友人6
八月は約一週間過ぎて試験期間は趣味会がないので土日休みだから明日の日曜は稼ごうと思ってかめ屋で芸妓仕事の予定。
祖父に根回しを頼んだらかめ屋のお客に特別公演だけではなくて外客を店内へ誘導してお店の雰囲気を知ってもらったりお土産屋や料亭へ誘導も仕事になり、先月ネビーと観劇した陽舞伎一座と交渉して公演中の演目を宣伝する仕事も加わっていた。
演目もどう演出するのかも祖父が決めてくれたので私はそれに従うだけ。
朝から明日の芸妓仕事の稽古をして祖父にけちょんけちょんに叱られていたら来客。
エルの「ウィオラさん、お客さん」という声が出入り口の扉の向こうから聞こえたので返事をして扉を開いたら予想外の人物だった。
ネビーの友人がお嫁様にお裾分けとか、ネビーの友人の妻がお裾分けと来てくれる事があるからまたそういうのだと思ったら菊屋の太夫である。
「た……さん」
太夫さんと呼ぼうとしてご近所さんがいるのでやめた。
一区花街の遊女の頂点争いをしている太夫が小紋に半幅帯姿で長屋に現れるなんてとんでもない話。
庶民服に簡単なまとめ髪に薄化粧なのに圧が凄いし日傘を持つ仕草だけで品があるから合間机にいるご近所さん達に大注目されている気がする。
「ご機嫌よろしゅうございます。以前も告げたようにアイナとお呼び下さいませ」
「は、はい。はいアイナさん。ここの住所はユラに聞きました?」
私をどうするつもりだったのか、と疑心暗鬼になったので菊屋に住所が分からないようにユラやイーナ宛の手紙は封筒の中にしか住所を記載していない。
太夫の本名がアイナだったのかこれが偽名なのかサッパリ不明。
「んふ。まさか。上に登れる女っていうのは口が固いものなのよ。本部六部隊の馴染さんにちょっとね。あんたの男の住所をこう、上手く。お隣さんが本当なら居ると思って」
「良かったら上がって下さい。それともどこか行きたいところはありますか?」
太夫が私に会いに来るなんてまるで想像していなかった。しかもこんな突然、
「とりあえず上がらせていただきます」
「美人さんなのでやっぱり前職の同僚さんですか。お茶を淹れてくる」
「ご近所さん、ご親切にありがとうございます」
「いえアイナさん。彼のお母様です」
「なんだい。ネビーも知り合いなの。ああ。例の仕事で会っているんですね」
「ウィオラの婚約者さんのお母様ですか」
「母親とかお母上とか言うてちょうだい。痒くてならないよ。じゃあウィオラさん、川に取りに行ってきます」
「ありがとうございます」
太夫が首を捻ったので「お茶を入れた大徳利を川で冷やしています」と教えて部屋の中は促した。
「おじい様。遠くから来て下さいましたアイナさんです。前の職場でお世話になりました」
もしかしたら祖父は太夫だと分かるかもと思ったらやはりそのようで驚愕している。
「あら。夕霧の馴染みの枝さんではないですか」
「あの方といい記憶力が良いのですね」
「その。おじい様はあの街で側にいてくれました」
祖父は自己紹介と挨拶をすると私は失礼します、と部屋から出て行った。
「まさかこんな所に住んでいるとは」
「こんなとは何ですか。観光地のようで楽しいですよ」
「観光地?」
「こういう反応には慣れました。あとで説明します」
手洗いを勧めたら私の手に掛けなさい、というように両手を差し出されたのでこれは無視。
「ここは蝶や花よのお店ではありません」
「冗談よ。同格のあんたを小間使いにした事はないじゃない」
「まさか。同格では無かったです。小間使いにされたことはないですけど」
手を洗った後、私の場所である部屋の奥へ案内するとアイナは興味深そうに周りを眺めた。
「あんたが楽達と内装を変えていった稽古部屋みたいね」
「私の好みです」
「外から見たら部屋がこうなんて想像つかないわね」
小椅子と肘掛けを渡して土間へ移動してお膳とお茶請けの用意。
せっかく花街の外に出たのでどこかに行きたい、何か食べたいと言うかもしれないから実家が送ってくれた塩川藻をお茶請けにしようと準備。残り少ないけどもうすぐ実家に帰るので買って持ってこられる。
エルが来たのでお礼を告げてお茶を移した徳利を受け取って用意してアイナの所へ戻った。
「ありがとうございます」
「こちらは塩川藻といって東地区の大河で採れる藻です」
「馴染みにいただいたことがあるわ。結構好み。私ね、足抜けしてみたの」
