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嵐が去って晴天となり2日。ガイとネビーは我が家から2日連続で農林水省東地区本庁と煌護省東地区本庁へ行って、捜査調査祭りは皇帝陛下暗殺未遂と怪奇現象の調査に飲み込まれるようだと私達に報告してくれた。
それで彼等は南地区の農林水省本庁と煌護省本庁へ色々持ち帰って上の指示を仰ぐことになったそうだ。
ジエム関係で我が家と輝き屋は嵐の翌日から業務停止命令及び強制捜査中。
そんな中、私とネビーは2人が出会った曜日である土曜日に結納書類を提出。今いる家族で宴席とまではいかない食事会を我が家で開催予定。
明日の朝に私達は我が家や輝き屋の騒動を無視して祖父を連れて南地区へ帰る。
帰りはまた南東農村区経由で結納祝い旅行気分で急がずのんびりの予定。
帰宅後のガイとネビーは農林水省南地区本庁と煌護省南地区本庁に顔を出して指示を仰いでお仕事なので2人とも残業指示が出そうと笑っている。あとネビーはたまにある1日2回勤務が増えるかもと口にした。日勤、休憩、夜勤という勤務もあったなんて知らなかった。
私は昨日で捜査調査の聞き取りがあっさり終わって自由の身なので同じような姉と一緒にルルとレイと春風亭へ行ったり東地区観光。
護衛兵官付きで行ったけど兵官は近くにいなくて自分達だけみたいな感じだった。
ネビーとはどこにも出掛けていないのでそれは残念でならない。
姉以外の家族との時間もまだ中々取れていない。父が相変わらず不貞腐れているので2夜は両親と寝たけど今夜はウェイスや甥っ子と過ごしたかったりする。
母と姉に反対されて「お父様に付き合ってあげて」なのでまた父と過ごすけど。
本日夕方仕事から帰宅したネビーは祖父の黒五つ紋付き羽織袴姿になり私は祖母、母、姉が結納時に着てきた振袖姿。
夕食まで2人でゆっくりしたら、と母に促されて私とネビーは中庭散策に出た。
場所はまたしても舞台でそこから中庭へ降りて2人で周りを見て木蓮を見上げた。
昼間結納関係の契約書類を中央裁判所にガイが提出してくれたから私達はもう婚約者。だからなのかネビーは何も言わずにしれっと私の手を取って握ってくれた。
緩々ですぐ逃げられる力加減。なので私はその手を強めに握りしめた。
「昨日と同じでやはり何もなかったみたいな中庭ですね。なのに海蛇らしい小さな蛇はいるし役所というか皇居から話が降りてきていることもあの彼が口にしたような事です」
「海蛇さん、どこにいるかサッパリ分からないのにお風呂に入る時にはシュルシュルと現れて湯船で楽しそうに泳いでいます」
「ああ。俺もそうです。泳ぐ蛇だから海蛇なんですかね? こちらから触ろうとすると目を赤くして怒るので触らないで眺めています」
そうなんだ。それは私と違う。
「私は触りまくりです。お風呂中、あちこちを這うのでくすぐったくてつい捕まえてしまったりお風呂から出た際に濡れたままで良いのかな? と拭いてみたり。長屋であれだけ蛇が怖かったのに海蛇さんは不思議なことに怖くないです」
「……あちこちを這う? えー。えーっ!!」
ネビーに上から下までジロジロ眺められた。何?
