15
初対面なのか2度目ましての時なのか、その後なのか分からないけれどいつの間にか噂の恋穴に落ちたらしい。それでその初恋はトントン拍子に上手くいく可能性がある。
そうなのかな?
勘違いや自意識過剰かもしれない。いや先程の会話はさすがに誤解ではない。物語の中盤の相思相愛で幸せみたいな場面で最後は悲恋の可能性もあるし交流が増えたら縁がなかったとか……。
交流?
私と彼ってここからどうなるの?
この状況って何?
「俺も忘れっぽいけどウィオラさんも忘れっぽいですね。日焼けをするから垂れ衣笠って言うていたのに」
わりと進んでから気がついたのでネビーのだんだら羽織を頭から被って日除けさせてもらっている。
「そうかもしれません。水瓶の蓋を閉め忘れて雨蛙や春イボ蛙に水瓶の水を温泉みたいにされてしまいましたもの。温泉に行かれたことはありますか?」
ようやく喋れるようになってきた。羽織を被ったから顔を見られないし見なくて済むのもある。
正直なところお顔は見たい。優しい眼差しで微笑んでそうなので見たい。でも恥ずかし過ぎるので見ない。見ないというか単に見られない。
好意を示されて拒否していないという私達の関係はなんなのだろう。
「温泉はまだないです。とってあって。ウィオラさんはエドゥアールってご存知ですか?」
「ええ。岩山エドゥの温泉街です。絵を見たことがありますし桃源郷みたいな街だと」
エドゥアール上温泉街は私の元服祝いの旅行先予定だった街。
「上温泉街に行ってみたいので他の温泉にはまだ行かないようにしています。大出世して大金持ちになったら家族と妹リルの家族を連れて行こうと思っているけど難しそうです」
復習を兼ねて思い出してみる。レオ、エルの子が上からネビー、ルカ、リル、レイ、ルル、ロカ。今年27歳から今年13歳までの6人兄妹。
祖母がいてルカの夫のジンに2人の子のジオ。
リルが嫁いだのが卿家ルーベル家で当主がガイでその妻はテルル。ネビーの義兄である跡取りはロイ。ロイとリルには息子と娘がいる。
つまりネビーが連れて行きたい人は16人もいる。
「思い出しながら数えました。16人ですね」
「ばあちゃんはもう無理と諦めて15人。リルの義理の母は体が少々不自由なのでカゴを検討。でもわりと諦めていてルーベル家は放棄。甥っ子と姪っ子以外は1度行っているんで。ルカとジオはジン任せ。2人はさらに子どもが生まれなければジオの半元服祝いの旅行でエドゥアールを検討しているんで」
リルに会ってエドゥアール旅行について聞いてみたいかも。死ぬまでに1度は行ってみたいご利益のある街。それがエドゥアール温泉街。
龍神王がおっととと岩山を削ってしまったのでお詫びに温泉を与えたなんて逸話があるからだ。
高級旅館には皇族も泊まるけど観光地だから悪さをしなければ貧乏人も大歓迎という街。仕事を求めて行く者もいるという。
「そうなるとご自分とご両親と妹さん達ですか?」
「相手によりますけど妹達は祝言祝いを多めに渡して行けるなら行ってこい。他のところがよければそちらへどうぞ。なので両親だけ俺の新婚旅行を兼ねてかなぁと密かに」
私は先程口説かれていると判明してこういう話をされると私も行けるのかな、とニヤニヤしそう。
一昨日出会ってそういう妄想っておかしい。恋は狂うってこういうこと?
彼は彼でなぜこの話を私にしているの?
「バカには試験って難しいんですけど今年は中官試験っていう中級公務員試験に受かりそうです。コッソリ教えてもらえて昨年はギリギリ不合格だったと。年末に合格したら来春両親を連れて行こうかと思っています。人はいつ死ぬか分からないので後回しにしていると連れて行きそびれるかなあって。結婚したらってそんな予定もないし」
「予定がないのはご自身の意思ですからその気になればきっと」
「そこです。例えばウィオラさんは俺と出掛けても良いなと思ってくれたみたいなので聞きます。ウィオラさんの半結納とか結納条件と祝言条件ってなんですか? 口説いてたって自覚したんで知りたいです」
話が繋がった!
