デート6
「——さん? ネビーさん?」
「えっ。ああ。少しぼんやりしていました」
並んでいる売り物の花火を眺めていたら、詳しいことは全然思い出せないけど眩しかった牡丹花火や花咲花火と笑顔の口元が蘇ってぼんやりしてしまった。
(何を話しながら花火をしたのか覚えていないし顔もイマイチ。口元はなんか思い出した……やっぱり少し似てるかも。元々の好みの口元もこれ系だしな)
俺の目から見て色っぽく見える唇に弱いのは十年よりももっと前からだから好みはずっと変化していないってこと。
(ウィオラさんと見る花咲花火や牡丹花火はあの夜以上に輝いて見えるのか?)
気になるので購入するのは牡丹花火一本と花咲花火二本に決定。
「縁起数字で三本です。白藤を見た河原でしませんか? あそこ。夏はどういう景色になるのか気になります」
「そうしたいですが火が無いです」
「近いからデオン先生のところで借ります。あっ。少し稽古に参加させてもらえないかな。祝日は日によって休みだから稽古日か分からないですけど。分からない。こんなこと無かったのに」
「あっ。ネビーさん。大切な陽舞伎があります」
「ええ。なのでその後にです」
昼からずっと一緒なのに夕暮れの中を一緒に歩けて夜は共に家に帰宅とはとても幸せだ。
『ただ逆もあるかもしれません。俺の知らない何もかも捨ててもどうしてもこの人という気持ちを明日知るかも。気持ちが変わったらまた自分はどうするか考えます』
ぼんやりしたからかしょうもない過去の自分の台詞が蘇って嫌な気分になってきた。
この台詞を言ったのかあやふやだけど似たようなことを言った記憶はしっかりある。
(逆もあるどころかお前は嫌だって投げ捨てて踏み潰した。あの時しっかりキッパリ線を引いてこういうバカなことを言わなかったら……)
比較対象が居なかった期間はこのように思い出すことはあまり無かったのにまた自己嫌悪が押し寄せてくる。
(いいや。あの時の男と結婚しておしどり夫婦らしいから気にしない。俺は説教された通り同じ失敗はしてない! だからウィオラさんに袖振りされない。大丈夫。今日、楽しそうにしてくれているから大丈夫)
後悔どうこうではなくて、とにかくウィオラに去らないでもらいたいという気持ちが強いのだろう。
(何もかも捨ててもどうしてもこの人……)
ウィオラを上から下まで眺めてその通りだなと自分の気持ちを再確認。
権力を振りかざす、みたいな事は大嫌いだけど彼女のためなら使えるものは何でも使うと暴れたし絶対に家族優先という意思も破棄した。
「疲れました?」
「えっ。ああ。俺がぼんやりしているうちに買ったんですね。払います」
「それなら三本分だけ下さい。帰ったら皆でしたいので少々無駄遣いしました。いえ。きっと楽しいので無駄なお金ではないです。今月の私の予算はかなり余っていますので何か欲しいものはありますか?」
「ウィオラさん」
さすがにこれはバカな事を口にしたと慌てて「の作ったおむすび」と続ける。
何もいらないから思っていたのと違いますとか嫌いになりました、と去らないで欲しい。
日に日に気持ちが増しているから袖振りされたら引きこもりで済むとは思えない。
「ふふっ。ありがとうございます。それはいつも作っています。また煮蛤……は今は蛤は売っていないので一座へ向かいながら魚屋を覗きますか」
「ええ。ありがとうございます」
欲しいものは特にないと思ったのに歩いていたらフッと頭に浮かんだ。
「たぬき」
「えっ?」
「うさぎの落雁があるならたぬきはないですかね」
「……なぜたぬきなのですか?」
「ウィオラさんがたぬきっぽいので」
「……それをどうするのですか?」
「ウィオラさんだなぁ、と思いながら仕事中の疲れて小腹が空いている時に食べます」
「もうっ! ネビーさんのご友人が噂のたぬきお嫁様とかたぬきさんと呼ぶんですよ!」
「おお。なんかかわゆかったのでもう一度」
頬を膨らませて上目遣いで睨みは怖いのとは真逆で単にかわゆいだけだった。
「ふざけないで下さい」
「俺のことをリスみたいだと思ったから簪を見ていたんですよね。あっ。西瓜と思っていたけど今月の机飾りはリスとたぬきかなぁ」
「まあ、はい。私はたぬきで良いです」
「たぬきはかわゆいのに何が不満なんですか。しかも財産の副神様ですよ。昔はたぬきを見かけると金を稼げるようになりますようにって拝んでいました」
「そうなのですか」
「たぬさん、たぬさん。たぬきの絵飴はないですかね?」
飴屋を発見したのでウィオラを手招きしてお店に近寄る。
もちちというあだ名にたぬさん、たぬき、たぬあたりも追加しよう。いちいち反応するから愉快で楽しくてかわゆい。
(これも口説きっていうか知らないけど堂々と出掛けて制限なく色々話せるってやっぱり楽しいし嬉しい)
終わりが決まっている踏み込んではいけないコソコソ密会では恋穴落ちはしない、と思っていたけど実際は浅いところにはまっているのに自覚無しだったと最近判明。
しかし堂々とお出掛けしない限り深みにはハマらないから、許可を得て一回くらい街中を付き添い付きで散歩したいという願望は本質をついていたってこと。縁がなかったしお互い縁を結ぶ気がなかったとよく分かる。
「リスの絵飴はないですかね」
「欲しいのはたぬきですたぬき」
「リスです」
「たぬきです」
「実演して売ろうと思っていたんですけどたぬきなら出来そうなので作りましょうか? 全部とは言いませんが必ず買って下さい。切るとこのくらいの大きさになります」
「おお。小さくて丁度よかです。必ず買います」
絵飴作りの実演をしますよー! という呼び込みが始まって子どもを中心に人が集まってきたので子どもに場所を譲って見学。
(懐かしい。買えないけどって思いながら見て楽しんでたな)
記憶にある子どもの頃よりも、買えるようになってルル達に贈るのに買った時よりも値段が下がっているのは材料費が安くなったってことか?
