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通勤練習を終えて祖父と街をぷらぷら。ルルに案内してもらった場所を回って祖父に教えつつ昨夜はレオ家族のお客様布団を借りたので祖父の布団など必要な物も購入。
文房具屋でネビーへ贈る鉛筆を購入する時に勉強に使うかな? と筆記帳も買った。
「花街に1年間住み込み。次は孫娘と2人暮らし。人生は何があるか分からなくて楽しいな」
「本当にありがとうございます。おじい様は逞しいですね」
謎の世界に踏み込んだというか強制的にそうなった私は楽しいよりも困惑が強い。
私以外の者達もそうなる可能性があるからまさに「人生は何があるか分からない」である。
「プライルドはしていないが私は若い頃に東地区内や南東と北東の農村地区のあちこちへ行っていた。武者修行だ。当主になってからも当主指導という名でちょこちょこ」
「皇居や上流華族の世界以外は既に経験済みだったのは驚きしかないです。私のことがある前に花街で暮らしたことがあったなんて」
祖父の長屋生活が2度目というのも衝撃的な話。山で1週間野宿したこともあるということも驚き。稽古漬けで音楽話とか雑談が多かったからなと祖父との生活を振り返る。
そもそも祖父は婿入りの身で末端門下生から才能と努力で花を咲かせて祖母と縁結びというか祖母が惚れ込んだので総当主になった成り上がり者。祖父も祖母と一緒になりたくてうんと努力や苦労をしたらしい。その話は全然教えてくれないし家族親戚も話をしない。
平家の祖父とお嬢様の祖母。今度はお嬢様の私と平家のネビーか。祖父と祖母も海蛇王子と歌姫みたいな組み合わせだったりして。
「音楽の深みは経験あってこそだと思っているからだ。プライルドは自問自答や想像で追及して大衆の理想に近づける。そこに事業拡大や音家狙い。私とは昔から気が合わん」
「経験あってこそは私も家を出てから実感しています。けれどもお父様がおじい様に劣るとも思えません。勝っているとも違いますが」
「方向性の違いだ。それにどんなことにも答えや考え方はいくつもある。真実が望まれる訳ではない」
祖父の発言を私は心の中で呟いてみた。真実が望まれる訳ではないか。世の中には嘘が必要な事が結構ある。
「おじい様。おばあ様が幼い頃にこっそり教えてくれた事があります」
「なんだ」
「我が家に伝わる海蛇王子と歌姫のことで2人の人生の終わりは本当は戦争の末に亡くなったと」
「ああ。ソヌスに聞いたことがある。お前にも話したのか。プライルドにも孫達にも話さないと言っていたけどな。夢も希望もなくて救いがないからだと。私は勝手に伝承を変えるのはどうなのかと思ってプライルドに話をしたしウェイスにも話をしたことがあるけどお前にはこの話をしていないかったな」
私の目は自然と丸くなった。結末を変えたのは祖母なのか。
「海蛇王子はかつて助けた者達に裏切られて戦争を煽る者だと磔にされて生きたまま燃やされた。彼を救おうとして歌姫もその炎で焼かれた。それでオチがない。あちこちの者達と協力して戦争を止めようとしてこれだと争いは悪化しただろうけど続きがない」
「その話は知りません。裏切られたのですか?」
祖母から聞いたのではなくて別人から教わったから知っているけど伝承が少し異なる。
今朝見た夢に出てきた「彼はまた与えて裏切られている」の根本にある「裏切り」はこのこと?
この話が過去の事実を元にした物語ならますます救いのない話だ。多くを救おうとして邪魔だから殺された上にかつて助けた者達に裏切られたなんて。
「そうなのか? そうして海蛇王子と歌姫から生まれた3つ子は両親の意志を継ぐと誓って争いを止めるためと家を失くした者達のために3つの国を興した」
「はい。海の中の国、海辺の国、それから陸の中央の国です」
「誓いの話をプライルドとしていたな。遠く離れても家族は共にある。それぞれが鮮やかな未来を作ろう。いつか交わる。そう信じて強く生きていこう。憎悪と諦めを許すな。憎悪と諦めを許すなとはなんなのか。憎悪は争いのことだろうが自分達は諦めないではないのが気になる。ソヌスと語り合った日々が懐かしい」
「憎悪と諦めを許すな? そのような言葉もあるのですか?」
「そこも聞いていないのか。ソヌスとは色々な物語についてよく議論したのに孫と語るという大事なことをしてきていなかったな。ソヌスが亡くなってしばらく閉じこもっていたし立ち直った後はお前はもう稽古漬けだったから」
「聞いていないではなくて覚えていなかったの方かもしれません。おばあ様から3つ子の話を聞いたのは1度だけです」
「そうか」
憎悪と諦めを許すな。憎悪は争いのことではなくて復讐したい気持ちのことだろう。
諦めを許すな。誰かが何かを諦めようとしたけどそれを許すな?