私の大喜びはネビーには伝わっていないと発覚。出掛けても良いなどころではないけどそんな話はしていないし恥ずかしくて言えない。
街中をのんびり馬で歩いているし、そんなに大きくない声での会話なので誰にも聞かれていなそう。
目立っているのは分かるけど羽織で隠れられている。つまり私の本当のことを話すなら今だ。
「こちらはネビーさんの情報がわんさかなので平等になるようにご説明致します。まずはこちらが身分証明書です」
家族構成、仕事、おおよその人柄に近しい親戚などはもう知っている。
簡易お見合いのお申し込みをされる時以上の情報だ。それで普通なら逆も同程度の情報を与えるもの。
ネビーの方こそ私が本物のお嬢様なのかとか実家のことを知る気は無いのかな。全て嘘かもしれないのに。そもそも私は嘘をついてる。
「えっ?」
懐から身分証明書を出してネビーへ差し出そうとして手綱を掴んでいるなと思ったので、見えるように開いて顔の前に掲げた。目を丸くしているのが分かる。
「東2区琴奏系一族ムーシクス次女です。ムーシクス家は豪家です。家族は祖父、両親、姉、姉婿、甥、弟です」
兵官なら番号の読み方などが分かるだろうから私の年齢その他も伝わったはず。そうだろう、は良くないことなので伝える。
「豪家は豪家でも大豪家と呼ばれる規模の家業を営んでいます。東地区では名高い6代続く陽舞伎一座、輝き屋の宗家トルディオ本家の次男が幼少時に私の演奏と声に惚れたせいで私は半元服祝いの時に結納しました。いや、させられました」
「兵官なんでまあ番号とかで色々分かります。偽造でないのも。どう見てもそこらのお嬢さんではないと思っていましたけど予想よりすごいです」
「我が家は輝き屋の3つ目の音家になりたいので両親は万々歳。祖父は少し反対したそうです。音家の話はしました。お相手は舞踊系の家は嘘です。大豪家とか東地区のどこ住まいなどは誰にも話したことはありません。手習以外の事業もです。関係者に見つかりたくないからです」
ペラペラお喋りなのにネビーから返事はない。今は私の方がお喋り。質問がなさそうなので、と続ける。
「16歳元服日に正式にお披露目。20歳で祝言。そう決まって家業の琴と三味線の稽古に輝き屋関係の稽古。そこに我が家の格としては少し高望みの女学校生活。婚約者は役者一族らしい遊び男で非常識行為で触ろうとするしさらには乱暴者なので嫌い。最後の方だともう大大大嫌い。嫌われて婚約破棄されないかなとか、最後の砦は祝言直前に家出だとかなり前から計画していました」
ジエムへの腹立ちが蘇ってしまった。しかし代わりに感謝もしたい。おかげでネビーと知り合えた。
「それでお相手に子どもが生まれたんですね。でもそれでも結婚させられそうだった。家の未来のために」
「いえ。申し訳ないと契約違反金をいただいて婚約破棄です。お金を貰って嫌な相手とさようならとは幸運。大歓喜です。説明がややこしくなるのでここも嘘をつきました」
「それを話してくれるということですか。次の縁談も嫌だったんですか?」
彼からは見えないかもしれないけれど私は小さく頷いた。
「結婚前に跡取り候補が生まれたから子どもの母親を妻として迎えよう。猛反対する相手ではない。本家の次男は一座を率いていく者。役者として兄より人気で才能あり。息子の悪評は困るので泥は私に被らせよう。そういう話になりました」
「婚約破棄の理由をウィオラさんのせいにされたということですか。それはまた。確かにこれをいちいち話すのはややこしいですね」
「結納中なのに男を作って次男を傷つけたから浮気された。そうしないと我が家を吹き飛ばしますよ。言われていなくても立場的にはそうです」
「そうしなさいと言われたと」
「言われなくても分かるのでそうしますと言いました。規模の大きな家には大勢の未来がくっついています。私1人の名誉や将来と比べたら答えは明白です」
少し待ってみたけど返事は無さそう。