「それはもう変態蛇です。俺のウィオラさんの……痛っ。おお、初めて怒られた!」
ネビーは右足首を確認。海蛇は目を細めていて赤い目をしている。
袴の裾で見えにくくて誰も気がつかないのか無視しているのか誰も指摘しないらしい。
私は今朝彼の左足首に海蛇がいるなと思ったけど今は右足首にいる。つまり移動したということだ。
「変態蛇なんて言うからです! な、な、何を想像されたのですか⁈」
恥ずかしいからやめて欲しい。俺のウィオラさん発言は嬉しい。
「それにしてもこの格好はどう見てもお嬢様ですね。髪の毛先から足袋先までかわゆいです」
そう告げるとネビーは私の手を引いて木蓮の木の幹に背中を向けて寄りかかった。舞台とは反対側の位置なので人目につかないところ。
期待大! と思ってドキドキ照れ照れしていたらそうっと左腕で抱き寄せられた。恥ずかしいけど嬉しいから身を預ける。
下ろしている右手は私の手を軽く握ってくれた。
この姿で嵐でも散らなかった白い木蓮の花々の下でこれは素敵。夕焼け空も美しい。
海蛇とか豊漁姫とかサングリアルに南の国とか訳の分からない話は「確かに助言だったので言われた通りに過ごそう」と決めてとりあえず放置することにしている。
「あ、あの……。今の姿でなくてもですけど……。す……きな格好です」
褒められたら嬉しいから私が褒めたらきっと嬉しいと一生懸命伝えると決意したけど慣れないというか恥ずかしい。
「雷雨の中で思い出したんですが、天の原踏み轟かし鳴る神も思ふ仲をば欠くるものかはという龍歌がありますよね。ご存知ですか?」
「ええ」
大空を踏むように轟かして鳴る雷でさえ2人の仲を引き離すことは出来ない。
あの夜にそう思ってくれたとは……素敵。最近感想が素敵しか出てこない。
「それで兄がこんな龍歌を作りました。二人の手千夜に八千代にさざれ石の巌をとなりて苔のむすまで。あの怨念みたいな花や龍歌より良いと思うので贈ります。返事は同じ龍歌だと嬉しいです」
握られている手を軽く指でくすぐられた。
千の夜が過ぎて八千年も経って細かい小石が塊って遂には大きな岩となり苔むすしても今繋いでいる手は共にありますように。
ネビーに言われたらなんでも素敵状態。同じ常世の気持ちを送られたのに印象がかなり違う。
農村地区を旅した美しい景色がまぶたの裏に浮かぶ。特に初めて手を握って渡った川から眺めた煌めく美しい大自然の光景をありありと思い出せる。
「はい。同じ気持ちです。ロイさんが作られたことは言うのですね」
「ウィオラさんが誰かに話したらすぐバレますから。俺はバカなので作るのは無理。かろうじて覚えているものを捻り出し。さてこの間はお邪魔むしに邪魔されたけどもう結納したし場所も良いので再挑戦」
この意味は聞かなくても簡単。この体勢になってから期待大! だったのでそろそろと顔を上げた。
恥ずかし過ぎて視線が泳いで真っ直ぐ見られないけど燃えるような熱視線が注がれているのは感じられる。
色気だ。きっとこれを男性の色気と呼ぶ。右手が離されて左手も移動して両頬を包まれたのでほぼ同時に目を閉じた。
こんなの一生忘れない。
☆★
気がついたら夕食の席だった。ボーッとしていて記憶が曖昧。
酒好き祖父と同じく酒好きなのかガイはルルのお酌でどんどん飲んで上機嫌。
レイは事前に全員に伝えたようで書き付けしながら実食に夢中。
私の隣に座るネビーは足の上で拳を握りしめたまま少し険しい顔でお膳を見つめ続けている。
私は1回で終わらなかったキスで脳みそが沸騰してしまって嬉し恥ずかし素敵祭り状態でボーッとしていたけどネビーはわりとしれっとしていた。
色っぽいなぁ、とか照れ笑いしてるなぁ、余裕そうだなぁ、なんで同じく慣れていないはずなのに私とは全然違うんだろう不思議と思っていたけど今のネビーはその時と真逆でカチンと固まっている。
「ネビーさん?」