「えっ。そうなのですか? いえ。アイナさんはもう借金が無いので足抜けは出来ません。お店を辞めたのですか?」
「腹が立ったから若女将にお灸と思って勝手に休んだの。私の立場が自分よりも上なのが気に入らないようだけど今夜の予約についてどうする気かしら。私はわりと前からいつでも辞められるのに迂闊な子よねぇ」
凛とした眼差しで遠くを見据えてニヤリと口角を上げたアイナはとても色っぽい。足抜けってそういうこと。
「お客は大丈夫なのですか?」
「私の客は私の我儘も愛でているから平気よ。あれを買って、これをしてって掌の上で踊る踊る。ひぃ子が病気だからうんと良いお医者様を探していましたとか言いようはあるのよ」
「折檻……されたら辞めるだけですね」
「ええ。予約整理をしていないから私を怒らせたら恐ろしい損害悪評になるしするわよ」
「ほどほどに許してあげて下さい。アイナさんが痛ぶられるのも嫌ですが若女将さんが殴られるのも可哀想です」
「私達は生物商品なのに調子に乗るからそうなるのよ」
何があったか知らないけど私が知る限りアイナがこういう事をするのは初めてでは無いのでお店は今頃バタバタしてそうだけど、アイナは自分の楽に上手く代理仕事を采配してきただろう。
「今日来たのは質問したかったから。夕霧に夏休みに来るって聞いたけどいつ来る気なの? 結納祝いとこれまでの慰労会くらいしてあげるから日時を教えなさい」
「そうでした。結納祝いをありがとうございました。あちこちで褒められますし爪磨きは貸せるので交友関係を良くする手助けにもなっていて重宝しています」
「ふーん」
なぜお礼の言葉に対してそっけないのだろう。
「次の土曜日から休みでして、おじい様と一緒に出掛けるので金曜の夕方に出発して一区に泊まって翌朝お店に顔を出そうと思っていました。ですので行くのは次の土曜日です」
「そう。あの兵官さんと後ろの祖父君以外はどなたか同行する?」
アイナはなぜか急に柔らかく微笑んだ。
「私とおじい様だけです。婚約者は東地区へ出張中で先に我が家にいます。私の夏休みに合わせて出張の希望でしたけど、激務中なので上手くいかなくて人手不足で南地区本部と東地区で一ヶ月以上になりました」
「あら、そうなの。うちのお店にも連日、花官や本部兵官がやってくるしそこに番隊兵官に警兵や龍国兵まで来るわ。あの嫌々男が居ないならお店の座敷で良さそうね。昼見世は無しにしておく。それで、お嬢様は一体何者なの?」
彼女は再び笑顔を消した。昼見世はなしにしておくとは今の菊屋の従業員でこのような事を有言実行出来るのは太夫だけだろう。
「東地区なのは今聞いていて分かった。これまでは出自について尋ねられると王都内全ての土地の名をあげていたわね」
「はい。私は東地区の琴門の次女でウィオラ・ムーシクスと申します」
「ウィオラって本名だったの? 賢いのにバカだから本名ってこと。いつもそうだからあれやこれやと騙されてきたわ」
「ええ、私は霞ですから」
「ふふっ。ムーシクスってあの東地区ムーシクス流派の一族の娘なの。それはもうお嬢様じゃなくてお姫様じゃない。偽物の私には空気感が分からなくても中流華族のお嬢様って売っても違和感が無かったのはそういうこと」
「夕霧さんにもお姫様と言われました。私達からするとお姫様は皇女様や皇居華族のお嬢様達のことなので違和感がありますけど皆さんからしたらそうなのですね」
「ええ。夕霧はどうか知らないけど私からしたらお嬢様はそこらを歩いている慎ましそうな女だから。つまり今の私もお嬢様」
接客中に時々見せるような愛想の良い笑顔に少しドキッとした。偽の笑顔なのか本物の笑顔なのか分からない、すまし顔からこの急な愛くるしい笑顔は太夫の武器の一つだ。
「昼見世は無しにして食事とざらめ屋のあんみつを頼むからその前にお披露目広場で稼いでくれない? そう言ったらあんたなら全額くれそう」
「ええ。構わないですよ。昼見世代にはならなそうですが稼げるだけ稼ぎます」
「人を集めてその後菊屋の宣伝をするからそれが終わったらのんびり休憩」
「宣伝に参加しますか? 無料にしますし希望する楽ちゃん達に一刻お稽古もします。それを私の芸だけの馴染みさん達に見学してもらうのも良い気がします。道芸の稼ぎとそれで昼見世無しと少しは釣り合いが取れるかと。私は二度とあの店の経営者関係からの仕事は引き受けません。そうお伝え下さい」
