7-3.胸つつまし師弟の逆襲(接触編)
前回竜の分身がしつこいので根負けして迷宮へ行きました。迷宮には温泉があったので温泉に入りました。すると、そのせいで女たちが敵になってしまったのです。あまりに理不尽な仕打ちに主人公は家出してしまいました。先代勇者で神様が温泉に入って家出する。なんて残念なお話なのでしょう!
そして、そのピンチを乗り越えつつ、巨乳好き疑惑を晴らさなければならないのです。とても難易度が高いのです。
あまりの酷い仕打ちに、こんな生活が心底嫌になって、俺は遂に、女達の元から脱走した。
とりあえず10分くらい頑張って走る。
たぶん、既に俺が逃走したことは気付かれてるだろうが、これだけ走ればしばらくは追い付かれない。
俺は脱走が良くないことだとは思っている。
だが、俺にも我慢の限度というものがある。
俺は、悪いことをして責められるのは仕方が無いと思うが、何も悪くないのに責められると、理不尽に感じる。
明確に規定されているかは別として、この世界にも、過失割合の考え方自体は存在すると思うのだ。
予期できることに対して、対策が足りなければ過失になる。
だが、予期できないことに対して対策ができていなくても仕方がない。
誰かが損害を受けたのであれば、俺がその補填をしなければならないこともあるかもしれない。
だが俺は、今回の件に関しては、悪いことをしたと思っていない。
俺は、自称”竜の分身”がしつこいので、仕方無く”竜の迷宮”に行った。
その割には暇だし、ボス部屋に温泉があったから入った。
そしたら”竜の分身”も温泉に入ってきて、そいつの胸がでかかった。
ただ、それだけのことで、誰も損害など受けていないし、俺は予期できなかっただけで、対策を怠ったわけでは無い。
なのに、俺はあまりにも理不尽な仕打ちを受けた。
あいつが温泉に入ることも想定外だったが、入ったからと言って何があるわけもなく、”竜の分身”の胸の大きさなんて、俺が決めるわけじゃない。
そもそも、俺は特別”巨乳好き”でもない。
俺が被害者であって、あいつらは被害者でも何でもないと思うのだ。
…………
とは言え、脱走したのは良いものの、行くあてが無い。
”ディアガルド”のとこなら、誰も入ってこられない。
が、あそこに自分から行くと、何かフラグが立ちそうだ。
あまり行く気にならない。
せめてイグニスが、もうちょっと話のできる相手なら、いろいろ聞くついでに行くのもアリだが、イグニスは言葉は話せるが、意思疎通はイマイチ……基本的にあんまり会話が成立しない相手だ。
下手に話をすると、俺が話した内容はスルーされて、変な勘違いで”竜の国”に連れてかれそうだ。
ダルガンイストは、リーディアの勢力圏で即発見、報告されるだろう。
トート森でも俺は有名人だし、隠れる場所が無い。
すぐに見つかってしまう。
……となると、またタンガレアか……
何の準備もせずに出てきたので、子どもの小遣い程度の金しか持ってない。
金もそうだが、一番は盾を持ってこなかったのが痛い。
俺は何をするにも全部盾でやってたので、無いと不便で困る。
取りに戻るわけにも行かないし……
それはそうと、俺の巨乳好き疑惑は、なんとかしないとまずい。
俺は、”ペッタンコ”と”巨乳”の、どっちか片方だけを選べと言われたら、大きい方を選ぶかもしれないが、それは些細な差でしかない。
そもそも、この世界に来てからの俺は、純情少年かよ!と自分で突っ込み入れたくなるほど、女の裸に過剰に反応して、簡単にメーター振り切れるのだ。
だから大きくても、小さくても大差無い。
大きい方が困ることが多いが、単に、大きいと触れやすいから困ってるだけだ。
いや、小さいやつは、小さいやつで、服の隙間から”コンニチハ”しやすいので、むしろ危険なのだ。
不意打ちは、ダメージがでかい。
それに、同じ見るにしても、大きさよりは、”誰の”かというのが影響する。
今回の場合、相手はイグニスだったわけで、巨乳好き以前の問題だ。
イグニスは、そもそも、俺の中では”人間ではない何か”だ。眼中無い。
体は人間そっくりなので、反応はしてしまうが、エスティア達と比べて2段落ち(1/4)、いや、3段落ち(1/8)くらいだ。
見れて得したとも思わない。
イグニス自身、俺がイグニスの体に興味を持つかどうかなんてこと自体に興味が無いわけで。
そんなもので、巨乳好き判定受けるのもおかしいし、責められるのもおかしい。
俺は何にも得してない。
俺は全然悪いことをした気がしていない。
……………………
むなしい。
この歳で、乳の大きさの好みがどうとかで家出するほど追い込まれ……
行くあてもなく彷徨う……こんなどうでもよい戦いには飽きた。
”むせる”
俺は、この世界の人間ではない。
俺はここの人間とは種族が違う。生態が異なるのだ。
俺は一緒に年をとって寄り添いながら生きていく伴侶が欲しかった。
この世界では、俺の願いは叶わない。
俺はなんで、こんな世界に来てしまったのだろう?