「東3区の母の実家へ行けと言われて家出です。私をボロボロに言って追い出して破門。家族にとってその方が良いので望み通り家を出ました。母の実家ではなくて家出にしたのは父への嫌がらせです。あと近くにいると私を気にかけて破門追放にする意味がなくなります。親不孝娘です」
なぜ花街なのかと質問されれば答えるし、どういう生活だったのかと聞かれればやはり答える。隠したいことは特にない。
「親不孝って無理矢理結婚させられそうだからより酷い話じゃないですか。というか家業を無視したとは真逆です。なぜそんな嘘を」
「当たり前です。家のために家を出たのに違うと言いふらしては意味がなくなります。音家になる邪魔をしてはいけません」
「娘より家の未来……門下生がいるのか。でも輝き屋の一座に入ることは諦めて娘の名誉や幸せを選ぶ道もありますよね。腹を立てて家出ってむしろ家族を気遣っていませんか?」
そうだけど嫌がらせでもある。それから私自身が「なにも悪くないのになぜ」と惨めな気持ちで友人知人の多い土地で生きていたくなかった。
他にも海が見たいとか友人が落ちてしまった花街の世界を知りたいとか他地区の音楽を知りたいとか理由は色々ある。
「門下生がいて手習ではなくて音楽関係の仕事をしている者もいるのに父にこう言いました。私は恥ずかしい思いをしたくない。家を売ったお金と違約金を持って家族で遠くに引っ越して1からやり直そう。皆で幸せになろう。そう言って欲しかったと。そういう世間知らずの我儘お嬢様です」
聞かれていないけど話を続けた。南地区の琴門へ弟子入りはいびられそうで置き屋も同じ気がする。下積みからでお金を稼ぐどころか逆にお金がかかる。
社会勉強、己の贅沢を知りたいのと友人が売られた世界を本当の意味で知りたくて花街へ飛び込んで道芸。それで遊楼に所属。
仕事はなにをしていたのかも全部話した。それで誤解されて嫌がられたら縁が無かったという話。まだ知り合ったばかりだから失恋の傷はきっと浅傷で済むだろう。
「その腕も良家に生まれて稽古をさせてもらえたからです。女学校の講師になる資格を取得したのですが中々空きが無かったり贔屓先が優先とか花街で芸妓という立場で落とされていたのでしょう。遊女より芸妓、私の琴が好みというご年配の馴染み客が働きかけてくれてついに就職です」
「かなり豪胆なお嬢様ですね。色々な事を見てきて辛いことも寂しいこともあったでしょう」
「贔屓で就職出来ました。梅園屋という置き屋に可愛がってもらって就職しないかと言われましたし系列店の花街外の梅屋にいたと言って良いと。菊屋にもいつでも戻って来いと言われています」
「それより女学校の講師なのは昨日言っていた人に教えたいからですか?」
「それもありますし今後もしも縁談があるなら花街芸妓より女学校の講師の方が良いです。お嬢様世界、花街ときたので憧れの下街生活もしてみたかったです。南3区で長屋ならあの長屋と勧めてくれたのは梅園屋の当主です。花街でも長屋でも初日から多くの方に親切にされています」
無いものよりも有るものを大事にする。幸運は小さいことでも感謝する。苦界だからこそ前を向く。むしろ上を向くという者は多かった。
私の不幸なんて愛くるしいもの。寂しいと泣けば「自分で選んだくせに。帰る家はあるのに」とバカにされた。
でも「帰ってくるなだと帰るに帰れないね。私らと同じ」と慰めてくれる人もいた。
「俺が会ったことのあるお嬢さんと違うのは5年間の生活が今のウィオラさんを形成しているからでしょうね。なんだか不思議な感じがするんですよね。音とか歌声にすこぶる惹かれるのは努力と才能か。昨夜も皆、目も耳も奪われていました」
「こういう経歴ですしもう今年で22歳。家出娘ですからどういう条件で結納も祝言も特にないです。この方なら大丈夫と思えてその人とお互いの希望に歩み寄れれば」
「おおっ。つまりその、悪くないと思ってくれているからこんなに話してくれたんですね」
「嘘つきなのになぜ気にしないのかなと思いまして。また嘘つきかもしれませんよ?」
「むしろ家を無視して家出の方がなんか変だな、違いそうと思っていたので納得です」
そうなの?