昨年東側に属国が増えたことと関係あるかもしれない。
「さあさあ、こうして出来た絵はなんでしょう!」
あれだ、これだと子どもがワイワイ言い始めたけどたぬきという単語は出てこなくてどんぐりが多い。
「切ったらこのとおり、たぬきだ! たぬきは他人よりも抜きんでますようにとお金を増やしてくれたり出世したり賢くなる縁起物だよ! 欲しい人はいるかい?」
買うと約束したし仕事中に「ウィオラさんだなぁ」とニヤニヤしたいから軽く手を上げて日持ちを確認して長い期間大丈夫だというので二日に一回の計算でニヶ月分購入して歩き出した。
「これでしばらくウィオラさんだらけです。東地区でも安心です」
「そう言われたら……あっ。似顔絵屋さんをこの辺りで見た事はありますか?」
「いえ、無いです。そうか。絵ですか。俺の浮絵を売ってる店に似顔絵を描ける絵師はいないか確認します。いえ、むしろ確認してくれると助かります。そうか、絵かぁ」
「我が家には家族の肖像画があります」
「肖像画は金持ちの印象です。そういうお金の使い方もあったか。出張は無くならない人生の予定なので持ち歩ける大きさできちんと似ている絵が欲しいです」
「私もです。ネビーさんの浮絵は似てないですよね。ついていける時は三味線を担いでついていきます」
「あはは。稼ぎそう。お願いします」
時間よりも早く一座に到着したけど指定席でもう入れるというので中に入って席の座布団にあぐらでまったり。
厠にいけるしのんびりしていられるけど外と違って風がないから少々暑いような、日差しがないからそうでもないような。
「イノハの白兎が気になっていたけど調べる余裕がなくてウィオラさんやロカからもまだ教わっていなかったら今日の演目でした」
「この客層ですと恋話中心ではなくて子ども向けの道徳話寄りようです。同じ話でも舞台は色々作りようがあります」
話しているうちに客席の光苔の灯籠や提灯が減らされていって薄暗くなった。
「そういえば俺は初陽舞妓です。招待券は家族に回してたんで。親孝行や意匠考案に妹バカとかで」
「まあ。そうなのですか。東地区の勤務で休みが取れたら輝き屋にご招待します。お父様の演奏を聴いていただきたいですしウェイスは演者も奏者も少し出ていますから」
「ウィオラさんが実家に帰る期間に合わせて休みます。八月もおそらく休みは二日なので」
かなり暗いから良いかな、と思ってウィオラの手を取ったら拒否されなかった。
少しして開幕したので周りやウィオラに合わせて拍手を送ったけどそれより俺は彼女に触れていたいからすぐ手繋ぎに戻した。
ユルルングル霊峰に住う副神様達は海辺の街に美しい歌や演奏をする若い娘がいるという噂を聞いたので人の姿になって地上へ遊びに降りた。
未熟でまだまだ幼いと言われた子どもの姿にしかなれなかった末の副神様は兄達の荷物持ちをしていたのもあって遅れてしまう。
兄副神様たちがイノハ岬を通りかかった時、体の皮を剥かれて泣いている一匹の兎を発見。
その兎は悪知恵を働いた結果こうなったと知っていたので海水を浴びて風にあたると良いと嘘をつく。
兎は騙されていると知らずに言われるまま海へ飛び込み、風当たりの良い丘の上で風に吹かれた結果、海水が乾いて傷がもっとひどくヒリヒリ痛んでしまった。