でも、一人で生きていくのは寂しい。
なんなのだろうな、この中途半端な気持ちは。
誰にも会いたくないと思えたら、俺は平穏に過ごせそうな気がする。
……とか考えていたら、もう発見されたようだ。
気配察知に1人入ってきた。リーディアだ。
なぜ、俺の進路が分かったのだろうか?
……いや、おそらくは、リーディアは、俺が逃走したときから気付いていた。
一度別の方向に向かって、進路を誤魔化さなきゃならなかったか。
考えずに、直進してしまった。
馬で追ってきている。この地形では、馬からは逃げられない。
真面目に逃げれば、一時的には逃げられるが、現時点で俺がここに居ることに気付いているのであれば、リーディアの情報網から逃れるのは難しそうだ。
もう少し猶予が欲しかった。
逃げ切るのが難しいなら、次善の策。
リーディアが来たのは良い面もある。
あの場でまともなのは、リーディアだけだったので、リーディア1人の方が、話をするにも都合が良いかもしれない。
しばらく待っていると、リーディアが現れた。
「あなたの勇者を置いて、どこに行くつもりですか?」
言い返す。
「俺のじゃないだろ。現勇者だ」
もちろんリーディアは言い返してくる。
「イグニスが言っていた。神は勇者を持つものだと。
そして、私のことをトルテラの勇者と呼んだ」
そう言った後、キリっとすごい決め顔をした。
イラっとする。
ただ、その言葉は朧げにだが、俺も聞いた。
「確かに、俺の勇者って言ってたな」
リーディアが問う。
「なぜ、あなたの勇者だか、わかりますか?」
「俺が”勇者鎧”を渡す相手に選んだからだろ」と答えた。
「そう。たまたま私を選んだ。
私が勇者だから選ばれたのではない。
あなたが選んだから勇者になった」
以前から何度も聞いてる話だ。
「また、その話か」と言うと、
「いえ、”また”ではありません。つい先ほど知ったばかりですから」と答える。
確かに、リーディアとイグニスは、今日”肉体言語”で語り合っていた。
”肉体言語”。
直訳するとボディーランゲージになってしまい、あんまりカッコ良くないが、そういう意味ではない。
本気でぶつかり合うとき、言葉が無くても相手に意思が通じる。心が通じる。
武器越しに伝わる感情は、多くの場合、憎しみや、闘志、嫌悪、軽蔑といったもので、こういったものは押し返す。
ところが、逆に、同調を呼ぶことがある。
例えば、日頃、自分に合うレベルの相手に出会えない者同士が手合わせしたとき、お互いに相手を認め合った時、その技に集中するほどに同調することがある。
だいたい、脳筋同士は、命の取り合いが不要な場面で、武器を交わす機会が多い。
その場合は、一気に親交が芽生えたりする。
まあ、確かに、さっきも何故か和解していた気もする。
こいつらが乳を揺らしまくったせいで俺が酷い目に遭ったのだが!