「3つ子はその誓いを果たしたのか不明。3つの国に分かれた理由も誓いの内容もよく分からない。幸せになりましたとか戦争が終わりましたみたいなオチもない。なにを伝えたいのか分からない中途半端な終わり方だ。これでは物語にならないのにそういう伝承。ソヌスは父親に聞いたそうだ」
「間が抜けていました。あと3つの国を興した理由も」
なにを伝えたいのか分からない中途半端な終わり方。起承転の転で終わったようなものだ。結がない。
海蛇王子と歌姫の物語の結は2人とも殺されただから結末があることはある。
「海蛇王子と歌姫だけだと2人は大勢の者を救おうとして殺されました。それが結末です」
「ああ。ソヌスがだから夢も希望もない話だと。誰かや何かを助けようとすることは難しくて厳しくて時に恨まれたり邪魔をされる。現実的な話だからオチに絡めて生来4欲は悪欲だとか世間の厳しさや知恵や知識を与えれば良いと思うけどソヌスはこれだとそもそも傷ついた誰かに手を差し伸べたくなくなると」
祖母は海蛇王子と歌姫の話をする時はいつも誰かが困っていたら優しくしましょうねとか、龍人王様の説法の真の見返りは命に還るは因果応報のことよと口にしていたな。
「3つ子の誓いからは新しい物語です。受け継ぐ私達が作りなさいということなのでしょうか」
海蛇王子と歌姫が実在して3つ子もいたらしいので実際には続きがある。
『生きろ。その先にまた幸せが待ってる』
3つ子は復讐すれば復讐されて殺されるからどこまでも逃げて幸せになって欲しいと祈られた。
2人は大勢の者達と逃げて1人は南の国を監視すると残り3人で一方的な殺戮も復讐もさせないと誓った。
「必ず交わる」とはなんなのだろう。
「それでよくソヌスと語った。海蛇王子と歌姫の国に海蛇の国で3ヵ国。国を興したのではなくて3つの国に分かれたのかもしれない。それでのし上がって皇帝陛下になり3つの国を1つにする。いつか交わるだからな」
「3つの国を1つに……」
一方的な殺戮をした南の国と海蛇達と南の国以外の人達を1つにする。
『南の地に牢獄を築き悪魔を聖なる者達へ導きつつ罪人を決して牢獄から脱獄させないようにする一族』
聖なる者に導かれた者達は牢獄から出られる?
私達外の世界はまとまっていない。
……3つ子の物語のオチはまだない。いや今現在がオチだ。
南の国は相変わらず悪魔の国で人々は牢獄から出られない。それどころか南の国は海蛇達が嫌う者を閉じ込める為に使われている。
外の世界では海蛇達と人々が共に生きた共和国は失われかけている。喜劇と悲劇を繰り返して悲劇寄り。
このオチはこれから変わる可能性がある。喜劇寄りになれば共和国は復活するし悲劇寄りになればさらに溝が深まりまた国や人が滅ぶ。起承転結の結は常に変わり続ける。
3つ子が誓ったのは両親が成そうとしたことを成すこと。祖母が私に話した「3ヵ国の争いは終わって大勢の者と一緒に2人は幸せになりました。めでたし、めでたし」が目標。共に生きて幸せになろうだ。
そのような日は来るの?
あらゆる生き物は争う。人同士でさえ争っている。
不幸になるから決して共存するなの方は?
誰かが何かを仕組んだとか誰かが人を傷つけて己の欲望を満たす者がのさばる世界に反旗を翻しただから3つ子ではない誰かがいる。
今朝の夢で妙に覚えている言葉。温かいのに悲しくて苦しみに溢れている男性の声。
『そうだ。絶対に近寄らせない。たった1匹でも残れば決して絶滅しない。滅ぼせるものなら滅ぼしてみよ。返り討ちにしてやる』
人を傷つけて……海蛇達を傷つけてではないだろうか。1匹だからそうだ。ネビーは「匹」に数えられた。歌姫は人ではない謎の存在なので彼女も「匹」なら私も「匹」になる。
つまり人と「匹」は決して共存するな?
人も「匹」も同じ生き物だと思って生きている。しかもその「匹」にも人寄りとか純粋な半海蛇寄りみたいにかなり差があってさらに変化する。仕組んだとか返り討ちとはどういうこと?