(悪さをすると怪我をするし副神様にも見放されるってことか)
演奏付きで歌うような台詞で踊るような大袈裟な動きやピタッと静止したり客席に続く舞台もあるので面白い。
(立見は安くて貧乏時代でも無理したら一人くらいなんとか、くらいだったけど五人もいたからな)
前よりも苦しくなって泣いている兎のところに後から来た末の副神様がやってきて、どうして泣いているのか理由を尋ねるとその兎はこう話した。
『島に住んでいたのですが、一度島から国へ渡ってみたいと思って泳がないで渡る方法を考えました。
するとそこにサメがきたので彼らを利用しようと考えました。私はワニに自分の仲間とどっちが多いかくらべっこしようと話をもちかけました。
サメたちは私の言うとおりに背中を並べはじめて、私は数を数えるふりをしながら向こうの岸まで渡りました。
しかし、もう少しというところで私はうまく騙せたことが嬉しくなって騙したことを言ってしまいサメを怒らせました。
サメは仕返しだと私の皮を剥いだのです。私が痛くて泣いていると先程ここを通った人間達が、海に浸かって風で乾かすと良いと言ったのでそうしたらこのように前よりももっと痛くなったのです』
(おお。サメ役の役者だらけから兎役が逃げるのがやたら面白かった)
子どもが夢中という様子ので甥っ子姪っ子達に見せたくなるから観劇券を買って帰るのはアリだなと口元が綻ぶ。
可哀想に、と末の副神様は兎に新緑色の薬を差し出して、サメを騙した罰だから痛むけど良くなるから反省しなさい、悪さをしないようにと言ってから兎を手当をした。
痛くて痛くて泣く兎の耳を末の副神様がお説教をして、辛くても聞きなさいと耳を引っ張る。
『いよお、兎の耳はこうして伸びた!』
(あはは。そう思ったら合いの手が入った。耳が痛い話こそ役に立つから聞きなさいという話でもあるんだろうな)
そのうち治ると末の副神に言われた兎が痛くて泣いていると海辺街の乙女が助けて優しく看病した。
ここで前半は終わりで幕が降りて休憩時間だというお知らせがされた。
「今のところは道徳話ですね」
「ええ。前半をここまで引き伸ばしているのでやはり子ども向けです。一番の笑いどころはサメの場面でしたから一人で再現は難しい……あっ。皆さんはサメ役ですよって乗せます」
「自分がすることを考えて観ていたんですか」
「ええ、つい」
「恋話だとここまでは短いんですか?」
「ええ。前半の最後に現れた乙女と末の副神様が主役になりますのでこう、末の福神様が最初に登場する場面が煌びやかだったり乙女も初登場場面で舞ったりします」
「ウィオラさんはその乙女の舞を出来る、と」
「イノハの白兎は練習したことが無いです。あの街で人気の演目ではなくて輝き屋の看板演目でもありませんでしたから」
それは残念だけど他の演目を事前に勉強して特定の場面を独占は優越感と幸福感で満たされそう。
「明日、素振りを見せたら今度何か舞を見せてくれますか?」
また独占したいです、と耳元で囁いたら返事はないけど手をぎゅっと握り返されて小さく頷かれた。
その後はお互いなんとなく無言で握っている手に力を入れたり緩めたり。
(暗いしコソッとなら……。無理だな。言えねぇ。愛とか言えるか! 好きでさえ難しいのに言えるか!)
