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まず身分証明書を提出。ネビーに話したこととなるべく同じ話をした。
テルルはほぼ相槌だったけどたまに「なぜですか?」と問いかけるので正直に語った。隠したいことは何もない。
隠したいことは浮かれで変になっている今日の言動の方だ。
話はそのまま私とネビーの出会いになって昨日再会したところまで。
「地区本部兵官が南3区の長屋住まいでお隣さんとはさぞ驚かれたでしょう」
「はい。大家さんにお隣の方は安全とうかがっていましたが安全どころではないと驚きしかなかったです。その後はルルさん達から色々と教わり私は聞き下手調べ不足で世間知らずのお嬢さんだと痛感致しました。なので皆さんにとても感謝しています」
「ここから先はおおよそ知っていまして昨夜この小賢しい娘がなにをしてから帰ってきたのかも。ネビーさん。妹に図られて気がつかないとは情けない。ウィオラさん。息子と娘が大変失礼致しました」
頭を下げられて動揺。ルルを娘と呼ぶとは可愛がってるみたい。……ネビー布団事件を知られている⁉︎
「図られた? 俺はルルに図られたんですか? 嫌がらせか。おい、昨日寿司をごちそうしたのに酷い妹だな。泣くほど嫌な蛙より下なら俺が寝込んで親父か母ちゃんに蹴られて面白いと思ったんだろう。雲丹を2貫食わせなかったからだな」
それはかなり見当違い。ルルは肩を揺らして笑いを堪えているけど黙っている。
「ルルさんどうぞ」とテルルが促した。
「兄ちゃん良かったね。帰り道で俺は蛙よりましだった。当然だ。泣くほど嫌な蛙より下な訳がないって。ねえ? テルルさん。入れ食いです。テルルさんやユリアでさえ血縁じゃないからと部屋に上げないし、近親婚する気かあいつみたいな話が出てから私達でさえわりと拒否なのに」
そうなの?
それなのに昨夜私は彼の部屋に入ることを許された。
「今日自覚したから分かる。ルル、お前のせいで俺は朝から大変だったんだぞ。母ちゃんにガミガミ怒られるしウィオラさんに下手したら訴えられていた」
「まさか兄ちゃんウィオラさんがいるのを忘れた? 疲れでボケてルカ姉ちゃん達の部屋に入ろうとしたというか入った時みたいにつっかえ棒をへし折ったとか? かなりウキウキして見えたからさすがに忘れないと思ったんだけど」
さすが妹。その通り。前科があるのに図らないで欲しい。ネビーは苦笑いしている。
彼は昨夜ウキウキしていたんだ。無自覚だったのは知っているけど「得した気分になりそう」と口にしたのも聞いている。
「いやあ、そのバカだから忘れた。大捕物と大喧嘩とボヤ騒ぎで久々にヘロヘロで多分そのせい。なんとなく部屋に帰って寝た方がよかな予感がして屯所の宿舎はやめて帰った」
「なんとなく……バカだ。バカだから本能に素直過ぎる。絶対にウィオラさんの寝顔か何かを見たかったんだ!」
「そうだったみたいだ。バカですみません」
私はこくりと頷こうとしてやめて首を横に振った。
「無意識無自覚は直ると思いませんので構いません。辱められましたが非常識ではありませんでしたし代わりに色々知ることが出来ています」
「辱めって兄ちゃん何したの? まさか疲れボケでそのまま布団に入ったりしていないよね? ロイさんとたまに喧嘩しているみたいに」
「そっちは逆だ。ロイさんの寝ぼけ。レイスやユリアと俺を間違えるとか気色悪い。今朝は彼女がもう起きていたから助かった。俺は得をした。寝起きのお顔やらなにやらかなり眼福。お嬢様は寝起きでさえ品が良いようでそこらの女の歩き姿より慎みがあった……のに辱めですか? すみません」
途中の台詞は必要なかったから今まさに辱められた。得とか眼福とか……恥ずかしい!
……私が起きていなかったら布団に潜り込まれたの?
