18
袴が乾かないので船着場までは馬を引いて歩きになった。馬、ネビー、私の順。
歌や踊りのことを尋ねられて、それで海蛇王子と歌姫のことを話している。
そうして船着場へ到着。ネビーはバレルという漁師を呼んだ。船着場の中はすごい人。男性ばかり。漁師達と買付けの方々だろう。
漁師の格好があられもないので私は慌ててネビーの影に隠れて回れ右。船着場へ背中を向けて待機。
察したネビーがバレルと共に船着場から少し離れたところへ移動してくれた。
移動しながらネビーは「これを買いたいです」と懐から出した文をバレルへ渡した。
「最後の船が到着して忙しいけどネビーなら特別だ。お隣の女性はどちらさまだ?」
父より少し歳下くらいのバレルに上から下までジロジロ見られて恥ずかしくなりネビーの後ろへ少し隠れてしまった。
慣れる努力と思ってバレルの足やはだけている胸元をチラチラ見てみる。ネビーよりは恥ずかしくない。大勢は困ったけど1人だからか思ったより大丈夫。
「東地区の琴門宗家のお嬢さんで無理矢理結婚させられるのが嫌で家出して南1区の置き屋で芸妓をしながら女学校講師の資格を取って来月から女学校の講師をする方です。昨日から俺のお隣さんです」
私が隠したい情報は何も言われなかった。さらにお嬢様をお嬢さんへ格下げ。やはり彼はバカではないと思う。琴門宗家は東地区にいくつもある。
我が家の門下生もムーシクス流〇〇宗家と名乗ったりする。我が家は自分達では言わないけど総宗家。その話もネビーにした。
「待て。情報が多過ぎる。東地区から家出? 琴もそうけって何だ?」
「琴を教える人達の親玉の家ですね。親玉って言っても沢山あるみたいですけど」
「そのこともけのお嬢さんが家出して長屋?」
「節約と憧れだそうです。昨夜蛙がほっぺたにくっついて大泣きしながら助けを求めにきたので前途多難。練習するってへっぴり腰で棒を使って一生懸命蛇を放り投げていました」
少し間が出来たのでバレルにご挨拶をした。
「お嬢さんなのに昨日会った男と2人? お人好しネビーだから騙されてるんじゃねえか? 身分証明書を出せ。漁師に出せない奴はロクデナシだ」
そう言われたら出すしかない。ネビーは困り顔をして私に「予想と反応が違くてすみません」と耳打ちされた。
くすぐったくて「ひゃっ」と声が出そうになりギュッと唇を結ぶ。私はバレルに身分証明書を渡した。
「ふーん。本当に東地区だな。ふーん」
バレルに「どうも」と身分証明書を返却された。先程までよりかなりジロジロ見られている。
「彼女と知り合ったのは秋です。何が本当で嘘かは知りませんけど人を見る目はあるしこっちが言わなくてもこの身分証明書を見せてくれました。地区兵官の俺なら色々分かります。嘘つきと思っていないのでする気はないですけどその気になれば調査出来ます」
「秋? 秋に知り合って昨日からお隣さんって口説いて隣に連れてきたってことか」
「まあ。はい」
ネビーは照れ臭そうに笑った。秋からは嘘なんだけど口説かれてはいる。私も恥ずかしい。
「おい。どちらさまに対して恋人ですって言えよ。失礼なことをしてしまったじゃないか」
「いや、少々恥ずかしいしそう呼んでよかなのかと。次のお申し込みの前で」
「次のお申し込み? 俺らが知らない常識の話だな。東地区から南地区まで家出って余程だし箱入りお嬢様は秋から暮らして……世話してやっていたのか。犬猫を拾って飼い主を探したり迷子も拾うから女も拾ったのか」
「仕事中の姿と演奏に惹かれて文通お申し込みです」
「それなら南地区へはツテを辿ってきたのか。1区の置き屋はここらの置き屋とは違うだろうしな。金持ちの宴席とか大きな神社で演奏に祭りとかだよな?」
間があってネビーもバレルも私を見ているので小さく頷いた。
「ツテはないけど腕には少々自信があるので演奏を聴かせて稼ぐし評判も上がるから雇って下さいと売り込みました。南地区にしたのは憧れの海があるからです。仕事内容はそのような感じです」
「勇ましいお嬢様だな。品は良い。卿家のお嫁さんと何かが違う。とんでもない家のお嬢様は俺達からしたら皇女様みたいなのに勇ましいのか。でも蛙なんかで大泣き。魚は触れるのか?」
とんでもない家のお嬢様?
