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毛むじゃらカニの下茹で後はツツボタイ捌きで無事終了。ほとんどリルがしてくれて私は挑戦して失敗続き。
リルの勇ましさは大きなツツボタイ捌きでも発揮されて感心してしまった。
箱の中に並べられた刺身のお造りが花みたいになったことも、そこへしれっと桜の枝と葉が添えられたことにも感心。豪快と繊細の同居。
引っ越し祝いですからときゅうりの香物は市松模様とたけのこ型。さらには花の形もある。茄子も2つ扇型になって「兄と焼いて下さい」と渡されて見惚れてしまった。
私はこの台所で全く役に立っていなくて社会見学みたいになっている。
「まるで料理人のようです」
「凝り性でお義母さんや知人の料理人が教えてくれるので特技です」
「料理人はかめ屋さんの方でしょうか」
「はい。たけのこは伸びて竹になります。兄は竹細工職人の息子です。それからお2人が新しい人生へ無事に進みますように。なのでたけのこの形です」
「雅なだけではないのですね。ありがとうございます」
扇型は末広なのでこちらも幸福を祈られている。数は全て2つだから私とネビーの分というだけではなくて、もしかしたらしおりの話から西の国の北極星もかけてくれたかもしれない。
西の方では北極星は夫婦や恋人の星らしい。理由は知らないけれど。調べたけれど分からないままだ。
「兄は家族想いで自分のことは後回しでした。多分これからも。なので良い縁があればと思っていてお義母さんと出掛ける前のあの幸せそうな照れた笑顔を見られて嬉しかったです」
私は逆にそうではないネビーの笑顔の方を知らない。初対面の時の屈託のない楽しげな笑みと今の違いは少し分かるのでそれかな。
嬉し恥ずかし!
「こちらこそこのように最初から信頼をありがとうございます」
ネビーの家族達もテルルも「ネビーが嬉しそうだから」だけで嘘つきかもしれない私を温かく迎えて「上手くいくと良いです」みたいな様子なのは本当に謎。嬉しくて胸がいっぱいだけどなぜなのか不思議。
「信じることは難しいけれどそれでも先に心を開きなさい。汝、先に与えよ。最近友人に手紙で教えてもらった異国の考え方で私は気に入っています。お義母さんも先程似たようなことを言うていました」
確かにテルルは長男の結婚の際に偏見で大損するところでしたと言っていた。
「私は当時知らなかったですけどお義母さんの猛反対があった上でこの家の嫁になりました。でもお義母さんに初日からうんと親切にされて優しくされました。先に与えてもらえたんです。なので今回も同じだと思います」
「当時ということは今はご存知なのですね」
「新婚当時に旦那様から教わりました。私は旦那様と2人で沢山親孝行をしましょうと約束しています」
家出する勢いだった息子が沢山親孝行すると変化したのならテルルも嬉しいのかな。だからリルの妹のルルの世話焼きをしているのだろう。
つまりテルルは憎いと思ったはずのリルを好んだ。先に与えた……。
「懐が深そうな方だと思いましたけど実際そうなのですね」
「怒ると怖いです。我が家の頂点はお義母さんです。1番気が利くので実家も頼りまくりです。なんだか最近ルルが似てきました。私がぼんやりなのでルルにはなるべく近くにいて私を助けて欲しいとお義母さんは私に教えるよりルルに教え始めています」
テルルとルルが母娘はほんの少し分かるかもしれない。リルはしょぼくれ顔になった。義母のようになりたい、とかそういう気持ちなのかな。
「難しいけど先に与えよというのは真の見返りは命へ還るという龍王神様の教えと似ている気がします。信用信頼は無いところから積み重ねです。誰かが始めないと積み始めることが出来ません」
因果応報、善因善果や悪意は憎悪を返すというけれど理不尽な人生を沢山見てきた。
神なんていない。存在するとしたら人を救う存在ではない。人間とは他の生命と同じように理由もなくただ誕生してその場所や環境であがきながら翻弄されて理由もなく死んでいく。けれども努力やもがきが実を結ぶこともある。
でも今日リルから新しい考え方をいくつか学んだ。花街の世界を知ったから下街世界もと望んでえいっと足を踏み入れてみて良かった。
積み始めた人がいるから物事は始まる。だから先に与えてみましょう。積んでみよう。疑心暗鬼を振り払う知恵や勇気が必要だろうけどこの考え方は好みだ。
「信頼破壊は一瞬と言いますから励みます」
「手紙にこちらも書いてありました。病めるときも辛いときも悲しみのときも貧しいときも苦しいときも恐怖に襲われていても心臓を突き刺されようとこれを愛しこれを敬いこれを慰めこれを助けて命ある限り真心を尽くすことを誓います。西の国で使われた祝言時の誓いだそうです。なんと幸せな時がないのです」
リルというか手紙の送り主の友人って何者?
