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部屋に戻って大浴場まで一緒にいってあとは自分達の速度で部屋に戻りましょうと解散。
髪を洗ったら乾かないなと思っていたら露天風呂に熱気を放つ縦長の筒があって立て札に乾燥用と書いてあったので遠慮なく髪を洗う事にした。これは画期的過ぎる。
内風呂の天井の灯りや飾りは愛くるしいし露天風呂も小庭園が綺麗で満足。薔薇風呂なんて初めて。灯りに照らされているから分かるけど薔薇の色はいくつもある。
他のお客さんが「期間限定のこの贅沢な薔薇風呂に入りたかったから嬉しい」と口にしていた。
体の手入れや寝る準備も全てしてかなりまったりしたなと思いながら部屋に戻ると机が移動済み。それで布団が1組敷いてあってその上にネビーが突っ伏していた。
天井の灯りに従業員が覆いをしてくれたようで部屋は薄暗めで置き灯りが部屋の角で光っている。
机の上に2つ手運び用の灯りが置いてあったので1つを使って荷物を片付けてからそっと彼に近寄って顔の近くに正座した。起こさないように灯りは少し遠くに置いた。
(こういう寝顔なのか。無邪気に笑う時と同じで子どもみたい……)
髪を拭いてもらいたいみたいな話をしていたけどあの乾燥用筒があったから必要なさそう。
動かないし見られない方が触る練習になるのではとドキドキしながら手を伸ばして髪を触ってみた。
(濡れてる……)
短いからこれ以上拭く必要はなさそうだけど濡れている。わざとなのかそうではないのか気になるところ。
(寝たのなら寝よう。あまり眠れてないって言っていたからようやく寝られたってことよね……)
布団を掛けてあげたいけど掛け布団の上に寝ているのでどうしたら良いか悩む。せっかく眠れたのに起こすのは体に悪い。しかしこのままでは風邪を引いてしまいそう。
私の掛け布団を貸せば良いけどそうなると私の掛け布団がなくなる。……2人で寝る⁈
「ん……」
苦悶みたいな声と共にいきなりひっくり返ったので驚いてしまった。
「おはようございます」
「……あつっ!」
バッと上半身を起こしたネビーは少し周りを見て「あつくない」と呟いた。
「起こさないように気をつけてお布団をどうするか悩んでいました。起こしてすみません。暑くて布団を掛けなかったのですか?」
「いや、風呂で急にかなり眠くなったんでさっさと寝支度をして戻ってきて倒れるように寝ました。でも変な夢で起きました」
「苦しそうなお顔をしましたけど辛い夢でした?」
「多分。もうほとんど覚えていません。やたら熱くて苦しかったです。熱くて……。ああ。生きろ。逃げろ。そう叫んでいました。火の海の中で」
ネビーは両手を見つめて握ったり閉じたりを繰り返した。
「本当に燃えているのかと思ったけど夢ですね。熱さや痛みを感じる夢は初めてです」
「噛まれると昔々の物語を夢に見ることがあるそうです。血に宿る記憶だと。ヴィトニルさんがそう言っていました。単に昔話を聞いたから似た夢を見たのかもしれません」
「おお。つまり燃やされた誰かの記憶かもしれないと。放火殺人は火炙りの刑だから放火してはいけませんね。これは辛い」
「ネビーさんは放火なんてしません」
「いや。悪い男かもしれませんよ。俺も知らない俺がいるとか。そういう人もいます。んんー。朝まで寝なくてよかでした。お休みなさいは言わないと」
布団の上であぐらをかいたネビーに向かって私は首を横に振った。それで彼は首を縦に振って照れ笑いを浮かべた。
「起きたからしばらく起きてようかな」
「ええ。お風邪を引くので髪を拭きますよ。あの、御帳台の方で。より雰囲気が良いので」
「うん」
うん、という返事の時は照れてるのかな?
