特殊一等辞令
特殊辞令は公務員でなくても全区民に下されることのある辞令だ。
突然役人がやってきて「これをしてあげるからこうしてくれ」と辞令書と共に交渉される。
何も知らないとホイホイ飲んで安い報酬で終わるし嫌だとゴネると「権力で潰すぞ」という脅迫が始まる。
脅すだけだと反発されるので折衷案も考えてもらえるけど特殊辞令の等級が上がるほどそれは難しくなる。
三巴犬の間で上座と下座ではなくて左右に分かれて役人達十数名程と向かい合う状況になり、話は自分達のことな気がするとソワソワ。
(あっ。レアンさんもいる)
春にお世話になった彼はやはり偉い人のようで上座から三番目に着席している。
こちら側は上座からプライルド、ラルス、ウィオラの母、姉、姉婿、弟と続いてウィオラ、俺という順。
分家の当主や看板を与えられている豪家の当主が背後にズラッと並んでいるので落ち着かない。
末席にいるムーシクス流の看板を授与されている豪家なんかはかなり庶民なので俺と同じく肩身が狭いだろうなと何となく親近感。
プライルドと農林水省東地区本庁なんとか——眠気との格闘で聞いていなかった——部署の次官が挨拶を交わして「一族、門下家全体でご検討していただきたいので本日このように来訪致しました」と告げられた。
「豪家ムーシクス総宗家現当主プライルド・ムーシクス殿の次女ウィオラ・ムーシクス嬢に皇帝陛下の名の下に特殊一等辞令を下します。辞令、本年九月一日よりオケアヌス大神宮の奉巫女に任命する。これに伴い八月末日をもって南三区立五番女学校の臨時講師職を解任する」
オケアヌス神社は大きいけどあそこは大神宮なのか。皇居の斎宮の局へ入内話でないのはホッとした。
しかしウィオラに特殊一等辞令は予想外で内容が奉巫女で講師仕事はクビってこれも想像していなかった。
「恩賞、皇帝陛下暗殺事件関与の嫌疑によるムーシクス琴門関係者の全事業業務停止命令を破棄。本人に限り農林水省本庁担当者との交渉権付与。本人に限り皇居外宮までの無申請関所通過権及び事前申請にて配偶者と一親等までの関所通過権取得。その他お家全体の特権強化や減税。任官祝い金授与。奉巫女任官規定による各種福利厚生付与」
恩賞の内容が凄まじい。
「全事業業務停止命令を破棄」ってどういうことだ。そんな捜査情報になっていないのはラルスとガイから聞いていたけどどうなっている。
「辞退時の処罰はムーシクス琴門関係者の全事業業務停止命令期間の延長。ムーシクス関係の豪家の納税額、寄付金額増額。所属する家全てに対する各種特権の剥奪や家によっては豪家格剥奪」
この内容には室内が少々どよめいた。
「尚、皇居斎宮の局への入内希望の場合はこれを猶予する。その際の恩賞、処罰は再度設定する」
ガイが仕入れた話はこの部分を少しってことだ。
「入内期間は三年として王都内の主要大神宮にて神職補佐業務を行い、その後本斎宮、斎宮、奉巫女、退官と選別されるが現時点ではオケアヌス神社の奉巫女就任が最も可能性が高いです」
三年間遠回りして結局同じ結果になるってこと。
「これに付随して地区兵官南地区本部第六部署所属ネビー・ルーベル三等小将官ノ下官に煌護省南地区本庁及び東地区本庁、農林水省南地区本庁及び東地区本庁連名で特殊一等辞令を下します」
俺は皇帝陛下の名の下に、ではないってこと。同じ等級特殊辞令でも権力の強さが違うなんて知らなかった。
仮辞令では農林水省だけだったのに煌護省が増えているし南地区本部で言われるのではなくてここで告げられるのかよ!