「なぜでしょうか。心臓を突き刺されようと……。命を賭して守りますという意味なのでしょうか」
「こちらはかなり前の手紙で分からなくて聞いたら幸せな時は当たり前のように一緒にいられるものだからと。心臓は解釈が難しいから考えてみたらどうかと宿題みたいになっています」
つまりリルが言いたいことはネビーと私も幸福な時以外にも一緒にいられるか確認しなさいってことなのかな。
「兄は家族不幸はしません。お嫁さんをうんと大事にします。自分の親や私達のために我慢しろとか働けなんて言いません」
リルににこりと微笑まれて固まってしまった。似ているからまるでネビーに笑いかけられて「俺は貴女をうんと大事にします」と告げられたみたいでドキドキ。これは私の願望。
「兄は真心が沢山なので人気者です。なので困ったら必ず誰かが助けてくれます。私達家族が助けます。幸せではない時もきっとなんとかなります」
これには虚を突かれた。私は家のために犠牲になるなんてもう嫌だと逃げ出す準備をしていたくらいだからこれらの言葉はかなり嬉しい。
「逆に怖いです。皆さんにあなたでは力不足とかお兄さんを不幸にする女性ですと烙印を押されたら大変です……」
生まれ持った気質もあるけれど人は育てられたように育つことも多いとはこういうことかも。
たった2日でリルなんて会ったばかりなのに私はネビーの家族や親戚をとても好ましく感じる。
私は家出した親不孝者で姉以外の家族は私を放置。実家に帰って「お見合い結婚します。結納したいです」と告げたら何を言われるのだろう。
やはり忘れじの、という気分。袖にされてネビーを恨むことになったら……芸の肥やし。
色恋狂いで自ら死ぬ者もいるのでそのくらい辛かったら輝き屋に乗り込んで舞台上でこの世の負の感情を全て込めた演奏を披露して絶命。私は花柳界の伝説の華になる。
人は死ねば骨になり燃やされて灰になってやがて縁者も亡くなり忘却の彼方へ消え去るけれど芸術は残り続ける可能性がある。
「ふふっ」
「ウィオラさん?」
「すみません。皆さんは皆さんという家の方々で私はどうしようもなく両親の娘というかムーシクス宗家の娘なのだなぁと思いまして」
「暗いお顔から急に笑ったのでびっくりしました」
私が何を考えていたのかリルに話したらさらに驚き顔をされた。本当にネビーに似ている。
「伝説の華ですか」
「2つ並びの北極星の話がどこの国のいつの時代の話か分かりませんがもしも実在の話の誇張ならお姫様も皇子様も星達も生き続けています。伝説の華になれば私は永遠の存在になれるかもしれません。女性としての幸せを失う代わりにそうなれるのなら本望かもなんて。娘よりも家業を選ぶ父と私の根本は似ていると今思いました」
こう思うと父への嫌がらせはもうやめるべきという感情まで湧き出てくる。天運か。何かに後押しされて実家へ呼ばれている気さえしてくる。
「2つの北極星は大蛇の国にうんと古くからあるおとぎ話で多分本当です。フィズ様のお妃様はうんと辛いご病気でフィズ様が支えて2人で豊かな国を作ったら蛇神様が現れて薬を贈ってくれたそうです」
それは気になる話。リルの友人はどうやら西の国出身だ。
卿家は庶民層で同じ卿家で固まるという閉鎖的な人付き合いをすると聞いていたけどリルはその友人とどこでどう知り合ったのだろう。長屋時代?
