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イズルハの実

 エルフの女王フェルレットは、香草茶、ハーブティーにたっぷりの砂糖を入れるとそれを優雅にかき回す。小指を立てて飲むのはどこか優雅であった。


 一方、魔王様は茶碗を持つかのように両手で飲む。前世の癖であろうか。


 茶の湯にも通じている人だから、なにか信念のようなものがあるのかもしれない。

 サティの方は極々普通に飲んでいた。

 皆大量に砂糖を入れている。やはり女性は甘いものが好きなのだろう。

 いや、男の方が苦手と表現すべきか。

 なんでも男の舌は敏感で、甘いものがより甘く感じてしまうらしい。

 だから女性にとってほどよい甘さの飲み物でも、男性には甘すぎるのだ。

 ちなみに俺もその典型例で、あまり甘い飲み物は好きではなかった。


 俺たちは、フェルレットの部下たちが、件の果実、「イズルハの実」、地竜の雌竜が発するフェロモンと同じ匂いの果実が集まるまで、茶飲み話をしながら過ごした。


 その間、紅茶を10杯、俺は砂糖を10杯使用し、彼女たちはその数倍の量を消費していた。


 見ているだけで胸焼けするが、仮面越しからは表情が見られない。

 フェルレットは気にすることなく、砂糖を大量に消費しながら尋ねてきた。


「ところでアイク様、アネモネの様子はどうでしょうか?」


「どうでしょうか、と問われましても。というか、アネモネは豆に筆を執り、フェルレット様に手紙を送っているようですが」


「アネモネは、新しく目にしたものや、珍しいもの、それにアイク様のことしか手紙に書かないのです。要は自慢話ですね。ちゃんとやっているか心配で」

「ちゃんとやっていますよ」


「あの子は戦力として役に立っていますか? アイク様たちにご迷惑をおかけしていませんか?」


「まさか。とんでもない。この前もゼノビアに向かった際、大海蛇退治に一役買ってくれました。また今回の作戦でも彼女には重責をになって貰うつもりでいます」

「重責? ですか?」


「ええ、エルフたちの力、水の精霊、ウィンディーネの力を貸して貰おうと思っています」


「なるほど、ウィンディーネでどうやって地竜を倒すかは検討もつきませんが、アイク様ならばきっと奇想奇天烈な作戦で地竜と諸王同盟を追い払ってくれるのでしょうね」


 フェルレットは穏やかな笑みをたずさえながら言った。


「毎回、奇略を強要されるのも困りますけどね」


 俺は返答する。


「といいますと?」


 横で紅茶を飲んでいる少女をちらりと見ると言った。


「俺の尊敬している武将に、織田信長、という人がいます」


「オダノブナガですか?」


 聞いたことがない名前ですね、フェルレットは首をかしげる。


「遙か東方の島国の武将ですよ。遙か遙か東のね」


 そう言うと、本人の様子を見るため、魔王様の顔を見たが、彼女は眉ひとつ動かさず、紅茶を飲んでいた。


 この辺はさすがに大物ぶりを感じる。俺は気にすることなく、フェルレットに続きを話す。


「彼……、いえ、彼女は、戦乱の渦に巻き込まれていたヒノモトという国を、たったの一代で平定し、戦国の世に終わりを告げさせました」


「すごいお方なのですね」


「ええ、まあ。世界史的には過小評価されている人物ですが」


 現代でも織田信長よりも江戸時代を築き上げた徳川家康の方が海外では有名だ。


 数百年に及ぶ動乱を沈めた人物よりも、数百年に渡って太平の世を維持した人物の方が評価されてしかるべきだとは思うが、今現在、彼女の部下として奮闘している身としては寂しくもある。


「織田信長という人物は、とある地方領主の嫡男として生まれましたが、その人生は楽なものではありませんでした。領国はいくつもの分家が乱立し、実の弟さえも己に牙を剥く。そんな状況だったのです」


「まさしく戦国の世ですね」


「はい、しかし、信長という人物はそんな中でも家中を統一し、一国の領主として頭角を現します。順調に足下を固め、天下に勇躍する機会をうかがっていたのです。しかし、そんなさなか、ある日、隣国から大軍が押し寄せます」


「大軍、ですか?」


「はい。その数は25000」


「まあ、そんなにも。ちなみにその織田信長という人はどれくらいの軍を持っていたのですか?」


「2000です」


「それでは十倍以上の差があったのですね」


「ええ、でも、信長という人はその2000の兵で、敵の大将に奇襲を仕掛け、見事敵を打ち破り、天下にその名を轟かせます」


「それはすごいです」


「ええ、すごいです。信長という人物がすごいところは、無能な大将が率いる25000の敵軍を打ち破ったのではなく、有能な大将が率いる敵軍25000を打ち破ったところにあります」