頭を下げられたので「無自覚は直らないかもしれませんがお気をつけ下さいませ」と返事をして私も頭を下げた。
ネビーはテルルに向かって軽く頭を下げつつ彼女を見据えた。
「テルルさん、この調子なので本日彼女に口説かれているのでしょうかと問われて、言われてみればそうだと思って自覚したので口説いて良いかと聞きました。良いそうです。なので正式な方法で交際したいです。家出娘さんとの正しい縁結び方法を教えて下さい」
急に話が繋がったというかこのタイミングで話すの⁈
「双方の条件は合っています。この状況だと結婚お申し込み、半結納、結納どこからでしょうか。ご実家に書類郵送で済ませるものなのか、ご挨拶へ行くべきなのか彼女の状況だと分かりません。彼女は自分で釣書を作ってご両親にお渡ししますか? と提案してくれました」
「えええええええ⁈ 兄ちゃんもう気がついたの⁈ ルカ姉ちゃんに負けた! もうしばらくかかると思っていたのに! ウィオラさんも何か嘘をついていて家に秘密があるみたいだけど悪い人じゃないから複雑な事情があるのかと思って聞かなかったのにさっき嘘について話してくれたからびっくり中で何で急に方向転換? 変だなぁって思っていたらこういうこと!」
ルルは私のことを嘘つき女性だと思っていたんだ。それなのに親切にしてくれたのはなぜだろう。
悪い人じゃなさそうとか、複雑な事情があるのかと思って聞かなかったなんてそれこそ悪い人に騙されそう。後で彼女に「すぐ信じるのは良くないです」と言おう。
「元婚約者は舞踊家系。話を聞いた限りどう考えても披露したのは陽舞伎です。音家を説明してくれたので事業規模がかなり大きい一座だと分かります。そうなると釣り合いが取れるのは琴門は琴門でも総宗家かと」
テルルの発言に私は目を丸くした。
「連れ戻さないのはなぜでしょうかとテルルさんに聞いたらこう言われました。陽舞伎は立見で見たことがあるのに気がつきませんでした。女性はほとんどいません」
「総宗家の嫁は舞台に立つ一座もあります。琴門の方も総宗家となれば華族、卿家とツテがあり大豪家でしょうから財力もある。なので私兵を雇って捜索したでしょう。身分証明書をそのままにしていますから何か理由があって連れ戻さないか連れ戻せない。その理由は先程聞けました。女学校の講師になるまで5年掛かったということはそのような働きかけが出来るツテはないという意味になります」
つまり私の嘘は綻びまくっている。私は自分と家の関係を理解していなさ過ぎたということだ。
音家のことなど伝わらないのでほとんど話したことがない。浮かれなのか話が通じるのが嬉しかったから話したルル以外だと菊屋の楼主と内儀くらい。
婚約者がどう嫌だったのかとかそういう話ばかり聞かれてきた。身分証明書もほとんど使用していない。
楼主や内儀と同じくルルの探り方が上手くて私も私でぼんやりだったということだ。
腕どうこうより大豪家の琴門総宗家の娘だから楼主と内儀は私の我儘契約を飲んだのか。
密かに「有名一座で稽古をした琴門総宗家のお嬢様を見られます」みたいな私の宣伝をしていたかもしれない。
「俺はバカなので本人やテルルさんが説明してくれるまで何も。ルルもすごいな」
「私はテルルさんに情報を流しただけ。テルルさんってなぜそこまで考えられるのですか? 陽舞伎総宗家の嫁は舞台に立つ一座もありますってどこ情報ですか? 子どもはいます。端とかでかわゆく踊っていました。端っこで賑やかし? みたいな感じです。インカスレト屋と大風屋しか知りませんけど」
私もそれは知りたい。陽舞伎役者は男性社会なので私の芸と陽舞伎を結びつける者はいなかった。
まだまだ小規模の舞歌や歌劇の家と共に栄えようとしていたんですね、みたいに言われるのでその話に乗っかってきた。わざとそうしてきた。
「ロイとリルさんが東地区へ旅行をした際に立ち見観劇をしたそうです。南地区というかインカスレト屋と違って目立つ女流役者がいたと聞いてセイラと雑談したらそういう一座もあるらしいわよと。邪推と思いましたが御本人の言動で確信気味。それで先程話して下さいましたので正解。立ち振る舞いもですがしがない豪家のお嬢さんが扇子でご挨拶や先程のようなお菓子の渡し方をごくごく自然には出来ません」
「家出してて我が家とルーベル家の要求を言いたい放題。卿家の常識の範囲ですけど。長屋で暮らしてくれる雲の上のお嬢様なんて優良物件だから兄ちゃんが自覚したら取り囲もうと思っていました。ウィオラさんも入れ食いっぽいので簡単。もう釣れました」
釣れましたってその通りで釣れてる。昨日の今日でここにそういう意味でいる。