「リルさんは西の国の方とご友人なのですね。ご実家時代からのご友人でしょうか」
「いえ。エドゥアール温泉街へ行く時に旅の醍醐味で知り合った旅医者達です。南の国以外は行くそうで面白い話や役に立つ話や秘密の話などを文通したりたまに我が家でおもてなしです」
「旅医者……尊い献身的な方々の噂は耳にしたことがあります。先程お話しに出たフィズ様の息子様がそうだと。大変麗しくとてもお優しい方で皇居に寄られて皇帝陛下のお手伝いをされると噂話が下々の方へ降りてきます」
「私はその下々なのに今の話を知りません」
そうなのか。皇居から格上の華族へ、そこからあちこちの華族へと話が回ってくると私みたいなところにも話が届く。女学校や学生時代の友人達に広がるしそれとは別に花街へも届く。
そうやって広がるのにどこで途切れるのだろう。
「フィズ様の子どもは3つ子です。それは知っています」
「ええ、私もです」
「私はこの町内会のハイカラ隊長らしいのでウィオラさんが増えて嬉しいです」
ハイカラ隊長は誰が名付けたのかな。居候しているしルルかもしれない。
「旅医者達から噂を仕入れて広めてご近所付き合いに役立てているのですね」
「いえ、広めているのは仲の良い嫁友達です。なのに私が隊長なのは変です。彼女は琴がお上手でルルの先生をしてもらっています。ああ。毛むじゃらカニのお裾分けを持っていって呼んでみます。琴話に花が咲くかもしれません!」
思いついた! みたいな表情をした後のリルは素早かった。居間でお待ち下さいと案内されてルル達と合流。3人は坊主めくりをしていた。
「クララさんに良い人そうと思われたら町内会に馴染みやすくなります。それででしょうね」
「逆なら良くないですよね」
「リル姉ちゃんは他人の長所ばかりみる性格なのであちこちでウィオラさんについて良いと思ったことを無自覚に喋って回るので大丈夫です。大悪党でも長所はあります。残忍なら理性的とか殺人鬼なら自分に素直とか」
……。リルは大丈夫?
誰かが彼女を守らないといけない。
「それは長所なのでしょうか」
「姉ちゃんって自分のことは短所の方を見るんですよね。姉ちゃんは疑うことを学ぶべきですけど結婚してから何だか運が良くてお人好しばかり周りに集まります。人見知りで無口で実家周りでは若干はみ出し者だったのに今は真逆です」
「リルさんがはみ出し者ですか? そのような方には見えません」
「私達家族がポンポン喋る間に上手く入れないウィオラさんよりも入れていませんでした。姉ちゃんは疲れるし面倒だと喋ることを放棄です。貧乏なので悪口を言われていましたけどそれもうんとかはいとかそれだけです。家族とはまだ話していましたけど。それでは人間関係は築けません」
「つまりリルさんは自己改善をされたのですね」
「この町内会の雰囲気や価値観や喋り方とリル姉ちゃんの性格の馬が合ったのと、心配で先回りしてペラペラ喋る家族がいなくなったからかなとそんな考察をしています」
そこにまだ付き合いの浅い私の考察を加えると喋るようになれば根っこはネビー家族と同じだから人に好かれるということかな。
リルにはリルの長所があるのかもしれないけど異国の旅医者達と宗教的な話……旅医者達と手紙ってどうやってやり取りするの?