「ロイさんが披露宴で黙ってジッとお膳を眺めていた理由が分かりました。大緊張です。簡単な結納の祝宴席でこれだと祝言はとんでもないです。ウィオラさんは普通というか……リルもそうでした。もぐもぐパクパクにこにこと心臓に毛が生えているみたいで」
かなり小声。確かに私はボーッとして心の中できゃあきゃあ言っているのにどんどん食べている。
キスが続いて倒れかけたというかへにゃへにゃになって支えられたのに我ながら神経が図太いと呆れ中。
悪戯っぽい笑顔で「練習もどうぞ」と言って私を弄んだり余裕綽々に見えたネビーは現在固まり中。
長屋での宴会時もそうだけど噂の胸がいっぱいで食べられない、は私にはない感覚みたい。
「私は緊張より嬉しい気持ちが強いです。あと宴席自体に慣れています。自分が主役なことは少なかったですけど」
「ウィオラさん」
「はい」
スッと差し出されたのは合わせ貝柄のお猪口。
「お酒を頼みます」
「はい」
徳利からお猪口へお酒を注ぐ。
「ウィオラさん、ありがとうございます」
ネビーはグッと一気にお酒を飲んだ。
「なんだネビー君。まるで披露宴時のロイだな」
「そうですよね。ロイさんはまさにこうでした」
「夏でもう7年か。月日が経つのは早い」
「あの日と同じでお酒の味がわかりません。ロイさんなら大丈夫だと太鼓判を押して披露宴で改めてそう感じて……。俺はあと3回も同じ気持ちを抱くんだなぁと……。それなのに逆のことをしています。走れば簡単に行ける距離であの気持ちだったのに東から南地区へ連れ去り……」
ネビーはお箸を持つ気配がない。楽しそうに食事をすると思っていたのに意外な反応。室内がシーンと静まり返る。
この空気だからか父がメソメソ泣き出してしまった。母が「よしよし」みたいに寄り添う。
龍神王は告げた。求すれば壊し欲すれば喪失す。
ネビーとの結納は私と家族を引き離す。彼を求めた結果家族との縁が切れて彼との人生を望むから家族との生活は望めない。
なのにネビーは半分個しようと言ってくれた。こんなに幸せなことはないと思う。
「調査などが落ち着いた頃、半年経ったらこちらで生活。その時は兄ちゃんがいなくて私達が寂しいです。そんなに離れたことはないので。親戚一同、皆同じ気持ちを抱くから仲良くなれそうですね」
ルルは愉快そうに笑って手酌でお酒を飲んだ。ふと見たらルルはもう徳利3本目。
「ルルさん! その通りだ。良いことを申して下さいました。縁切りの勢いだった娘とまた暮らせるなんて……」
父はさらに泣いてしまった。つられて泣きそうになる。
「飲みましょうお父様! 私の姉はガイさんの娘になって私はガイさんの娘扱いです。つまり兄の義理の父は私達姉妹の3人目のお父さんです! つまりお父様です! 2人が祝言に至るように応援しましょう!」
「お父様?」
さあさあ飲みましょうとルルは徳利を両手に握りしめて父の隣に移動した。
彼女はレイのことも呼んで「お母様も増えるし居なかったおじい様に念願のお姉様も増えます。ウィオラさんは妹みたいなので姉は嬉しいです! 兄も3人になって弟まで! 甥っ子も増えます!」と大笑い。
彼女は若干泣き笑いに見える。案の定というかルルは「兄ちゃんがついに家族よりも自分の事を考えてくれましたぁぁぁ。ウィオラさんのおかげですぅぅぅ。ありがとうございます」と私の母に泣きついた。
「あー……。緊張でルルが飲むのを止めるのを忘れていました。俺は俺のために暮らしてるって言うてるのにまた」
ネビーは困り笑いを浮かべたけどルルに優しい眼差しを向けて「隠してもこういう親戚だとそのうち見抜かれるからいっそ先にお披露目ですね」と肩を揺らして笑った。
まだお酒を飲めないレイもまるで酔って泣いたみたいに赤い顔で「私達が兄ちゃんの幸せを邪魔していましたぁぁ。ありがとうございます」と口にしてみるみる泣き出してしまった。
ガイは2人を止めないようで祖父と2人を眺めている。
