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レアン以外は「カニの話?」みたいになっているけどレアンの様子を見たら必要な話なのは明らか。
私もなぜここで毛むじゃらカニの話なのか理解出来ないけど聞いていれば分かることなので沈黙。なぜカニ。
「6匹……。個人に6匹も……。そうですか……」
大動揺のレアンは崩しかけた姿勢を直しつつほんの少しだけガイ寄りに近寄ってきた。ジエムは気がついて無さそうだけど祖父達はしっかりレアンのその動きを見た様子。
レアンはガイが自分の味方かもしれないと判断した? カニで?
「その関係で南地区中央裁判所の卿家に報奨金が支給されました。ベイリー・マクシミリア裁判官は息子達の友人で祝言の際に同じく毛むじゃらカニのあしを贈られています」
カニで報奨金ってなに?
「6匹の入手経由説明をお願い致します。個人指名が寝耳に水ならこの毛むじゃらカニの件が関係あります。それを理解しているから話してくれるのでしょう。ご協力ありがとうございます」
ご協力ありがとうございますか。レアンのガイへの目線も明らかに変化している。代わりに祖父、父、カラザは軽く睨まれた。
ジエムは明らかに悪そうだから無視みたいな雰囲気。
「まず2匹です。リルは当時高騰していた花カニを釣ってそれが漁師経由で恐らく皇居へ売られました。このくらいの花カニが銀貨15枚と1大銅貨で売れました」
このくらい、とガイは手で大きさを示した。この間の毛むじゃらカニの3分1以下だ。高い。高過ぎる。
「その大きさの花カニが銀貨15枚と1大銅貨⁈ 高騰して……数年前ですね。当時としてもその大きさで15枚と1大銅貨は珍しい高値です。恐らく皇居とはまさにその通り。しばらくその船着場は賑わうという縁起がついたのでそのお礼に2匹売るのはまあなくはないでしょう」
毛むじゃらカニは幻の縁起カニ。その名称の理由をリルに聞きそびれていた。もしや縁起が良くないと売らない?
ネビーはこう言っていた。毛むじゃらカニは縁起カニで怖いバチあたりがあるから漁師によって隠されているけど理由があると売ってくれるカニだと。
大昔に漁師がこのカニをどんどん売ったら嵐や連日雨に強風などで漁に出られなくなったとか、カニの大副神が現れて「縁起物」と漁師に言ったとか色々あると教わった。
つまり……今はどんどんとは真逆で売らないカニだ。
「毛むじゃらカニ百怪談」という話があるくらい怖い逸話があるくらいの偶然が重なって理由がなければ売らないと漁家はそう決めている。
盲点というか売らないけど理由があると売るならその理由は? という疑問が湧いていなかった。
リルのお陰で漁家達に縁起がついたからリルに売った。漁家に良いことをしたら売ってくれるということかもしれない。この場合だと2匹は妥当らしい。
へえ、と思ったらレアンが簡単にそれを説明してくれたので正解だと分かった。
毛むじゃらカニに関する騒動はそこそこあるそうでレアンが関与した限りでも「密猟や犯罪行為で入手した者にバチ当たりとしか思えない事が起きている」らしい。
主に不審死。次は大怪我。昔々からでかなりの数だそうだ。同時に不当入手者の住居を中心に災害や天候不良も重なりがち。
不当入手で毛の処理や2度茹でなどの変わった下処理を知らないからそうなるのではないだろうかと思ったけど大怪我に災害や天候不良も重なりがちとは気になる。
逆に漁家が決めている理由——門外不出——で毛むじゃらカニを手に入れた者は縁起が良くなり栄える話が多いそうだ。
この肝心の話を知らなかった。沢山食べろという台詞の真の意味は「お嬢様に縁起をつける」という意味だったのか。
食べたら縁起良しになるから縁起カニ。このカニはお金を積んでも決して買えない。だから密猟などで狙われる。
「漁師達にどのような基準があるか分かりませんか縁起が良い時に振る舞ったり売られます。それを食べたり贈られた場合は縁起良しになる縁起カニです。ちなみにこのカニは大変美味しいです。農林水省所属だと漁師と関与する機会が多く仕事内容によっては気に入られることもありますので口にした事があります」
私は思わずうんうん、と頷きそうになった。カニ汁、カニの味噌酒、カニのほぐし身のちんまり丼ものにあしをしゃぶしゃぶしたものと私は沢山食べさせてもらった。