「あら。話が分かる娘ね。霞が何か怒っていて私以外からは仕事を引き受けないと伝えておくわ」
「気を許している遊女と楽ちゃん、と言うとややこしいのでそう伝えて下さい。他の方には私が個別に貴女からの仕事依頼なら良いとその都度言います。楽器や衣装など全てそちら持ちでお願いします」
これはどうせ来るなら楽達とゆっくりしたら? という提案かつ自分達全員を休ませろという要求で利害が一致するから協力する。
「派手な宣伝に休みが増えて楽を出来るわ」
「アイナさんはこの後何か予定はありますか? 無ければ街案内や海辺街案内をします。今日は一日ほぼお稽古で明日は海辺街の神社で奉納演奏と知り合いのお店で芸妓仕事がありますが他の予定はないです」
「あら奇遇ね。明日海へ行こうと思っていたの。楽達に何かお土産と思って。海辺街案内はしてもらおうかしら。演奏も聴きたい。奉納演奏や芸妓仕事はお家の仕事?」
「はい。今夜はどこに宿泊予定ですか? まだ決まっていなければここも候補に入れて下さい」
芸妓仕事は自分のお金稼ぎで、奉納演奏は漁師達から農林水省で直接私に依頼だけどこの返事でいいや。
「親しくなかったけどそういう事を言いそうな気がしていたからまだ宿は決めてない。三区花街の茶屋で遊ぶとか、顔が好みの火消しに色目を使って遊ぶのもありなんたけどね。火消しってお金を払って遊ぶ感覚がないじゃない? 私みたいな教養ありも興味無い人種だし」
「アイナさんは今のこの太夫ではありませんという感じで待ち合わせ茶屋遊びをするらしいですからね……」
「だって、顔良し体良しの若い男は客として中々来ないじゃない。リュヤは激務で来ないしつまらない」
ネビーとキスは嬉しいけど、誰かとキスそのものが良い訳ではないからアイナのこの感じは私には分からない感覚の持ち主だ。
私にとってのネビーが沢山いるってことかな、と考えると前よりは少し理解出来る。
「ここには居る? 顔良し体良しの若い男。ウィオラの男も顔は好みじゃないけど浮絵兵官なら体が良さそう。居なくて残念」
「ネ、ネビーさんには触らないで下さい! 彼も触りませんけど……」
「まっ。ウィオラの縄張りで男食いはしないわよ。っという訳で火消し漁りに行きましょう」
立ち上がったアイナにほらほら、と手招きされた。
「この地域管轄のハ組はネビーさんの幼馴染達が居ますのでおやめ下さい」
「冗談よ。相変わらず小太りだから甘味処をもう把握しているでしょう? 教えて頂戴」
私は小太りだけど一般的な小太りなのでこれに関しては言い返さない。
「それでしたら出掛けます」
「小間使いとして連れてきた遣り手がいて宿探しをさせてる。二刻後にここに一番近かった立ち乗り馬車の停留所で待ち合わせ」
一人で来た訳ではないのか。
「知り合いの老舗旅館はどうですか? 歩くと一刻半くらいかかりますけど良い宿です。明日一緒に海へ行くのに海辺街行きの立ち乗り馬車の停留所もすぐ側です」
「ここに泊まることにするから停留所に文をくくって放置するわ。元々そのつもりなの。私の財布を当てにしていた気がするけどムカつく女だから置き去りの予定。明日の夜に帰るって言ってあるし私の性格を知っているからどうにかするでしょう」
ニヤニヤ笑って愉快そう。どの遣り手なのか私が辞めた後に入った新人なのか知らないけど太夫か彼女の遊楽女に何かしたのだろう。
「意地悪したら可哀想です。でもお店で何があったか分からないのでその遣り手も庇えません。しっかり停留所に伝言を残しましょう」
「相変わらず良い子ちゃんぶっているわね。このぶりっ子」
「泊まるならあんみつはアイナさんにご馳走になります。夕食はお店で折半で食べるか我が家で食べるかどうしますか? 我が家ならお代はいただきます」
「あら、作ってくれるの?」
「毎日ネビーさんのお母様と作っています。本物の家事を毎日勉強中です」
「へぇ。その見学をしようかしら。面白そう」
一番近い立ち乗り馬車の停留所付近に同僚のおすすめのさらら屋があってまだ行ったことがないからそこにしよう。
業務上の会話とたまに皮肉や揶揄いを言われるくらいだった太夫とこの感じって友人みたい。
部屋を出たら祖父はエルと合間机でご近所さんと喋りながら飲みつつ縫い物をしていた。
雲が多くて今も太陽が隠れているけど暑いのに完全に日陰の部屋の中でしないのはなぜなのかやはり謎。
笠を被っていれば部屋の中と同じって言っていたけど違う気がする。