「辞令、九月一日より南三区からの転居を禁じ出張期間を月に十日以内とする。また、オケアヌス神社奉巫女守護兵官に任命しそれに伴う特殊命令時に従うこと。恩賞、一階級昇進。奉巫女との婚姻権取得。辞退時の処罰は卿家ルーベル家の卿家格剥奪、実親、実弟妹に三代平家格の付与と職業制限、罰金」
……。
辞退時の処罰内容が酷い。
「以上を検討して九日以内に返答して下さい。担当役人をそれぞれに一人ずつつけますので質疑応答や返事は担当者へお願いします。この場でも応じます。各人、なにかこざいますか?」
とりあえず俺は挙手。
「そちらの方、どうぞ」
「辞令を賜りましたネビー・ルーベルです。各奉巫女との婚姻権取得、とのことですか婚姻権がないと奉巫女と祝言は不可能ということでしょうか」
「その通りで審査制です。婚約中ということで先に審査を行いました」
処罰は俺としては恐ろしい内容なのに恩賞は一階級昇進とウィオラとの結婚権だけってなんだ。
ウィオラと結婚権も審査制でこの話とは関係なく審査しただろうからこれは恩賞ではない。
一階級昇進も今年の地区本部での勤務中に行交道での事件解決数が多いし殴り込みでの活躍もあったからやらかさなければ秋か冬に辞令が下りる可能性とガイに聞いていたからこれも恩賞ではない。
(単に断ったら処罰ってだけじゃねぇか)
「ありがとうございます。続けて質問です。奉巫女守護兵官という名称を初めて知りましたが神社で警護職、ということでしょうか」
「本来は警兵職ですがルーベルさんは凖警兵ですので適応となりました。オケアヌス神社の奉巫女が各種行事に参加する際や出張時に警護業務に就きなさいという意味です。平時は現在の業務を遂行して下さい」
俺の転居禁止はどう考えてもウィオラを南三区やオケアヌス神社に縛り付けようということで、奉巫女ウィオラ・ムーシクスの伴侶が地区兵官だと手配が楽だから行事などで俺をこき使おうって意味だ。こうなると総官の道は断絶である。
俺は別に総官を望んでいないから構わないし、ガイが「次男は総官と言いたい」と口にするのは俺の意志が伴っていればの話なので問題ないだろう。
俺の息子は奉巫女と祝言したとか二等小将官だ、と自慢出来れば満足に違いない。
両親家族は俺に大出世を望んでいないというかもう期待以上を成している。
「地区本部で出張以外の継続的な勤務やそれに伴う地区本部での昇進などは今後一切なくなるという認識でよろしいでしょうか」
「一切、ではなくて可能性がさらに低くなったと認識していただければよろしいかと。元々そのような評価は低かったので本件でさらに低評価となりました」
淡々と告げられたけど結構傷ついた。俺はまだ総官争いに片手の指数本は引っかかっていると自負していたけどそうではなかったらしい。ガイの認識も甘かったってことだ。
総官を狙えるということは俺が狙っている教育系の大出世は夢ではないという事だと思っていたけど単に自惚屋だったということである。
「自惚れていたようで恥ずかしいです」
「番隊長候補者としての評価は上がります。ご存知のように総官と同じくらい番隊長も難関という者もいます。総官とは異なり組織内評価だけではなくて区民評価の高さが指標の一つですので。評価が変われば辞令も変化します」
これはお前は地区本部には要らない人材だけど番隊長候補者として期待しているぞ、って意味であり優しい目で笑いかけられたから背筋がより伸びる。
「分かりました。番隊長は望まれれば励みたいですし地区本部での出世には興味がないので自分はこの場でこの辞令を受諾します」
元々、地区本部で上へ登りたいなら早く転属と言われていたけど俺は地元暮らし、番隊幹部を望んだからこういう結果になって当然。
俺の隣でウィオラが右手を天井に向かってスッと伸ばした。
「奉巫女の婚姻が審査制とは知りませんでした。そのように規制事項について知りたいです」
「許可範囲以外への転居禁止、無許可での長期不在の禁止、婚姻制限、各種犯罪行為の禁止です」
農林水省の制服の、一番上座にいる次官が返事をした。
「住居は許可範囲までのようですが具体的な範囲はどちらでしょうか」
「概ね馬で一時間以内の距離です。現在お住まいの地域も含まれています」
「申請したら長期不在は可能なのでしょうか」
「オケアヌス神社には他にも奉巫女が任官していますので基本的には可能です。十日以内に帰還命令が付随する許可となることが多いです」
俺の出張は月十日以内ってこれに合わせたってことか?
