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庭園小公演用の舞台にネビーと並んで座って中庭に咲く木蓮を眺める。桜はもう葉桜。懐かしい庭園の姿はほとんど変化なし。
「この舞台も驚きですけど広いお屋敷ですね」
「ここと屋内舞台と稽古部屋で広いだけで自宅部分はそんなにでもありません。菊屋の私の部屋に長屋とルーベル家を基準としたらうんと広いですね」
「それでこの立派なお屋敷のお嬢様。俺は本日少し怒っていますが先に何か言うことはありますか?」
ネビーは私の隣でわりと雑な座り方をして後ろに手をついて木蓮を見つめている。お顔はわりと不機嫌。かなりかもしれない。
現在私達はもう半結納で土曜日には仮結納と決まったので2人で中庭散策というか舞台から眺めているのにこの空気。
甘い雰囲気を期待していたけど真逆だ。
「ガイさんに怒られました。私はジエムさんを怒らせてわざと殴られて連行させようとしたと。そのようなことはしていません。祖父に父もカラザさんも味方のような気配だったのでこの場の敵は彼だけだと漁師達の権力で脅しただけです」
ガイ同様にネビーは「信じません」みたいな怖い顔のまま。
だよな、と反省。でも終わった事を蒸し返して悲しませたくないし私も怒られたくない。彼はしかめっ面を私に向けた。
「嘘つきお嬢様。真実を語ったら悲しませるとか怒られると思っているのなら巧みに嘘をつけるようになるんですね。俺は昨夜太夫さんに貴女が大嘘つきになる時の癖を聞きました」
嘘をついた心理を見抜かれていて驚き。
そういえばそのような話をされた。自分では見えないし感じないけど私は大嘘をつくと目元が少し痙攣するらしい。
「……。すみません」
「何に対してのすみませんですか?」
ネビーは私から顔を逸らして不機嫌顔のまま木蓮を見上げた。嘘で事態を悪化させてしまった。
「嘘をついたことです」
「悲しませたくないとか怒られたくないという嘘は誰でもつきます。当たり前のことです。それを謝られても別に」
別に、なのにとても不機嫌そう。こういうところは嫌かもしれない。
「嘘をつくなというような話をされました。遠回しにネチネチではなくてはっきりおっしゃって下さい」
「下手な嘘をついたのはウィオラさんです」
「最初になぜ怒っているか言わなかったです。明らかに不機嫌なのに。そういうところについての文句です」
これは私が悪い気がする。しばらく沈黙。これはきっと私達の初喧嘩。
「その通りです。俺が悪いです。俺はわりと自分の気持ちというか、知り合って短期間でもどのくらい大切なのか伝えてきたつもりです。殴られる必要は全くないのに3発殴られてみました。それについて何も思いませんか?」
「私も悪いです。すみません。殴られる必要は全くないのに? 彼を連行する為にわざと殴られました! 殴られてくれました……。悲しかったですしその怪我を見ると今も胸が痛いです……」
あざも口元の傷跡も悲しくて仕方ない。涙が滲んでくる。
ネビーは後ろに手をつくのは止めて体を起こした。それから私に向かって苦笑い。
「何も言われないから気にならないのかと。拗ねです。そのお顔は嫌ですけど心配は嬉しいです。挑発しなくてもあの状況なら任意調査しますと連行出来ます。殴られる必要は全くなかったことを理解していないとは思いませんでした。俺の思い込みです。すみません」
気にならないのかと……何も伝えていないから誤解されても仕方ない。
軽く頭を下げられて思う。これは喧嘩ではなくて単なる話し合いだ。私は大きく深呼吸をした。とても息がしやすい。
「言わないと伝わらないのにお礼も心配も言わずにすみません」
「様子を見ていればお気持ちは分かるしあの後の話の流れでこういう話は出来なかったので気にしていないけど少しは気にしていて拗ねたので言いました」