「レイまでなんでだ。すみ——……」
私は立ち上がろうとしたネビーの袖を軽く引っ張って首を横に振った。
「ルルさんは私にも泣きつきましたよ。それを忘れているのに酔っていない時にも同じようなことを言いました。ネビーさんも誤解されているから聞いてみると良いです」
「それはすみません。なんで違うって強めに話しているのに伝わらないのか分かりません。まあまた話をします」
そう告げるとネビーは体を捻った。風呂敷を持ってきてそれを傍に置いているなと思っていたけど彼はそれを手に取って風呂敷を開いた。
「食事開始時の挨拶後にすぐと思ったけど動けなくて今になりました。妹達が暴れていて格好良いとは言えないタイミングですが仕方ないです。どうか受け取って下さい」
中身は長細い箱で「御申込」と書かれた熨斗が付けられている。
そこには桜の花の判子が2つ押されていた。少し大きい桜と少し小さめの桜。
箱の中身は簪で2本の足はピカピカの銀色。飾りは青色の鬼灯が3つ。白銀に輝く葉もついている。
透ける漁火の中には深い青色の玉。簪の上に「魔を除けし幸照らす青鬼灯」と書かれた細い紙が乗っていた。
「家紋の……。綺麗……。結納お申し込みの品なんて……。結納品無しなのに」
祝言お祝い品を納める約束にしていたからこれは予想外。
「贈りたいから勝手に買いました。こちらは無理を言って急いで作ってもらいました。義兄が妹へ贈ったことで家族は新しい幸福を得ています」
「兄ちゃんそれリル姉ちゃんと同じ! でも青鬼灯が3つだ。縁起数字? 姉ちゃんは北極星みたいだから2つで気に入っているって言うてるけど3つなのはなんで?」
ルルが泣き笑いしながら徳利片手に私の隣に移動してきた。レイはその隣。すると母と姉も私の近くへきた。
「桜は北極星風でしょう! 最初のお出掛けが花見だったから桜だ」
「出会った日の着物の柄も初めて贈った花も桜だったから。ウィオラさんに三連光苔の話を聞いたから頼んで3つにしてもらった」
ネビーはとても照れ臭そう。私も嬉し恥ずかし。レイが三連光苔って何? とネビーに質問。
バカとか忘れると自分で言っているのに彼は私の話をきちんと覚えていて彼女に説明出来た。
「あー!! お揃いだ!」
レイが叫んで見つめた先に私も視線を移動。ネビーはルルとレイに向かって自分の帯を示した。青鬼灯の根付けが付いている。
「いつ付けたの? 部屋に入る時はつけてなかったよ」
「今だ。簪に注目されている間。勝手にウィオラさんからの結納品。あはは」
この簪は2つ目の宝物だ。目印の髪飾りも大切だけどあれは親切心から贈られたものでこれとは違う。この簪は私の一生の宝物。
「使いたいけど死ぬその時まで、いえ一緒に燃やしてもらって黄泉の国まで持っていきたいから使えません。失くしたら困ります」
「失くしたらまた買います。俺は失くす自信があるので何度も失くして構いません。使っている姿を見られる方が嬉しいです」
「失くさないように気をつけて使います」
「こちらの家紋も犬が3匹だったので3つにしてよかでした。女性は好みがあるから勝手に買うのはなぁと思ったけどそのようなかわゆい台詞を聞かせてくれたり笑顔を見せてくれてホッとしました」
ネビーはもうすっかり素のように見える。
ピシッとしているけど気が緩んだというような言動に仕草だ。
「兄ちゃん、急いで作ってもらったって誰に? いつ? 東地区に来てからは仕事ばかりだから来る前?」
「結納お申し込みをすると決めた日に早急にって依頼。俺もルーベルだし伝統の家紋関係を贈ろうかと。青鬼灯は意味が良い。以前ロイさんに購入先を聞いて作者と住所を教えてもらったからその人。この厄祓い根付けを作っているクルスっていう職人」
私を小物屋に残して「少し用事」ってもしかしてこの簪関係⁈
早急にって元々ある作品に無理して工夫してもらったとかかな。嬉しい。私は母に頼んで髪に飾ってもらった。