「嫌がらせを兼ねたとはいえ家業門下生のために全てを飲み込んで貶められる道を選んだ上に実家の悪評を避けるように生きてさらには実家に仕送り。あたり前みたいなお顔がまた証拠です。下街娘やそこそこの家の娘だとその醸し出す雰囲気から何から何まで真似出来ません」
「長屋周りの人は分からなくても私達には変だな、お嬢さんではなくてお嬢様だなと分かると思いましたけどテルルさんはさらに深いところまで読んでいました!」
ロイからネビーや私への助言というか伝言、実家には何か事情がありそうというのは大黒柱妻発信なのか。
卿家は庶民層だけど時に華族より勝るってツテや贔屓関係のことだけではないのかもしれない。
卿家はお金持ちなのにケチだから、みたいに言う遊女達の「お金持ちなのに」に違和感があったのはこういうこと。これだと卿家は庶民層ということに違和感。でもお屋敷はわりとちんまり。またしても世間知らず発覚。
「よく5年も花街で生きていられましたね。いえ、その菊屋の当主も気がついて陰で利用していたのでしょう。男性従業員を5歩以内に近寄らせるなとか客に少しでも触られたら慰謝料なんて余程です余程」
「このように指摘されて色々と気がつくとは浅知恵薄ぼんやり娘です。大変恥ずかしいです」
私が頭を下げるとテルルは首を横に振ってニコリと微笑んだ。
「ご実家が何を考えているか分かりませんが娘を5年も放置していたのは事実。そのような方々にとやかく言われる謂れはありません。息子の経歴ならそのくらい言えます。門前払いはされないかと。それでも門前払いされた時に必要なのは息子ではなくてウィオラさんの意志になりますのでそれはこちらがどうこう言えることではありません」
「テルルさん、もしやもう書類準備を始めていました?」
「今年はついに中官試験合格本命の年。そろそろ縁談準備をしたいと言いそうとか、流石に本気でさせようかとか元々準備してあります。どこかの誰かと違って意志も条件もはっきりしています。ある日突然こんな惚けた顔でこの女性に決めたから縁結びの支援をして下さいと言いにくるとは思いませんでしたけど」
そう告げるとテルルは隣の部屋へ入りしばらくして戻ってきて私に書類の山を差し出した。
どこかの誰かとテルルが口にした時にルルの視線が泳いだので彼女のことだろう。
ルルは雅でないと嫌みたいにはっきりしていると思っていたけど意志や条件がはっきりしていないの?
「本日はこちらをお持ち帰りしていただきそちらからの意見提示をお願い致します。ウィオラさん御本人の情報は夫のツテで調べられます。我が家は卿家。調査は得意です。無自覚息子が防犯のためだからと既に半結納と触れ回ったようですので結納一択です」
「結納一択……はい。検討すると言いますか必要な書類を作成致します」
「息子が裁判所勤務ですので結納不履行時は性格の不一致でも調査。必要があれば裁判致します。本来の結納の意味と違う状態ですから結納破棄は無賃にしましょう。結納品もなし。ゆっくり話し合って希望を合わせていきましょう。その上で息子にご実家へ結納お申し込みをさせます。郵送で済ませても構わない立場ですが我が家は卿家。そのような非礼は致しません。慇懃無礼になろうとも」
不審者かもしれないから結納の方が良いという意味だろうか。書類が通れば私の身元は確定。
それで私の話と身元が真実なら結納しても良いと考えてくれたということになる。
本来の結納の意味と違う状態とは、ほぼぼぼ結婚しますではなくてまずは気が合うか交流しましょうという簡易見合いや結婚お申し込み後から結納までの間の期間と似た状態だからかな。
こうして説明されたから自分で考えることが出来る。親切。
テルルの息子ロイは裁判所勤務なのか。それはネビーの強い味方。
私も悪いことをしなければ「違います、調べて下さい」と主張すれば握りつぶされない。ジエムとの時とは逆。
後から難癖をつけられても「卿家ロイ・ルーベルが関与しています。私は潔白です」みたいに文句を言える。今の私には守るものが私しかないから言える。
卿家は職権濫用は出来ても不正は出来ない。義弟のためだから裁判を有利になんてしたら減点なので言える。
縁談で卿家は人気があるとはこういうことだろう。知識と現実が結びついた。これも親切な提案な気がしてならない。
単に親切ではなくて深く考えた上でテルルは私をそう評してくれた。ネビーにとって私との結納や結納破棄は常識の範囲内なら特に痛くないのもある。
「はい。そのようにお願い致します。むしろこちらからお願いしたいです」
素直に真面目に励んでいたのに大嫌いな男性に泥を被らされて己を貶られて地元や友人知人に親戚や門下生に後ろ指や陰口状態になっているだろう。
黙って受け入れなかったら良縁と思える男性やその家族や親戚と巡り会えたのはとても不思議な話。