「友人と茶屋へ行ってきます。お母様、彼女は今夜泊まりますので夕食を一人分増やしたいです。不足の食材があれば買ってきます。夕食作りに私は参加します。彼女は見学するそうです」
「ユラさんの時みたいってこと。まだ主食は決めてなかったから魚屋で好きなものを買ってきてくれますか?」
「はい。分かりました」
「急な来訪なのにありがとうございます」
「おじい様。明日はアイナさんも一緒に海辺街へ行きます」
「そうかそうか。ごゆっくりどうぞ」
出掛けようと思ったけどここが観光地のようだと説明していないので説明すると告げて畑の方に移動しようとしたら断られた。
「ユラに聞いたから良いわよ。相変わらず頭が狂ってるって言ってたわ。私は三区一番地のボロ長屋育ちだけどそことは雰囲気が違う」
「アイナさんはそうなのですか。花街生まれとか王都街外の農村区育ちとか嘘つきですね」
「嘘つきに嘘つきって言われたくないわよ。まぁ、嘘つきしかいないしね。あの街もあんたからしたら観光地だったでしょうね。そしてここは私からしたらわりと観光地。珍獣たぬきがいるからねぇ」
アイナにたぬきと言われたのは初めてだ。土手に上がる階段へ向かいながら「私がたぬきならアイナさんは狐ですね」とやり返し。
「玉藻前のようだってこと。ありがとうございます」
「ウィオラ先生」
ロカの声、と思って振り返ったら試験勉強に勤しんでいた彼女だった。
「ロカさん、どうしました?」
「あらぁ。あらあら。このお嬢様はあの男の妹? かなり似ているからそうよね。子どもにしては大きいもの」
「ロカさん。こちらはユラと同じ職場のアイナさんです。遊びに来てくれました。アイナさん、ネビーさんの妹さんのロカさんです。私が働く女学校に通っています」
「……あの。私はお嬢様ではないです」
「私が決めたからあなたはお嬢様。私の基準は私しか決められないのよ」
アイナはユラのように猫被りをして距離を保って素っ気ないけどそこそこ愛想良し、ではなくて気ままに過ごすようで扇子を出してロカの頬を軽く叩いた。
「あの、ウィオラ先生と呼び止めましたけどお友達に用です」
「何かしら?」
「ユラさんは元気ですか?」
「ああ。忘れてた。あなたがウィオラのリスね。確かにリス顔」
アイナは斜めがけの鞄から手紙を数通出して私とロカに渡した。
私がユラに送った手紙の封筒にロカも手紙を入れたけど手渡しだから別々に返事をくれたようだ。
「……。ユラさんに皮肉屋猫って言うておいて下さい」
「ええ。性悪高飛車皮肉屋猫って言っておく」
「そこまで言うていません」
「あなたは……不細工なようで愛くるしい中途半端リスね。このたぬきちゃんの仲間。地味好きは喜ぶお顔」
「……。ウィオラ先生。魚屋へ行ったらルルの分もお願いします。お母さんが言わないと忘れているかもって」
「覚えていましたけど先月うっかりしたのでその通りです。ありがとうございます」
「アイナさん。ユラさんみたいに踊れるなら先生と踊って欲しいです。先月、芸妓さんって凄いって思いました。私は代わりに……なんだろう。ラルスさんが演奏するから私は歌います」
「そう? 考えとく。夜、涼しかったらね」
「はい。暑かったら誰だって嫌です」
私とアイナはロカに別れを告げて土手に上がった。
「私は芸妓さんなのね。あのお母様は例の仕事、と言ったけどあの宴席が出会いって上手く誤魔化して話したの?」
「何も誤魔化していません。縁談用にしっかり調べたら分かることですから。ご家族の成人組にはありのままを伝えてあります」
「へぇ。あのリス娘は未成年だろうから知らないってこと」
「ロカさんには元服したら話すとご家族が決めています。花街の本当の中身や色話をあれこれまだ知りませんから。偏見や捻じ曲がった噂は嫌なので家族以外には前職は一区の芸妓と言っています」
「あのリス、お嬢様ではないってやっぱり箱入りお嬢様じゃない。こっちは耳年増のかまとと偽物お嬢様。ウィオラの元同僚だから私はお嬢様芸妓ってこと」
「ええ」
「私とあんたはお嬢様とお嬢様で友人。友人って何よ。あんたと友人になった記憶は全く無いわ。ふふっ。外街で遊んでみようなんて初めて思った」
彼女は後ろ向きになって後ろで手を組んだ私と雑談を始めた。
このようなアイナを私は知らなくて、なんとなく彼女は自分は自由だと喜んでいる気がした。