まあ、何か新ネタがあるようだ。
イグニスは支離滅裂で、言語能力的には相当怪しいが、肉体言語でなら有用な情報を引き出すことができるのかもしれない。
「…………」
俺が黙っていると、リーディアは話を進める。
「勇者は神が選ぶもの。誰でも良いのです。
そして、神が勇者を決めるのは、勇者が必要なものだから」
そうだ。俺が分からないのはそれだ。
”大鎧の書”には、勇者のことが書かれている。だが、勇者のキーワードが唐突に出る。
人間側の都合では巨人を倒すために、勇者が必要だった。
ところが、(リーディアに倒させるのを失敗して)俺が巨人を倒してしまった。
人間側の都合では、2代目勇者は必要なかった。
大鎧の書には、勇者の記載があり、俺は実際に勇者を作ってしまった。
「なぜ巨人を倒した後に、わざわざ、勇者を作る必要があったんだ?」
リーディアに訊く。答えには期待しなかったが。
ところが意外にもリーディアはあっさり答えた。
「神に勇者は必要なものだから」
答えになって無い。だが、イグニスが以前言っていた。
俺が”勇者を持ってないのはおかしい”と。
「何のために必要なんだ?」
「それは知りませんが、あなたの作る勇者は特別なものであり、
それを作れるのは、あなただけだと言ってました」
俺は、特別だからって必要とは限らないだろ……と思ったが、話に続きがあった。
「その力を持つものの、子を産むと」
「誰が?」思わず反応して聞いてしまった。
リーディアは「迷宮の竜ディアガルド」と答えた。
リーディアの話じゃねーのかよ!!
いや、無理だろ。あんなでっかいやつと。
無理がありすぎる。それに勇者の話とも矛盾しそうだ。
「それだと、勇者の話と合わなくないか?」と指摘すると、
「私は人の子を産む。ディアガルドは竜の子を産む。
両方の子を残すことができる」と答えた。
さっきはリーディアの名前言わなかったじゃねーか!!
リーディアが子供を産むのは既定路線だから省いたのか!
だが納得できた。だからか!
こいつら(イグニスとリーディア)が仲良しになってたのは!
俺はリーディアと子を作って幸せに死ぬ。
そして、死んだあと、今度は竜としてディアガルドと子を残す。
イグニスが言ってた。
俺は竜の子を作ることができるのに竜では無い。そして、竜と人間は子を作れない。
イグニスがあの矛盾した話をする理由が、たぶんこれなのだろう。
竜に、生まれ変わるとしたら、ディアガルドと年の差が凄いことになりそうだが……
竜の寿命と、ディアガルドの年齢が分からないけど、凄いオネショタモノになってしまう。
※オネショタ:お姉さんと少年のカップル
ただ、まだ疑問がある。
「じゃあ、なんでイグニスが乗り込んできたんだ? 見張るためだろ」と言うと、
「イグニスは、人間を理解していないから」と答えた。
意味がよくわからなかった。
「人間を理解してないことは知ってる。それと見張りの関係は?」と聞くと、
「子を持てば、育て終わるまで、つがいで過ごすと思っていたのだ。
人はつがいで子育てしない」とリーディアは言う。
いや、むしろ俺の知ってる普通の人間は、夫婦で子育てするのが普通だ。
まあ、でも、確かに、この世界ではそうなのだろう。
「それで、あなたにどこまでも付いていくように頼まれたのだ。
だから安心してイグニスは帰った。約束は守らねばならん」
なるほど。それで、脱走がこんなに早く見つかったのか。
どうやら本当に、俺は人の子を残すことができるようだ。
俺は、ちょっと裸見たら簡単に倒れるのに、子供なんか作れるのだろうか?
それ以前に、そもそも、この世界での子作り方法がわからねぇ。
なかなか人に聞きにくい話なのだ。
こいつに聞くのは、盗賊に、盗賊に襲われない方法を尋ねるのと同じくらい危険だ。
…………
ほかに新ネタは無かったので、とりあえず、今後について話すことにした。
基本的にはリーディアは俺を理不尽な女たちから守ってくれるという。
嘘ではないようだ。
こいつは平気で噓をつくが、必要のない嘘はつかない。
※とおっさんは思っています。
今後については、予想外にリーディアが、まともなことを言ったので驚いた。
残り4人を一度に相手するのは厳しいので、一時的に暗黒面に落ちてる胸がお淑やかな2人を回復させて、俺+3人で、残りの2人をなんとかしようという話になった。
てっきり、”地の果てまでも逃げましょう”とか、”追ってきたら返り討ちに”とか、そんな話をするかと思っていたのだ。
「なんで2人で逃げて、どこかで子を作ろうとか言い出さないんだ?」と聞いてみた。
「私は妻として仲間に加わった。仲間は裏切らない。そういうものだ」と答えた。
軍はあっさり辞めたくせに仲間は裏切らない。
どういう基準なのだろう? 気にはなるが、今は今後の話に集中することにした。
暗黒面に落ちているテーラとアイス……貧乳を気にしてなんか変な方向に突っ走っちゃってる、(胸が)つつまし師弟とどうやって接触しようかと思ったが、リーディアがあっさりと「私が連れてきましょう」と言って、さっさと出発してしまった。
そんなに簡単に、2人だけを引っ張ってこられるのだろうか?