最初はお嬢さんだったのに今はお嬢様呼び。
……漁師も詳しく身分証明書を読めたりするの?
「炊事は練習してきていますので家で食べるような魚は捌けます」
「お嬢様は釣りをしたいと思うか?」
釣り? 何で釣り?
「はい。機会があれば是非してみたいです」
「そんなに隠れてお嬢様だと漁師は怖いか?」
怖くはない。近寄ってくるから恥ずかしいだけだ。
「怖くないです。ただそちらの格好は私には刺激が強いです」
「格好が刺激?」
「俺のことをまだ指で触る練習中です。助けるとか理由があれば声を掛けて触りますけど、そういう理由以外でこちらからなんてとてもじゃないけど無理。暑いからいつもの調子で上をはだけたら固まって倒れそうになってしまって」
ほんの少し沈黙が横たわった。
「そんなに恥ずかしがり屋で芸妓なんて出来るのか?」
「それとそれは違うみたいで昨夜長屋の皆に琴と三味線に歌と踊りまで披露しました。落差が激しくて愉快で面白いです」
「お前のその顔は腹立たしいな。買い出しを頼まれたついでに恋人、それもお嬢様とニヤニヤお出掛け。俺は仕事で疲れているのに。世話になっているけどリルさん達に昨日色々売ったから何も売らねえ」
これが噂の漁師は気分屋ってこと?
「ええええええ⁈ 彼女の引っ越し祝いで軽く宴会をするから振る舞い用の食材を買いにきたんです」
「そんなの近くの魚屋で買え。いつでも安上がりと思ったら大間違いだ。お嬢様と話せたのはうんと嬉しいけど見せびらかしされてかなり気分が悪い」
漁師は気まぐれなんて噂を聞いたことがあるけど本当なのか。バレルは本人が口にした通りしかめっ面。先程までは微笑みだったのに。
「疲れを癒す何かを披露しますので気に入ったら売って下さい。ご要望の曲があればそれに合わせて歌うし踊ります」
遠ざかっていくバレルに思わず提案。彼はバッと振り返った。
「例えば? 高い客相手の曲なんて知らねえ。逆もそうだろう」
嬉しそうな表情に見える。押せばいけそう。
「浜辺では海蛇王子と歌姫を披露してくれて俺は初めて知りましたけどすこぶる良かったです。昨日は積恋歌でそれもせくらべって話の曲らしくて皆知らないのに感激していました。あと何とか行列」
「三味線があればここらで披露します。無ければ歌と舞です」
この提案にバレルは乗ってきた。忙しいんだけどなと言いながら「倅に祭り用の三味線を持って来させる」と告げて「必要だから身分証明書を借りる」と私からまた身分証明書を受け取り船着場へ戻っていった。
盗まれたら困るので着物に結んでおくものだけどネビーがいるから安心と思って貸した。
待つ間ネビーに「確かに勇ましい」と笑われてしまった。恥ずかしいので俯く。
「ネビーさん。こちらは何でしょうか」
「ヤドカリですね」
貝を背負って歩いている小さな生き物はヤドカリ。
「愛くるしいです」
「カニは見たことありますか?」
「食べたことしかありません」
「横歩きしますよ」
「前に進まないのですか?」
「知らない気がしました。近くにいるかな」
ネビーが海の方へ移動し始めたのでついていく。
「わらわらと変な生き物がいます!」
「海ゴキリです。ほいほい」
ネビーは足で沢山いる海ゴキリを払ってくれた。
「ゴキリとは何でしょうか」
「お屋敷は使用人が掃除していたとして置き屋には虫はいなかったんですか?」
