海4
休み万歳。会話は大事。浜辺を歩きながら帰りたいって言わないなと思ってまた手を取ってみた。
意味のない不安だった。帰りますか? は俺への気遣いなだけで自分が帰りたいから遠回しに、では無かったようだ。
それどころか他の男と比べる気がないと知れたのでほくほく気分。
「遊霞の機嫌を損ねて印象が悪いともう二度と会えなそうです。名前を尋ねるというか親しくなろうとして少し嘘ついたら詐欺師疑惑ですし」
「時と場合によります。色が始まると手元を見て見ないようにしていましたけど嫌になったら退室。会話系だと聞こえてくるから無言で退室などわりと好き勝手していました」
「高い金を払ったのにその態度。店主が文句……店を辞めるだけですね。いや、副業をやめるだけです」
「文句はあまり言われませんでした。怒った客を転がして甘やかして遊女が得をしたり、おわびに気立の良い遊女をつけますと無料でつけてそこから馴染み客化など向こうが工夫します」
「客一人対ウィオラさんで価値を天秤にかけます。時と場合による……。ウィオラさんが負けそうな時は愛想を良くするんですか?」
「いえ。気合を入れた芸を披露して圧倒して何も言えないうちに退室です。菊屋の遊霞は色春売らず。お客に媚びないとならない遊楼芸妓はいつか脱がされます」
「そうですか。そうです」
「儲けたいのならお店が私を上手く使って下さい。契約の範囲内で、と常に言っていました。私は餌ですので私に怒り続けてなにかはないです」
講師役や宣伝役などで逃したくない。でもこの警戒心や拒否や高飛車さなどだと誰かの手配で見張りもいるので脱がせられない。
純情お嬢様売りで稼ぎつつ彼女が口にした通り他の従業員へ誘導。彼女でとっかかりを作って他の遊女で捕まえる。
逆上した客が後日待ち伏せして被害に遭うのは怖い気がする。
「怒った客が待ち伏せして難癖とかなかったですか?」
どちらかというと気に入って突撃の方。手紙を送った男は居なかったのか?
「気をつけて下働きの出入り口から誰かと共に出入りしていました。そのおかげかなかったです。芸妓仕事の時は素顔ではなくてこの地味顔に派手化粧やお面姿も多かったので素顔が分からないのもあるかと」
「俺と会った日は素顔でしたね」
「顔が見えない方が美人と騙せてお金を引き出せます。お店に味方してもらうなら役に立って稼がないといけません。お金を稼ぎたい理由がありました。ネビーさんと会った夜は最後の仕事で兵官さん達なので素顔でした」
「そうだったんですか。隠さなくても美人ですよ」
「……。ありがとうございます。あの、でも見えない方が好みの顔を想像出来ます。顔を隠しておきたいですし」
褒めたらあっさりかわゆく照れた。これも計算な気がしてきた。俺の気を引く計算……は俺は婚約者で気を引かれたいしこれはかわゆいからなんの問題もない。
他の男が褒めまくったらどうなるんだ?