「副業は禁止でしょうか? 例えばこのムーシクス琴門事業に関する事などです」
「制限はございません。奉巫女業務と同様に納税、寄付金の義務もありません。ただ、副業は事前に全て審査させていただきます」
ウィオラは今後無税、無寄付人生を送るってこと。彼女ならこのくらいの額ならこの程度は常識というように寄付しそうだけど。
「規定書類があると思いますので提出をお願い致します。拝見したいです」
「辞令受諾の際にお渡します」
引き受けないと雇用条件を見せないというのは違法だけど特殊一等辞令だとそんなの関係ないってことのようだ。
「入内希望の場合の恩賞は既に決まっているのでしょうか」
「半分くらいと思っていただければと思います」
高望みすると損をする可能性があるぞってこと。
「本日はこのように当主が勢揃いしていますので会議をしてご返答させていただきます。お待ちいただけるのでしたら本日ご返答致しますがご都合はつきますでしょうか?」
「二刻でしたら滞在可能です」
「父上、いかがでしょうか」
「会議を行って二刻以内にお返事致します。そんなにお待たせしないと思います。別室を用意致しますのでそちらで楽になさって下さい」
ウィオラの父が使用人に声を掛けて役人達を別室へ案内した。座席移動になり俺達は役人が座っていたところへ移動して当主達と向かい合う。
「これよりムーシクス一門夏季当主総会を始めます。事前通告していた議題に追加でつい先程最重要案件が加わったのでそれについて決議を取りたいです。その前に春季当主総会で報告したこのウィオラの婚約者をご紹介致します。春に経歴書その他を配布しましたのでその辺りは割愛します。彼がネビー・ルーベルさんです」
「ネビー・ルーベルです。本日はお招きいただきありがとうございます」
……。
あとなんだっけ?
疲れと特殊一等辞令で覚えた文を忘れて予習する時間が無かった。
「彼は先程まで勤務で災害地へ派遣されていて非常に疲れているので本日行う予定だった挨拶会は中止します。では先に先程の件について決議を取ります」
プライルドに庇ってもらえて安堵。
「まずは私ですが辞令を受諾して娘を通して南地区の琴門への留学や事業拡大の足掛かりにするのが堅実で無難な選択肢だと思います。入内を選択して斎宮就任を成せないと損だと考えます」
プライルドの発言を聞きながらそもそも斎宮と奉巫女の違いはなんだと考えて、自分にはまるで関係のない世界の話だったので分からず。
(小等校から高等校の間に習うのか?)
大きな神社の経営や管理は政治家の仕事で神職も公職だけど試験はない任命制なのはなんとなく知っている。
「辞令辞退は満場一致で却下でしょう。辞退すべきという者は挙手して下さい」
誰も手を挙げないと思った通り誰も挙手しない。
「御隠居、投票前に意見をお願いします」
「選択肢は無難で堅実な道か冒険する道となる。三年間の入内期間で別の仕事や高名華族と縁結びで皇居への橋渡し役を増やそうにも三年後にはオケアヌス大神宮で奉巫女になるのが既定路線のようなので、縁を結ぶところが嫌煙されるだろう。おまけに恩賞も減る」
遠回りになるし、恩賞が減って高望みしたものも得られないで終わる可能性大ってこと。
「斎宮の局に入内しても皇居生活とは言われていない。オケアヌス大神宮へ派遣されるのだと思う。質疑応答は自由のようなので確認してきても良いがしなくても辞令が斎宮ではないので答えは明白だ。昔、似たような話を耳にしたことがある。高望みを選んだ結果恩賞が減っただけだったという話だ」
「皇帝陛下勅命の特殊一等辞令は初めての経験ですので他にこのようにお知恵のある方はいらっしゃいますか? 意見のある方でも構いません。近くの方と相談してからでも構いません」
少々、室内がざわざわし始めたのでこの隙をついてウィオラに質問。
「ウィオラさん、突然このような事態で大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。大丈夫です。かなり驚いていますが不思議です。今のように日雇いだと安上がりなのにわざわざ奉巫女だなんで。それに春から今日まで目立ったことはありませんでした」
「何回かに一回少し豊漁のようですって言うていましたね。奉巫女と斎宮の違いはなんですか?」
「斎宮様は龍神王様を祀る神社に仕える神職です。その神社は王都内では皇居の隣と農村地区に一つずつ、それからエドゥアール山頂の計五箇所です。オケアヌス大神宮は海の大副神様、つまり龍神王様の鱗を祀っています」
「偉いのが斎宮でその下が奉巫女ってことですか」
「ええ。歌って舞ったり演奏して歌うとほぼご利益のようなことが起こったり龍神王様の声を聞くことがあるのが斎宮様です。奉巫女はたまに、という者で特定の副神様としか通じないと言われています」
サングリアルが言っていた海蛇達に好まれる者、その繋がりの強さってことか?