「勝手に伝わっていると思った私が悪いです。うんと辛いです。私のために殴りたかったから……殴れないと分かっていたと言っていました。それとも彼が大暴れしたら1発ですか? それこそ辛いのでそのようなことはしないで欲しいです……」
このように話をされたらすぐ謝れるし反省する。お互い誤解も減りそう。いや減るようにこうして話してくれているのだろう。私も今後こうしていきたい。
「これもウィオラさんが俺の評価や仕事振りを知らないのに説明もせずに謝罪を求めたから俺が悪いです。すみません」
彼はまた頭を下げてくれた。ネビーはきっと理不尽に怒ったりしないとこれでよく分かる。本当にジエムと正反対の方だ。
「それなら私にはネビーさんがわざと殴られた理由が分かりません。推測下手ですみません」
やはりこれは話し合い。これは絶対に喧嘩ではない。つまり彼とは今後もあまり喧嘩しなさそう。
その時は頭に血が上っても後から理由を説明して「理由を言わなかったからすみません」みたいに言ってくれそう。私もそうしたいというか見習いたいので真似をしよう。
うんと探してもこのような人は中々いないに違いない。ちび親うるさい、なのにルル達が彼を心底慕っていそうなのはこういうところのはずだ。
教育係として期待されているみたいだからこういうところを上司に評価されていたり部下にも慕われてそう。
「少し気がつくのが遅れて申し訳ないのですが、腕の動かし方とか気にかけ方で掴まれた際にかなり痛かったかもと途中で気がつきました。心配故に駆け寄って触れたという様子ではさすがに即連行などの対応は出来ませんしそこまでとは思わず」
「ガイさんが私が殴られそうになったらすぐに助けられるように仕込み刀にもう手を掛けてくれていたと」
「ええ。あの距離なら何か動いたら素手で止める自信がありました。でもあの男が動いた瞬間抜刀しようと思いました。俺の権限や実力だとやり過ぎになって評価がガタ落ちになるけど真剣で突き刺そうかな、みたいな」
突き刺すってあの素早い突きで?
「あの突きでですか? あれはともかく間に合うというかそういう気持ちがありました。殴られそうになったらその前に絶対に助けてくれると」
「俺はなんだかんだ理性的なので過剰行為、つまりあの状況であいつを刺したりしません。それは置いておいて以前あざが出来た話を聞いていたから迷いましたけどご自分で逃亡。何もないような顔だったので安心していたけど途中で違うと気がつきました」
突き刺しの話は「俺は貴女が傷つけられたらそれ程怒ります」という意味かな。
遠回しは遠回しだけどこれくらいは察するべきだと思う。べきって考えはやめた方が良い気がする。聞こう。
「私の為ならそれ程怒って下さるということですね。それなら嬉しいけど悲しいです。あの状況だと暴行罪で訴えるなんて出来ません。でも執着の証拠になるみたいな話をされてそうなのかと。ぼんやりというか頭が悪かったです」
「悲しませないように激怒しても自制します。ぼんやりでも頭が悪いのでもなくて知らないからです。それで俺が怒っているのはその事です。なぜ一言腕が痛いと相談してくれなかったのかと。その諦め癖や自己完結癖に腹を立てています。あと俺はそんなに信用出来ないのかという拗ねもあります」
私は思わず目を見開いてネビーを真っ直ぐ見据えた。彼は木蓮を眺めているので顔を覗き込んで大きく首を横に振った。
「とても信じています」
「諦め癖や自己完結癖の方は気にならないようですね」
「えっ? ああ。はい。今そうでした。そうみたいです。諦め癖や自己完結癖ですか?」
「自分で考えてもらおうと思ったけど無駄なので言います。その助けてと言わないところを自覚して直して下さい。それからご自分を大事にするように。他人より自分。もっと自分。ウィオラさんは短期間で俺が知った事実からすると自己犠牲の配分がおかしいです。やり過ぎ」