「かわゆい、美人と沢山褒める客もいました?」
「いませんでしたけどなぜですか?」
「あー。さっきのツンツン無愛想系だと褒める前の問題です。まともに話してもらえません」
「ネビーさん好みなのは嬉しいですが平凡で周りは美女だらけです。お世辞は言っていただいていました」
ウィオラは自分は美人とかかわゆいではなくて俺好みと認識して自己評価はそのままなのか。
「客の中にもいたと思いますよ。ウィオラさんを好む……いや、素顔が分からないです」
「馴染み客によっては素顔の時もありました。私はお金を握りしめていらした方の席にはいません。恨まれないようには気をつけていましたが、気をつけるべきなのは恋営業の方とは気がつかず、色春対象にされるという警戒しかしないとは浅はかなおバカでした」
「貢がれたり贈り物はなかったんですか? 文とか」
「私を脱がそうとする方からなど受け取りません。使いたくないし見たくないし読みたくないです。受け取り許可はお金のみです」
お金は受け取るのか。それはそれで危険がありそうだけど無かったのか? この感じだと無かった雰囲気。
「お金は受け取るんですね」
「はい。お金はあればある程良いです」
「脱がそうとしてなかったかもしれませんよ?」
「私にはその考えはまるでなかったです」
「客は全員自分の敵くらいの勢いですね」
「私を芸妓扱いする方にはもう少し愛想良くしていました。多分」
「こんなにお金を払ったのに遊霞は俺の相手をしないのか! って言われたことはなかったんですか?」
「直接もお店からもないです。勝手に寄付されたのに怒られても困ります。寄付として受け取ります。現金以外は受け取りません。私はそう提示していてそれ関係でお店が嘘営業をしたら契約違反になります」
「でも怒る奴もいます」
「自分に高い価値があると分かっている遊女達、特に花魁達は我儘ですからそういうお客をあしらって機嫌を取るのが経営者の仕事です。商品の私達のことを上手く使うのも」
「そうですね。そうか。ウィオラさんも商品だったのか」
「花柳界の者はそうです。芸とは己。自分が商品です。それは音楽会でも陽舞伎でも歌劇や演劇でも同じです」
「恨まれて貴重な商品を壊されたら大損です。警戒心の塊で先回り先回りな感じがします。そもそもいくら払っていると思うんだ、は貧乏人の発想でした」
ごっこ遊びはまたしよう。
背が低くて俺よりも下の位置にいるのに、さっきの上から目線みたいな流し目は普段の反応とはまた別の快感だった。
(それを楽しみに通った客もいそう。どう笑わせよう。どう口を割らせよう。使える金があるならそうやって遊びそう。あの街にはそういう楽しみ方があるのか)
そうやってズブズブ沼に沈んでいくか割り切って遊ぶかは本人次第。沈んだ末路を俺は仕事で時折見ている。
手垢のついた女は嫌だし、金ももったいないし、女を殺すと言われ続けてきたのもあるけどそういう怖い世界なので花街に入らなかった。
「いくら払っている、はなかったです。謝って欲しいと頼まれて戻って謝らないで一芝居して働いた感じにして芸の流れで再退席はありました。謝ったら客に媚び売りですので負けです。芸で匂わせなどはしましたけど」
「あの日の夜は芸に関する話だから返事をしてくれたんですね」
「はい。最初はお礼で私は何者か、でしたので説明致しました。そのような日常でありそうな会話はします。でないと男性と交流して結婚は無理です。そこまで近くない距離だったのも宴席の光景や職業も理由です」
これだけ警戒心の強い遊霞に触れた客は乱暴や不意打ち。全員警戒でも気を許せる男性と気を許してはいけない男性を覚えていきそう。
(無愛想が少し崩れたら……また通うな。それで近寄ると逃げられて触れない)
店も店で遊女達を使ってウィオラの素を引き出させて客に見せて釣り。
釣って遊霞に貢がせて頃合いをみて遊女達へ誘導。手に入らなくて悲しい心の隙間に入り込んで自分達に貢がせる。お店は長く客を引き止められる。
(夕霧花魁やユラさんがそんなこと言ってたな)
「芸妓として買い続けていた客もいますか?」
「はい。ただ私は基本的には付属品です。部下や同業者達と私や楽ちゃん達、もしくは贔屓の遊女と一緒の芸を観に来た、みたいに」
「ウィオラさん一人だけをずっとは居なかったですか?」