なのになぜ俺は街中で言おうと挑戦したのだろう。小神社で失敗して街中でも失敗してもう心が折れた。
(だから龍歌作りになるってこと。試験勉強後はひたすら教養増やしだな。勉強って普通に面白いし)
後半の幕が上がって兎の怪我は治ったけど毛なしの丸裸状態。その姿を見た人間達は醜い姿だと言うのに乙女は愛くるしいし働きものだから兎を可愛がって家に住まわせ続けた。
好きに生きると良いけど、何も悪くないのに虐められるようだから私の家だと安心ですよ、と乙女は兎をいつも守った。
兎にどんどん白いふわふわの毛が生えて美しくなっていくし、耳が大きい兎は珍しいから欲しい欲しいとあちこちから言われる。
(おお、掌返し)
しかし白兎は乙女から離れない。怪我を無視した人間達も醜い自分を嫌がった人間達も知っているから当然だな、とだんだん物語に没入していく。
(この兎が乙女と末の副神様を縁結び……。白兎の立場からしたらそうしたくなるな)
サメを騙したことを反省して、先に与えられたのだからもう悪さをしないように。
乙女を見に来た末の副神様は一緒にいた白兎にこう告げた。
(白兎はこの末の福神様と乙女を結びつけるために黄色い結良花を使う……。ユラさんはあの兎に少し境遇が似ているな。悪さはしているのかしていないのか知らないけど……)
乙女にお礼をしたいのに何も出来ないし迷惑ばかりかけていると嘆く白兎に、末の副神様は身寄りのない乙女の側にいるだけで喜ばれているだろうし、気になるならその良く聞こえる耳で助けてあげなさい。きっと役に立つ時が来るから決して離れないと良いと教えた。誰かを守ることは近くにいないと無理である、と。
(近くにいないと……無理……。出張したくない! ウィオラさんは大丈夫か? 大丈夫か。ラルスさんがいて殆ど会えなかった五月や六月と似たようなものだ)
しかし少し胸に引っかかる。その時足首に巻きついている海蛇が動いた感覚がしてその後は軽く甘噛みされたのでチラリと確認。
(目が赤い……)
ウィオラに危険? と思ったら彼女は「痛っ」と小さな声を出した。
「すみません」
「いえ。愛くるしいお子さんですね。りぼんが気になったのかな?」
後ろの席の幼い子どもがウィオラの髪を引っ張ったようだ。
……。
「ウィオラさん。やり返して下さい。護衛が怒っています」
「へっ?」
ウィオラ担当の海蛇がどこにいるか分からないけど俺と一緒にいる海蛇はまだ俺の足を甘噛みしているのでウィオラにコソッと見せた。
「目が赤いから怒っています」
「あ、あの。あの! すみません。痛かったです。痛かったので……こらっ。めっ、ですよ。髪は引っ張ると痛いです」
ウィオラは慌てた様子で振り返ってオロオロしながら軽く子どもの髪を軽く引っ張った。海蛇の目はまだ赤くて怒っている。
「もしかして見えなかったのかな? 少し避けましょうか」
もっとやり返さないといけないのか?
危険から遠ざけろってことか? と思いながらウィオラを引き寄せて指定席内の端へズレた。
「あらやだ。すみません。髪飾りまで落としたようで」
「いえ、気がついてくださりありがとうございます」
「このおねえのかみ、かわゆいからまねしたい」
「かわゆいとはありがとうございます。それなら後でお母様に結い方を教えますね」
母親が髪飾りを拾ってウィオラに渡すと海蛇の瞳はサァっと青くなりまぶたも閉じた。
(今のやり取りで敵対してないって分かったのか?)
子どもが髪を引っ張っただけで怒るとはかなり過保護である。
(わりと俺に任せるみたいな話だったよな……。俺が居なかったら即報復? 今の子どもはどうなっていたんだ⁈)
秘密の海蛇がいて楽しいな、という感じで過ごしていたのに急に背筋が冷えてきた。
(俺はわりと本能人間。近くにいないと守れない、の時に引っかかったのはこれだ。海蛇の許容範囲を調べて対策しないと出張中は危ない)
知れて良かったと冷や汗を扇子で扇ぐ。
気がついたら白兎は嵐が来ると乙女に伝えていた。
すると乙女は嵐なんて皆が危険だと伝えて回って——……。
(ちょっと待った! 波に飲まれた。嘘だろう)
これは創作物だからきっとこの乙女は助かるだろう、と思っていたら白兎がかつて騙したサメが無事救助たので安堵。
(助けを求める白兎は迫真だったな。子どもの声援が凄かった。間があって終わりかと思ったらワッてサメ役)
お説教をしっかり聞いて、白兎が謝って、末の副神様がサメに白兎はずっと反省して己を変えたと話していたからだとサメが助けた乙女を船を漕ぐ青年がさらに助ける。
(ほうほう。末の福神様は子どもの姿だったけどあの青年は末の副神様。やはり道徳話だな)
耳が少し痛くなって胸もギュッと苦しくなった。
逃げて欲しいのにまた逃げなかった。
——はいつも逃げない。
(ん? 誰だ? 誰は逃げないんだ?)
乙女の忠告を聞かずに嘘だと思った人は亡くなって、信じたものは丘の上へ行って津波から逃れることが出来たと物語は幕を下ろした。
拍手を送りながら先程の不思議な感覚に対して少々首を捻る。
「時に騙されるけど信じることも大切という話で誰の話を信じるかは相手を良く見なさいってことですね」
「ええ。そうですね。やはり恋話は無い舞台でした。夜の部だと違うのか気になります」
「そう言われると気になります。同じ話でもそうな風に変わるんですね」
「ええ。一つの原典から様々な話が作られます。初陽舞伎はどうでした?」
「とても楽しかったです。立見や末席なら沢山行けそうなので時間に余裕が出来たらまた一緒になにか観たいです。招待券を自力確保をしますし輝き屋もなんとかして行かないと」
「それなら共通の趣味になりそうなので嬉しいです」
これでまだ一日が終わらないって素晴らし過ぎやしないか?