「いました。クモやムカデに他にも色々見ています。実家では助けてと人を呼んで、菊屋では自分でしなさいと言われてちりとりや箒や紙で格闘です」
「でも今のやつらは知らなかったと」
「実家にも置き屋にも今のフムシみたいな虫がいました。海ゴキリとは違って黒くて素早くて飛ぶし怖いです」
「そのフムシって多分ゴキリの仲間だと思います。同じ国でも名前が違うのかな。色が違うから?」
よっとネビーは崖から下の岩へ跳んだ。軽々と登ったり降りたりしている。
「いたいた。小さいカニがいましたよ」
戻ってきたネビーが指でつまんでいるのは確かにカニだ。
「おちびだけど確かにカニです」
「カニだけにですか?」
「ふふっ。ええ、カニカニです」
「はいどうぞ」
えっ? 持つの? 掌をお皿にして乗っけてもらった。ハサミで挟んできたりしないかな。安全だから渡してくれたんだろうけど。
「落ち、落ちます。逃げます!」
手のお皿から脱出して落下したカニを片手ですくいあげたのにまた脱走。
「落ちたら危ないですよ」
なのにカニは逃げようとする。カニ落下。
「ま、待って。おちびカニさん! お待ちになって!」
地面を歩き出したカニをどうやって捕まえれば良いのか悩む。せっかく捕まえてきてくれたから持ち帰れるなら持ち帰りたい。
ハサミが怖い。触ろうとして手を伸ばして手を引っ込めてまた手を伸ばす。
「少し見ていたけど何いちゃいちゃしてるんだお前らは。ムカつくな。しかしお嬢様はかわええ。何だ今の言動は。カニにお待ちになってなんて初めて聞いたぞ。カニでお上品にはしゃげるって確かにお嬢様だ」
元いた場所の方を向いたらバレルと若い男がいた。若い男は三味線を持っているから彼が倅だろう。倅はぼんやりして見える。疲れているみたい。
バレルはかなり照れたようなお顔。ネビーを見たらうんうん、と頷かれた。
友人達と似た感じだけど彼等の世界では珍しい言動だった? 何が? もしやカニさん待ってって言うべきたった?
「カニだけにですか?」
ネビーはまたしょうもない駄洒落を口にした。私はそのしょうもない駄洒落が楽しい。箸が転がっても楽しい年頃ってこういう風だったのかな。
「うるせえバカ野郎。つまんねえよ。ほら勝ち気なのに照れ屋のチグハグお嬢様。俺達が魚とかを売ってもええって思わせてみろ」
「はい」
近寄って挨拶をして三味線を受け取った。身分証明書も返却してくれたので一安心。
「ウィオラさん、多分昨夜の行列がよかです」
「分かりました」
男性3人、そのうち1人はネビーに流し目って恥ずかしいけど仕方がない。これは勝負だ。長屋の皆の食事の為。私も美味しい魚を食べたい。
「手が空いているやつも呼んでくる」
それはまた恥ずかしいことになった。客は石ころコロコロり。心は石ころ転がしなさい。意味がよく分からない母の教え。
とりあえず緊張し過ぎている時の客は石ころと思うことにしている。
わらわら人が集まってしまった。服装で分かるけど漁師以外も混じっている。
「せくらべより初華蝶道中をお披露目致します。今でいう花魁行列です」
会釈をして三味線を弾き始めた。歌いながら振りをつけて流し目。羽織があれば良かったかも。
「私が通る」
男性だらけだと想像しやすいかもしれない。それでここには丁度ただ1人という人もいる。
「あのこが通る」
石ころではなくて彼等は私を見にきた見物客達。買えるならいつか買いたい、次は俺だと欲を求める男性達の群れ。