「居ました。お披露目広場で道芸を見たからみたいな方々です。老若男女問わず演奏者や役者さんですとか。事前に何をするのかお店が聞き取りしているので雑談はほとんどしません。それで時に出張です」
「ほうほう。そういう罠で外で誑かす……女性兵官を私兵派遣で雇って護衛ですか?」
「はい。他の遊楼の人間で騙されるかもしれないので一人では対応しません。おじい様達に教わりましたが私の外仕事はお金を握らせた従業員から私兵派遣をしている花官へ情報漏洩されていて守られていました」
つい、俺は彼女に触ることを許されているぞとウィオラの頬をつついた。
そんなに周りを警戒して実家も守っていたのに現在見張りなしで男と二人きり。この優越感はとんでもない。信用破壊は一瞬なので身が引き締まる。
「もちちさん。日常でありそうな会話って、深い仲になったら色春話も出てきますよ」
「それはその時にその方と練習すれば良いことです。練習中です」
……。
だから俺にはなにやらとか言うのか。練習しているのか。これも俺の気分を良くする計算……嬉しいしかわゆいだけだな。
婚約者を拐かすのは何も問題ない。俺がどう口説こうと悩んで工夫するのと同じ行為だ。
「お店もお客も遊女も楽ちゃんも私を脱がそうと考えていると常に警戒していたので色関係はなるべく無視です。春話は論外。見ざる、言わざる、聞かざるです」
「楽ちゃんも警戒していたんですか」
「はい。花街は私も含めて嘘つきの街です」
それはさぞ心細かったのではないだろうか。警戒心が緩むこともあるから誰かに好かれた。逆にこの仕事内容に先程の勝ち気な姿勢だとそりゃあ虐めにも八つ当たりにも遭う。
岩場へ到着したので手を差し出したら手を重ねてくれた。ウィオラにしてはわりとすんなり。慣れてくれたんだなと嬉しくなる。慣れてなくて時間をかけても別に良かったけど。
「俺と練習だから客と違って返事があるんですね。でも俺も脱がそうとしている人間の一人ですけど」
「それはその、まあ、あの、期限が決まりましたのでそれまでに覚悟を決めるには少しずつ慣れないといけません。このような話から練習です」
……。
私は脱ぎません、脱がされませんとは言わないんだな。頬が少々赤らんでいる。
「私もしました。お脱ぎになって下さいなんてあまりにも頭がおかしかったです」
ウィオラは照れ照れ真っ赤になった。艶々している唇を尖らせている。
美人かどうかは個々人の感想として、この唇や滑らかそうな肌は触りたくなる男は多いと思う。
「別に脱がさなくても出来ますよ。知ってのとおり」
「全部、全部脱ぐとは言っていません。それはさらに先のことです」
知らないとは言わないんだな。面白い。
「そうなんですか? さらに先ですか? それは困る……困りません」
困るどころか楽しい予感。手を重ねてくれる時間が短くなって嬉しいように色々嬉しいし反応が楽しいに違いない。間を飛ばしたらもったいない。
「分かりません。そもそもこのように手を繋ぎたいとか、きとか、そのような考えは出会うまでなかったですから」
きとかってきはキスだろう。キスしたいとか、だととんでもなくかわゆいな。
「まあヤドカリがいます。愛くるしいです」
ウィオラは俺から手を離して品良くしゃがんだ。確かに少し大きめのヤドカリが岩の上を歩いている。
キスされたいならしようと周りを確認して手を出そうとしたのに逃げられてしまった。邪魔ヤドカリめ。
手を伸ばしてヤドカリに威嚇されて驚き顔をして手を引っ込めたので眺めていて楽しい。
「手に乗せたいですか?」
「指をはさまれたりしませんか?」
「うーん。あるかも。痛そうだからあっちいけ」
「蹴らないで下さい」
蹴飛ばそうとしたら止められた。
「怒られた。はさまれて怪我をすると海蛇が怒ります」
「そうでした。それなら触りません」
足首に感覚がないけどいるのか? と見たらいなかった。
「その海蛇がいません。あっ、いた」
あまり見えないうなじの手前の衣紋から二匹伸びている。
「ひゃあ!」
海蛇が彼女の首をつついたのでウィオラはかわゆい声をあげて勢い良く振り返った。首が弱いならそのうち弄って遊ぼう。楽しそう。
「俺じゃないですよ」
「くす、くすぐったいです。まあ、どちらへ行かれるのですか?」