急にそのような気がした。先に立ち上がった彼は机に近寄って手運び用の灯りを持ったので私も同じく手運び用の灯りを持って後ろにくっついていった。
「寝るところに座ってよかなんですか?」
「はい。手拭いを持ってきます」
「うん」
また「うん」だって。なんだか愛くるしいな。
手拭いを持って戻ってくると枕の方を向いて出入り口に背を向けて座っていた。失礼致しますと声を掛けて膝立ちで頭を拭く。
あまり濡れていないようなので意味は無さそう。頭を撫でているみたいなので続けたくて少し続けた。
「そういえば海蛇が行方不明です」
「私の海蛇さんもそうです」
「変態蛇かと思ったけど気が利く海蛇か」
「へ、へ、変態蛇だなんてまた噛まれますよ!」
「いやだって」
ここからどうやって夕食前の様子に持っていけば良いのだろう。手拭いを畳んで端に置いてまた失礼致しますと声を掛けて両肩に手を乗せた。
すると両手を取られて軽く引っ張られた。私が後ろから抱きしめたみたいになる。
「ほら悪い男だった。あはは。悪い男に騙されてる」
「……」
肩を揉んで欲しいではなくてこういうこと。すぐ手を離されたけど私はその形のまま硬直。
「悪い人の逆なので沢山騙されたいです」
ずるずる腰を落としながら背中に寄り添った。広いし固いな。私を守ってくれた優しい逞しい頼りになる背中。浴衣をぎゅっと両手で握り締める。
伝えたっけ。伝えていない。気持ちは伝えたけどただ一言この言葉はまだ口に出来ていなかった。
「大好きです」
小さな小さなうんと小さな声が出て無音の室内に溶けるように消えていった。背中にくっついているので息を大きく吸ったのと息を止めたと分かる。
ネビーはなぜか横に倒れた。緊張で動けず手も固まっている私も道連れ。
しばらくそのままだったけどこの体勢ではなにも出来ないのでそうっと離れた。すると彼はゆっくり上を向いた。
片手を伸ばされて頬を掌で包まれてカチンと停止。私はそのまましばらく固まり続けた。
「春夏秋冬、季節が巡ったらまたここに来たいです。夏、秋、冬と約束をしたので次は春。沢山話をして良くも悪くも思い出を積み重ねてようやくここまで来られた。ようやく出会った季節になりましたねと言いたいです」
薄明かりの中の優しい笑みに胸がいっぱい。何度もいっぱいになっているから満杯ではないのだろうな。つもり、積もるだ。きっと増えていく一方。
「この1年間と同じように過ごせばまた1年間共にいられると言いたいです。何があるか分からないからではなくて何があっても大丈夫だと。あの嵐の夜のことや仕事の急な変化で先が分からないから早く、早くみたいな気持ちは良くないなと」
「何があっても大丈夫……言いたいです。明日のことは分かりませんではなくて明日も来年もきっと大丈夫ですと」
「激務になりそうだからとか、お互いの仕事や生活環境に慣れないからとか、試験がどうとかだと後ろ向きで嫌だなと思って考えました」
「それで夏、秋、冬の目標地点ですね。……祝言を南地区でしましょう。出会ったのが南地区ですから。東地区は家族の意見を聞いて宴席か何か。それで祝言日にここです。鶴は千年ですが亀は万年。千年よりも長いです。明日の朝予約しましょう」
「千年よりも?」
私は小さく頷いた。それから今朝見た夢の話を軽くした。
「大陸中に長年海蛇王子と歌姫みたいな組み合わせがいて、また会えたなら私達はもう千年一緒にいます」
「つまり次は万年が目標。血が惹かれ合うか。出会って急に熱を上げてそれからずっと親しくておしどり夫婦はわりとそうなんですかね。ロイさんとリルとか。イオのやつもそうだな。火消しは女を選べるってふらふらのらくらしてたのに急に態度を変えて堅物化。結構いそう」
イオは今日びわをくれた火消しでネビーの幼馴染。助けた女性に好まれる火消しは多いけど逆に助けた女性を気にしてお見舞いをして口説き落としたというか、
そうしなくても上手くいったらしい。あっという間に結婚してもう4年でとても仲の良い夫婦だそうだ。
「おじい様とおばあ様もそうかもしれないなぁと。おじい様に聞いてみて下さい。おじい様は平家で炭焼きの三男です。私よりネビーさんに昔話をする気がします」
「炭焼き? ジンと同じです。あいつも炭焼きの三男です」
「そうなのですか。奉納演奏をする祖母の琴を自然と触っていて才能があるということで村の琴門に入ることになってそこから自然と上に。家族親戚の誰にもあまり昔話をしません」
「へえ。今度聞いてみます。俺とウィオラさんはもう千年か。この間出会った気がしないから妙に納得。明日の朝予約するのは1番高い部屋ですね。試験に受かって卿家跡取り認定で学費とか返却されるのでそれが資金」
