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隣に座って一緒に足湯。とりあえず一生懸命くっついてみた。もうほとんど夜だ。灯りで照らされる庭と滝に美しい星空。
触る練習、触る練習と思って足の指で彼の踵に触れてみた。指先が熱くなってそれで全身が熱くなっていく感覚がする。
「さわ、触る練習よりも触られる練習の方が早い気がします。どう見えているか分かりませんが触られたことは全部嬉しかったです」
恥ずかしいから俯いていたけど返事がないので顔を上げた。ニコニコしながら滝を眺めている。
「あの」
「その赤い顔で一生懸命触って来るのは非常にかわゆいので俺はここに滞在中と明日はその方向で行こうかと」
「そ、そ、そう言いながら触っています」
足の指で踵を触るのをされ返された!
「やり返しはします」
「それなら。お手。お手を拝借……」
右手を差し出してみたけど無視された。愉快そうに笑っているだけ。
「百面相みたい。あはは」
「あそ、遊ばないで下さい。私は真剣です」
「楽しいから遊びますよ。わりと口説き落としたから今度は口説かれてみようかと。愉快だ」
悪戯っぽい笑みを崩したくて気合と勢いで照れはどうにかなると手を掴もうとしたらひょいっと避けられた。
「まあ。逃げるなら触られたくないということですね」
頑張ったんだけどな。そうなのか。今は違うのか。拗ね。
私も避けないようにしたいけど今のネビーと同じく気分とか状況とか色々あるだろう。
「おお。思ったのと違う。ムキになって追いかけるかと。俺もお待ちになってって言われたかった。あのカニはずるいな。よし、お手を拝借。お願いします」
はい、と左手を差し出されたけど無視。私はまだ少し拗ねておく。なので顔を反対側に向けた。
「ウィオラさん」
「はい」
「ウィオラさーん」
「はい」
「ウィオラ」
明るい声から少し低くて小さい声になって耳元で囁かれた。くすぐったくて肩をすくめて驚いて顔を彼の方へ向ける。おでこ同士がコツリとぶつかって目が合った。
ドキドキしたけどなにもされなくてすぐ離れられた。でも手は繋がれた。
「時間が近くなったら鐘だか鈴を鳴らされるんでしたっけ? 庭にそこそこいたから先に出るのでどうぞ入って下さいという時間はないかな」
「それならお仕事で疲れたネビーさんこそどうぞ。残り時間で足りるか分かりませんが男性が入ってから出るまでの時間の方が早そうです」
「それならいいです。大浴場はともかくなるべく離れたくないから。明後日から本当に疲れそう」
笑顔が少し曇って寂しげ。私も想像したら急に寂しくなってきた。
無言で握られている手を強めに握られたので私も少し力を入れる。かめ屋へ向かう途中からと同じで力を緩めたり強めたり少し指でくすぐられたりくすぐられ返したり。
私達は脱衣所の扉の向こうからリンリンと鈴を鳴らされるまでそのままだった。
部屋に入って荷物を片付けて向かい合って座椅子に座るとなんだかまた寂しい。
寂しさに人は慣れる。でも今は特に我慢する必要はないよなと思ったので近寄るかどうか悩む。
「湯上がりに髪を拭いて欲しい気がします」
「違いはなんですか?」
「なんとなく? あわよくばそのまま肩を揉んでくれないかなみたいな」
「して欲しいことは色々言うのですね。悩まなくて済むので気楽です」
「色々は言いません。してくれそうなことだけ」
私がしてくれなそうでして欲しいこと……足を見せてと言われた!