「助けてと言っています。それに私はしっかり自分勝手です」
「あざが出来るまで強く掴まれて怖いから俺の隣から絶対に離れないと言いましたか? 私の席はここです。それだけ。それは助けを求めたとは言いません」
ネビーはますます不機嫌そう。ジエムの怒りが炎なら彼はまるで氷。とても寒々しい空気。
このような雰囲気で拒絶された女性はきっと傷つくというか傷ついていただろう。現在進行形かもというか現在進行形か。
今の私に対してだと真心があるからその人達とは感じ方が違う。拒絶だけしかないなんて深く傷つく。
でも一線引いたり気遣っているのは聞いたし見てきた。ふざけた感じとか笑って避けているのも雑に「邪魔」みたいな姿も私は見ている。
父が年齢を聞いているのに改めて年齢を聞いた気持ちが今更分かる。
「反省します。あの時の私としてはこっそり言うような時間も隙も無かったです」
「いいえ。作らなかったの方です。堂々と腕が痛む程触られて恐ろしいので近寄りたくないとそう言くことは出来ました。彼と2人きりの場合は無理でも今日は違いました。言えなかったのは俺への不信と彼への恐怖に諦め。俺はそう感じました」
彼への不信……隣にいてくれてとても安心していると伝えていないから誤解されたということだ。
諦め癖……。そうなのかな。そうなのだろう。そうだな。ジエムからの嫌な言葉を「はいはい」と聞き流するうちにそういう癖が知らないうちに出来てしまったのかもしれない。
耳が痛いけどこのように耳が痛い話をしてくれるのは私のためだ。祖父がそう。
両親からは「お前は悪くないから任せて」みたいな対応をされてきたけど私がネビーの言う通り祖父や両親にあざのことを相談していたら何かが変わっていたかもしれない。
「その顔ならもうお気づきですね。違うと困るのではっきり言います。問題解決するなら殴られようとかあざが出来ても我慢していようとか、そういう考えは悪党を増長させます。他の皆さんはウィオラさんは悪くないと言いましたけど俺は言います。彼を人喰い鬼みたいにしたのはウィオラさんにも原因があります!」
そうか。そうだったと思って振り返らないと何も学べないし今後気をつけられない。
ネビーの両手がゆっくりと伸びてきてそうっと着物の上から腕を撫でてくれた。
「証拠になるから提示と話した後から誰も気にかけていないのが気に食わないです。捨てることにした。ウィオラさんのおじい様がそう口にした時は潔くてせいせいしました。俺はあの方は好みです」
あの方はだと他の家族はあまりということだ。父は失礼だったので論外として。
「私が薄いあざだけだろうから何もする必要がない。軽いあざに手当は何もありません。大丈夫と申しました」
「ええ。強くそう言って見せるのを拒否していましたね。貴女の性格を見抜いているのに見ないで撤退。そこが気に食わないです」
あけすけないってことは辛辣なんだな。
「今は部外者ですけど親族になったら腹が立つこととか気に食わないことははっきり言います。あと捨てると決めていた娘さんだから譲歩したくなくなったら容赦なく奪います」
ジエムに見せた不機嫌さくらい機嫌の悪いお顔。これは怖い。私の家族に対してかなり怒っている。
「私が言います。もうこういうことを隠しませんし諦め癖も相談しないことも直します」
「そうしてくれると気が楽です。俺は家族を奪われる気持ちをよく知っています。お父上のあの態度はかなり理解出来るのでそちらに関しては特に言わなくてよかです。あれは俺としては全く気になりません」
「あんなに失礼だったのにですか?」
「逆の立場なら俺も似たような態度をしそうです。娘に愛情がしっかりあるからなのでむしろ高評価。そこは好みというか気が合うと思います。俺は捨て奉公人の親みたいなのが大嫌いなので捨てるなりに愛情がかなりあるとかあの悲痛そうな姿は好印象です」
それで全く怒っていなかったんだ。やはり会話は大切。サラッと言ったけどネビーはつまりジンの親は大嫌いということだ。