そういえば秘密のカニだから美味しいヒシカニと言うようにとネビーに言われたな。あの夜はうんと楽しくて毛むじゃらカニのことなど「美味しかった」以外忘れていた。
むしろ他の楽しさで食べたことすら忘れていたかもしれない。それがなぜかここで登場。
毛むじゃらカニの殻は干すともう1回出汁が出るらしくレイの手で長屋の干し場で殻が天日干しされている。
そう言えば「配らないと」とレイが言っていたけど縁起カニだから配るのか。
私はネビー本人にわりと夢中で本来ならこういう神話や逸話や伝承話はかなり気になるのにちょこちょこ素通りしていたみたい。
「漁師達が毛むじゃらカニの美味しさや縁起カニだということを広めたくないので私達にろくに説明しなかったのでよく分からずに入手しました。やたら質疑応答が長いのと広めるなと言われたので何かあるなと知っていそうな友人に後で確認しました」
「密猟が増えたりするから隠せよ。普段は俺達用なんだけど気に入ったから美味いカニを売ってやるよ、みたいにサラッと渡しますからね。残りの4匹はどういうことでしょうか?」
美味しいくらいなら血みどろの争いにならない。逸話が多くてお金を積まれても売らないから1匹でも手に入れられたら大金持ちになれる可能性。
不当入手だと下処理方法を知らないから毛の毒か何かでバチと思われる不幸に見舞われる。毒疑惑を解決しないで隠されたり百怪談まであるなんて不思議なカニ。
「リルは美味しいカニなら花カニを売ったお金でもっと欲しい。さらに4匹欲しいと頼みました」
「何も知らなければそうなります。しかしよくもまあ4匹を追加購入出来ましたね。花カニ1匹銀貨15枚と1大銅貨。毛むじゃらカニが6匹12銀貨。お釣りがきます。今回の件に根深そうなので4匹を売ってもらえた理由を教えて下さい。1人に6匹を贈ったなんて聞いたことがありません。この値段は売ったのではなく贈ったという意味です」
無知とは恐ろしいとはこの事。リルは毛むじゃらカニを買ったけど贈られたようなもの。それでそれはレアン曰く珍事。
確かに。カニだけに。重たい空気なのと腕が痛いので和みたくて心の中で呟いてみた。
ネビーをチラッと見上げてずっと続いているすまし顔を確認。きっと大丈夫だと思えて浅かった呼吸が深くなった気がした。
「この日からリルは漁師達に花カニに好かれた卿家ルーベル家のお嫁さんという扱いになりました。以降その評価は変化していません」
「花カニというよりカニの大副神に好かれたですね。他のものが高値で売れたらまた違っていますけどカニですからね。何か理由があると考えてかなり質疑応答したでしょう」
漁家にとってカニは大切な存在みたい。知らなかった。
「ええ。リルはこうも評されました。海を大変好んでくれている。真冬の早朝に趣味釣りをする程だから絶対にそうだ。漁師をとても尊敬してくれている。この辺りでは見ない眼福な格好をしている滅多に喋れない本物のお嬢さんとは眼福至福。働くやる気がでる」
ん?
レアンは少し呆れ顔をした。
「川漁師も農民もそうですけど学校の生徒の見学後は良くも悪くも揉めやすいので気を遣っています。あの家に安くしたい、あの家は嫌だみたいに」
そうなの?
見学前に農林水省から人が来て見学先での礼儀を教わったけど当たり前の話しかされていない。
「リルと漁師は長々と雑談をしました。人柄確認もあったでしょうけど卿家のお嫁さんの生活に興味津々の方です」
「気に入られたということは雑談に律儀に付き合ったのですね。これが難しいんですよね。話続けたいのか逆なのか分からないし気分屋が多くて」
バレル達しか知らないけど気分屋は分かるかも。
「リルはこれは魚屋での値切り交渉と同じだと思って漁師をおだてようとしました。売りたくなさそうだから美味しいカニを手に入れるぞと張り切りました」
「卿家は庶民層だけどお金持ち、下手すると大金持ちと思われてあちこちでふっかけられますからね。なぜその誤解が解けないのか謎です。母にも嫁にも娘にも感謝しています」
リルはあの中のどの漁師と雑談したのだろう。バレルなのかな?
昨日リルさんに売った、みたいに話をしていてネビーも彼を名指しで呼んでいたから彼かな。
「卿家のお嫁さんの生活に興味津々…… 南地区中央裁判所の卿家に報奨金ですから卿家はお金持ちではないんだなとか貧乏みたいに言われたんですね。言われるだけならよくある話です」
報奨金? と思ったけど繋がった!