首に海蛇が一匹まとわりついたので身を捩らせるとウィオラは立ち上がって歩き始めた。
転ばないか心配なのでいつでも支えられるような立ち位置でついていく。彼女の前を海蛇二匹がシュルシュル進んでいく。
ぐるっと回って戻る形になって岩場を降りて浜辺を歩く。ちびカニではしゃいでもらう予定だったのに。ヤドカリで少し見られたけど不満。
「散歩したいのでしょうか」
「ジッとしているのに疲れたのかもしれないです」
(あの海蛇は邪魔ばかりする。でもなんか楽しそうだからいいや)
海蛇達を追って歩いていたらウィオラはまたしゃがんだ。
「ネビーさん。こちらの桃色の不思議なものはなんですか? 海藻ですか?」
「イソギンチャクです。触ると怪我をするのもいるらしいから触らない方がよかです」
動かないのもいるけど、と思いながら仕込み刀の柄の端でイソギンチャクをつついてみた。すると引っ込んだのでウィオラの目が輝いた。
「まあ。イソギンチャクは生き物なのですね」
カニにヤドカリにこれ。子どもみたい。
「生き物……なのか。何にも考えたことが無かったです。イソギンチャクはイソギンチャクで食えない。それしか関心が無かったです」
「磯にある巾着とは確かにそうです」
「イソギンチャクは磯の巾着。ほうほう。きっとそうです」
「あっ。出てこられました」
ウィオラは扇子を出してイソギンチャクをつついて引っ込ませて楽しそうな笑顔。
「海に来たことはあるのに見たこと無かったんですね」
「浜辺にはいなかったです」
「確かに浜辺にはいないですね。んー。ヒトデは見たことありますか? 砂浜でも砂の中にいたりしますけど」
「ヒトデですか? 人の手のようなのですか?」
「言われてみたら人の手のような違うようなです」
手を取ってウィオラを立たせてヒトデ探し。いそうな気がする。歩きながら小さい岩を軽く蹴ったら変な海虫が出てきてウィオラがおろおろして面白かった。
別の岩を蹴ってどかしたら橙色のヒトデ発見。
「橙色の大きな星です」
「星ってこういう形をしているんですか?」
「美術館で見た絵でこういう形の黄色い星を何回か見たことがあります。空から落ちてきたのでしょうか。空は遠いので小さく見えていますけどやはり実際は大きいのですね」
「へえ。ヒトデは星だったんですね。そこそこいます。青いのもいるし形が違うのも色々いますよ」
「流れ星の話でヒトデ話は知らないないので調べてみます。綺麗で部屋に飾れそうです」
「こいつは触れます。毒々しい色のは触れません。親にヒトデは食べられないって教わっているから食い物ではないです。つまり星も食べられないってことです」
ウィオラはしゃがんで扇子を出してヒトデをつんつんつついた。
「まあ。柔らかいと思ったのに固いです」
「裏はそこそこ気持ち悪いです」
ひっくり返したらウィオラは「これは飾りたくないです」としおれ顔になった。
「飾るなら貝殻です。貝殻探しなら浜辺かなぁ。探しますか?」
「楽ちゃん達に会えた時に渡そうと思っておじい様と探しました。一緒に見つけた綺麗な貝殻は机飾りに使えないか聞きましょう」
浜辺へ戻って探してみるけど割れているものばかり。海蛇二匹が前を進んでいて、しばらくすると海へ向かっていって中へ入った。跳ねて泳いでいる。鱗に夕日が反射して虹色に光る。
「おお。まさに虹生物です」
「海の大副神様の遣いですね」
何か飛んできた、と思ったけど方向が自分達ではないので動かないで眺めていたら少し離れた砂の上に魚が一匹。そこにさらに小さいものが飛んできて、それは貝だった。
「ウィオラさんに魚と貝が贈られました」
「まあ。ありがとうございます」
「食べられる貝なのか? 贈るってことは食べられそう」
「宿で聞きましょう」
海蛇二匹は戻ってこないようだ。他に贈り物もなさそう。
「海辺に暮らしてこういうことを目撃され続けたら何かある女性? となりそうです」
「……まあ」
海蛇二匹戻ってきたと思ったら海面に二匹よりも大きな海蛇が少し頭を出してその周りを虹色が飛び跳ね始めた。
「綺麗……」
ウィオラが歌い出して俺はその歌声こそ綺麗だと思ったけどこの光景でとんでも人生になったんだな、と改めて感じた。
そこらにいる平凡な男だったのにこんな世界が現れたとは不思議でならない。