たまにおもてなしするだから来煌するのか。数年後もこの家に関わっていられるような道が拓けたら私もその人達に会えるのかな。
異国文化、特に音楽や創作話や神話など聞いてみたいことが山程ある。
「かわゆい跡取り息子に貧乏長屋住まいの馬の骨なんて許さん! っていうテルルさんが姉ちゃんにメロメロ。性格はかなり違うのに似た考え方をしたり趣味が同じで細かいとか気が合うんです」
「料理が雅で驚きました」
「料理好きで凝り性と凝り性なのでいつも楽しそうです。私にはあれは無理。リル姉ちゃんと母はイマイチ組み合わせが悪いです。テルルさんはリル姉ちゃんに嫌味を言ったり腹が立つとボソッと言うのに懐いて懐かれて実の母より母親みたい」
ルル曰くエルは心配や愛情をうまく子どもに伝えられない性格らしい。
良い縁談だからなるべく我慢して相手の家に馴染む努力しなさいというのを、帰る家がないんだから帰ってくるなだったらしい。
今もそういうところがあるけれど「母って言い方が悪いけど愛情深いんじゃないか?」と気がついたネビー、ルカ、ジンが注意を始めてどんどん改善中。親は子から学ぶこともあるとはこういうことだ。
「我が家の転機はリル姉ちゃんの結婚です。その縁を運んだのは兄ちゃんで、兄ちゃんを家族で苦労しても立派な男にしたいと考えて励んだのは両親。なので我が家の今は両親が築いたものです」
「我が家もそうです。今の私の結果は両親が作ったことです。私の性格もありますけどそれも親の影響を受けています。他人のせいにはしたくないですけど家や家族に友人知人などの縁は大切です」
この世界で人は1人では生きていけないのは明らかだ。
「かなり美人の私を売らなかったから姉ちゃんの結婚は許されました。まあ貧乏はかなり貯金に意固地になっていたからだったからみたいです。今もだろうなあ。家族が仲良く楽しく暮らせれば死なない程度の貧乏は人生の役に立つって。いやそういう風に育てたと」
「そんなに貧乏だったのですか?」
「ここが王都だと知ったらそう思わなくなりました。上兄姉が盗み聞きで知ってお金なしで子どもを残したら怖いのは分かるし心配なのも理解するけどやり過ぎだとテルルさんの支援の元話し合って生活設計を徐々に変更。テルルさんには足を向けて寝られません。頼り頼られなので迷惑はかけ続けます!」
ルルは満面の笑顔。真似したい無邪気さだ。
上兄姉はネビー、ルカ、ジン。リルは頼りになるルーベル家の嫁なので特殊枠でルル、レイ、ロカは3人娘と呼んだりするそうだ。
ルルは「上兄姉達は親じゃないのに親みたいにうるさいからたまにちび親と言ってます。ちび親面倒とかうるさいとか」とも口にした。
「家族が仲良く楽しく暮らせれば貧乏でもとは大勢の門下生を抱えているから無理な話でした。ネビーさんとそのような家族を作れたら嬉しいです」
「子沢山は苦労するけど賑やかで楽しいですよ」
子ども⁈
それは無理そう。いやいつか平気になるはず。
「ウィオラさん? お顔がまた真っ赤です」
「な、何でもないです」
「ふむふむ。なにやらを想像されてしまわれましたか。まだ日が高いのに」
私はルルのニヤニヤ笑いから視線を逸らした。
「ユ、ユリアちゃん。坊主ですね。次は私の番です」
1年以上先のことは何も考えない!
「子どもは何人欲しいですか?」
「お子さんの前でおやめ下さい」
「普通の会話です。何を妄想したのやら」
「な、な、何もしていません!」
「私は長屋娘らしい耳年増だと思いますけどウィオラさんてもっと凄そう」
「です、ですから、おこ、お子さんの前でおやめ下さい!」
「まだ3歳です。何も分かりませんよ」
「ユリアはたくさん」
ユリアがルルの膝の上に乗った。
「たくさん? うん札がたくさんだね」
「にいちゃもほちい。ねえちゃも」
「ああ。ユリアはもう兄ちゃんも姉ちゃんも手に入らない……結婚したら出来るかもしれないからお嫁さんになる時に兄ちゃんや姉ちゃんがいる人を探したらええ」
「ユリアはおよめさんにならないよ」
「うん。ならない」
坊主めくりから子ども達と雑談に移行した。ルルの揶揄いが終わってホッとした。ここまで小さい子と最後に接したのは5年以上前なので微笑ましい。
「お父さんがユリアは嫁にやらんだからね。ユリアは好きにしたらええ。お仕事に生きるのでもお嫁さんになるのでもお婿さんをもらうのでも元気にいっぱい笑っていたらよし! 高い高い!」
「レイスもしてほしい!」
「はいウィオラさんお願いします。次はレイスだ! 高い高い!」
はい、とユリアを渡されて少し困惑。落とさないかな。大丈夫かな。子どもって見た目より重い。
「高いですよ!」
ユリアもレイスもうんと楽しそう。姉も私も弟も稽古漬けだったけど隙間時間に遊んで笑って成長した。
5年間、実家の状況調査を姉からしかしなかった私も悪い。きっと両親なら「すまない。ずっと心配していた」と言ってくれる。
ジエムとの結婚を反対して「説得するから心配するな」と言ってくれていた祖父なんて特にそう。
汝、先に与えよ。
信じることは難しいけれどそれでも先に心を開きなさい。
怖いけど怯えて帰るよりもこの方がずっと気分が良い。