「敵の大将は有能だったのですか?」


「有能です。少なくとも無能ではない。彼は海東一の弓取りと呼ばれていました」


「カイドウイチノ弓取り?」


「強い武将に与えられる呼称です。彼の名は今川義元。彼の恐ろしいところは、卓越した戦略家でもあったところです」


 俺はそこで一呼吸置くと、紅茶で喉を潤し、話を続ける。


「彼は長年の仇敵である、北の甲斐の武田氏、それに東の相模の北条氏と同盟を結びます。ちなみに南は海です。西には織田しかいません。つまり、領国にいる全兵力を織田に傾けることができたのです」


「その時点で戦略的には完勝していた、というわけですね」


「ええ、彼はまず完全に勝利を決めてから織田信長に挑んだのです」


 まず勝ちて、しかるのちに戦う。


 今川義元という人は完全に兵法にのっとった戦いをした。


「しかし、今川義元は敗れ、織田信長は勝った。敵の大将が無能だからでなく、自身がそれ以上に有能だったからです。それを証拠に、織田信長という人物は、自分よりも多数の軍と戦ったのはたったの一回だけです」


「たったの一回……」


「桶狭間との戦いと呼ばれたその戦い以後、彼女は必ず相手よりも多くの兵を用意し、相手を粉砕しました。兵法の常道にそったのです」


 事実、織田信長という人は、桶狭間以後、軍事的な冒険は一切しなかった。

 常に相手よりも多くの兵を用意した。

 常に兵站に気を配り、自軍を飢えさせなかった。

 そこにこそ彼女の価値があり、指導者としての資質があった。

 歴史の教科書には載せられないが、彼女は戦がそれほど上手ではない。

 陣頭に立てば必ず勝つイメージがあるが、歴史を調べれば、結構負けている。

 だが、一度負けても、二度目、三度目では必ず勝つ。


 戦略的に有利な状況を作り出し、一度や二度の敗北など苦にしない状況にしてから相手に攻め込むからだ。


 それが名将の条件というものだった。

 少数の兵で相手を打ち破る。


 それは戦術家にとって、兵を率いる人間にとって、快感と愉悦に満ちた誘惑であったが、それに取憑かれた時点で、その人物は指揮官として破滅する、そう思っていた。


「ならば今回、大軍を用意して地竜と諸王同盟に挑むのですね」


 フェルレットはそう尋ねてくるが、俺は首を横に振る。


「いえ、今回は我が第8軍団のみでことに当たります」


 フェルレットは目をぱちくりとさせる。


 言ってることとやっていることが別ではないか、そんな表情をしていたが、俺は苦笑いを漏らす。


「我が魔王軍の兵は潤沢ではないのです。ですが、その分、頭を使って勝たせて貰いますよ。ただ、必ず必勝の策を考えてから軍を動かします」


「まず勝ちて、しかるのちに戦う、というわけですね」


「そのとおりです」


 それが2000の将兵の命を預かる軍団長のつとめですから、と笑った。

 フェルレットもそれに釣られて笑ってくれたが、こう付け加えた。


「信長という方は寡兵で大軍を破ったのは一度だけ。でも、アイク様は何度もやってこられました。もしかしたら武将としての資質はアイク様の方が上なのではないですか?」


 フェルレットは冗談めかしてそう言った。

 俺は魔王様の方をちらりと見つめる。

 彼女はティーカップに残った紅茶を飲み終えると、初めて発言をした。


「さて、余はそのノブナガなる人物のことはよく知らないが、その人物がここにいたらこういうであろうな――」


 魔王様はそこで言葉をとめると、こう締めくくった。



「魔王軍最強の魔術師アイク。その知勇は魔族一、その忠義も魔族一、と」



 彼女はそう断言すると、おもむろに立ち上がった。


「それでは、魔族一の名将アイクに見せて貰おうか。そのオダノブナガよりも優れた知略によって生み出される奇跡を」


 彼女がそう言うと、丁度、フェルレットの侍女が現れた。

 彼女は『「イズルハの実」』が揃った旨を女王に伝える。

 フェルレットは残念そうな顔をする。


 まだまだ俺と話していたい、そんなだだをこねるが、結局、立ち上がると手を差し出してこう言ってくれた。



「ご武運、お祈りしています」



 心遣い感謝します。そう言った意味を込めて手を握り返す。

 森の女王の手のひらは、絹のように繊細でなめらかだった。

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