「以前って兄ちゃんそれいつの話?」
「ウィオラ、良かったわね。とても似合うわ」
「養子縁組した頃」
「何年も前なのに。やっぱり兄ちゃんって興味があると覚えるんだね」
「お母様ありがとうございます。ありがとうございますネビーさん」
こうしてネビーはようやく食事を開始。ルルが私とネビーに「さぁ飲みましょう」とお酌を開始。
「兄ちゃんは赤鹿はまだ乗れないの? 赤鹿って馬より長く速い速度を維持出来るんでしょう? 赤鹿でウィオラさんと東と南を早く往復は無理?」
ようやく食事をしたネビーはレイの質問に手を止めた。
「赤鹿乗りは才能がなければ10年なんて言うて俺はうりうり遊ばれてる。少ししか乗せてくれなくて振り落とされないように必死。最終的に放り投げられる。筋は良いらしいけど訓練がたまにだから赤鹿に信用されないみたいだ」
「赤鹿は貴重だから許される横領みたいなことは難しい?」
「そこはまたガイさんに聞かないと分からない。懐かれたら逆に飼えるというか飼わされることもあるらしいけどな」
「赤鹿? ネビー兄上は赤鹿に乗れるんですか!」
ウェイスが熱心な目でネビーを見つめた。昔ウェイスの半元服祝いで北東農村区にある温泉街へ行って赤鹿屋を利用して少し乗ったからだろう。あの時のウェイスはうんと楽しそうだった。
兄上ってもう兄上呼びなんだ。まぁどんどん親しくなって欲しいからネビーが嫌がらなければそれで良い。
「兄上? ああどうも。兄ちゃん以外は呼ばれないから変な感じです。ネビーでよかですよ。よおネビーって皆呼ぶんで。父が息子は赤鹿に乗れる、と言いたいそうで贔屓で訓練参加です。弓は下手くそ。槍は得意だけど剣術を伸ばせと」
「それは自分には無理ですか⁈」
ウェイスがバッとガイを見据えた。そんなに赤鹿を好んでいたとは知らなかった。
「流石に兵官でもない方には……長男は赤鹿屋を利用した時に乗ったのでそういう方法はあります」
「自分は半元服祝いの旅行でその手段で乗りました。相乗りですけど楽しかったです!」
ルルとレイがウェイスの近くに移動してその旅行の話について質問を開始。姉と母もそこへ行って義兄も混じってワイワイ話始めた。
祖父とガイは相変わらず笑い酒。あっという間に明るい食事会。
だけど父だけはしんみり顔。席を立ったネビーが父に声を掛けた。
ルルがスッと立ち上がってネビーのお膳を父の所へ持っていき父のお膳をこちらへ移動。そうして父は私の隣に並んだ。
「ウィオラ……」
「寂しいです。縁が切れかけていたお父様や家族とまた暮らせる。両方の世界という願いは叶わないと思ったのに彼は叶えてくれるそうです。人に何かを譲る時は半分個と言う方です。私は家族を捨て南地区へと思ったのに。この国1番の果報者だと思います」
私は徳利を手に取った。どうぞ、と父に勧める。
「そういう方だからまだ許せる。落ち着いたら会いに行って彼のご家族やご親戚の方々にしっかり挨拶をする。南地区の陽舞伎を調べたいから一緒に観に行こう」
まだ許せるって困った父親。父親とはそういうものなのだろうか。
「はいお父様。南地区の陽舞伎一座を下調べしておきます。海も一緒に行きたいです。暮らす長屋にはたんぽぽ畑があって今は春爛漫で可愛らしい景色で子ども達と花冠を作りました。他の季節もきっと美しいです」
「ウィオラさん何を言うているんですか。あそこはたんぽぽ畑でなくて雑草群です。ご家族も観光地と言い出しそう。なるべく私が案内します! 楽しみです!」
ルルがやってきて父へお酌をしてくれた。
「お父様。娘が5人増えるのはきっと楽しいですよ。ハルモニアお姉様はぜひ長女で。そこから順番にルカ、ルル、リル……ウィオラさん? いやルカ、ルル、ウィオラさん、リル、レイ、ロカです。多いのでゆっくり覚えて下さい」
「忙しくてまだ聞けていないので兄妹話を聞かせて欲しいです」