買われたくなんてないけれど、自分が高く売られるようになるほど自由に近づきあの頃に帰れる可能性が出てくる。
「連れ去って」
愛想を振り撒くのが仕事だけど私は彼を見つけてしまった。拳を握りしめたしかめっ面の彼。
下駄を脱いで逃げてしまいたいけど見張られていてどこにも逃げられない。
歩く程初恋から遠ざかる。血塗れになるけど歩き続けるしかない。華やかな女ではなくて蝶なら逃げ出せるのに。そういう場面。
「連れ出したい」
まだまだ国が小さくて男女共学だったなんて信じられない。叶わぬ恋は苦しくなるので男と女は離されて育つ。
やがてこの中で恋をしなさいと周りに異性を紹介されるけど、そういう国や身分なのに私は敷かれた道の外で恋に落ちたし他にもそういう者はうんと沢山いる。
そうして身分格差や家の都合で引き離されることがあるからこの物語は時代を超えて人を魅了しているのだろう。
「何でもない何でもないと言い聞かせては」
1人1人に含み笑いをしていたけれどパチリとネビーと目が合ってキュッと胸が苦しくなった。涙が一筋ほろり。感情移入し過ぎだ。
彼は物語の彼と違って優しい眼差しで聴き惚れているみたいな表情。だから我に返った。
「さようなら」
最後の一音。お辞儀をしたけど拍手無し。皆ぼんやりしている。
「お」
お?
「おおおおおお!」
1人が拍手を始めたら拍手喝采。大満足。魚を売ってくれるかな?
「すこぶる美人に見えた! お嬢様は凡々なのに!」
一言余計。
「むしろ俺の嫁よりイマイチなのに美女だった!」
それはどうも。
「美人をつかまえて凡々とかイマイチとか失礼ですよ。バレルさん、これだけよかなものを無料で見せてくれた女性にこのような失礼な事を言うなんて。買い物くらいさせて下さい」
「いや待て。待て待て待て。売るどころかあれをやる。毛むじゃらカニだ。毛むじゃらカニを持ってけ。売るんじゃない。やる。他のものもだ。だからつもる歌と海蛇も頼む。昨日それをしたんだろう?」
「えっ。あのカニをくれるんですか⁈」
「子ども達を呼んでくる。お嬢様。カニその他を無料で欲しければあと2曲。チラッてみたら海の大副神の遣いが跳ねていた。毛むじゃらカニを贈らないといけねえ」
東地区では海のカニは高級品。南地区ではほどほど。
毛むじゃらカニって名前は聞いたことがないし嫌な響きだけどネビーが大きく目を見開いているから南地区でも貴重なカニ?
「海の大副神の遣いですか?」
「すごいことだぞお嬢様。捕まえられない海にちんまい虹を作る網にもかからない謎の生き物。見かけた翌日、長いと1週間大漁になる。神には酒と音楽や舞と決まっているから豊漁祭りがあるけどその時だって現れないことがある」
「浜辺で歌って踊った時にも見かけました」
「俺も見ました。あの虹魚は珍しいんですね」
そう告げたら浜辺で歌って踊ることになってしまった。結果楽しんだという。
毛むじゃらカニを売るには身分証明書が必要とまたしてもバレルに身分証明書を貸すことになった。
ネビーが「なんか前と違くて変なので聞いてきます」と告げて私はしばらく放置。
わーって子どもや漁師や買い付け客に話しかけられて辟易。ネビーが「子ども優先。箱入りお嬢様で男性慣れしていないので5歩以内に近寄らないで下さい。近くにいるのでウィオラさんは困ったら俺を呼ぶこと」と言ってくれたけど困惑。
これも訓練!