「いえ、この部屋が良いです。去年はこの部屋でこうでしたねと言いたいです。お金は私も出せます」
「おおそう言われたらそれがよかです。それならこの部屋で。かめ屋は固定客を手に入れるかもしれませんね。毎年この部屋。毎月これをすると決めますか。難しくないこと」
ずっと笑い合っているけれど再度笑い合った時に、彼が満面の笑顔を浮かべた時に頬を撫でられた。私はその手に片手を重ねた。
ゆっくりと起き上がった彼に抱きしめられて少し体に力が入ったけど緊張は緩まった。来年と言われたけどなんでもしたいかも。いざそうなったら無理だろうな。でも不安や怯えは何もない。深く深く息が出来てとても落ち着く。
とりあえずキスはしたい。してから寝たい。図太い私は心の中できゃあきゃあ言いながら爆睡するな。私から、らしいので頑張るしかない。
でも向こうから抱きしめられたな。そう思った時に頬にキス。それで体の向きを変えられて後ろから抱きしめられた。
「4月はここ。5月は蛍探し。6月ってなにがありますか?」
「雨の季節なので雨が少ない日に紫陽花鑑賞はどうですか? あと毎月海へ行く。少し遠いので無理な時は行かないけどなるべく行く努力をする」
「そうしましょうか。カニと遊んでもらわないと。7月は暑いから竹林で涼む。そもそも七夕祭りの時期だからどこかに行ったら飾りが見られます」
ここまで言われると私はもうカニに対して同じ言動をしないと思う。
「8月は玩具花火ですね。花咲花火をしましょう。どちらが長く花を咲かせていられるか勝負です」
「おお。ウィオラさんは漁師に勝負を挑んだりかめ屋にも部屋を寄越せだから勝負好きですか?」
「勝負好きではないですがご存知の通り勝ち気です」
「9月はあちこちで月見で団子に飽きるので違うことがよかです」
「秋桜鑑賞がしたいです」
「良さげな大きめの公園に毎月行くのが良い気がしてきました。竹林はひくらし関係の山が見事なのでそっちですけど。公園なら季節の花が見られるし月行事をなにかしらしています」
「毎月なるべく海辺にある公園か大河近隣へ行く。7月は竹林。あとは蛍と西瓜と花火と銀杏と氷の洞窟。どうですか?」
瞳を閉じると季節の景色が浮かんで2人で並んで笑っている姿も想像出来た。これは素敵な目標だ。
「よかですね。行けなかったら1番近くの川を散策です」
「はい。雪が降ったら雪うさぎを2つ作って並べましょう。雪うさぎを2匹並べるのは厳しい季節でも一緒にいたい。2人一緒なら大丈夫だという意味だと2年前に聞きました」
「へえ。リルのやつが冬になるとやたらうさぎを2匹にするのはそれか? りんごを剥けば2個だけうさぎ。床の間に親父が作ったうさぎ飾りを2匹。夕食時に香物をうさぎにして2匹。鏡餅もうさぎの形にして2個。冬のルーベル家はうさぎ屋敷です。2年前どころではないです」
5、6年前かららしい。どこから始まった話なのかも由来も不明で2匹は西の国の北極星からだろうけどなぜうさぎなのか分からないそうだ。覚えていないだけかもと言われた。
「ああ。レオさんに季節の小さな飾り物を作っていただいて机の上に飾りたいです。12種類。一緒に住むようになったら2つ並べて飾れます」
「4月はカニ。カニに決定。カニ桜を作ってくれと言います」
そんなにカニの件がお気に入りなのか。いや私達を助けてくれた毛むじゃらカニのことも含めているのかな。
「毛むじゃらカニのこともありますか?」
「それは全く。あのおちびカニさんです」
「そうですか」
「思い出が出来たらそれを作ってもらいますか。なので5月は未定」
「ええ」
「来月からの家計のやり繰りや貯金配分なんかはウィオラさんの家で決めたし1年間の細かい目標も決まったから後は元気に仲良く暮らすだけですね」
抱きしめられたしキスもされたからこの先はネビー主導なのかな、と思っていたらやはり彼からキスされた。首筋にされたのでくすぐったくて軽く身を捩る。
「ネビーさん、眠くないですか?」
「もう全く眠くないです。むしろ緊張と照れとウィオラさんのかわゆさで眠れません」
「そ、それなら、それなら仲良く元気に暮らすことについて少し話しますか? 私もまだ眠くないです」
励んで自分から突撃するか彼がしてくれるまで私は寝ない。この素敵な空間で幸せな気分でキスしてからでないと寝たくない。
「仲良く元気に暮らすことについて?」
「私とネビーさんは考え方が結構違うので相手になるべく質問するとかです。こうだろうはなるべく禁止」
「俺は数年前から常にそうやって生きてきたから特に。ウィオラさんはそうでもないということですね」
数年前になにかあってそうするようにしたということだ。