しんみり顔だったのに父はにこやかというかデレデレなお顔に変化。
先程ルルが「お父様」と声を掛けて泣きついた時も一瞬こういう顔をした。ルルのこれは酔いなのか素なのか計算なのか気になる。
家族が増えるということは良いことだけではなくて足を引っ張り合う相手が増える事でもある。
しがらみに絡め取られて自由を奪われることもあるだろうけど代わりに何かを得るかもしれない。そんな事を考えたら急に思い出した。
「お父様、急におばあ様の言葉を思い出しました」
「母上の? なんだい?」
「海蛇王子と歌姫の2人は末長く暮らしました。続きがあって3つ子が生まれるんです。海蛇と半海蛇と人の3つ子。伝承物が残っていないけどおばあ様はお母様に聞いたと」
そうだ。私は3つ子が生まれた話を祖母から1度聞いたことがあった。
海蛇と半海蛇と人の3つ子と教わったけど全員半海蛇らしい。なぜ変えたのだろう。
海蛇王子と海蛇の末路もそうだ。なぜ真逆の結末になったのだろうか。
あらゆる命を救済する為に奔走した海蛇王子。まるで聖者のような者が悪党に磔にされて焼き殺されたというのはあまりにも救いがない。
そういう者には幸せになって欲しかったと彼に救われた者達はそう思いそう。
同時に南の国へいつか必ず復讐しようと考えないだろうか。次男は南の国を牢獄に変えて内外の世界がぶつかり合わないような道を選んだらしい。
両親の「許して憎しみを断ち切れ」という意志を継いだということみたいだけどこういう考えは思いつかないし成したのなら凄い。1000年も続くような仕組みとはなんだろう。
色々気になってきた。神話や伝承物を調べてみよう。
「ああ、そういう話もあったな」
「お父様は覚えてないですか? その3つ子のお話」
「彼等は3つの国を興したと。海の中の国、海辺の国、それから陸の中央の国。煌国の旧時代かもしれない。そう教わった」
南の国。それから西の大蛇の国。そこから他の地へ散ってあちこちに国が興ったと教えられた。
南の国は牢獄の国らしいから海の中の国?
西の地は本物の海沿いにあると聞いたことがあるから海辺の国だ。それで陸の国はきっと大蛇の国より東側にある国々。
あのサングリアルは海蛇王子と歌姫を知って各地でさらに神話や伝承物を探して考察して歴史を辿った?
「お父様。おばあ様がこう教えてくれました。それぞれの国を作る前に星降りの丘で3人は誓い合ったと」
「……遠く離れても」
父は気がついたようだ。私は父の台詞に繋がるように続けた。
「遠く離れても家族は共にある。それぞれが鮮やかな未来を作ろう。いつか交わる。そう信じて強く生きていこう。おばあ様から私に受け継がれた言葉です」」
「私も何度か聞いた話だ」
「離れている時間も私達はなんとか家族でした。どうにか良くなろうともがいてこうして交わりました。お父様、私と彼がお互いに想いをつのり積らせて共に生きていけると思えたら家族が増えます。ルルさんが言って下さった通り」
遠く離れても家族は共にある。それぞれが鮮やかな未来を作ろう。いつか交わる。そう信じて強く生きていこう。
サングリアルの目的はそれではないだろうか。
南の国の外の世界はまだかろうじて共和国。絆は離れてしまっているけどまだ共にある。
鮮やかな未来とはきっとサングリアルが提示したような世界。
日常の裏に潜む危うい世界と希望の道について思考停止ではなくてネビーと話し合ってどうにか参加したいな。
私と彼に子どもが生まれるのなら薄氷の上の平和ではなくてより良い世界を残したい。
なにせ私とネビーは海蛇王子と歌姫になった疑惑なのでどのような子が生まれるか分かったものではない。
長屋の屋根舞台の上で2人で「生きたいです」と言い合ったあの日が私と彼の誓いの日であそこが星降りの丘だと思う。
あの夜桜の花びらがひらり、ひらひらと流れ星のように流れていたから。




