に響くは打ち上げ花火。爆ぜろ! エクスプロージョン!!」
ぽんっ と言う音と共に、ドディウスの目の前で小さな爆発が起こる。
殺傷能力も無いささやかな破壊の魔法。
しかしドディウスの気を引き、隙を作るには充分だった。
「ぐ!! この……小娘がぁ!!」
ドディウスがアイリスに向かって短剣を振り上げる。
だが、その短剣がアイリスへと到達することはなかった。
「今だ! ロノム!!」
「やっちまってください!! ロッさん!!!」
エクスエルとアイリスの叫び声に答えるように、俯せに倒れていたロノムが突然起き上がる。
「はあああぁぁ!!」
そして雄叫びをあげながら跳ねるように、ドディウスへと向かっていった。
「夕冥の凪は平穏に非ず、それは吹雪の予兆なり。疾れ! スノウストーム!!」
ロノムの気迫に応えるように、エクスエルも早口で魔法を唱える。
巻き起こる氷と霜の吹雪は追い風となり、ロノムを更に加速させた。
「おらああぁぁ!!」
月に照らされて光り輝く氷の弾丸となったロノムは喊声を上げながらハンドアックスを振りかぶり、そして短剣を持ったドディウスの右腕を上腕から切り飛ばした。