と思ったが、1時間くらいで、リーディアが、テーラとアイスを連れてきた。
リーディアは「エスティアとリナには説明して、少し時間をもらった」と言った。
恐ろしく手際が良い。既に信頼も得てるのだろう。
ついこないだ仲間に入ったばかりでコレだから。
コイツは人望と言うか、そういう何かを持っているのだ。
こんなに残念なやつのに、なぜ皆、こいつに騙されてしまうのだろうかと疑問に思う。
その上、テーラとアイスは、意外にも暗黒面から復帰していた。
どんな魔法だよ!と思った。
アイスは、俺を見て近付いてから
「俺、おっぱい大きくする方法、リーディアに教えてもらったから」
と言って、普段のアイスからは想像できないような、もじもじした感じで話して、少し後ずさった。
俺は、死亡フラグ的な、何かものすごく不吉な予感がした。
リーディアが何か爆弾を仕掛けたような気がしたのだ。
テーラはいつも通りに戻っていた。それはそれで怪しい。
テーラはもちろん気付いていた。
リーディアの言った”おっぱいを大きくする方法”それが嘘だということに。
ただ、同時に、なぜそんな嘘をついたか意図を理解していた。
リーディアが「まずは、マータルレバーに行く」と言う。
俺の頭の中は、その地名を聞いて、ものすごく嫌なイメージが広がっていた。
行先はマータルレバー。
金持ちが新婚旅行代わりに、勇者ごっこしに来る町だ。
変態医者もいるし、あそこで何やらされるか考えると、再度逃亡したい気持ちでいっぱいになった。
でも、今は警戒されてるので逃げるのは難しい。
ところが、そのとき都合よくイベントが起きて、マータルレバー行きは有耶無耶になった。
神様ありがとう!って思ったが、よく考えたら俺も神様らしいので、ちょっと感動が薄れてしまった。
アイスが”泣きながら、夜な夜な刃物を研ぐ女”になってしまったのだ。
「アイザックが死んだ」
何やら不吉な発言だが、アイスの髭剃り用ナイフの名前が、”髭剃りアイザック”なのだ。
で、そのアイザックが欠けた。薄く研いでいた刃が大きく欠けてしまった。
欠けたところに合わせて他を削るにも削る量が多すぎる。新しいのに替えないとダメそうだ。
だいぶ気合い入れてやってたから、落胆ぶりが凄い。
俺は「刃物の町に行こう」と提案した。
マータルレバー行きたくないからというのもあるが、いつか行ってみたいと思っていたのだ。
以前から、この世界の鉄は、俺の知ってる鉄と違うものだと思っていたが、俺の知っている鉄も存在する可能性が高いと思っていた。
ところが、なんと意外なところに俺の知ってる鉄があったのだ。
俺がこの世界に来た時はじめに持ってた、”初期装備のナイフ”に赤錆が出てたのだ。
赤錆が出るやつが、俺が日本に居た頃鉄と呼んでいた金属だ。
この世界の鉄は、赤錆が出なくて、なかなか錆びないが、錆びるときも、表面に白や黒の錆が出る程度で、長年放置しても赤錆で朽ちたりしない。
ところが、あのナイフには赤錆が出ていた。
見た目だけではなく、俺の知ってる鉄の臭い、鉄の味がする。
これは何の味なのだろう? 公園の遊具なんかも、この臭いがした。
俺はこの臭い味を鉄の臭い、味だと思っている。
この世界の鉄でできたナイフは切れ味が悪い。
この世界にも、日本に居た時”鉄”と呼んでた金属があるなら、その金属製のナイフを見てみたいと思い、マータルレバーより刃物の町行こうと言ったらあっさり通ったのだ。
「ありがとう、トルテラ」 アイスが言った。
アイスは、アイスのために目的地を変更したと思ったみたいで、泣いて感謝されたので、ちょっと罪悪感が凄くて倒れそうになった。俺は、どうやら罪悪感でも倒れるようだ。
刃物の町は、”ダルガノード”の近くだ。
とりあえず、そこで赤錆が出る金属のことを聞いてみることにした。
ダルガノード行きの定期便はすぐにはなかったが、近頃は、(この世界にしては)すごい勢いで荷馬車が走ってるので、荷馬車に乗せてもらった。
アイスのアイザックは、元々あんまり良いやつじゃなくて、研ぎまくってなんとか使ってたやつなので、いずれは買い替えるつもりだったのだが、愛着があったのと、たぶん、アイスは、金持ってるとすぐ買い食いするから金がないのだと思う。
こういうときのために、テーラがナイフ貯金を管理してたという。
なんで、アイスのナイフ貯金をテーラが管理してるんだよ!と思った。
”刃物の町”は、ダルガノードから歩きで1日くらいの距離にある。
”刃物の町”と言うので、町があると思ったら、鍛冶屋の集団があるだけで、町なんか無かった。
ただ、赤錆の出る金属は、ここでは良く知られていた。
話したら即伝わって、鉄ではなく、黒鉄と言うそうだ。
まあ、確かに鉄は黒鉄とも呼ぶけど、この金属を差し置いて、鉄と呼ばれる金属は、いったい何なのだろう?