レアンは漁師達や彼等との問題にうんと沢山関わってきたのだとここまででよく分かる。どんな仕事も大変だけど農林水省勤務って大変そう。
「リルは倹約家で採れるものは採ってきて浮いたお金で採れない物を買う性格でして、値切りたいからお金は無いぞと言いたくて海にも山にも川にも行って釣ったり採ったりするみたいな話をしました」
浮いたお金で採れない物を買うことは言わなかったのだろう。
「そのような話をしたら卿家はお金持ちだと思っていたのにそんなに節約するのかとなります。俺達はほどほどに豊かなのに偉いはずの卿家は貧乏なのかと同情されたでしょうね」
「おまけに重労働の家事を手伝い人なしで行っているとさらに同情されました。そんなに貧乏なのかと」
「値切り交渉みたいに思っているからその理由は貧乏ではないと言わないですね」
「リルはぼんやりでして同情されていることにすら気がついていませんでした。娘は中々売ってもらえない事で頭がいっぱいで毛むじゃらカニの話題を出したいのに別の話をされると四苦八苦です」
ネビー家族が未だに採れるものは採ってきて代わりにたまごとか買いたいものはどんどん買おうみたいな感じを「貧乏」と誤解された。誤解されていることにも気がつかない。
なんだか楽語みたいな話になってきた。リルのあの不思議な感じを思い出すと笑ってしまいそうで私はギュッと唇を結んだ。
「毛むじゃらカニを追加で何匹売るか考え中。卿家のお嫁さん自体に興味津々。漁師は毛むじゃらカニの話をはぐらかし続けたでしょうね」
「リルはどちらかというとお喋り下手の人見知りです。節約で浮いたお金で西風料理をするのでカニが欲しいと言うはずが漁師の掌の上なので話が逸れました。漁師が俺の嫁は西風料理を食べたいと言うけど高いしパンは不味いから嫌だみたいな会話に変化です」
「そうなると遊ばれているようなものです。面倒と逃げる方が多いけどそちらのリルさんは美味しいカニが欲しかったから頑張り続けたと」
「それどころか顔も知らないけど嫁仲間は嫁仲間だと思ったそうで西風料理の安い店を教えてご飯も頼めるとか西風料理はものによっては家庭でも作れると話しました。料理の材料が売っている場所も教えています。リルの方が毛むじゃらカニのことを忘れかけです」
リルのあの不思議な間での会話を思い出しながら想像したら少し笑いそうになってしまった。
「それはまた。俺の嫁に親切、いや俺達の嫁に親切と思ったでしょうね。それでおそらく人柄に高評価をつけて花カニに好かれるのも納得と思ったのでしょう」
「リルはどこでもこの調子でたまに驚くような相手と縁を結びます。喉がカラカラだと交渉を放棄。身分証明書を見せて毛むじゃらカニを4匹売ってくれと直接的に言いました。漁師は雑談に夢中で身分証明書の確認を忘れていたと。嫁は卿家は時に嫌われるから悪手だったと怯えました。漁師の態度が悪くなったので」
「卿家は時に嫌われますからね。それで漁師はリルさんの家族構成と仕事を確認したんですね。それでその結果は良かったと」
この問いかけにガイは大きく首を縦に振った。
「釣りは私の趣味で釣り場の兵官や火消しの評判が悪く無いか下調べして場所選びをしています」
「父親は俺達がお世話になっている兵官の親玉とは良いとか言うでしょう。まず父親は合格ですね」
ふむふむ、とレアンは納得顔。
「リルの夫は密猟の件、不当結果を再調査して結果をひっくり返した中央裁判所の事務官。本人ではないですけど当時の役職が事務官だったので気に入られました。母親は病気。わりと元気ですが特に内容を話していないので大病と誤解です」
「全員合格どころか俺達を助けてくれる役人なのに貧乏で病気持ちとはこの卿家ルーベル家は縁起が悪い。縁起をつけないとと思われたのですね」
つまり毛むじゃらカニを追加購入出来たのは誤解と偶然が組み合わさった結果ということだ。こんなの絶対に狙えない。
「ちなみにこの漁師は元々こういう方でした。俺達は卿家の役人じゃないとあまり相手をしない。卿家は雰囲気が違って尊敬出来るし話が分かる奴が多い。金があっても売ってもらえないと食えないのに道理も分からずふんぞり返っているような他の家の役人はあまり好かん。要は嫌い。下手すると大嫌いです」
「それで卿家は大好きかもしれないです。本音は中々言いませんけど。漁師が救ってやりなさいとカニの大副神が言っているようだ。4匹は多い気がするけど彼女が望んでいるから売る。何か他にも基準があってそれも合格だったのでしょう」