「数年前になにかありました?」
「リルの結婚や親戚付き合いです。大貧乏で家族が今よりも忙しかった頃です。あれこれ話し合いをするようになったら誤解など色々歪みが発覚。ああ。ルカとジンと俺で何か我が家の問題を見つけたら筆記帳に書いているので2人で似たことをしますか?」
「そのような事をしているのですね」
親戚付き合いはネビー、ジン、ルカが家族の話をまとめてからネビーがロイと剣術道場でやり取りすると決まっているそうだ。
「ええ。会えない時とかあるんで読んでおくみたいな。昨夜俺はレイの事を書きました。今朝見たらルカとジンから両親へ話がいってどうするかもう決まったと書いてあったので俺はそれでよかだと了承。俺は出張とかかあるのて我が家のことはあれこれジンとルカ任せです。俺は主に伝書鳩と問題発見役」
ルカとジンからレオとエルとルルに話がいって今日はルルがレイの勉強がどこまで進んでいるか確認するとなったそうだ。ルルとレイはかめ屋から教科書などを持ち帰っていた。
それからテルルとエルが相談会をするそうだ。
今朝ルカに私が祖父とルーベル家に挨拶に行く日にテルル宛の手紙を預かって渡して欲しいと頼まれたのはそれみたい。
「交換日記みたいですね。鉛筆と一緒に筆記帳を買いました。勉強に使えるかなと。明日渡そうと思っていましたけどそれを使うのはどうですか?」
「おお。これはタイミングがよかというやつです」
「毎日は嫌になるけど決めないとしなくなるので最低1週間に1回。問題だけ書くのはあれですし嬉しかったこととお互いへの不満。議題があれば議題。どうですか?」
「あと相手に頼みたいこと。そこに明日、今夜決めた1年間の目標を書いておきましょう。出来ても出来なくても毎月月末に2人で確認」
「その時にレオさんに作っていただくその月の思い出の飾りを決めましょう。なるべく最後の水曜日にそれをする。無理なら翌日と繰り越し」
「それなら筆記帳も毎週水曜に確認。いや俺が水曜日でウィオラさんは土曜日。忘れっぽいから朝暦を見ると決めているのでそこに書こう。失くさないように場所を決めないと」
話しているうちに基本は私が持っていて火曜の夜か水曜日に私が彼の部屋の机に置くということになった。ネビーから私は直接手渡し。
部屋には明日ガントが鍵をつけてくれて来月から私とレオ家族以外立ち入り禁止になる話は今朝聞いた。
かまど貸しは別の部屋にしてネビーの部屋に他の女性は立ち入り禁止。鍵はネビー、私が持つのでレオ家族はネビーか私がいないと彼の部屋に入れない。エルとネビーで決めたことだ。
「これ以上は頭がパンクしそうだし眠くなったと寝られたら困るので先の話は終わりです」
どうなるかは分かるから任せようと思ったら「どうぞ」と言われた。
「どうぞですか?」
「ええ。かわゆいし焦ったいから手を出してみましたが今日と明日は俺はなるべくなにもしません」
もう誰にも邪魔されないのでありったけの勇気を出すぞと夕食前と同じように挑戦。
「っ痛。痛い! 邪魔蛇がいるのかよ! 気が利く海蛇じゃなかったのか⁈」
目を閉じたけど目を開く。ネビーが左耳を噛まれていた。
「なんでまた噛まれ……。眠いです。急に眠い。眠れるか考えていたからなの——……寝ます。これはここで倒れそう。お休みなさい」
……ええ⁈
ネビーは正座してお辞儀をするとふらりと立ち上がった。
「姫だから自分たちの妻だとか? いや結納日は邪魔されなかったな。海蛇と喋りてえ。ひらがなは興味ないみたいだけど動作で何か伝えてくるし本当に謎蛇だな。これに関してはヴィトニルに早く会いてえ」
よろよろしながら隣の部屋へ向かっていって襖にぶつかったけど気にしていないみたいに部屋から出て行って襖を閉められた。
ハッと思ったら私のところにも海蛇がいた。首の周りをぐるぐる回られてかなりくすぐったい。
海蛇を捕まえて「邪魔をしないで下さい」と叱ってみたけど伝わったか不明。拗ねつつ寝た。
やはり図太い私はスヤスヤ。今朝と違って翌朝はなんの夢も見ずにスッキリと目が覚めて着替えてそうっと隣の部屋を覗いたら彼はもう不在。
庭かな? と思ったら庭で素振りをしていた。朝から格好良い。
「おはようございます。見ていても良いですか?」
「ええ。あの後久々にしっかり眠れました。朝まで爆睡。よく寝た。おかげで元気です」
椅子に座ると私の膝の上にシュルリと海蛇が2匹乗って体を上に伸ばした。
1年後もまたこうして彼の素振りを見られると良い。見られるだろう。きっとそうだ。そういう考え方が大切。
そう思いながら私は自然と歌った。幸せでそうしたくてたまらなかったのと歌って、と聞こえた気がして。