”くろがね”と聞くと、マジンガーZの歌を思い出すが、マジンガーZは、超合金Z製なので、歌と矛盾している。
※マジンガーZの”くろがね”の対になるのはグロイザーXの”しろがね”です。
俺の知ってる鉄は、この世界でも生産されていた。
だいぶ遠く、タンガレアとは別の外国から輸入するので、値段は高いし、何より、すぐに錆びるので、あまり需要が無いという。
ここは鉄が少ない土地なのだろうか? 地球では最もメジャーな金属だったのだが。
でも、ここでも、血は鉄の味だし、色は赤だ。
これは、日頃から食べ物を通して鉄を補給できていることを意味する。
まあ、簡単に言うと、どこにでもある可能性が高い。
この世界で言う”鉄の武器”は鋳造で、鍛冶屋がカンカン叩いてるのは修理だ。
鋳造というのは、型に流し込んで冷やすやつ。
型に流し込む鋳造に対して、叩いて形を作っていく方法を、鍛造と言う。
黒金は鍛造なので材料を温めてカンカン叩きまくる。
量産しにくく、叩いてる間に減っていくので、材料の量に対して効率が悪い。
叩いてる間に、全体の質が揃うので質は高い。
武器とかは均一になっていないと、弱いところから壊れる。
結果として鍛造品は重さの割に壊れにくいものが作れる。
切れ味は、黒金の方が良いという。
日本に住んでた時は、鉄は鋳造も、鍛造も両方あったはずだが、ここでは鍛造だけらしい。理由はよくわからない。
俺は、職人さんに大人気だった。いや、俺の髭が。
”毎日切れ味試せるから貴重だ”とか、”これは良い夫をお持ちだ”……とか、俺が先代勇者ってことには気付いてない様子だった。もちろん、現勇者リーディアにも。
ダルガンイストから近いのに、ぜんぜん違うんだな……と思ったが、職人は特別な人たちらしい。
なぜか黒鉄製品は、鉈ばかり大量にあったが、ナイフもあると言って職人さんたちが、髭剃り用に良いやつをいっぱい探して見せてくれた。
研ぐ前の小さなナイフは、意外に高くなかった。研ぐと小さくなっていくので大きめが良いという。
テーラとアイスは研ぐ前のナイフに興味津々で、女二人と職人さんたちがキャッキャ言いながらナイフ選んでる姿がちょっと違和感あった。
テーラはそういうはしゃぎ方はしないし、アイスは女の子っぽいはしゃぎ方はしない。
なんでナイフで、キャッキャ騒いでるんだ!!
意味が分からん。
結局2人は、先の切り落とされた、黒鉄のナイフを買っていた。
アイスはもう1本、既に研いである失敗作をもらってた。
失敗作と言うが、俺が見ても、どこが失敗なのかわからなくて、アイザックより良く剃れる。
俺は、新しいの研がなくても、もう、これで良いのでは?……と思ったが口には出さなかった。
2人とも、ナイフ研ぎ職人になっていて、話が有耶無耶になったので、マータルレバーに行かなくて良くなったんじゃないかと思った。
ところが、
マータルレバーはともかくとして、(胸が)つつまし師弟のイベントは無くならなかった。
だいたい、世の中は、俺が困る方向に進んでいくのだ。