リルが「うんとお話しをしたらなぜか私を気に入ってくれた」と言っていたけどガイはその「なぜか」をしっかり把握しているみたい。
よく分からないけど好まれた、ととぼけ気味とはネビーと良く似ている。兄妹だな。リルの方がかなりぼんやりそうだけど。
ネビーと離れ離れにならずに済んで縁がしっかり結ばれたらやはり彼女は私の妹になってくれそう。
「この件で卿家ルーベル家はその船着場関係者に個人名を覚えられて勤め先も把握されたので以後なにかと名指しですか?」
「ええ。時折あって毎回職場経由です。直接頼むのは自分達も我が家にとっても悪手だと分かっているからです」
「つまり苦労されていますね。花カニ高騰時から縁が続いているならその間、漁師達の卿家の格を上げ続けてくれているということです。海の漁師達は川漁師達とも密です。つまり私も仕事がし易くなっていたはずです。ありがとうございます」
ガイとレアンは話が通じ合っていてもうすっかり味方同士みたいになっている。よしよし。どんどん私達側になって下さい。
結納関係の書類はテルル中心でガイとはそんなにやり取りしていなかったけど、こうして目の当たりにすると彼はかなり仕事が出来そうだなと感じた。
「この件で漁師達は裁判所の事務官は重要かもしれないという知識を得ました。裁判官しか分からないと言われたリルが簡単に説明したからです。その後調べ上げたでしょう」
「こうなると卿家を貧乏にしている奴らは誰だと怒りそうです。しばらく税金泥棒と思える相手の店や料理人に敵対ですか?」
「はい。まあ、あるある話の範囲で済みました。一応すぐに農林水省の友人に報告して協力しました。ベイリー・マクシミリア裁判官はその日の釣りに同席していて名前と職を覚えられました。その後私達とその漁師達は何度も交流しています」
ベイリーはリルのおかげで漁師達と縁結び。早朝釣りに同行するくらい元々ルーベル家にくっついているみたいだから彼も簡単に好まれそう。
頼られてしっかり働けば名誉が高まり見返りもある。結婚だけではなくて友人関係も家結びとはこういうことだ。
「卿家を指定はよくありますけど裁判関係の場合は事務官から裁判官に至るまで全て卿家を1名以上選出に裁判官を個人指名はこういうことですか」
「この数年で色々あったのでその船着場とその関係者、かなりの範囲の漁家は現在卿家しか信用しないくらいの勢いです。特に煌護省と中央裁判所が多忙気味。煌護省と中央裁判所の卿家と華族の基礎給与改訂も起こり財務省勤務の友人に怒られました。噂のイーゼル海老を自分達も釣りたいと釣りに行っただけなのに大事です」
「へえ。イーゼル海老狙いだったのですか」
「縁起カニを食べても未だに釣れません」
「いやあの海老は浅瀬にはいませ……花カニも確かそうです」
「花カニもあれ以来1度も釣れていません」
「毛むじゃらカニが縁起カニというより花カニが縁起カニですね」
「どなたが食べられたのか。それこそ縁起がついていそうです」
毛むじゃらカニを贈られたら特別報奨金に基礎給与改訂。縁起の良いことが起こっている。でもこれは人為的なものだ。
縁起カニって単に漁師に好かれると得をしていくぞ、みたいなことじゃないのかな。幻なのは隠されているから。
卿家ルーベル家は漁家達に好まれて信頼されて頼られてきてまた勝手に指名されたという話だ。
元々はどこが始まりだろう。リルが花カニを売るには彼女はルーベル家のお嫁さんになっていないといけない。
その出会いはネビーとロイが同じ剣術道場に通わないと発生しない。つまり2人の両親がそれぞれ息子達に通わせるのはデオン剣術道場と決めた時が最初。
でもそもそもデオンが剣術道場を営んでいないといけない。
不当裁判を再調査した事務官が南地区に存在していないといけなくて、ガイが俺達の兵官や火消しの親玉だから気に入られたのならその兵官や火消し達の活躍や親切さなども関係ある。
不意に海蛇王子と歌姫の曲を思い出した。
廻る廻るくるくる廻る。
巡り巡る。
土に還り木になって家になろう。
実になって食べられよう。
芽吹いて大地を育み風に乗って種を蒔く。季節が巡っても無くならない。
『命や生活はどこまでも繋がっていて始まりも終わりも存在しないのよ』
祖母の話を「ふーん。よく分からないけどそうなのか」と思っていたけどこれこそそういう話だ。