「ウィオラ?」
「いえあの。考え事です」
そのうちサングリアルやヴィトニルが現れたら尋ねてみたいし調査が必要なら協力したい。
龍神王様の説法や逸話や毛むじゃらカニ百怪談など、とっかかりになりそうな話があるからまずはそこからだ。
「本や劇にしたら本がズタボロになったとか初演の日に劇場が火事になったとか色々曰くつきの物語。だから口伝や曲や歌。曲単体や場面の一部なら平気。毛むじゃらカニもそうだがダイラスみたいな妙な生物もいるしこのような伝えて欲しいのに中途半端な物語もあるとは世界は不思議に満ちているな」
曰くつきの物語なのも知らなかった。沢山駆除をすると橋を壊すダイラスもなにかあるのかな。
話しながら私と祖父は豆腐屋、八百屋、魚屋へ行って長屋へ帰宅した。話さないとと思って祖父と室内で向かい合って正座。
「おじい様。照れを乗り越えるのに時間がかかって遅くなりましたがご相談というかご報告です」
「今夜のことならもうネビーさんから聞いている。茶摘み農家の離れの際に言われた。そもそも同居結納みたいなものだから何をしても良いですという話をしてある」
同居結納。名前と簡単な説明くらいしか知らないから存在を忘れていた。半嫁、半婿扱いしたいとかしてもらいたいとか手を出したり出されても良いとか思惑があって結納直後から一緒に暮らすこと。
なぜそうなるのかな? と思っていたけどこれが噂の同居結納。
離れの件といい見張りのはずの祖父がこれなので私達はほぼそれだ。
「同居結納という存在を忘れていました」
「今回は少し違うしな。南地区に来るまででお前の照れ屋ぶりを見た。川を渡るのに手を引いてもらうのに手に触れるのにかなり時間が掛かって真っ赤になって照れ照れ。そりゃあ祝言しても触れませんと言われる。菊屋に5年間も住み込みをしていたのにどういうことだ」
祖父に呆れ顔を投げられてしまった。私もそう思う。もう少し平気だと思っていた。
でも知り合って短期間でキス出来たから意外に大丈夫な気もしている。行きはそうでもなかった手を引いてもらうことが恥ずかしくなったのはそのキスのせいだけど。
「慣れていないからです。なので指でつつく練習をしてきます。練習をするなら素敵な部屋の方が良いです」
今夜はきっと結納日くらいのキスはされる。多分。でもなるべくなにもしないと言っていたな。なるべくってどこまで?
調子に乗ってちょこちょこ強制練習とも言っていた。そうなるとどこまで?
私がまた照れ過ぎてへにゃへにゃになってあまり動けなくなるまでか。
「お前に付き合ってくれそうだが襲われてきなさい。いや襲ってきなさいの方か。あの方を逃すのはどう考えても損過ぎるし死ぬ前にひ孫を見せてくれ。あの人柄は普通に探しても見つからない。よく残ってくれていた」
祖父ってこんなにあけすけないというかこんな感じだったっけ?
環境の変化や私の成長で話す内容が変わったのとこうして2人だけの時間もあるからか。
「いきなり襲うなんて無理です。おじい様と2人暮らしも楽しみたいです」
「つれない花魁を振り向かせたくてのめり込むみたいになって逆に良いかもな。お前の人生だから好きにしなさい。その程度のことで綻びるなら長く共になんて無理だからな。どれ昼食を作るか。私も少しは出来るから働くぞ」
祖父が料理を出来るなんてそれも今回の事がなければ知らなかった。
少しは出来るぞ、の祖父は少しではなくてテキパキしていて包丁捌きも鮮やか。なにせ大きめの鯖を2匹、あっという間に捌いた。
「魚屋みたいな手つきです。お金持ちのおじいさんなのにどういうことですか」
「エルさん。私は川に奉納演奏なら漁師体験だと漁師に頭を下げまくって1ヶ月川漁師になったことがあります」
「漁師にですか」
「魚は上手く捌けるようになったけど船酔いで船に乗れないし慣れない仕事も辛くて泣いて逃げ帰りました。ははは! 腰抜けです!」
切り身を味噌漬けや味醂漬けにしながら驚いてしまった。祖父以外の家族の知らない話も沢山あるだろうし5年間離れた間の話もまだまだ知らないことだらけ。
同じように知らないネビーや彼の家族や親戚の話もある。家出直後の思惑や暮らし方が変わったように私の新しい日常もまるで想像がつかないな。