してくれそうと思ったけどダメだったの方なのかな。笑い飛ばしていたけどガッカリしたとか。
正直者だけどちょこちょこ嘘をつくから分からない。分かりやすいのに分からない。向こうも同じだろうな。他人の頭の中を覗く事は誰にも出来ない。
「あのですね」
「ん?」
もうすっかり冷めているだろう桜茶を飲み始めた彼に座椅子の背もたれを掌で示した。
「こちらは木製です」
「ええ、そうですね」
「きです」
ん? とネビーは首を傾げた。そりゃあそうだ。窓際へ移動して窓を少し開けて御簾を下げる。
「御簾です」
「足が温まって暑かったのでありがとうございます」
「すです」
「ん?」
「自ら出来ないけどされたいです。これはお願いしますの方です」
本日最初の顔隠し。遠回し過ぎて伝わらなかったかなとそうっと手を下ろして様子見。
あぐらの片足を立てたような格好でこちらを向いて机に肩肘をついて「ふーん」という私を観察するようなお顔をしていた。笑っていなくて無表情。熱っぽい眼差しなのは気のせいかな。
ちょいちょいと手招きされたのでそろそろと近寄る。こんなの恥ずかしくて向こうから来て欲しいけど彼も彼で思惑があるのは聞いている。彼の前にゆっくりと向かって近くに正座して目を閉じた。
踏むとパチンと音を出して破裂する実みたいに私も破裂してしまいそう。
なにも起きないのでゆっくりまぶたを持ち上げた。彼は同じ表情と視線のまま私を見つめている。
「あの」
「うん」
また「うん」だって。とても小さい返事。
「その」
「うん」
ひゃあ、もう無理。背を向けて深呼吸。
『明日なにかあったら』
明日この国が滅ばない補償なんてない。今かもしれない。この国の人々は知らないけれどつい先日あちこちで血の海みたいなことが起こるところだった。
ネビーの口にした「明日なにかあるかもと思うと理性が飛びそう」ってこういう気持ちかな。
今しか無いかもと思うとグッと勇気を出せそうとかもっと触れ合っておきたいという衝動的な感情。
意を決して振り向いたら彼はまだ同じ様子。私をまた「ふーん」みたいに眺めた。なにを考えているのだろう。私の反応が楽しいのかな。でも笑っていない。
問いかけたら教えてくれそうだけど喉が緊張でカラカラだし胸の真ん中が太鼓演奏みたいになっているので声が出てこない。
ズリズリともう少し近寄る。脛に膝がぶつかった。ネビーが足を下ろしてあぐらになった。だらんと下げている手に向かって両手をえいっと伸ばしてギュッと掴む。私から触れたからか手を握りしめてくれた。
目線を上げるとパチリと目が合ってそれで恥ずかしいから視線を落とした。
「あの」
「うん」
「見られていては恥ずかしくてとても無理です」
「うん。あんまりにもかわゆくてつい」
もう1度目線を上げたら彼は目を閉じていた。
無理だけど、無理だけど、無理だけど……動くな。私の体は固まらないで動いた。
したことをしてくれるのなら1回勇気を出したらまた抱きしめて何度かあの素敵な——……カラカラカラカラカラカラ。カラカラカラカラカラカラ。
鐘の音が室内に響いたので顔を近づけていたけど停止。
「お食事をお待ち致しました」
目を開けたら同時に目を開けましたというようなネビーと視線がぶつかる。苦笑いされて頭を撫でられた。
「ありがとうございます。鍵を開けます」
「私が行きます」
立ち上がろうとしたネビーを静止して移動。
勇気を、勇気を総動員したのに!!
手を離して移動してなにもありませんという顔をしながら——多分——従業員を招いてお願い致しますと告げた。
俯いてしょんぼりしながら料理の説明を右から左へ聞き流し。ネビーの「お酒は結構です」という台詞は聞こえた。
従業員が部屋から出ていったけど食欲がない。胸がいっぱいで食べられる気がしない。あと拗ね。私は拗ね体質なのだろうか。
「あー、嫌でした? どこまで頑張れるのかなと。あとかなりかわゆいかったからつい。一方通行ではないんだなと嬉しいのもありつつ」
困り笑いを投げられてハッとして思いっきり首を横に振った。
「かなり勇気を出したのに邪魔をされたから拗ねているだけです」
誤解の原因にならないように少しつっかえながら本心を口にした。
「……そうですか」
へらっと笑うとネビーは口元を手で隠した。何に照れたのだろう。
「あと緊張で食欲がありません」
「俺は腹が減っているので遠慮なく。宿泊予約ありがとうございます! いただきます!」
どんどん食べていくのでつられるようにお箸を手にして食事を開始。食べ始めたら食欲が増してきて私もどんどん食べた。
「神経が図太いからすぐに食欲が出てきました」
「俺はわりと意地で食べています。結納後の軽い宴席時と同じとはいかないけど結構緊張。でも美味い。味が分かるから緊張はそこまででもない」
どの料理が好みとかそもそも食べ物は何が好みみたいな話をしていたら時間はあっという間。
本日の主役料理は鯛の煌西風アクアパッツァだった。貝が3種類入っているのにさらにそこに大粒の帆立やイーゼル海老と並ぶ高級海老のカリス海老まで入っている。
「どう考えてもこれは贔屓されてます。まあいいか。ルーベル家も我が家も役に立ってきてるし。俺はほぼ無関係だけど」
「仕入れ値が安くなっているとも言われました」
「おお。豊漁姫のおかげですね。ありがとうございます」
「しばらく私達の食費も浮くかもしれません。お取り致します」
「ぜひお願いします。やっぱり飲みたくなるな」
「お酒を頼みますか?」