失礼します、とネビーは私の着物の袖を捲った。それで深い深いため息。
私もなかなかびっくりした。思っていたよりもあざだし、想像していたよりも肌が抉れていた。
「これを大丈夫とはおかしいです」
「いえ。ここまでとは思っていませんでした……」
「痛みに鈍感なんですか? 色々我慢強いんですね。触りますよ」
腰に巻いている小さい鞄からネビーは丸い木製の入れ物を出した。彼が蓋を開けたら緑色のクリームみたいなものが入っている。
「かなり痛みますけど治りがかなり早いです。このくらいならすぐです。危険のある仕事だからと旅医者の友人がくれました。俺が怪我をしているのは多くの者の損だからかなり貴重品だけど贈る。代わりに俺だけが使うようにと言われています。滅多に量は増やせないというか5年前に贈られてこの量のみです」
「それなら私に使わないで下さい。あと証拠と申していました」
「不注意ならともかくこういう場合だと腹が立ち過ぎたり苛々して仕事になりません。だから使います。家族にも使ったことはありませんけど今夜からは2人分にします。ウィオラさんがわざと怪我をしたら俺の分が減りますからね」
「わざとでなければ使いませんか?」
「その時の怪我の様子です。この程度の傷で家族よりイライラしたり心配なのは驚き。わざとでなくても心配し過ぎて仕事に支障が出るなら使います」
私はそんなにネビーの懐に入ったんだ。
「わざとは2度としませんが不注意の怪我も気をつけます」
「ったく。俺のウィオラをこんなにしやがって。やっぱり殴ってやれば良かった。証拠なんてもう要りません。あれは思いつけマヌケ。兵官に丸め込まれたんだろうアホ。裁判所には行かなかったのかバカやろうって意味です。子どもではなくて親の方です」
あけすけないけど私の家族へのこういう気持ちはしっかり隠してくれていたんだ。しかも私の家族に色々譲ってくれた。
「それなのに私の家族の為に東地区で暮らしてみるとおっしゃって下さったのですね……」
こんなのまた泣きそう。
「違います。ウィオラさんの為です。貴女が寂しそうな顔をしたからでろくに交流していないご家族の気持ちなんて知りません。そんなの俺は俺の家族を優先します。結果としてご家族のために見えるだけです。最初に譲っておけば後からもう良いですよねと言いやすいです」
バカなんでってまるでバカではない。遠回しに嫌味を言ってみたりこういう計算もしている。
なのにそうではないところが沢山あるしやはりチグハグ。
「ネビーさんは色々はっきり言いますね。それでこれを私に話すのはあまり得策ではないです。私はネビーさんやご家族優先で良いと思っていますけど気分はあまり良くないです。前半は嬉しくて後半は隠して良いことではないかと」
「友人の案です。事情があって帰ってくるなで何か解決して南地区へ連れて行くことを渋られたら最初は譲ってみたらどうかと。俺の欠点はイライラするとこのように腹の中におさめておけなくてキツく言い過ぎるところです」
「つまりそれほど腹を立てているのですね。私の家族に」
「ウィオラさんが怪我した事にイライラしているの方でご家族に難癖八つ当たりです。ご家族も諦め癖と恐怖や面倒に無知とかそういうのでしょう。皆さん無自覚でしょうし俺は職業柄色々学んだだけで知らなくても仕方ないことは沢山あります。印象を悪くしたくないから黙っていて我慢したけどウィオラさんに甘えてグチグチ言うています」
これは甘えなんだ。私から家族に話をしたら気が楽だから甘えか。はっきり言うけど若干遠回し。
初めてネビーに強引な行為をされた。薬を塗られて、痛むと言われた通りその瞬間から激痛。
袖を下ろされてまた着物の上からそっと腕を撫でられた。しばらくしたら痛みが嘘のように引いた。確認したらほぼ傷がない。このような薬が存在するんだ。