なぜ?
問いかける前にネビーが口を開いた。
「通りで家族が連れ戻さない訳です。俺の希望は……義兄の気持ちが今分かりました。ウィオラさんの実家に釣書と結婚お申し込み書を送って良いですか? もう出会っているから半結納お申し込み? 結納お申し込み? なんだ?」
連れ戻さないからおかしいと思ったのか。嘘はやはり綻んだり違和感を与えるということだ。
釣書と結婚お申し込み書を送るということは私とお見合いさせて下さいって我が家に頼むこと。
両親は何も出来ない。私は毎日ネビーのお隣さん。つまり毎日お見合いみたいなもの。単に彼の誠意ということだ。
今の私達がどういう状況なのか分かった。簡易お見合いをしたようなところだ。
憧れの文通お申し込みは飛ばされたけど私は誰かに「上手くいけば彼とお見合い結婚します」と言えることになる。
ジエムとのことみたいに縁が切れるか祝言まで辿り着くかは私達や家族次第。私の家族は無視出来るのにしないでくれるとは誠実。
恋愛結婚は破滅しかない道。私は今すぐここで「私も皆と同じようにお見合い結婚します」と叫びたいかも。したいです、という願望なので恥ずかしいからしない。
「春を売る芸妓もいますけど中店と大店でお金持ち相手に芸だけを提供していたのと手習講師だったので生娘です。結納したら少しは触れますよ」
なぜこのような恥ずかしい言葉が口から飛び出したの? と考えてみる。
揺れに合わせてちょこちょこわざと胸に寄り添っている自覚があるので私が触りたいし触られたいのだろう。広くて固い胸板でずっとドキドキしている。
あれやこれやは絶対に無理。指先で触れる練習からしないといけない。つまり指先で触りたい、触られたいと思っている。
ハレンチ! ではないか。色と恋は一心一体。恋がなくても色はあり、恋があるなら色もあるという。文学で学んできたし花街でも現実を見てきた。
「ぶほっ。ちょっ、そういう意味で言ったわけではないです」
「指で触る練習からしないと失神しそうです。お隣さんですから毎日お見合いみたいなものです。この状況だと結婚お申し込み、半結納、結納のどこから開始でしょうか。私は自分で釣書を作ってご両親にお渡ししますか?」
これってむしろ私が彼の家に結婚お申し込みするような案件な気がしてきた。
憧れのお申し込みをされたいから黙っておく。誰かに指摘されたらそうしよう。
「昼食を食べたらルーベルさん家で甥っ子と姪っ子に馬を見せてやろうと思っていたのとリルに昨日話したお隣さんってウィオラさんを紹介しようと思っていました。時間が必要なので海からの帰りにテルルさんに紹介して正式なのは何か相談します」
テルルはルーベル家当主の妻。よし、覚えている。
「人生の先輩、それも卿家の大黒柱妻の方に相談出来るとは心強いです。ありがとうございます」
「色は分かるけど恋って何だ? って思って俺はバカ過ぎると思っていたのに急に分かって変な感じです。俺の頭はイカれているか色気分が世間でいう恋なのかと思っていましたけど違いました。急でびっくり。すごい驚き。落ちるって話は本当なのかって。まあ、のんびり口説くので嫌なら嫌だと言うて下さい」
「のんびり口説くって昨日から怒涛のようですよ。私も似ています。積恋歌が頭から離れなくて……」
つのって積もる、激しくなっていく恋の歌と今の私の気持ちは似ていると思う。
「何も考えずに喋ってそうなので思い出して反省してさらにのんびり口説きます」
「おかしくないですか? その、似ているとお話したのにのんびり口説くって……」
「……確かに。つまりどういうことだ?」
ネビーはしばらく「うーん」と唸り続けて「逆に強気で口説いて良いってことか⁈」と素っ頓狂な声を上げた。
私は彼と生きていくって飽きなくて面白いんじゃないかと吹き出してしまった。