「悩みます。寝不足に酒を加えたら風呂に入らないまま爆睡しそうで。あとまあ色々」
「お酒はかえって眠りが浅くなるらしいでどちらかというと止めたかったです。でも飲みたいのならなと」
この後このアクアパッツァの出汁を使って西風雑炊を作ってくれるそうなので満腹にならないようにネビーの量を多くしよう。でも意地で食べていると言っていたな。
「へえ、そうなんですね。それなら飲むのはやめよう」
「沢山食べますか? 私は西風雑炊分お腹をあけておきたいです。半分食べるのは無理そうです」
「俺の神経も図太いのでもう食欲がしっかりあります。やった」
お互いの食べたい量を確認しつつ残さないようにして美味しいとか明日漁師達に会ったらどうなるだろうみたいな雑談。
そうして西風雑炊も食べ終わった。お腹が苦しい。最後に甘味が運ばれてきていちびこのシャーベットというものだった。
「これは冷たくて美味しいです。それに口がサッパリします。アイスクリームとは異なります」
「アイスクリームは名前しか知らないです。西風料理店は全然行かなくて。こんな食べ物があるんですね」
「私も初めて食べました」
「なんだっけかな。かめ屋はなんとかとかいう西風料理店と業務提携してるらしいです。俺は西風はわりと苦手。フライとか好むものもあるけど。今日みたいに龍西風に変えてくれているやつが好みです。なのでお店にはいかずに家でです」
「西風料理を家で作れるのですね。むしろ作りたいです。お母様やレイさんが作ってくれるのですか?」
西風料理の材料をどこかで仕入れて作り方を学んで作るという発想が無かったな。お店で食べるものという固定概念があった。
「ええ。元々はリルです。結婚して初めて食べて家でも作りたいと何かしてそこから我が家。ガイさんが俺と同じく西風の濃い感じが苦手でリルが西風に龍煌風を混ぜてくれるし母ちゃんやルカやレイも。ルルやロカはそういう工夫は難しいから教わった通りにすると。俺はそれすら苦手です」
何かして、が気になる。エルに聞いたら分かるかな。
「料理が苦手とは苦痛ということですか?」
「ええ。わりと嫌いです。好きな事だと出来るけど基本は大雑把なので細かい事が苦手で。火加減が分からない。計るとかいちいち書き付けを見ながらは面倒。かといって味をみながらだと何をどうしたら良いのやら。野菜の大きさを揃えるとかも。不器用なのもあります。皮を剥いたら食べられるところはどこだ? みたいになって怒られるのでしません」
「剣術や捕縛など器用そうでしたけど不器用なのですね」
「器用に出来ることもあるんです。違いはおそらく好きか嫌いかです。嫌いだなと感じると集中力もやる気も出なくて得意なことで役に立つからお願いします! と逃亡です」
お米を炊く。漬物を切る。貝で味噌汁を作る。買ってきた切り身を塩焼き。それはなんとか出来るそうだ。でもしたくないという。献立を考えるのがそもそも難解らしい。
「料理はしますという女性でないと無理だと思っていました。裁縫も家族にお願いしまくりです。拒否されていないですけど拒否されたらお金を払って人に頼みます。細かく丁寧にと思ってもやる気なし。そもそも針に糸を通す時点でやる気を失います。中々入らない。スイスイ糸を通せる人は全員尊敬。なんですかあの技術は」
「慣れだと思います。どうなるか見てみたいです」
「ウィオラさんと一緒ならやる気を出すのか? 料理も裁縫も無視し続けて何年だ? ウィオラさんとなら挑戦してみたいです」
「お仕事が楽になった頃にしてみましょうか。料理も裁縫も好んでいますがまだまだ得意ではないのでエルさん達に鍛えてもらいます」
お茶を飲んで少しまったりしてからお風呂前にまた中庭を散策することにした。光苔の灯籠でや飾り灯りで幻想的な光景になっている。
「おお、これはよかだ」
「長屋で洗濯もこの景色も全て現実ですよね。不思議……」
灯りで照らされる道に沿って歩いていく。
「どれだろうな。夜になるとお親父が作った灯りが飾られるって聞いたけど」
「あの目立つ美しい飾りではないでしょうか?」
もう遅い時間だけど他にも見物客がいる。皆笑顔で幸せそう。
「綺麗……。枝垂れ桜みたいですね」
「ああこれか? こうしてウィオラさんに出会っていないから迷うけど悔しいです。親父の才能を爪の先程も受け継いでいなくて見習いをする前にお前に職人は無理だって。ルカが羨ましい」
池の向こうに飾られた枝垂れ桜のような灯り達は風にゆらゆらと揺れてとても綺麗だ。
「おじい様が特注品を依頼すると言っています。我が家の家紋の玄関飾りだそうです」
多分他にも頼みそう。家宝の意匠が気に食わないと売る性格なので本当に好まないとなにも買わない。
祖父が作ってもらったものも子孫の誰かに売り飛ばされるかもしれないな。けれども欲しいものの手に渡る事で美術品は後世にかなり残り続ける。
「三頭大狼……。大狼らしいって親父に教えます。大狼には角があるんですよ。それから背中に一筋違う毛色。尻尾は1本もいるけど複数本。それをこう別々に動かせる。かなり賢い疑惑で凶暴と習っていたけど……」
「いたけど?」
「人は蚊と同じ。食料。俺達もさっき海の幸を食べまくりましたからあの襲撃事件をどうこう言えないどころかあれは頼んで無差別から変えてもらった……。難しい世界だな……」
私にというよりも独り言みたいに聞こえた。夜空に浮かぶ星々を見上げたら生まれて初めての流星。
願いを込めてどうか大陸中が平和で私達2人も平和でいられますようにと心の中で祈った。