「本斎宮様だと何が違うんですか?」
「本斎宮様は龍神王大神宮に仕える方で国内でただお一人です。代々皇族から選ばれています。基本的に皇族から選出されますが、そうでないと任官に際して皇族と祝言しますので皇族でない方が任官したことはありません」
「これって学校で習うんですか?」
「ええ。高等校、女学校高学年の範囲です。なので知識の無さそうな相手にはほとんど恩賞を付けないと思います。特別に神職に就けます、というだけで既に恩賞のようですから」
騙すのは悪いけど知らないことも悪い、という国なのでこの国ではこういうことは日常茶飯時だ。
当主達の話題は他地区に奉巫女排出を使ってどのように一門を盛り立てていくか、に変化して皇居入内話はどこへやらという様子。
プライルドが「一応確認で入内希望の者は挙手」と発言して誰も手を挙げず。
この後辞令受諾の返事をした結果、俺とウィオラは役人達がいる花の間へ呼ばれた。
役人の人数は減っていてレアンになぜこういうことになったのかと問いかけたけど「演じて特権確保という者が現れると困りますので」と教えてもらえず。
「まあ、今回のお二人の件は模倣出来ないと思います」
「それなら教えてもらえるのですか?」
「ぶっちゃけて言うと東地区にお二人が長期滞在や定住をすると南地区と板挟みになって今日来た全省の担当職員が疲れるので来ないで下さいということです。ましてや半年ごとは根回しが大変です」
……。
つまり迷惑だからお前らは東地区に住むなってこと。
「今回、そこそこ疲れました。噂の豊漁姫はなぜ奉巫女に就任しない。だから雷雨や不漁が減らないと商家や豪家方面から騒がれたり、なぜ豊漁姫と婚約者を引き離す極悪とか海辺街に出張がないとかもろもろ重なっていまして」
「極悪……ですか」
「担当者は海辺街への出張の件で学ばなかったのですかね?」
俺の海辺街への出張に豊漁姫が一緒なのは当たり前だ、と騒がれた話のことだろう。
レアンのこの台詞は小声だったし、「南地区本庁の担当部署や北部海辺街所は根回し下手、学習下手な気がします」とヒソヒソ話をされた。
「ウィオラさんへの辞令は中枢からですがどこの総所発信なのか我々にも非公開ですので出どころ不明です」
レアンの声の大きさが戻った。
(出どころ不明……。皇帝陛下の名の下に……。まさヴィトニルが関与していないよな?)
リルが知り合った旅医者の護衛と友人になって数年。
彼に教えられた通りに調べたらヴィトニルは皇帝陛下の甥で自らを神の遣いだと主張して行方をくらませた西にある国の王子で大蛇に変身したとかしていないとか。
「ルーベルさんの転居禁止令は春から既に検討中だったそうで、そこにウィオラさんの話が合流して特殊一等辞令になりました。特殊一等辞令は半永久的な辞令です」
「自分はおまけですよね? 余程のことがなければ年内昇級と言われていたので昇級は既定路線ですし出張は月十日以内はウィオラさんに合わせたってことだから彼女がどこかへ行かないのに自分だけはないってことです」
「いや、そういう話ではなかったと思います。その辺りは彼が説明出来ます」
煌護省南地区本庁の役人に「これまでのような出張は予定していますのでその際は奥様に帯同していただく事もあります」と言われた。
「あの、まだ妻ではないです」
「事実婚状態とうかがっていましたのでつい」
まぁ、生活としてはそうだから否定はしない。ウィオラの業務関係や生活の細かい規則は南地区へ帰宅後にオケアヌス神社で行うという。
「出張禁止令は出ていませんがルーベルさんは基本時に北海辺街と南西農村区の特定地域、この地域以外にはあまり出張させないという評価がついたそうです」
「そうなのですか。なぜですか?」
「次はいつ来る、という場所が増えるとあそこに行ったのにこっちには来ないという要望が更にややこしくなるからです」
「あちこちから頼られるのは誇らしいけど実感はないです。普通に働いているだけなのでなぜそうなるのか分からないです」
「貴方の普通が周りの普通ではないからです。まぁ、要はどこででも多くの方に好かれる性格ということです」
「はい。それは自分の長所だと思っています。なんだか好かれるので親しみやすそうな地味な感じで得です。兵官っていかつい男が多いので」
その後少し話をして退室して廊下で待っていた使用人と合流して、あれこれ質問をしたいので担当役人二人にも来てもらって三巴犬の間へ戻った。




